第5話 友人の様子


 どうしてこういうことになってしまったのだろう。

 アイネはわらわらと集まってくる人垣の中で、それだけを考えていた。昨日今日の二日間だけで、色々と起こりすぎだろう。加えてその中心人物がよく見知った友人ともなれば、何かに悪いものに憑かれているのではないかとも思う。

 今までの様子を見る限り、そんな事件に関わるような人物ではないと思っていたのに。


「アイネさん、大丈夫ですか?」

「ターシャちゃん」


 そんなアイネを心配する声を掛けたのはナターシャ・イストリア。ミリシアーデ王国の貴族で一般的な金の髪を左右で結っている、アイネよりも二つ下の同級生の少女だ。アイネがこの学院に入った時から共に行動をすることが多かったためか、知らない人が見れば姉妹と思えるくらい、とてもよく懐かれている。

 アイネはナターシャに笑顔で答える。


「うん、大丈夫。心配してくれてありがとうね」

「いえいえ、とーぜんのことをしたまでです! あ、でもアイネさんがえらいえらいって言って撫でてくれるならその報酬を受け取ることもやぶさかではっ!」

「そ、それはちょっと、ここでは恥ずかしいかなぁ」

「では二人っきり時で、よろしくお願いしますねっ!」


 いつものように元気な返事をするナターシャを見て、アイネは少しばかりの余裕を取り戻す。のだが、やはりこれから目の前で起こることを考えると、心配と不安は再び膨らんでしまうのだ。


「ヴィム君、大丈夫かなぁ」

「あー、あの朴念仁の変態が、まーた何かやらかしたみたいですねー」


 アイネがヴィムの話題を出すと、途端に不機嫌になるナターシャ。そもそも昨日の事件の時は二人とも被害に合っている。だというのに、たったあれっぽっちでヴィムを許すアイネがおかしいのだ。


「ほ、ほら、聞いた話だと天井が壊れて落ちた時にはもう気絶してたみたいだし、あの天井裏からは下が一切見えない構造になってるみたいだし、覗き穴みたいのもなかったってヘレンさんも言ってたから」

「それは優しすぎますよアイネさんっ! それにたとえ姿が見えなくても、世の中には女の子の言葉だけで妄想を逞しくする人たちがいるんです。あいつも同類だって考えないんですか?」

「そ、そうなのっ!?」

「そうなんです! 男というのは皆、その薄っぺらい笑顔の下に薄汚い欲望を滾らせているものなんですよ! その欲望は留まるところを知らず、酷いのになると女の子が関わっているもの全てに下劣な感情を向けるんです!」


 そのナターシャの言葉を聞いた、その場にいた何人かの男子生徒の視線が少々痛い。アイネはナターシャの手を取ると、頭を下げながらその場を退散した。

 先ほどの集団から距離をとってから、ナターシャと会話を再開する。


「あ、あのね、ターシャちゃん、もう少し周りのことも考えよ?」

「むぅ、わかりました。まぁ、アイネさんと手を繋げたので良しとしましょう」


 渋々としながら嬉々として、という両端の感情を上手く同居させながら、ナターシャはアイネに聞いた。


「それで、アイネさんは、あいつの何が心配なんですか?」

「だって、ヴィム君、魔術が使えないんだよ?」


 それは知っている。というより、素質があろうとも平民で魔術を使える方が稀なのだ。魔術学院とは謳っていても、それは主に魔術が扱える貴族のためのものだ。平民にも門戸を開いている理由は別にある。商学や農学、建築学。主にそういった国の地盤を固める基礎的な能力を高めるためだ。

 現王はその為人、というよりミリシアーデの先々代の王から受けつがれている精神ゆえか、国は民あってのもの、と公言してはばからない。それは現王政にあって多数の国民の歓喜と少数の貴族の不満を抱くものだが、今はよく機能している。


「それなのに、あのルドヴィカ様と決闘だなんて。もう、どうやったらそんなことになるんだろう」

「いやいや、むしろ打ち首にならなかった方が不思議ですよ。あの場にはルドヴィカ様もいらっしゃったんですから。だったら自分の手で処罰する、って考えてもおかしくないでしょう」

「ルドヴィカ様は正義感の強い方だって話は聞いているけど、そこまでするかなぁ」

「します、というか許されるなら私だってしてます」

「ちょっと怖いよ、ターシャちゃん」


 尋常ではない熱気を漂わせるナターシャから少し離れて、アイネは周りを見渡した。

 集まっている生徒が多く、アイネとナターシャの身長では中心が少々見えづらい。正式な決闘場であるコロセウムを使うわけにもいかず、代案として演習場を使うことになったとのことだが、おかげで中の様子がちっとも見れない。

