Planning 7 回想

 若王子くんが来てくれて助かった。

 自分から一人になりたいと言ったのに、一人でいたら危うくドン底まで沈みこんでしまうところだった。彼と少し話したお陰で、かなり楽になった気がする。

 不思議なもので、若王子よりも藤家と多く顔を合わせているはずなのに、彼と話してもこうはならなかったように思う。藤家はしっかりしているが、落ち着きすぎていてなかなか気を許せなかったからかもしれない。それに、彼はどちらかといえば美緒の味方をすることが多かったような。いや、これは完全に自分の思い込みだろうけど。

 とにかく、何か相談するなら若王子だと直感的に考えたのは確かだ。だから、指輪の件も彼に話した。きっと若王子はそういう男なのだ。本人に言っても否定するだろうけど。

 戸隠は、用意されていた姿見で改めて自分の身なりを整えた。教室の時計は一時二六分を差している。いつ呼ばれてもおかしくなかった。光沢のある黒のモーニングコートをゆっくり撫でる。胸に差したブートニアの位置を少し動かしてみた。

 ノックの音がして、ドアが開く。若王子が立っていた。

「お時間です」

「はい」

 戸隠は息を吸い、フッと強く吐き出して足を一歩前に出す。少し床がふわふわしたが、悟られないようまっすぐ歩いた。廊下に出ると、竹井という一年生の女の子もいる。美緒の姿はなかった。

「新郎が呼んであげてください」

 若王子が隣の教室を指し示す。心臓が喉の辺りにまで押しあがってきた。軽く頷いて隣のドアの前に立つ。ノックをした。

「はーい」

 中から聞こえたのは美緒の声ではない。多分、小鳥遊だ。戸隠は一度、若王子の方を振り向く。彼が促した。

「美緒」

 ドアを開ける。部屋の奥に視線を送った。

「圭くんっ」

 そこには、純白の花束が立っていた。こちらを見て笑っている。吸い寄せられるように彼女の下へと歩み寄った。

「美緒、きれいだよ」

 そんな言葉が口をついて出る。真っ白なウェディングドレスを着た美緒は、恥ずかしそうに俯いた。化粧をしている彼女は、いつも以上に可愛い。甘いピンク色の唇が艶かしかった。くっきりと輪郭を目立たせてある瞳に長い睫毛。じっと見つめていると、白い頬にほんのり朱が差した。戸隠は、そっと手を差し出す。

「行こう」

「うん」

 肘の手前まである薄い手袋をした美緒の手が、自分の掌に乗せられる。大事に、大事に受け止め、彼女を外へと導いた。

「はいはい、大丈夫ですよー。ちゃんと裾の方は先生が注意して見てますからねー。安心していいですよー」

 小鳥遊が美緒の後ろで何か言っている。もう一人、霧峰がうろうろと厳しい目つきでドレスを睨みつけていた。

「こちらに」

 若王子が先導し、並んで廊下を行く。その先に赤い絨毯が敷いてあった。ちょっとしたバージンロードといったところだろうか。一年C組のドアは前側だけが大きく開け放たれていて、絨毯もそこで向きを変えて中に続いていた。若王子が絨毯の手前で足を止め、こちらに向き直る。

「それでは、新郎。腕を」

 若王子が右腕の肘を少し横に突き出す仕種をした。戸隠は美緒の手をそっと下ろし、左腕の肘を少し突き出す。美緒は何も言われなくても肘の上辺りをゆるく持った。もう片方の手にはしっかりと丸いブーケを握っている。園芸部の「庭園」で二人で選んだ花々が、輪の中で踊っていた。

 見つめ合う。美緒が微笑んだ。自分も微笑む。ちょっと引きつったかもしれない。

「最後の確認をします」

 若王子がこれからの流れを説明した。何度も打ち合わせ、二人で練ってきたプログラムである。頭の中にはきちんと入っていた。入っているのだが、全然思い出せない。若王子の言葉が右の耳から入って左の耳に抜けていく。

