Planning 7 回想

 翌日、僕は美緒と映画を観に出かけた。少し離れたところにある高台のショッピングモール。そこに併設されている映画館に行って、CMがバンバン流れている流行りの映画ではなく、何となく気になっていたんだけれど観にいく機会がなかった、流行遅れのものを観た。彼女もそれを観てなくて、だったら一緒に観ようということになったからだ。

 映画は面白かった、と思う。多分。あまり内容を覚えていない。隣の席に座った彼女のちょっとした動きが気になって、集中できなかったんだ。二時間くらいの映画の間、僕は二○回以上彼女の様子を窺って、そのたびに彼女と目を合わせ、変な愛想笑いをしてみせるハメになった。

 映画館を出て、ショッピングモールの中にあるパスタのお店で遅い昼ご飯を食べながら喋った。さっき観た映画の話はほとんどしないで、二年になったらクラスが変わるから別々になるかもしれないとか、担任は誰が良いとか、そんなことを話した。でも、会話はそんなに長く続かなくて、僕たちは一時間ほどでお店を出た。あとは何も決めていない。一緒に駅まで行って、電車に乗って帰るだけだ。それだけ。

「公園、寄ってかない?」

 ショッピングモールをゆっくり通り抜けていたところで、僕はそう声をかけた。何となく、このまま帰りたくなかった。美緒も「うん」と言ってくれた。僕らは坂道を少し上り、見晴らしの良い高台の公園に辿り着いた。

「うわーっ……。本当にキレイ……」

 夕日が世界をオレンジに染めていた。

 手摺のあるところまで小走りで駆け寄り、僕たちは町を見下ろした。まだ冷たい風に煽られ、彼女が「わっ」と目を細める。少し風が強かった。手摺に寄りかかってミニチュアみたいな町を眺め、夕日を反射させて輝く遠くの海を見つめた。全てがキレイで、全てが奇跡だった。

「……あのね」

 美緒が言った。

「さっき、メールしちゃった」

「誰に?」

 僕を見て微笑む。夕日に照らされたその顔は、ずるいくらい可愛かった。

「田之上くんに。映画は圭くんと観に行ったから、一緒には行けませんって」

「……あ、ああ。そうなんだ」

 僕は動揺してしまって、咄嗟にそんなことしか言えなかった。まず考えたのは、情けないことに、田之上、怒るだろうなあということだった。誘ったのはあいつの方が先なのに、横からかっさらったような形になってしまった。

 次に思ったのは、みんなに何て言おう? ということだった。吉祥寺や辰巳さん、塩原さんの顔が浮かぶ。うわー、色々怖い……。

 そして、その後でようやく、僕は一番大切なことに思い至った。

 美緒のことだ。

 彼女はじっと町を見下ろしていた。でも、それがただのポーズだってことくらい、僕にもわかる。もういい加減、逃げ回るのはやめにしよう。勇気とか根性とか意志とかそういうものを自分の中から掻き集めて、伝えなきゃいけない思いがある。

 急に心臓が喉の辺りまでせり上がってきた。吐きそうになる。息が浅い。僕は拳を握り締め、じっと耐えて言葉を押し出した。

「美緒」

 彼女がピクッと反応した。そろそろとこちらを向く。「なあに?」と笑ってみせているけれど、どこかぎこちないのは気のせいじゃないはずだ。

「あ、あのさ。僕たち……付き合わない?」

 言った瞬間、ブワーッと汗がふき出した。彼女は目を大きく見開いている。ほんの数秒の間も耐えられなくて、さらに言い募った。

「何ていうか、けっこう好きなものとか同じだし、みんなとだけじゃなくて二人で遊びに行ったりとか、そういうのも楽しいかなって。とりあえず、その辺からどうだろう?」

 ……何だか、非常に微妙な発言になってしまった。もうちょっとビシッと言うつもりだったのに。僕は何だ? こういうとき本当にダメだなっ。

「うん」

 その声はとても小さくて、でも風に乗ってはっきり聞こえた。

「うん。いいよ」

 関谷さんは町を見下ろしたまま、そう言った。

「!?」

 それから、みるみる目に涙をためる。僕はドキッとして、意味もなく左右を見回した。美緒は突然その場に座り込み、手摺にグッタリと寄りかかる。僕は慌てて彼女の側にしゃがみこんだ。

「どうしたのっ?」

 彼女は「はーっ……」と息を吐き出し、涙で潤んだ瞳で僕を見上げてきた。

「ごめんなさい……。何ていうか、良かったーって思ったら、腰が抜けちゃって。だって……」

 美緒の目つきが少し責めるようなものに変わる。

「戸隠くん、私のことそんなに好きじゃないのかもって、不安だったんだもん」

 ブーッと唇を尖らせた。僕は思わず彼女の肩に触れて、

「好きだよ。大好きだっ」

 言いたくて言いたくて、でもなかなか言えなかった言葉をやっと言うことができた。彼女はそれを聞いた途端、ポロポロと涙を零し始めた。

「あたしも……あたしも好き……大好き……」

 泣いている彼女をどうしたらいいのかわからず、僕は彼女の肩に手を乗せたまま動けないでいた。彼女が落ち着くまで、そのままだった。

 帰り道、僕は何も言わずに彼女の手を取った。少しして彼女が握り返してきて、僕たちは見つめ合って笑った。僕としては踊り出したいくらい嬉しかったんだけど、本当にそんなことをしたらドン引きなので我慢した。