 どうしたものかと考えていると、ふと見知った顔を見かけた。


「スウェイ君も来てたんだね」

「ああ、アイネさん。こんにちは。今日は安息日のはずですが、ご実家には帰られなかったのですか」

「うん。私が帰ったりしたら、逆に心配されちゃうし、迷惑だと思うから」

「それは考え過ぎだと思いますけどね。ところでアイネさんも、ヴィムの様子が気になりますか」

「あたり前だよ。スウェイ君なら背が高いから、中が見えるでしょ。どう?」

「少々お待ちください」


 アイネに軽く挨拶を交わした後、演習場の中心に目を向けたのはスウェイ・コーディナル。靡く短い金の髪を持つミリシアーデ王国に連なる歴とした貴族の一員なのだが、多くの貴族とは違い物腰が低い好青年だ。アイネと一つしか違わないが、この穏やかさと丁寧さは普通の一年を過ごすだけでは手に入れられないだろう。


「どうやらまだ始まってはいないようです。それと、少しばかりいい席を見つけたので、そちらに移動しましょう。ナターシャさんも、それでいいですか?」

「スウェイさんが付いてこないなら、私は構いませんよ」

「はは、相変わらず手厳しいな。でも、僕にも少しはいい格好をさせてくれないかな」

「ターシャちゃん、せめて同じ班の人とは仲良くしようよ」

「うう、それはアイネさんのお言葉といえど、受け入れるにはちょっと……だってあいつらと仲良くは流石に……」


 ナターシャはそう言って語気を弱めてしまう。ナターシャの異性嫌悪は今に始まったことではない。それはスウェイも承知しているため、特に何かを言うこともない。アイネもそれはよくないと思っているものの、無理強いをするのもナターシャのためにならず、結果として時間が解決してくれるのを待つしかなかった。

 仕方なく、と態度で示したナターシャはスウェイとアイネの後に続く。


 スウェイ達が向かった先は、移動する前とあまり変わっていないように思えたが、そこにいた人物を見つけてアイネはあっ、と納得する。ナターシャはげっ、と露骨に嫌そうな顔をした。

 スウェイは軽やかな足取りで集まっていた人達を避けて、目的の人物に声をかける。


「やあルドガー、こんにちは。君もここに来ていたんだね」

「おっす、スウェイか。それにアイネとナターシャも。やっぱお前らも来てたんだな」

「こんにちは、ルドガー君」

「あー、なーんで休みの日にまでルドガーと会わなきゃいけないんだろ」


 おいこら喧嘩売ってんのか、とナターシャに凄んだ男はルドガー・アズベル。くすんだ赤茶色の髪を立たせている商会の三男坊でヴィムと同い年の平民だが、学院内では何かと有名な男だった。

 それを見たスウェイは二人の間に割って入る。


「こらこら、せっかくの休日なんだから、喧嘩はやめよう。ところでルドガー君、君にちょっとお願いがあるんだけど、いいかな」

「ん、まぁ簡単なことならな」

「簡単だよ。君の土の魔術で、台を作ってくれないか。頭が出る程度で構わないから。僕らの中で土の魔術が得意なのは、君くらいだからさ」


 それは学院にいる平民の中でも、数少ない魔術を扱える平民だから、という点が大きい。それが原因で、とある少年と何度も議論したこともあるが、それは今は置いておく。スウェイが言うと、ルドガーがぽんと手を叩く。


「なるほど、お前頭いいな」

「いや普通思いつくと思いますけどねー」

「……ごめんアイネさん。ちょっとナターシャさんを見ていてくれませんか」

「あ、うん、わかったよ。ルドガー君、お願いね」


 いつまでも反発してそうな二人を一緒にしておくわけにもいかず、ナターシャのことはアイネに任せるとして、スウェイとルドガーは早速準備に取り掛かる。

 とはいってもそこまで難しいことをするわけではない。土の魔術、それも初歩の隆起だ。だが、平均的に魔力が少ない平民のルドガーには少しばかり難しい。加えて、その魔術行使を補助する道具もこの場にはない。

 しかし、アイネとスウェイに頼まれたのだ。ナターシャのことは気に食わないにしても、この場でできるのは自分しかいない。やるしかないだろう。


 ルドガーは手のひらを地面に向けて、詠唱を開始する。

 するとルドガーの前にあった地面がゆっくりと隆起していく。高さはそこまでないが、その上に立つだけならば申し分ない強度だ。四人が並んで立つくらいの長さもある。本来であれば演習場での魔術行使には教員の許可が必要だが、これくらいならば問題ないだろう。


「ぜぃ、ぜぃ……ま、こんなもんだな」

「ああ、ありがとうルドガー」


 疲れた様子を見せるルドガーに、スウェイは労いの言葉をかける。ルドガーの今の魔力では、これだけのことをするにもなかなかの労働になる。とはいえ、平民が補助具なしでこれだけできるのは実はたいしたものだったりする。

 それくらいのことはわかっているのか、ナターシャであっても簡単な感謝を示す。


「ありがとーございます、ルドガー」

「本当にありがとうね、ルドガー君」

「へっ、まぁ俺にかかりゃこんなん朝飯前だって……おっと」

「あまり無理はするなよルドガー」


 そうしてルドガーの作った土台に並んだ四人は、周りの人垣から頭一つ分上から、少年と少女の決闘の行方を見守った。

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