Planning 8 質問

 式が終わり、今は披露宴が行われている。

 攻輔は肩をぐるぐる回し、一息ついた。今のところ、全て順調に進んでいる。クラッカーのクズをスタッフが手早く掃除し、新郎新婦が着席すると、富沢たち配膳係が意外なほどスムーズに動き回って、出席者のグラスにスパークリングワインのようなただの炭酸飲料を注ぎ、所沢の発声で乾杯となった。

 戸隠は友人たちに冷やかされながらも挨拶をこなし、その間、厨房から運ばれてきた料理愛好会の血と汗と涙の結晶たちがテーブルに並べられて、出席者を少なからず驚かせた。

 ケーキ入刀に先がけて里山の作り上げたウェディングケーキを見たときは、誰もが「どこの店のやつ?」と買ってきたものだと信じて疑わなかった。藤家に話を聞いた佐野が里山の手作りであることを話すと、感嘆とともに女子の間から絶叫が上がる。「こんなのあり得ないって!」と吉祥寺が騒いでいた。

 ケーキ入刀、ファーストバイト等、和気藹々とプログラムをこなしていく。佐野も司会席から降りてテーブルの自分の席についており、その場で進行をしながら自分も楽しんでいた。その様子を攻輔はじっと見守る。

「早くーっ、早くあの汚れ落とさないと、染みになるーっ」

 隣には、誰にやられたのか(あえて口には出さないが)荒縄で全身を縛られた霧峰が芋虫状態でフンフン鼻を鳴らしていた。どうやら戸隠夫婦の衣装についたメイクの汚れが気になって気になって仕方ないらしい。

「ああもうっ、こうなったらあの場で新婦の服をひん剥いて! ……披露宴会場でウェディングドレス姿の新婦を丸裸に? 丸裸にっ? うへ、うへへへへ」

「……霧峰、お前、どんどん人としてダメな方に突き進んでいくな」

 涎をダラダラ垂れ流している霧峰にツッコみ、攻輔は首を巡らせた。ドレスの汚れに関しては、竹井と小鳥遊が何かちょこちょこと対応していたようなのだが、上手くいかなかったのだろうか。

「僕は新婦さんのメイクを直したいっ」

 攻輔の隣には香月がいた。彼は涙で崩れてしまったメイクが気になっているらしく、会場の様子を覗き見ながら歯噛みしている。攻輔は今更ながらにお色直しがないことを悔やんだ。お色直しをしないと新郎新婦が決めたからなのだが、その代わりに、こういう突発的な事柄に対応するスキルを、まだまだ自分たちは身につけていない。

 とはいえ、本人たちは楽しそうにやっていた。このまま何の問題もなく終わるかと思われたのだが、一つだけ意外なことが起きる。友人代表としてスピーチに立った塩原が、途中で泣き出してしまったのだ。これには攻輔だけでなく、戸隠たちも驚いたらしい。彼女は最後まで話しきれず、「ごめんっ」と言うと会場を飛び出していってしまった。咄嗟に新婦が立ち上がりかけたが、新郎がそれを止める。攻輔は会場から出てきた竹井に「俺が行く」と言い、プログラムを進めてもらうよう佐野に伝言を頼んだ。

 あの人が泣くとはなあ……。

 廊下を走りながら、人は見かけによらないと改めて考える。塩原とは数回話したくらいだが、泣くようなタイプだとは思っていなかった。

 彼女は渡り廊下の出入り口に座っていた。駆けつけたものの、その背中に何と声をかけていいのかわからず、攻輔はその場に立ち尽くしてしまう。塩原は大柄な体をまるめてじっとしていた。

「……あー、泣いたー」

 しばらして、彼女が顔を上げる。攻輔はそっと声を掛けてみた。

「塩原さん?」

「ん? あー、ごめんごめん。お騒がせしちゃったわね……」

 振り返った塩原の目は真っ赤に腫れ上がっている。顔の前に手をかざし、「そんなに見ないで」と言った。

「すみません」

「いやー、ね。自分でもビックリだわ。まさか、泣くとは思わなかった」

 ハンカチを目に当てつつぼやく。

「私、美緒とは幼稚園から一緒なのよね。あの子、根は真面目なんだけど、所々ぽやーっとしているっていうか、どこか危なっかしいから面倒かけられたわー。そんな美緒が結婚だよ? 練習だけど。何かさあ、変に思い出しちゃって……。あー、ヤバイ。私、美緒が本当に結婚するとき、どうなるんだろう? あ、練習しといて良かったのかな? 本番で泣いてスピーチできませんでした、じゃ、さすがにまずいしね」

 塩原は目の端をハンカチで押さえながら笑ってみせた。

「本番では、もっと泣くかもしれませんよ」

「やめてよーっ。それ、私もちょっと思ったんだからー。マジ泣きしたらどうしよう? 本人ならともかく、友人代表が泣いたら他の人たち引くでしょー。うわー、本当、疲れるわー」

