第4話 告げられた言葉


 時刻が昼を過ぎた頃、ヴィムは研究棟の一室に呼び出されていた。

 その部屋の中には数々の幾何学的な模様が書かれた羊皮紙や、髑髏や水晶、人形と言った呪術にでも用いるような小道具が散乱していた。隅には焼き釜までおかれ、その周囲には薬草薬品その他の類が付箋だけ張られて棚にしまわれている。まるでサバトでも行われそうな雰囲気であるが、それは間違いではない。

 一つ一つならばあり得るかもしれないが、これら全てを統合した分野を専攻としている人物は、学院広しと言えどもこの研究室しかないのだから。


「お前なぁ、問題起こすのはやめろって言っただろうが」


 明るいブラウンが光るウルフヘアを右手で乱雑に掻きながら、白衣を着た青年は髪と同じ色の切れ瞳に呆れを混ぜてヴィムに向かって言った。


「一応、ここではお前は俺預かりってことになってんのね。つまりこの学院内では俺が保護者で責任者なの。お前が問題起こすと俺のところまでとばっちりが来るんだよ。ちくしょう、給料と出生に響くぞ」

「悪かったよ、ルスコー」

「ったく、その態度が嫌なんだよ。全っ然反省してねぇのな。そのくせ罰は罰だって理解してるからお前の相手するの、俺は嫌なの」


 その青年、紋章学の権威を師に持つ准教授ルスコー・オズワルドは髪を掻いていた手で顔を覆って嘆いた。どうしてこいつはこんな態度しか取れないのだろう。もうちょっと上手くやれていれば、世間的なごにょごにょでなんとかなったかもしれないのに。


「つーかなんなの、女子風呂覗きに行くって。馬鹿なのお前、そんなん実際に実行する奴いるわけねーだろ。なに、溜まってんの、一人じゃ上手く処理できねぇの?」

「そんなんじゃねぇよ」

「知ってたよ馬ー鹿、お前がそういうのに縁のない不能野郎だってことはよぉ。あーつまんねぇなぁ」

「面白く無くて悪かったな」

「その返しが面白くねぇんだよ、もうちょいコミュニケーション力つけろや」


 そう言ってルスコーは白衣の胸ポケットから手製のシガレットを取り出して、魔術を使って火をつける。


「生徒がいる前で吸うなよ」

「ただのハーブだ、危ないもんじゃねぇ。ここには危険な道具がいくつかあるからな、学院長の許可なしにやべぇやつは吸えねえよ。気分転換だ」


 窓を開けて換気をし、溜まった息を外へ追い出すように吐く。


「まぁ大方予想はつくけどな。ルドヴィカ様の例の噂、真に受けたんだろ」

「っ!」


 ヴィムは一目でわかるくらい、わかりやすい反応をした。こういうところはまだまだ子どもだと、ルスコーも思う。加え、それならそれで別のやり方があっただろうと思ってしまう。


「前にも言っただろう。一般的じゃねぇが、素質を持ってる奴なら起こる可能性があることだ。ルドヴィカ様が貴族だから、王族に連なる家系だからっていう特別じゃねぇ。素質に依るものだから偏りはあるけどな」

「いや、それは覚えている。けど、それだけじゃないんだ。あいつが使う魔術はその規模を超えている。だから」

「それも前に言ったはずだ。紋章学上、0から作るってのは現状じゃあ無理な話だ。1を大きくすることは、まぁ難しいが、できないわけじゃない」


 あとルドヴィカをあいつ呼ばわりするな。下手したら打ち首ものだ。


「お前がその二つを結び付けたい気持ちはわかるよ。それに、俺だって世の真理全部を知ってるわけじゃねぇ。もしかしたら王族にはそういう門外不出の秘術があるかもしれないしな」

「だったらっ!」

「だったら余計にお前のしたことはやべぇことだ。王族の秘術を暴こうなんざ、今の王様が穏健派だからって、この王政でやって無事に生きていられると思うな」


 そこまで言うと、ヴィムもようやく事態が自身で理解していた範囲を超えていることに気付いたのか、口をつぐむ。いい機会だ、もう少し自分のしでかしたことについて理解してもらおう。


「そのためにも俺は出世する必要があるんだよ。あの厭味ったらしいクソジジイ共を見下せるくらい、高いところへな。そうすればもしかしたら、王族の秘術とやらにも関わる機会があるかもな。だっていうのに、誰かさんのせいで遠のいちまったわけだが」

「わ、悪かったよ、ごめんルスコー」

「おうおうもっと謝れ、ついでに反省しとけや。お前は思い込みが強ぇからな、悪いときにはひでぇことになるんだよ」


 ヴィムははた目にもわかるぐらい恐縮して小さくなっている。その様子を見てルスコーは再び、肺に溜まった空気を入れ替える。これで少しは周りと先を見る目を持ってくれればいいのだが。方向性を失った若さは、自身を容易に破滅に導くものなのだ。


「逸る気持ちも分かるが、限度ってもんを少しは知っとけ。俺もお前の現状は把握してる。焦らずじっくりやれや、まだ時間はあるんだからな。それは俺が保証する」


 そこまで言い切られてしまっては、ヴィムがこの恩人に返す言葉はない。

 ルスコーは机から一枚の紙を取り出す。そこには学院長から示された、奉仕活動の概要が記載されている。それをヴィムに押し付けるように渡して、最後に一つ警告しておいた。


「いいかヴィム、絶っ対にこれ以上問題を起こすんじゃねぇぞ」




 ヴィムの目の前に広がったのは、自然の脅威だった。

 人の手にかかることなく自由に発達した植物群は、ありとあらゆるものを飲み込み、取り込み、繁茂していく。生存競争に負けた生物はすべからく養分となるべし、という無言の圧力に、植物という生き物がもつ生命力に負けた生物は一つ、また一つとその命の灯を消していく。