 ……うあっ。気持ち悪くなってきた。

 心臓が喉からせり上がってきそうだ。緊張しているのがはっきりわかる。

 ……どうしよう。ちょっと待ってもらおうか。

 若王子の説明は終わったらしい。彼が脇に避ける。誰もいない廊下に、真紅の絨毯が延びている。皆の待つ会場の明かりが見える。

「圭くん……」

 腕を持つ美緒の手に、少し力がこもった。ハッとして隣を見る。美緒がじっと見上げていた。瞳が不安そうに揺れている。

 ……そうだ。美緒も不安なんだ。今度こそ、しっかりする。

 大きく深呼吸をした。胸を張り、しっかり前を見る。それから美緒を見て、一つ頷いた。彼女も頷き返す。

 行こうっ。

 二人同時に左足を一歩、前に出した。

 一歩、一歩、歩いていく。果てしなく続く道のりにすら思えたそれは意外にも早く曲がり角に辿りつき、二人は向きを変えた。室内の様子が目に飛び込んでくる。

 瞬間、司会を務めてくれている佐野の声が耳に飛び込んできた。

「それでは皆様、いよいよ、いよいよ新郎新婦の入場です! 盛大な拍手でお迎え下さい!」

 言い切るや否や、自ら拍手をする。「待ってました!」と田之上の声がした。苦笑してしまう。と、美緒も笑っていた。

「相変わらずだね」

「うん」

 小さく言葉を交わし、また一歩踏み出す。ドアを潜り抜けた瞬間、二人で決めた入場のBGMが聞こえてきた。皆の拍手と指笛まで聞こえる。そちらを見たい欲求に抗いながら、高砂へと二人で歩いた。一段高くなっている教壇の手前に席が設けてあるのだが、まずは教壇に上がることになっている。そこで二人、結婚の誓いを立てるのだ。

 一人分の幅しかないので、まず戸隠が壇上に上がる。斜めになって美緒を導いた。短めにしてあるものの、床を擦るドレスは歩きにくい。何とか壇に上がったところで、小鳥遊がドレスの裾を丁寧に捌いてくれるのが見えた。

「それでは、ただ今より、新郎・戸隠圭一くん、新婦・関谷美緒さんの人前結婚式を執り行いたいと思います」

 佐野がそう言うと拍手が止み、代わりに友人たちの視線が一気に集中する。皆、スーツやドレスなどフォーマルな服装をしていた。パッとフラッシュが光る。撮影係の大同が部屋の奥にいた。

「えー、ここで本来なら新郎新婦のことを紹介するらしいんですが……」

 佐野がマイク片手にこちらを振り向く。

「ぶっちゃけ、今更でしょ。省きましょうっ」

「イエーッ!」

 拍手が起こった。指笛を吹いているのは田之上である。何だか式というより二次会のノリになっているような気がする。

 佐野は続けて人前結婚式の説明をした。ここにいる友人たち全員が自分たちの「結婚」の証人になる。そう告げると、「任せろっ」とまた田之上が叫んだ。

「田之上、ちょっとうるさい」

 とうとう佐野に注意される。田之上は「すいませーん」と口パクだけで言った。

「では、お二人に結婚の宣誓を行っていただきます」

 藤家が盆を手に近づいてくる。盆の上には、二人で考えた「誓いの言葉」が書かれた宣誓書が載っているのだ。これを一緒に読み上げることで宣誓をする。戸隠は二つ折りになった宣誓書を受け取り、開いて美緒にも見える位置までもっていった。美緒が寄り添ってくる。腕に回した手に力が入った。

 少しだけ見つめ合い、それからまず戸隠だけで「宣誓」と言う。そこから二人一緒に誓いの言葉を読み上げていった。

 読んでいる間、声を出しているのにあまり自分の声が聞こえてこなかった。内容も、自分たちで考えたはずなのに初めて読むような違和感がある。それでも読み間違えないよう、なるべくゆっくりと読んでいった。それほど長くないはずなのに、なかなか終わらなかった。

