Planning 7 回想
お互いの呼び方が変わったのは、二学期が終わる頃だった。
そのときのメンバーはとてもレアだった。僕と関谷さんに塩原さん、そして所さんという組み合わせ。塩原さんは関谷さんと特に仲が良いので、それまでにも何度か一緒になったことはある。でも、田之上や佐野抜きで所さんと一緒になったことはなかったから、実は内心ドキドキものだった。
所さんの本名は所沢というんだけど、佐野たち剣道部では所さんと呼ばれているらしく、佐野がそう呼ぶから何となくみんなそう呼ぶようになっている。集まって喋っていても大抵黙って話を聞いている人で、たまに佐野が話しかけると、その老け顔に似合う低い声で一言、二言だけ喋った。何を考えているのかよくわからない人だけど、僕らの実質的なリーダーポジションにつきつつあった佐野が一目置いているようなので、僕は頭の良い人なんだろうなと考えていた。
塩原さんはバレー部に入っていて、僕ら一○人の中でも一番参加率が低い。ただ、関谷さんと登下校をするようになると頻繁に彼女の名前を聞くようになった。関谷さんと塩原さんは幼稚園のときから一緒だそうで、彼女の話をするとき、いつも関谷さんは自慢げに語った。そんな前振りがあったせいか、ときどき一緒に帰ることになったりするとどうしても僕は彼女と距離を置いてしまう。塩原さんは親しげに話してくれるし、こっちも表面上は調子を合わせていたけれど、どうしても一枚壁を作っていた。それは、ひょっとすると関谷さんが塩原さんといるときは彼女の腕にしがみつくようにして歩き、僕といるときよりも気楽な感じで喋っていたからかもしれない。
ありていに言えば、それは嫉妬のようなものだった。女性に嫉妬するというのも変な話だけど、僕はどうやらこの頃から関谷さんに対して勝手な独占欲みたいなものを抱きつつあったんだろう。
そんな、何とも微妙な四人がマックによることになった経緯は、本当に偶然の賜物としか言いようがなかった。そして、偶然によって導かれた僕たちの前に更にとんでもない事実がもたらされた。
「お隣いいですかー?」
僕たちが某ファストフードの店内でどうでもいい会話をしていると、陽気な声が割り込んできた。顔を上げる。佐野と大代さんがいた。僕たちの隣の席をくっつけて腰を下す。所さんが、意外にも少しきつい口調で「ヒデ」と言った。あ、ちなみに佐野の下の名前は英高っていって、僕らの中で所さんだけが佐野のことをヒデと呼んでいる。剣道部でもヒデと呼んでいる人は少ないそうだ。
「別に隠さなくてもいいだろ、ケイたちになら」
佐野くんは所さんに向かって陽気に言う。何のことだろう? そういえば、佐野と大代さんというのはあまりイメージできない組み合わせだ。大代さんは所さん以上に無口で、所さんはまだ存在感があるんだけど、彼女は本当に影が薄い。どういう人なのか、所さん以上に掴めていない人だった。
「え? 何? まさか、二人って……」
塩原さんが目を丸くする。やはり彼女にとっても意外な組み合わせなんだ。でも佐野は軽く頷くと、
「ああ、付き合ってるよ、俺ら」
と衝撃の発言をサラリとしてくれた。
「うわー、本当に!? 佐野くんと大代さんが? わー、ごめん。全然ピンとこないわ、それ。え? いつから、いつから?」
「すごいすごいすごいっ。ビックリ!」
関谷さんと塩原さんがドンドン食いついていく。所さんが困ったように腕を組んだ。
「オッケーもらったのは、ついこないだ。三回くらい告って、ようやくだよ」
「え? 佐野くん、三回も告ったの? てか、二回も振られて、それでも行ったの? どんだけよ、それ」
「だって、好きなんだから仕方ないだろ」