 その力強さは同族であろうとも容赦せず、食物連鎖の頂点を極めたような偉大さを放っていた。

 ごくり、と唾をのむ。

 火の魔術にさえ耐えそうな芳醇な緑を前に、土の魔術ごときに動じない潤沢な緑を前に、ヴィムはただ一人、その拳で挑まなければならない。


 最初からなかなかの鬼門であったが、それをこなさなければ先はない。こみ上げてくる諸々をぐっと飲み下し、少年は両手に付けた白色の作業用手袋で、まず付近の草の根元をつまんで引き抜いた。

 大地の欠片を絡めとるように伸びた根が、恨みがましく元の場所へ戻ろうとしているのかと錯覚してしまうが、残念なことに敗者は強者の掟に従わなければならない。植物の奮闘もむなしく、持ってきた袋に詰められる最初の犠牲者としての名誉を授かることになった。

 要するに、学院の一角の草むしりが、ヴィムの最初の奉仕活動であった。


 季節は春になったばかりであり、日差しはそこまで強くない。草木を靡かせる風は徐々に温かさを帯びて、流れる汗を優しく撫でる。もう少し時期が早ければ厚着をする必要がったが、今の時期では半袖の運動服で十分だ。

 ヴィムは文字通り草の根を分けるように周囲を睨みながら、逞しく生えてきた植物を一本一本抜いていく。


 始めてから太陽の位置が目に見えるくらい変わった時、ヴィムは一息ついた。

 成果としては全体の何十分の一と言えばいいのだろう。草むしりを始める前と、どこが変わったのかわからない。一応、ヴィムの周囲は地面が見えるくらいになっているが、その程度でしかない。


 流れる汗を拭い、足を広げて地面に座り込んで両手をつく。身体能力にはそれなりの自信があったが、体勢を変えずに同じ作業を延々と続けるのは、また別の能力が必要なようだ。

 空を見上げると、青い空に白い雲、ついでに鳥が影を作って飛んでいくのが見える。なんともまぁ自由気ままなことか。羨ましさすら感じてしまう。

 ヴィムがこの学院に入った理由も、大まかに言えば自由が欲しかったからだ。そのために学院で、あるいは外の世界で学ばなければならないことがあるというのに、今やっていることはただの奉仕活動。自分の置かれた状況を顧みて呆れてしまう。

 しかし、これが周りに迷惑をかけた代償なのだ。こんな程度のことで謝罪になるとは思わないが、行為に感情が追い付いてくることもあるのだろう。

 少しの休憩をはさんで再び作業に戻ろうと立ち上がったとき、急に声を掛けられた。


「少しは真面目に取り組んでいるようね」


 鈴の音に似た、よく通る声だった。

 振り返ると、まず目に入ったのは後ろで一つにまとめられた銀の髪。それもただの銀ではない。陽光を反射し煌めくその色は、まさにロイヤルシルバーとも言えるだろう。

 すらりと伸びた手足と均整の取れた体格は、美術館に飾られていても違和感がないくらいだ。行動の一つ一つすら様になり、見る者の目を惹きつける。それはほんの少しの動作の端々から漂っている気品だけでなく、その身からありありと発せられる本人の気概によるものも大きい。

 苛烈なる淑女、とも噂される人物は、この学院に一人しかいない。


「ルドヴィカ・ライゼ・ミリエシーダ」

「いきなり人の名前を呼ぶなんて、無礼な平民ね、ヴィム・ストリンガー」


 胸の前で組んだ手を解き、やれやれとでも言いたげに右手を振る。


「平民に礼を説くのも我が学院の使命であるとは思うけれど、やはり愚か者に教育など、それこそ無意味だということかしら」

「お前だって俺の名前を呼んだだろ」

「私は貴族、あなたは平民。そもそもの立場からして違う上に、礼のなんたるかを知らない愚か者に、私が礼を払う必要などないわ」


 ルドヴィカはさも当然という風に、ヴィムの言葉を切り捨てた。

 その態度に思うところがないわけではないが、非がどちらにあるかはわかる程度にはヴィムは頭が回る。これ以上の会話は不要だろう。向こうも、対等の会話など望んでいるわけがない。


「悪かったな。今回の無礼と、昨日の件」


 そう言って素早く頭を下げた。敬語や細かい作法はわからないが、自身の非を認め相手に謝る方法は、学院で学ばずとも知っていて当然だ。

 その潔さに、ルドヴィカは、ふん、小さく零す。目の前にいる愚か者も、学院に入れる程度の頭脳は持っているようだ。


「当然よ。それに、私は学院長の決定に納得しているわけではないわ。聞いたわよ、あなたが女子寮でしたこと。だとしたら、あなたが犯した罪の償いを、私が決めてもかまわないわね」

「ああ。もっとも、流石に命を奪われるのは勘弁してほしいが」

「なっ、なによその野蛮な思考っ!? そんな直接的なものじゃないわよっ」


 先ほどの態度とは一変、ルドヴィカが怒ったように言う。それでも、小さく咳払いをすれば、そのおどけた雰囲気は霧散し、緊張感が戻る。

 ルドヴィカは自らつけていた純白の手袋を取ると、ヴィムに向かって投げつける。


「礼は知らずとも平民にしては学があると聞いたわ。なら、その意味が分からないはずないでしょう」


 凛とした声音で告げられた言葉は、ヴィムが予想していた通りだった。


「私と決闘しなさい、ヴィム・ストリンガー。あなたのその誠意とやらが、偽物ではないことを私に示してみなさい」

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