第3話 少年の誠意
ヴィムが学院長室を出ると、周囲のあちこちから好奇の視線に晒された。
今日は安息日であるが、学院生の多くは寮に住んでおり、また学業以外に熱意を向ける生徒達にあっては安息日の学院というのは非常に素晴らしいもので、歓楽街よりも価値があった。そこに、先日起こった大きな事件。注目の的にならない方がおかしい。ヴィムを見つめる視線の元から、ぼそぼそと声が生まれてくる。
「あれが、大浴場に忍び込んだっていう」「変態」「いや勇者だろ」「性犯罪者」「世紀の馬鹿が現れたって」「不敗神話の攻略者」「ああいうのが変態なのか」「こわ、近寄らんとこ」「ちくわ大明神」「こうしてみると案外普通」「平民らしいし」「男はみんな変態だって」「キモい」「孕まされる」「存在が害悪」「女の敵」「引きこもり」「オタク」「最低の屑」
皆言いたい放題であった。人より優れた聴覚をしているヴィムには当然聞こえていたのだが、その声に答えようとは思わなかった。ヴィムは自分がどのような行為をしたのかはっきりと自覚しているし、それが世間で言う最低の行為だということも知っていた。
ではなぜ自覚していながら暴挙に出たのか、こればかりは例え相手が友人であっても言うことはできない。いわゆる普通であれば許されないことなのは変わりないし、友人であれば余計に言えないことだってある。
ヴィムが歩いていく方向は、古の聖者もかくやと言った具合に人波が割れる。正確には避けられる。予想はしていたが、実際に自分が受けてみると精神的にくるものがある。だが、ヴィムは腹から湧き上がるものをぐっとこらえた。覚悟が揺らぎそうであったが、ここで折れてはいけない。だって、男の子だから。
それに、まだやらなければならないことは残っている。それをするためにも、こんなところに残っているわけにもいかなかった。
王立魔術学院、またの名を学院長の名からとってアイザック魔術学院は、広大な敷地を持つ教育機関だ。生徒たちが学び、教師陣が教えを説く研究棟を中心に、生活面を支える食堂に購買や宿泊施設、魔術や戦術の訓練を行う大規模な演習場、特定の分野に特化した者達のための家畜小屋や畑、小さな工場まである。その大きさは小規模の村よりもあると言われ、その全てを把握しているのは秘書のヘレンのみとも噂されている。
そして、生徒間の安全を図るという名目で、男子寮と女子寮は上記に挙げた様々な施設により東西に分断されている。東の端にあるのが男子寮で、西の端にあるのが女子寮だ。当然、細かな規則がいくつかあり、中でも特定の時間を超えて寮内に異性を滞在させてはならない、というのが何よりも大きい。
時間はまだ昼前。規則に引っかかる時間ではない。だが、ヴィムにとってはそんなもの関係なしに歓迎されないことはわかっていた。
ヴィムはその足で女子寮までやってきた。当然というべきか、ちらほら見かけた女子たちからは軽蔑の目で見られ、あからさまに不快の表情を浮かべられる。
「呼び出してほしい人達がいるんだが」
「ひぃっ!? な、なななにしにこんなとこにっ!? い、いや、やめて、来ないでっ、犯されるっ!」
女子寮の受付担当の生徒にまで、こんな扱いをされた。ガラスの窓口で仕切られているというにも関わらず、純朴そうな子の顔は恐怖で引きつっている。しかしここで声を荒げてもいいことなど何一つない。
少女が落ち着くのを待ってから、ヴィムは再度、女子寮に来た要件を伝えた。
「昨日、あの時に浴場にいた生徒を集めてくれ。言いたいことがある」
「おう、よくもまぁのこのことやってきて顔が出せたもんだなぁ、おい」
啖呵を切ったのは集まった女生徒の中でも特に気の強そうな生徒だった。
集まった生徒は50人近い。全てが事件の関係者というわけでもなさそうだが、その生徒たちに囲まれた中心に、ヴィムは立っていた。周りを見れば、知った顔が何人かいる。その中にはヴィムを心配そうに見つめる者もいるし、その隣で目を逆三角にして軽蔑している者もいるが、大抵は困惑で彩られていた。いったい何をしに来たのかと。
その人垣の中に、先ほど見ていたロイヤルシルバーは見当たらなかったが、仕方あるまい。ヴィムはここに来た要件を果たすだけだ。
「一人でやってきた度胸は買ってやるよ。けどなぁ、こちとら不愉快極まりないんだよ。お前、ここでうちらが味わった恥、そのまま味わらせてやろうか」
女生徒はそう言って詠唱を始める。聞こえてくるのは風の低級魔術。不可視の刃を作りだし、相手を切り刻むものだが、この程度であれば大した効果はないだろう。
そうして、詠唱が完了し、魔術が発動する。風圧が変化し、悪意を持った風がヴィムの身体にまとわりつき、その力を持ってヴィムの制服に傷を作る。同時に二の腕と頬も多少裂けたが、少量の血が流れる程度でしかない。
ヴィムが女生徒を見る瞳は変わらない。その様子に女生徒は少し怯む。こけおどしのつもりであったが、ここまで変化がないとは思わなかった。
女生徒にはヴィムがいったい何を考えているのかわからず、ぎりっと奥歯を小さく噛む。
そうしているうちに、ヴィムは息を吸い込むと、思い切り吐き出した。
「申し訳ありませんでしたぁぁぁっっっ!!!」
全員の耳に聞こえるくらい大きな声で言うと、四肢を地面につけて額を大地にこすりつける。東の国において、最大級の謝罪を示す行為である。当然ではあるが、ヴィムを囲んでいた少女たちは困惑するばかりである。
先ほどヴィムに言葉を投げた少女が、気圧されつつも声を出す。
「あ、あのなぁ、そんなもんで」
「許してくれとは言わないし、許されるとも思ってない。だが、謝らせてほしい。それだけは、させてくれ」
「うっ」
ヴィムの気迫がはっきりと見える言葉と態度に、女生徒の足が一歩下がる。それをヴィムが見ることはない。ヴィムの視界に映るのは、丁寧に清掃された地面だけ。ヴィムの周りを取り囲んでいる女生徒達が、どのような表情を浮かべているかはわからない。
時間にして数分も経っていないだろうが、その間、この奇妙な状況をすぐに動かせる人物はいなかった。女生徒達は互いに視線を交わし合いながら、どうするべきか思案する。
その中で、一人の女生徒が人垣の中から前に出た。
「なるほど、わかりました。顔をお上げなさい、ヴィム・ストリンガー」
「寮長っ!?」
柔らかな声が頭上からかけられる。ヴィムが顔を上げると、そこには一人の女生徒が立っていた。
金粉をまぶしたかのように豪奢な、腰まですらっと伸びた髪。服の下であろうとも自己主張の激しい膨らみもさることながら、それ以上に印象的だったのはその顔だ。
整っているのも当然魅力的なのだが、ヴィムにはその視線が気になった。エメラルドの瞳の奥に底光りする、強い我が見える。浮かべている表情は温和なものだが、その裏にあるのは捕食者としての力強さ。何故だが、そんな風に思えて仕方がない。
「初めまして、ヴィム・ストリンガー。私、今期の女子寮寮長を務めさせていただいています、ソフィア・クレージュと申します」
「俺はヴィム・ストリンガーだ……です」
「存じております。昨日は大変愉快な催しをしてくださいましたね」
「それは……悪かったと思っている」
「できれば実行前にそのことに気付いて欲しかったのですが、今それを言うのは酷でしょう。すでに学院長からお達しがあったと聞いています。であるなら、我々がそのことを問うのは無粋でしょう」
「ちょっ、ちょっと待ってください寮長、それって」
「ですが」
不安そうに声を掛けてくる女生徒を留めるように、ぴしゃりと一言断ってから、先ほどよりも内面を滲ませるように、ソフィアは続ける。
「それで我々が納得するとも思わないことですね。貴方の誠意と謝罪は確かに受け取りました。けれど、一介の平民である貴方如きの誠意と謝罪が、我々女子一同の裸体に釣り合うと思われるのでしたら大間違いです。それは先ほど貴方も言いましたよね。許すかどうかは、私たちが決めることなのですから」
「その通りだ。これは単に俺が、謝りたかっただけだ」
「でしたらこの場でこれ以上の謝罪は無用です。さぁ、皆も部屋に戻りなさい」
「俺の我がままに付き合わせて申し訳ない」
ソフィアの言葉でしぶしぶではあるが去っていく女生徒たちに、ヴィムは再び頭を下げる。
「あたしは、絶対に許さないからなっ」
去っていく女生徒の中で、ヴィムに厳しい言葉を投げつける子も少なくない。だが、ヴィムはそれを真正面に立って受け止めた。そうして、覚悟してはいたが自分の行いが招いた結果を考えずにはいられなかった。結果を知っていても実行した自分がいるのも、また事実なのだが。
ソフィアに先導されるようにほとんどの生徒が去った後、ヴィムの隣には一人の女生徒が残っていた。
男子の中でも背が高くないヴィムよりもさらに小柄だ。両端で縛った紅茶色の髪は肩に垂れ、その豊かな胸元で形を変えている。スカイブルーの瞳に浮かぶのは小さな水滴と大きな心配の色だ。
少女の名はアイネ・ウィンストン。ヴィムとは入学当時からの付き合いがあり、入学してから1年が経過した今でも交流を持っている友人の一人だ。
「あ、あの、ヴィム君。大丈夫?」
「ああ、これくらいはな。それよりも、アイネも悪かったな。その、怒っただろ?」
「そ、それよりもビックリしたよっ! ヴィム君があんなことするなんて、思ってなかったから」
わたわたと小さく手を振って、精いっぱいの感情表現をするアイネの姿に、何故だかヴィムの心が少しだけ軽くなった、気がする。手のひらで汚れていないところを見つけて、頬の血を拭う。これくらいで済むのなら安いものだが、それは今後のヴィムの態度次第だろう。
アイネはヴィムの顔を下からのぞき込むような角度から、眉を下げて聞いてくる。
「何か、理由があるんだよね?」
「……それは、すまん。言えない」
「そっか」
ヴィムの返答に、視線を下げる。こういう時に嘘が付けないのがヴィムの良いところであり悪癖であると思う。そんな答え方では、理由があると言っているようなものではないか。その理由を教えてくれないことに、ほんの少しの寂しさを覚えてしまうのだが。
その思いを振り切って、アイネは小さな傷を治すように治療の魔術をかける。すると、小さな傷だったためかすぐに跡すら残らず消えてしまった。
ヴィムが感謝を伝えると、アイネはなんでもない風に言う。
「でも、もうこんなことしないんだよね」
「あたり前だ」
「うん、なら、わたしは許すよ。でも、今度やったら絶交だからね」
「それは勘弁してほしいな。アイネは怒ると怖いから、後が大変そうだ」
「ちょ、それどういう意味!?」
そうしてヴィムとアイネが軽口を交わすうちに、日が変わってから初めて、ヴィムの口元に笑みが浮かんでいた。
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