佐野はあっけらかんと笑いながら言う。僕は今更ながらに大代さんを見た。彼女の私服はいつ見ても落ち着いているというか、すごく地味だ。というか暗い。モノトーン調だからかな。髪も直毛をそのまま肩まで伸ばしているだけだから、一昔前のホラー映画のアレみたいな雰囲気がある。絶対にそんなこと言えないけど。
大代さんはずっと下を向いていて、表情が全然わからなかった。これもいつものことだ。彼女のトレイに載っているのはブラックのコーヒー。これも彼女の定番。佐野はコーラの入った容器をガラガラ揺らしながら塩原さんの質問に答えている。急に大代さんの髪をそっと撫でた。
「で、所さんに相談したんだ。そうしたら、隠れて付き合えばってことになって」
「……ヒデはもてるから、それで大代さん、二の足を踏んでいると思ったんだよ。それでも大分粘ってやっと付き合うことになったんだけど。早速自分からばらしてどうするんだよっ。バカか、お前はっ」
珍しく所さんが声を荒らげる。大代さんの髪を撫でていた佐野は、「まあまあ」と所さんを宥めようとした。
「ケイたちはいいだろ? 口、固そうだし。というわけで、このことは秘密ってことでよろしく」
そう言われ、僕は反射的に頷いた。関谷さんもカクカク頷いている。塩原さんが思案げな顔になって言った。
「吉祥寺さんたちには、言わない方がいいよね?」
「うん。僕もそう思う」
所さんがすぐに同意する。佐野は「そうかあ?」とぼやいたけど、所さんは随分と真剣な目になって剣道部の友人を見た。
「何度も言うけど、お前のためじゃなくて大代さんのためなんだからな」
「わかってるよ。……俺は、どんなことがあってもサチを守ってみせるからな」
髪を撫でていた手をスルリと滑らせて、佐野は大代さんの頬に触れた。「うわーっ」と関谷さん、塩原さんが大声を上げる。羨ましそうに笑った。
帰り道、僕たちの話題は佐野と大代さんのことばかりだった。ところが不意に関谷さんが言ったんだ。
「戸隠くんって、みんなからケイって呼ばれてるよね」
「ん? そうだね。名前が圭一だから」
「ふーん……。じゃ、私も圭くんって呼んでいい? 代わりに私のこと美緒って呼んでいいから」
いきなりだったけれど、僕に断る理由はなかった。むしろ、その申し出に体がカーッと熱くなってヤバかった。「いいよ、美緒」としれっと口にしてみて、「決まりだね、圭くん」と笑顔で返されたときは本当に、本当にヤバかった。どっか飛んでいきそうだった。
そして、覚悟を決めるときが来たのは一年の春休み。始まりは休みに入ったばかりのときだった。いきなりメールで呼び出しを食らい、僕は某ファストフード店で吉祥寺と辰巳さんの前に座らされた。
「ちょっとダメじゃん、戸隠っ。うちら断然戸隠応援派なんだから」
「そうだよ。田之上に関谷さん取られてもいいの?」
席につくなりそんなことを捲くし立てられたので、僕は正直面食らった。何のことか聞くと、二人同時に「あーっ」とため息をつかれる。けっこう傷つくな、そういうことされると。
「田之上だよっ。最近、田之上が関谷さんにチョッカイかけてんじゃん。まさか、気づいてないわけ?」
吉祥寺さんがズイッと迫る。僕は頭を掻いた。
「いや、チョッカイってほどのことでもないんじゃない? 確かに最近、よく話しかけてるみたいだけど……」
本音を言うと気づいていた。三学期に入ってから、田之上が美緒にやたらと話しかけるようになって、それは学校だけじゃなく、みんなでカラオケに行ったりしても彼女の隣に座ろうとするし、それも塩原さんがいると控えめなんだけど、彼女がいないときは少々強引なところもあった。
僕は僕で、付き合っているわけでもないのにそこで口を挟むのもおかしいし、でも気になるし、なかなか精神的に不安定な状態だったけれど、それを悟られたくないというこれまたちっぽけなプライドを相も変わらず守っていたのだ。
「マジ、ダメダメじゃんっ。そんなんダメじゃん!」