 最後に自分たちの名前を読み上げて宣誓が終わる。拍手が湧き起こった。思わず息を吐き出す。

「こちらに」

 藤家が盆を手に側に立っていた。宣誓書を畳んでそれに載せる。

「いやあ、予想外にスムーズに読めましたねえ。もうちょっと噛むと思ってたんですが」

 佐野が笑顔でヒドイことを言ってくれた。皆、笑い出す。

「それでは、指輪の交換を行います。皆様、シャッターチャンスですよ」

 言われるまでもなく、全員が携帯電話を取り出していた。後ろの席の吉祥寺と辰巳がベストポジションを確保しようと席を立って前に出てくる。

 竹井がリングピローに載った二つの指輪を持ってきた。指輪を載せるためのそのアイボリーのクッションは、美緒が一生懸命縫って作ってくれたものである。

「そういえば皆様。会場の入り口にあった写真はご覧になりましたか」

 いきなり佐野が妙なことを言い出したので、戸隠は危うく指輪を取り落とすところだった。彼を振り返ると、ウィンクをされる。

「夕日をバックに見つめ合う写真。きれいでしたよねえ。実はあの写真、新郎が指輪を渡してプロポーズをしたときのものなんです」

 一斉に冷やかしの声が上がった。塩原が「キャーッ」と叫んでいる。戸隠は、あまりの顔の熱さに叫びそうになった。美緒も首まで真っ赤にしている。ふーっと息を吐いて手でパタパタ風を送った。

「それでは、そんな思い出の結婚指輪を、まずは新郎から新婦へ」

 佐野の合図で美緒の手を取る。薄手の手袋ごしからでも、細い指先が震えているのがわかった。いや、自分の手が震えているのだろうか。何だかよくわからない。それでもしっかりと指輪を持ち、彼女の薬指に差し入れていった。思いのほかスムーズにいく。第二関節の辺りまできたところで手を離した。

「続いて、新婦から新郎へ」

 美緒がそろそろと指輪を持ち、薬指に近づけてくる。上手く動きを合わせて指に収めた。そのときに気づく。美緒も同じことをしていたのだ。

 カメラのシャッター音。離れたところからフラッシュの光も届く。互いの指にはまった指輪を友人たちに見せた。

「結婚証明書へ、サインをしていただきます」

 再び藤家が盆を手にやってくる。そこには開かれた状態の結婚証明書。もちろん本物ではなく、二人の手作りだ。上の方には宣誓書と同じ文面が記してある。戸隠は新郎の欄に自分の名前を書いた。万年筆を美緒に渡す。美緒が新婦の欄に名を綴った。

「今、サインが行われました。皆様にお見せください」

 二人で証明書を持ち、それを友人たちに見せる。再びカメラのシャッター音が鳴り響いた。「保存、保存」と塩原がわざとらしく大きな声で言う。

 証明書を盆に戻したところで、戸隠は一つ息をついた。これで、あとは司会が結婚の成立を宣言して皆に拍手を求める。拍手で承認されれば式は終了だ。大仕事は乗り切ったことになる。

「それでは、最後に」

 佐野がマイク片手にまたこちらを振り返った。

「お二人に、誓いのキスをしていただきましょう」

「イエーッ!」

 瞬時に場が沸騰する。戸隠は佐野を見やった。ニヤニヤ笑いながら手を叩いている。「キース」「キース」と田之上が煽り始めた。全員が手拍子をする。

 えーっ!

 美緒を見た。彼女はおろおろと視線をさ迷わせ、こちらを見上げた。「するの?」と口の動きだけで聞いてくる。

「どうしよう?」

 こちらも口パクで聞いた。周りが更に煽り立ててくる。

「…………」

 美緒は下を向いて少し考えた後、ちょっと頭を下げて上目遣いにこちらを見た。「おでこ」と口パクする。戸隠もそれならと彼女の肩を抱いた。

「ええーっ!?」

 角度で勘づいたのだろう。一部ブーイングが起きる。でも、美緒の要望なのだから仕方ない。戸隠は彼女の額にキスしかけ――

 ふと、白いテーブルクロスを目の端に止めた。

「…………」

 結婚式の打ち合わせをしていたとき、珍しく美緒がダダをこねたものである。特別、ピンクにこだわりがあるわけでもないのに、急に『ピンクがいいっ』と言い出して、最後には会場中ピンクにするとまで言ったのだ。

 大抵のことは感性が一致してきたので、あれには正直、驚いたという以上に混乱してしまった。どうして美緒がピンクを選ぶのか、その理由がわからない。冷静になろうと第三者の意見を聞いてみたけれど、それも美緒は気に入らなかったらしく、とうとう部屋を飛び出していってしまった。塩原のお陰で事なきを得たが、あのときの言動の理由はずっと気になっていたのだ。

「……圭くん?」

 なかなかキスしないので、美緒が囁く。戸隠は、彼女の目を見た。

「ごめん」

「え?」

 そっと美緒のあごに触れ、彼女が戸惑っているうちに上を向かせる。

「え?」の形のまま少し開いているその唇に、自分のそれを押し重ねた。

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