「クラス、一緒になれるといいね」

 坂道を下りながら彼女が言った。

「大丈夫だよ」

 だけど今の僕はかなり強気だった。細くて柔らかい幸せをしっかり手にして、いつもだったら絶対に言えないようなことを口にする。

「クラスが一緒にならなくても、僕たち、いつだって一緒だから」

 美緒は俯いてしまった。キュウッと僕の指をにぎり、腕を揺する。僕は自分で言ったことに恥ずかしくなり、「なんてね」と小声で付け足した。

「じゃあ、じゃあっ」

 急に顔を上げて、美緒が言ってくる。

「私が変わっちゃっても、好きでいてくれる?」

「変わるって、どういうこと?」

「例えば、今は圭くんとお笑いのツボとかおんなじだけど、それが違くなるの。それでも私のこと、好き?」

「好きだよ。そんなことくらいで好きじゃなくなるわけないだろ」

「じゃ、服の趣味が変わったら?」

「好きだよ」

「性格、変わるかも?」

「好きだよ」

「実はワガママだよ」

「好きだよ。全部、好きだ。どんな美緒でも、全部愛せるよ。大好きだっ」

 最後はちょっと叫んでしまった。美緒が腕にしがみついて、「声、大きいよっ」と恥ずかしそうに囁く。

「大丈夫だよ。誰も見てないよ。大好きだ。だーい好きだっ」

「わかったから、もうやめてっ。圭くんのイジワル!」

「実はイジワルなんだ」

 僕はそう言って美緒を見下ろした。彼女が腕に埋めていた顔を上げる。

「でも、大好き」

 その言葉だけで、僕は世界一幸せな人間だと思えたんだ。


         ◆ ◆ ◆


 軽く触れるだけのつもりが、しっかり重ね合わせてしまった。

 唇を外すなり、周囲の歓声と拍手、それに指笛が聞こえてきた。美緒が涙目になっている。しまった。完全にやり過ぎた。そう思い、戸隠はすぐに囁いた。

「ごめん。ごめん、美緒……」

「…………」

 彼女の目から涙がポロポロ零れる。それをそっと指で拭いながら、戸隠は彼女に囁きかけた。

「愛してる。愛してるよ、美緒。どんな君でも愛してる。考え方が変わっても、お笑いのツボが違ってしまっても、テーブルクロスの色で意見が分かれても、僕は美緒を愛してる。愛し続けられるよ」

 それに思い至ったのは、ついさっきのことだった。自分たちは似ている。共通の話題が多く、好きなものも嫌いなものも一致することが多い。でも、だからこそ彼女は心配になったのではないだろうか。「結婚」を考えたとき、もし今後、二人の間に意見の衝突があったら。考えが違ってしまったら。自分たちの関係はあっけなく壊れてしまうのではないかと。

 だから、テーブルクロスの色で試してみたかったんだ。あのときは塩原さんのおかげで、すぐに抑えられてしまったけれど。

「大丈夫だよ。僕たち、ちゃんとやっていける」

 そう囁いて胸に抱く。化粧が服についてしまうとか、そういうのはどうでも良かった。弁償しろというなら幾らでもしてやる。

「……圭くん」

 美緒が顔を上げた。せっかくのメイクが崩れかけている。でも、これはこれで可愛いとも思えた。

「バカ」

 美緒の目が責めるようなものになる。戸隠は微笑んだ。

「でも、大好き」

 その言葉だけで、自分は世界一幸せな人間だと確信できた。

「いやあ、素晴らしいものを見せていただきましたっ。ありがとうございました!」

 まだ騒いでいる友人たちの中で、佐野が仕切るように声を上げる。一際大きな拍手が降り注いできた。

「それでは、皆様のご承認をもって、ここに戸隠圭一さん、関谷美緒さんの結婚が成立したことを宣言させていただきます。お二方、おめでとうございます! 皆様、もう一度盛大な拍手をっ」

 佐野の結婚宣言。再び拍手が送られる。友人たちだけでなく、撮影係の人たちも、藤家や若王子たちも拍手してくれていた。戸隠は美緒をそっと元の位置に立たせ、二人で前を向く。彼女が肘の上辺りを持った。

 二人同時に、深々とお辞儀をする。拍手の音が弱まった。

 と、思った瞬間――

「結婚、おめでとう!」

 塩原の声とともにクラッカーが鳴った。どこに隠してあったのか、友人たちが、佐野までクラッカーを持っていた。色とりどりの紙テープが舞い、その一部が二人の頭や肩にかかる。

「ありがとう、ございます」

 戸隠と美緒は、もう一度頭を下げた。

 再び拍手が起こり、結婚式は閉式した。

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