「私たちはね、戸隠くんと関谷さんならピッタリだと思うから言ってるんだよ。もっと積極的になりなよっ」
吉祥寺が頭を抱え、辰巳さんが説教してくる。僕は何となく田之上が不憫に思えてきて、彼の肩を持った。
「別に、田之上は悪い奴じゃないし、美緒の自由だろ」
「うわーっ、ウザイわ。何言ってんの、ホント。それってただの逃げじゃん」
吉祥寺にバッサリやられる。
「田之上はダメだよ。軽すぎる。関谷さんには合わないって」
辰巳さんが虫を払うように手を振った。不意に吉祥寺が彼女を見て意地悪そうにニヤッとする。
「あれー? 田之上のこと、ちょっといいかもとか言ってたのはどこの誰だっけ?」
「やめてよ、その話はっ。あのときは私も見る目がなかったのよ。あいつ、薄っぺらいもん。全然ダメ」
「戸隠。こいつね、一回田之上に告られて、付き合う寸前までいったんだよ。結局、やめたんだけど」
「告られたっていうか、二人だけで遊びに行こうって誘われて一回だけね。でも、それが最悪でさあ」
辰巳さんが、嫌なことを思い出したと顔を顰める。僕はそんなこと初耳だったので、ビックリした。
「え? でも、田之上と辰巳さん、今も普通に話してるよね?」
「いやー、何ていうか、友だちでいましょう的なニュアンスを伝えたら、それっきりよ。ちょっとヒドクない? もうちょっとフォローがあっても良くない? だからダメなのよっ。戸隠くんも関谷さんのことが好きならもっと押せって。あんなバカに先越されんなって」
やいのやいのと二人に言われ、僕はただただ縮こまるばかりだった。随分と遅い時間になってようやく解放されたけれど、僕は二人に散々言われたにも関わらず、行動を起こそうとはしなかった。
そして数日後、僕は本当に決断を迫られることになった。
そろそろ寝ようかと思っていたとき、美緒からメールが届いた。さっきまでやっていた深夜番組の感想でも送ってきたのかなと軽い気持ちで開き、その文面に僕は固まってしまった。
「田之上くんに、二人で映画観に行こうって誘われた。どうしよう」
そこには顔文字もデコメールもなく、文字だけが並んでいた。そのことが逆に、彼女の今の気持ちを物語っているような気がして、僕はしばらく画面を見つめたまま動けないでいた。
冷静に考えれば、僕たちは付き合っているわけじゃないんだから、どうするかは美緒の自由だ。吉祥寺と辰巳さんはあんなこと言っていたけど、彼女たちの言いなりになる必要はない。僕は僕の意思で判断すれば良いだけだ。
……そう。それだけなんだ。僕がどう思っているのか。問題はそこだけだ。美緒には自分が思っている通りに言えば良い。それだけじゃないか。
それからざっと三○分は過ぎたと思う。僕は彼女にメールの返信を送った。
「だったら僕と行けばいいよ」
あまりにもムチャクチャな内容だった。はっきり言って彼女のメールの返事になっていない。田之上に誘われたことを相談されたのに、一緒に映画観に行こうって誘ってどうすんだよっ。バカか!? 僕は大バカか!? 日本語を理解できているのか!?
送ってすぐ後悔の念に苛まれ、転がりのた打ち回り、布団の上で己のバカっぷりを呪った。壁に頭を打ちつけて死んでしまおうかとすら思った。
そして彼女から返信がきた。
時間にすると、二分も経っていなかった。僕の脳内時計では五時間くらい経っていたけど。その間、ずっと自分のバカさ加減を悔やんでいました。
「うん。そうする」
瞬時にケータイを掴んだくせになかなかメールを開けず、意を決して開けたメールには、たったそれだけが書いてあった。
僕はその短い文章の意味がよくわからず、しばらく画面を凝視して考えてしまった。まさかと首を振り、それから光の速さでメールを打った。「いつが良い?」というあまりに簡潔な文章だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます