第6話 少年の実力
あのルドヴィカと例の平民が決闘をする。
その言葉の持つ力が人垣に現れているのを見て、ヴィムは溜息を吐いた。
「これがお前のやりたかったことか」
「そんなわけないわよ。あれらは勝手についてきただけ。それとも、今からでも衆人環視の中で辱められるのはやめてくれ、と許しを請うの? 別に私はそれでもいいわよ。貴方の誠意、ひいては覚悟はその程度のものだったのだと思うだけなんだから」
「んなこと言われて引き下がれるかよ。何考えてんのか知らねぇが、決闘が望みならいくらでも受けてやるよ」
返ってきたすまし顔の言葉に、ヴィムは装着した両手の甲手を打ち鳴らす。ヴィムの戦闘衣装は動きやすさを重視した、拳闘家のそれだ。身に着ける軽鎧と鉢金は急所を守る最低限のものでしかない。一見すれば、噂に聞く東の国の暗殺者のようだ、とはスウェイの言である。
対して、ルドヴィカは朱と白を基調とした色合いに加え魔術刻印がなされた服だ。それが不死鳥の羽根と火竜の鱗を素材にしていることなど、ヴィムにはわかるはずがない。手にした魔銀細工が施されたトネリコの杖の先に取り付けられているのは、紅涙石という一級の火属性の魔石。四肢は対魔術の紋章が刺繍された薄手のシルクで覆われ、両の手首には障壁の魔術が組み込まれたブレスレットが備わっている。並大抵の攻撃ではびくともしないだろう。
「うっわ、すっげぇな。小国ならあれだけで大富豪だぜ」
とは、商人として様々な品物に触れる機会があったルドガーが言った台詞だ。
ヴィムの装備は学院の支給品に毛が生えた程度。この時点で差はかなり大きい。それに加えて、両者の差を決定づける要因はまだある。
片や身体能力に優れているだけの魔術が使えない平民でしかないというのに。
「その相手が、“火の寵姫”ルドヴィカ様。こうした対人戦闘を見るのは初めてですが、演習の時に見る魔術は教科書に乗せたいほどに流麗かつ丁寧でした。実力だけで言えば学院でも勝てる人は少ないでしょう。ましてや二回生ともなると、ね」
「うん。わたしも見たことあるけど、ほんとうに凄かったよ。そんな凄い人相手で、ヴィム君、大丈夫なのかな」
「まー勝つなんてまず不可能ですよ。あの変態の戦闘スタイル上、ルドヴィカ様に触れることができたらよくやったと褒めてあげてもいいんじゃないですかー」
ナターシャは両者の実力差を冷静に見切っていた。そもそも魔術が扱えないヴィムがルドヴィカに一矢報いるためには、拳が当たる距離まで近づかなければならない。しかし相対しているのは凄腕の魔術師。そもそも近づくことすら難しい上に、近づいたからどうにかなるというわけでもない。
そこまではっきりとした差はわからずとも、ヴィムがどれほど相性の悪い相手と戦うことになったかくらいわかるスウェイは、早々と結論を出す。
「そうだね、ヴィムに贈る言葉があるとしたら、死ぬな、くらいかな」
周囲から聞こえてくる会話も似たようなものであった。何分持つか、いつ命乞いをするか、どれほど惨めな姿になるのか、それを期待している節さえある。
だが、ヴィムには周囲の雑音は気にならなかった。
「それで、勝敗はどうやって決める。まさか、先に泣いた方が負けか」
「そんな子どもの遊びみたいに言わないでくれるかしら。本来だったらどんな状況であれ、敗者が戦えなくなった時点で終わりだけど、特別に追加で負けましたと許しを請うなら、その場で終わりにしてあげる」
「そうだな。すぐにぴーぴー泣いてごめんなさいって言えば、その綺麗な肌に傷つかなくて済むもんな」
「だ、誰がそんなこと言うわけっ!? ああもういいわ、全力で潰すっ!」
ヴィムの挑発にルドヴィカが乗った時が、勝負開始の合図だった。
ルドヴィカの手にした杖がヴィムに向けられた直後、火の魔術の短縮詠唱が響く。本来の手順を大幅に削り、威力を犠牲にした代わりに発動速度が急激に速くなる高度な技術。加えて、発動した魔術はフレイムボルト。練り上げられた魔力が炎の矢となり、雷電の如き速度でヴィムに迫る。
先手必勝の電撃戦術、ルドヴィカの性質を顕現した一撃だ。
並の相手ならばこれで終わり。
「まぁ、並よりはまし、というのは認めてあげるわ」
「そりゃどうもっ!」
その高速の一撃を瞬時に躱してルドヴィカに迫るヴィム。微かに聞こえた音を頼りに、勘だけでその場から飛びのいた次の瞬間、地面を蹴り飛ばしてルドヴィカに向かう。
無論、その動きはルドヴィカも捉えていた。迫りくるヴィムに対して、唱えた魔術はファイアボール。ルドヴィカの周囲にぼう、といくつも火が灯った瞬間、それら一つ一つが渦巻き火球を形成する。そして主の命に応じて迫りくる不遜なる者を撃ち落とすが如く、時に直線で、ある時は弧を描き、またある時は蛇行し急激に曲がり、予測不可能とも思える多彩な技で攻め立てる。
一つ一つの火球の動きは基本的なものでしかないが、それら全てを同時に、かつ有機的戦術的に組み立てる術はさらにその上を行く技術である。魔術の初心者はその見事さに歓声を上げ、その難度を知る者は赤に彩られる光景に唸る。
舞い踊るかのように魅せつけられる炎の美しさは術者本人の魅力も相まってか、もはや芸術の域とも言ってよい。
だが、その美しさに玉瑕を付ける者がそこにはいた。
炎の女王を前にして、跪くことなく抗い、どころか軽度な火傷はあれど未だ無事な身体を晒している少年の姿が否応にも目に映る。
「ヴィムのやつ、あんなすげぇ攻撃、よくかわし続けられるな。さっすが体力馬鹿だぜ」
「脳筋野郎に馬鹿って言われちゃおしまいだと思いますけど、今回ばっかりはルドガーと同意見です」
ヴィムは自身に迫る火球を見切り、躱し、避けきれない火球は対魔術の刻印が埋め込まれた甲手で打ち落とし、身体へのダメージを最小限に抑えて確実にルドヴィカに接近している。それは確かに恵まれた身体能力がなければ不可能なことなのだが。
「それだけじゃないよ、ヴィム君の凄いところは」
「本当にね、あいつに魔術の才能がないのが惜しく思うよ、僕は」
決闘が始まってから攻めるルドヴィカに守るヴィムという構図は変わっていない。しかし、その構図に違和感を最初に覚えたのは、他でもないルドヴィカだった。
(攻めきれていない? これほどの密度の攻撃を続けているのに?)
いくら火球を放てども、できることはヴィムの歩みをその場で押しとどめる程度で、後退させることはできていない。彼我の距離を保っていられているのは、あくまでルドヴィカが少しずつ位置を調整しているからでしかないのだ。
確かにヴィムはそこそこやるようだ。それは認めよう。だが、それでもルドヴィカにはなぜここまでヴィムが戦えているのか、その理由が分からなかった。
「魔術とは思い描いた空想を、精霊の言葉をもって世界に顕現する技術である」
「いきなりなんですか、スウェイさん」
「魔術を扱える者でこの言葉を知らない者はいないでしょう。何故ならそれこそ魔術のなんたるかであり、この魔術王国ミリエシーダの祖、ライゼ・ミリエシーダの遺した言葉なのですから」
「んで、その偉い人の言葉がなんだってんだ?」
「なので我々は精霊の言葉を勉強するわけですね。まぁこれが魔術を行使するうえで本当に大変なことなのですけれどね」
「前置きがなげぇぞ、スウェイ。いいから早く結論を言ってくれよ」
少しだけ苛立ったように、ルドガーが答えを促す。スウェイは笑いながら言った。
「ですので、もし精霊の言葉をがっつり勉強して聞き分けができるなら、発動する魔術がどうなるかわかっちゃいますよね」
『炎の球よ まっすぐ進め 次なる炎よ 弧を描け 左右から挟み込め』
ルドヴィカの口から紡がれる言葉を、ヴィムの耳は正確に捉えていた。新たに生み出された最後の火球は、放たれたら躱せないだろう。つい先ほど迫ってきた火球の内、残っているのは直進する火球が二つに、背後に回り込んだのが4。斜め前に残った一回り大きいのはルドヴィカの意思に従う誘導弾。それだけ叩き落とせば他は躱すだけでよい。
ルドヴィカの扱う魔術は、丁寧に構築されたものだった。こうすればこう動く、そしたら次にこうすればよい、と言った風に、理路整然とした闘いの理が顕現したような戦い方だ。
攻め手は激しくても、その内実は教科書に載っていることそのもの。
当然、読みやすい。
加えて、相手の魔術詠唱からどんな魔術が生み出されるのかもわかる。それは相手の手札が分かっているポーカーと同じだった。
それでもここまで戦闘が硬直しているのは、ルドヴィカの手札が強すぎるからだ。いくら相手の手札が分かったからと言っても、それで自分の手札が劣っていたら意味がない。
だからヴィムは待つ。相手が戦況を読み違えるまで、何度も、何時までも。
「ハアァッ!」
気合の入った掛け声とともに、ルドヴィカの誘導弾を叩き落とす。その際に火球がわき腹を掠めたが許容範囲だ。今までで一番深い傷だが、致命傷とは程遠い。
再び身体に力を込めて、ルドヴィカの元へ向かう。ここまでいなされている以上、もはや火球での牽制はできまい。
初撃でわかっている。速いだけでは意味がない。これまでの戦闘でわかっている。初級の火球程度では止められない。
『炎の壁よ 前に広がれ』
ならば迫りくるヴィムを押しとどめるために壁を作ろう。それがルドヴィカの出した答えだった。相手を近寄らせないのは魔術師の基本戦術だ。先ほどまでの火球とは違い、一度に放出する魔力が段違いに多くなるが、そうでもしなければヴィムは止められない。
途端にルドヴィカの視界が紅で染まる。地面から立ち上る炎の柱が壁となって、ルドヴィカとヴィムの間を遮る。
ルドヴィカは叫んだ。
「これでどう!?」
「まだだっ!」
返答は空から来た。
驚いたルドヴィカが顔を上げると、炎に照らされた人影が近づいてくる。
まさか、飛び越えたとでも言うのか、あの炎の壁を。
「フレイムウォールは地面から立ち上がる炎の壁を作る魔術だったな。なら作られると同時に飛べば、そこまでの高さはない。あそこまで近づいていれば、飛び越すのは簡単だ」
熱にさらされて焦げたズボンのことなど気にしないかのように、やってきた少年は言った。その拳を振り上げながら。
「まずは俺からの挨拶を受け取れよ、ルドヴィカ・ライゼ・ミリエシーダァッ!」
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