第2話 行為の代償
「ヴィム・ストリンガー。
ミリエシーダ王国の港町ウルシアの一家庭に生を受け、14まで地元の教育機関に通いつつ実家の漁の手伝いをしながら生活。地元の教育機関に派遣されたルスコー氏により高い身体能力と若干の魔術適性を認められ、本学院に入学。以後、やや成績不良が認められつつも平民の平均としての成績を収めて今日に至る。
つまり素質を持つただの平民ですね、学院長」
「ほほう。そうじゃのう、至って普通の平民の生徒じゃな。そんな普通の生徒が昨日、女子寮に備え付けられていた大浴場に侵入、と。若いのう。して、ルドヴィカ君、君の意見は?」
「カトラス刑務所で無期懲役。性犯罪者に人権はありません。死んだ方がましという状況で、この世に生まれたことを後悔しながら死ぬまで重労働を課すべきかと。一級奴隷にも劣る下劣畜生には当然の仕打ちです」
王立魔術学院、学院長室。
扉を開ければバルコニーに繋がる巨大な窓がまず目に映る。ついで視線を下げていくと、最高級の木材を用いた執務用の机、それから品質の良い赤絨毯が真っ直ぐに引かれている。視線をずらせば来賓用の豪華なソファ、反対側には膨大な資料が詰まった本棚が見える。
この場における最高権力者たる学院長は、すっかり白くなってしまった豊かな髭を揺らして、最悪の犯罪者共の巣窟を例に挙げた少女を窘める。
「うぅむ、前途ある少年の未来を、たった一度の過ちで断ってしまうのは、この老骨にはちと厳しいのじゃよ。ヴィム君は当学院の生徒であるからしてなぁ」
「ですがっ! 平民は15から一人前として認められ働きに出ると聞きます。彼は今16、つまりもう一人の大人として認められるはずです。であるならば、自分がしたことの意味くらい理解できて当然ではないですかっ!?」
学院長の穏やかな言葉に対して返ってきたのは、苛烈な少女の言だった。それが正論であるから余計に手に負えない。しかも発言者は王族関係者。書類の上では学院長の立場が上であるが、それがどれほど有効に働くかなど考えたくもない。
年の功で内心など外見におくびにも出さず、穏やかな顔で学院長は言葉を続ける。
「ルドヴィカ君、古の賢者の言葉にもこうある。『過ちを改めぬことこそ過ちである』と。君も知っておるだろう。確かにヴィム君は一人前かもしれぬが、まだ若いことも事実であろう。ならば先達が導くのも、また一つの道理だと思うのじゃがなぁ」
「そのお言葉と学院長の慈悲の精神には感服するあまりですが、かつての有識者も言っております。『愚か者に効く薬はない』。学院長には、そこの男が智者に見えるのですか」
そう言ってルドヴィカがびしりと指した先に、件の少年はいた。
高価な調度品の中にそぐわない、そこらから拾ってきた椅子に座らされ、その四脚にそれぞれ四肢を縛られていて身動き一つできない体勢のまま、何一つ反論することなく判決の行く末をじっと見ていた。
この会話が始まってからというもの、少年の態度に変化はない。おそらく、ルドヴィカの言う通りに事が進んでも、はいそうですか、と素直に従うに違いない。長い人生で数えるのも大変なくらいの生徒を見てきた学院長にはそれがわかる。
だからこそ、教育者として安易な結論を出すわけにはいかない。
なので、ちょっと卑怯な手段を取らせてもらうことにした。何も正道ばかりが必ずしも良いとは限らない。勝てば官軍。いい言葉だ。
それとなく、小さな溜息を吐いて、諦めた感情を声に乗せて言う。
「ふむ、それでは仕方あるまい。友人に掛け合って、我が国の法に則った正式な裁判を行おう。一重に当学院の指導力のなさを露呈することになってしまうが、これも我々の責任不足によるものだ。国の頭脳を集めた結果が、平民一人すら更生できない無能集団と罵られても否定できまい」
「っ!? い、いえっ、お待ちください学院長。この学院は我が国の最高峰の教育を施せる場所! それは学徒であるわたしがはっきりと理解しています。たかだか不穏分子一つ出したところで、その評は揺らぎませんっ!」
「しかしなぁ、世間はそう見てくれんのじゃよ。完璧を求めるならば、そのような不祥事はあってはならぬこと。我が学院の卒業生が犯罪者に堕ちようものなら、何を教えてきたのだと糾弾に合うのも必至。ましてや在学生ともなれば、その勢いは想像すらできん。ことに、現王は市井の声を大切にしていらっしゃるお方だと聞くからのぅ」
「ぐぅっ、そ、それは……」
学院長は彼女の痛いところを的確に突く。それを彼女が自覚してくれたら、と何度も思っているが、今回ばかりは自覚していないことに感謝した。教育者としては恥じ入る行為であるが、経営者としては綺麗事ばかり言っていられない。
「それに、じゃ。もしもカトラス刑務所に行くような者であっても、我々の手で更生できるとなれば、それはこの学院が優れていることを意味することでもある。騎士と刑吏にすら手の余る大物であろうとも、時間をかけて、気持ちを込めて教育を施せば、立派な人になるのじゃと、市井に伝えることにもなるからのぅ」
それは止めの言葉だった。常のルドヴィカならば理解しているだろうが、自身が身の危険にさらされると考え方は変わるもの。だが、今はすぐに割り切れなくても、いずれそれが経験になる。その時に払った授業量に見合うのならばよいのだが。
「……っ! 失礼しますっ、学院長、どうか適正な判決をお願いしますっ!」
葛藤に耐えきれず、ルドヴィカは後ろで一つにまとめた髪を翻して、最低限の礼儀作法を失わないように怒気を込めながら、学院長室を出た。
その場に残されたのは、学院長と秘書、最後にルドヴィカにきつく睨まれた少年。
学院長は秘書にヴィムの拘束を解くように命じると、秘書は素早く行動する。縄を解き椅子を撤去して、ヴィムを執務机の前に立たせると、学院長が口を開く。
「ふむ、ヴィム君。君は昨日、女子寮の大浴場に忍び込んだ。これに間違いはないかね」
「はい、間違いありません」
「即答じゃのう。大方予想しておったが、なんとまぁ、努力と誠意の方向性を間違えていることか」
少年の瞳を見れば、嘘をついておらず至極真面目に返答していることがわかる。わかるが、この少年には柔軟さというものが欠けている。さながら鋼鉄の芯が一本入っているように。それは剛毅とも取れるが。
危うい。とても危うい。
「では、後学のために教えてくれんか。君はなんでこんなことをしたのかね」
「それは言えない、ません」
「ふむ、ヘレン君がいると話しづらい内容かね。ならば席を外させるが」
「あ、いや、そうじゃな……ではなく。誰にも話せないんだ……です」
「そうか、では仕方ないのう。あと、言葉遣いは君の話しやすいもので構わんよ。この場は正式なものではない」
語りかけるように言うと、少年の肩から緊張がとれるのが見てわかる。常ならば微笑ましいものだが、この少年に限ってはそうではない。そもそも緊張しなければならない箇所からして違うのだから。ルスコーも厄介な少年を引き連れたものだ。
とはいえ、出来の悪い子ほど可愛く思ってしまうのも、教育者としての性かもしれない。他の誰かの下でも立派になる人物を育てるのは、どうしても心のどこかでやりがいに欠ける。
「ではまず、老人のつまらない話でも聞いてくれるかな」
こほん、と咳払いを一つ。
「我が学院は知っての通り、国中の有識者や権力者、ようは貴族や研究員、上級騎士のことじゃが、そこから大切な子を預かっている以上、生徒達の保護に関しては五月蠅いくらいに過敏でな。当然女子寮の大浴場なぞ、鼠すら通さぬ警備と大魔法ですら壊れぬ障壁、ついでに意識を混濁させる魔法陣をこれでもかと敷き詰めておるのじゃよ。
君のように若さを滾らせる子は過去に何人もいたが、当然のように未遂で終わっとる。だからか、生徒間では神話のように語られるわけじゃが、今回でその不敗神話は崩れ去ってしまった。これは生徒からの信頼に関わる重要な案件でな。
これからは君のような子を出さないためにも、より密な壁を作っておきたいのじゃよ。そこで、君はどうやってこの壁を突破したのか、それを儂に教えてくれんかね」
「それくらいならいくらでも教える」
少年はまったく未練のないようで、今回自分が使った侵入経路を簡単に言ってのけた。その内容を聞いた学院長は、流石に苦笑いを隠せなかった。
「ではこれからは警備員に他がどこを担当しているか教えない様にせねばなるまい。ついでに、障壁のレベルを上げておくかの。魔力消費が馬鹿にならん上に、人的被害が今後大きくなりそうじゃが、生徒の保護には変えられんし。ヘレン君」
「すぐに連絡をしておきます」
秘書の頼もしい返事に安心するが、問題がこれで終わったわけではない。
「ふむ、それではヴィム君。君にはこれから無期限の奉仕活動に従事してもらう。放課後、または授業のない時間はその活動を行うように。詳しいことは、ルスコー君から追って連絡がある。今日はもう自室に戻ってよいぞ」
「わかった、それじゃあ」
そう言って簡単な謝辞の形式を示して、少年は学院長室から去る。
少年が去ったあと、隣にいた秘書は学院長にそっと聞いた。
「彼が示した方法、他の生徒が可能だと思いますか?」
「いや無理じゃろ。そもそも彼にできたことすら疑問じゃよ」
学院長は即答した。
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