 グッタリと壁に寄りかかる塩原。そんな彼女を見下ろし、攻輔は何か声をかけようかと思ったが、やめた。いい加減な慰めは、失礼だと感じたからだ。

「……ふう。戻ろうか。やっと落ち着いた」

 塩原が立ち上がり、ドレスの裾を整える。「後ろ、汚れてない?」と聞くので、背中の方を確認した。服についていた埃を払い落とす。

「ありがと。あー、戻ったら絶対田之上とかに何か言われるわー」

 頭を抱えて塩原が叫んだ。攻輔は吹き出してしまい、彼女に「コラ」と胸を軽く叩かれた。

 会場では余興が行われていた。田之上と横溝が、勢いだけの漫才というかコントというか、そういうものをやって友人たちから爆笑と罵声を浴びていた。

 塩原は会場に戻ると、まず新婦に歩み寄って抱き合った。

「だから、衣装が汚れるってばーっ」

 芋虫霧峰が鬱陶しいことをブツブツ言うので、床に転がして踏んでやった。


 午後三時過ぎ。披露宴も幕を下す。

「うっしゃー! 着替えて二次会だからなっ」

「どこ集合? まずオケる?」

「戸隠たち、まだ何かあるんだっけ?」

 三年生の方々は一旦家に帰って服を着替え、それから二次会に繰り出すらしい。攻輔は八人を見送り、急いで会場に取って返した。すでに中では藤家の指揮の下、後片付けが始まっている。

「皆さん、最後までよろしくお願いします!」

 声をかけながら藤家の側まで行くと、新郎新婦に挨拶してこいと言われた。

「こっちは俺がやっておくから、お二人にお礼を言ってこいよ」

「わかった。竹井とセンセーは?」

「先生は新婦さんについてる。霧峰が何か騒いでたな。生徒会長に首輪をつけられていたぞ」

「ああ、まあ、あいつは放っとけ」

 霧峰なら絢悧の「攻め」も喜んで受けそうだと思いつつ、攻輔は適当に返す。

「竹井は料理愛好会の方に行ってもらった。厨房はまだ皿洗いとか片付けが大量に残っているからな。一番時間がかかるかもしれん」

「了解。それじゃ、ここは任せた」

「ああ」

 藤家と別れて新郎新婦の控え室に急いだ。まず新郎の部屋のドアをノックする。

「失礼します」

 室内には戸隠と香月がいた。香月が着替えを手伝っていたらしい。男同士だから何の問題もないはずなのに、何故か一瞬まずいものを見てしまったような気がした。

「改めて、おめでとうございます」

 攻輔は戸隠に頭を下げる。戸隠が笑い、歩み寄って手を差し出した。握手をする。

「本当にありがとう。最高の式になったよ」

「お礼を言うのは俺の方です。最後まで付き合ってくださって、ありがとうございましたっ」

「いや、本当にすごいよ、君たち。本当にありがとう。美緒も喜んでくれた」

 戸隠の口調には熱いものが込められていた。何度もお礼を言われ、こちらもお礼を言う。しばしお礼の言い合いが続き、ついには香月まで巻き込んで相手を褒めあった。

「……本音を言うとね、式を挙げても特別何かが変わるとは思ってなかったんだ。美緒がやりたいっていうし、これからの受験に前向きになれるならって思ってやることに決めたんだけど、今はやって本当に良かったと思ってる。自分でもビックリするくらい、気持ちが定まったよ。彼女を大切にし続けるんだってね」

 最後に戸隠はそんなことを言った。その顔はとても誇らしげだった。

 攻輔は新婦の控え室にも声をかけた。着替えを終えた関谷は、どこかすっきりした表情で椅子に座り、ぼんやりしている。霧峰がドレスの前でキャアキャア騒いでいるが、まあ、あれはいい。ついでに彼女の首輪の鎖を持って絢悧がふんぞり返っているが、それにも触れないでおこう。小鳥遊は嘉鳴とポソポソ話していた。片付けのことで打ち合わせているらしい。

「本当に、おめでとうございます」

 関谷にも頭を下げた。彼女は攻輔を見るなり飛び上がり、ガッシと手を握る。「ありがとーっ」と攻輔の手をぶんぶん振った。

「まだ夢の中みたいで、ボーっとしちゃってたの。すごい良かった! やって良かったよ! みんなも楽しんでくれたし、しおちゃんの泣くところなんか初めて見たかもしれないっ。もう色んなことがすごすぎて、大変っ。本当、若王子くんたちのお陰だよっ。ありがとう! そうだっ、霧峰さんも獅王葉さんも小鳥遊先生も、本当にありがとうございましたっ。他の皆さんにも全員にお礼を言いたいっ。うわーっ、何だかまだ帰りたくないなあ。この余韻に浸ってたい!」

「二次会があるんじゃないですか?」

 攻輔が尋ねると、「そうだった!」と関谷は手を叩く。本当に忘れていたようだ。塩原の言葉を思い出し、苦笑してしまう。

 ドアがノックされた。「美緒?」と戸隠の声がする。たちまち彼女は飛んでいき、ドアを開けた自分の「夫」に抱きついた。

「圭くん!」

「美緒」

 幸せそうに抱き合う。攻輔はやれやれと頭を振った。振り返る。小鳥遊と嘉鳴が羨ましそうに二人のことを見ており、意外なことに絢悧まで二人をじっと見ていた。攻輔の視線に気づき、彼女がさっと気色ばむ。

「何? 痛い目見たいの?」

 すごむ彼女に肩を竦めてみせ、攻輔はニヤリとした。

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