Planning 5 公園

 連休二日目。攻輔たちは電車の駅に集合していた。

「……小鳥遊先生、遅いですね」

 竹井が携帯電話を見て言う。藤家が、「ちょっとかけてみるか」と電話を手にした。

 午前十時に集まる約束である。現在、一○時五分。すでに攻輔、藤家、竹井、戸隠、関谷、そして衣装担当の霧峰も集合場所に来ていた。残すは小鳥遊一人なのだが。

「カメラマンの人はどうしたの?」

 戸隠が聞いてきたので、攻輔は事情を説明する。

「大同と香月は、荷物が多いので車で現地に向かうそうです」

「そうだよー! 私も昨日、大同さん家の車に衣装を積み込んだのっ。でっかいワンボックスだったから、あそこで着替えも出来そうだね。だけど荷物が多いからって、私は車じゃなくて電車で行けって。ヒドイよねーっ。私は香月くんと一緒だったらぎゅうぎゅうでも良かったのにー! むしろ、ぎゅうぎゅうの方がオッケーみたいなっ。こう、香月くんのお膝に座ったりして、いや! ここはあえて香月くんを私の膝にこうっ。こうっ。そしてシートベルトまでしたらもうっ、もうっ、もう!!」

 ボタボタボタッ。霧峰の鼻から血が滴り落ちた。関谷と竹井が悲鳴を上げる。

「……霧峰。お前、男もオッケーだったのか」

「何、言ってるのよ!」

 鼻血を押さえながら、霧峰が充血した目で叫んだ。

「香月くんは、男の娘よ!」

「何、言ってんだ? お前」

「可愛いは、正義!」

「ちょっと黙ってろ。周りから俺たちまで危ない人だと思われるから」

 鼻息を荒げる霧峰をいなし、攻輔は周囲を窺う。と、そこに小鳥遊の声がした。

「皆さん、お待たせしましたーっ」

 タパタパと小走りでやってくる小鳥遊。その服装を見て、攻輔はため息をついた。

「おはようございます、センセー」

「はい、おはようございます」

 小鳥遊は笑顔である。走ってきて暑くなったのだろう。ショルダーバッグからハンカチを取り出し、パタパタ自分を扇ぎ始めた。

「ところでセンセー。今日はどこに行くか、わかってますか?」

「はい。高台の公園ですよね。見晴らしの良いステキなところですよねー」

 ほんわかと笑顔で答える。攻輔の隣で藤家が項垂れていた。

「車じゃなくて電車で行くんで、ふもとから歩きですからね。昨日、モリーも言いましたよね。何でワンピースに半袖カーディガン羽織って、しかもヒールの高い靴とか履いてるんですかっ。しかも、帽子麦藁帽だし! おかしいでしょっ! クラブ活動の引率者って格好じゃないですよ! デートに出かける格好でしょ、それ!」

 小鳥遊はハッと目を見開く。皆の格好を見やり、自分の服装を確認した。

「ち、違いますよっ。先生、はしゃいでなんかいませんよっ。ちゃんと、大人としての自覚をもって臨んでますよっ」

「……はしゃいじゃったんだ」

 戸隠が呟く。

「小鳥遊先生、可愛いですよっ」

 関谷が微妙にずれたフォローをした。

「私のストライクゾーンより高めなのよねえ。せめてあと五歳……」

 霧峰が人として問題のありそうな発言をする。

「……時間がないので、出発しましょう」

 藤家が強引に皆を促した。

 電車に揺られ、中心街から二駅離れた駅で降りる。そこからは歩きだ。駅前から緩やかに続く坂道を上っていけば、自然と公園まで辿り着く。車道を車が頻繁に行き交っていた。上りの方が多い。攻輔たちをドンドン追い越していった。彼らの目当ては公園ではなく、その手前にあるショッピングモールである。アミューズメントパークや映画館も併設されており、休日はいつも混雑している。

「あ、あの、オージ先輩……」

 先頭を歩いていると、竹井が攻輔に追いついてきた。隣に並ぶなり、後ろを気にし始める。

「どうした?」

「あの……気のせいかもしれないんですけど、さっきからずっと、霧峰さんが私のことを見ているような気がして……」

「ああ」

「実は、駅に集まったときから何となく感じてたんですっ。電車でもすっごい視線感じてて。それも、ただ見てるだけじゃなくて、何ていうか、説明できないんですけど、すごく怖いんですっ」

 訴えてくる竹井に、攻輔はそっと囁いてやった。

「安心しろ。気のせいじゃないから」

「安心できません!」

 竹井が腕を掴む。攻輔は後続を振り返ってみた。確か自分の後ろには戸隠・関谷ペアがいたはずなのだが、たった今、霧峰が瞳を爛々と輝かせて戸隠たちを追い抜き、攻輔たちの後ろにピッタリ張りついた。

「…………元気だな。霧峰」

「えっ? 何のことかしらっ」

 ムフー、ムフー、と鼻息を荒くしながら霧峰が答える。ただし、その視線ははっきり竹井に、正確には竹井の尻に焦点を当てていた。

「とりあえず、捕まるような真似だけはするなよ。俺たちが困る」

「大丈夫よ。女の子同士ですものっ」

「……どうして関谷さんには食いつかないんだ?」

「うーん。正直、六五点ってところだから。まだまだ私も冷静でいられるっていうか」

 とても失礼な発言を聞いた気がするが、それは置いておいて試しに聞いてみる。

「じゃあ、竹井は何点だ?」

「聞かないでください、オージ先輩っ」

 竹井が袖を引っ張った。

「八七点! 特にその可愛らしいお尻がいいわっ。小さくて、形が良くて、キュッと引き締まってる。合格!」

「生々しいわっ!」

 攻輔は霧峰の足を引っ掛ける。竹井の尻だけに焦点を当てていた彼女は、あっけなくアスファルトに顔面ダイブを決めた。

「行こう」

 そのまま放置して前進する。ほどなく駐車場の入り口が見えてきた。

「おーい」

 香月が手を振っている。手を振り返し、攻輔は彼に呼びかけた。

「今日はメイド服じゃないのかー?」

 香月が「うわあああ」とうろたえ、「何言ってんだよ!」と精一杯の声を張り上げる。竹井がキョトンと攻輔を見上げたが、それには気づかない振りをした。

「今日は、よろしくお願いします」

「こちらこそ。車に着替えのスペースを作ってますから、そこで準備しましょう」

 戸隠と関谷が挨拶し、香月もそれに丁寧に応じる。三人揃って、いや、いつの間に復活したのか、霧峰が香月を凝視しながら彼らの後についていった。

「さてと、んで、残りはと……」

 振り返った道の先。上り坂をゆっくり歩いてくる藤家と小鳥遊を見下ろす。藤家が小鳥遊のカーディガンとショルダーバッグを持ち、彼女の手を引いていた。

「……あっちはもうちょっとかかりそうだな。モリー! 先に行ってるぞ!」

 攻輔が声をかけると、藤家は軽く手を挙げて応じる。竹井を促し、二人も駐車場に入った。

 午前中だからか、駐車場は意外な程空いている。一番隅の、少し広めにスペースが取れる区画に白のワンボックスカーが停まっており、その背面ドアが大きく開いていた。そしてドアを天井にして周囲を布が囲っている。ちょっとしたテントのようだ。攻輔と竹井はそれを眺めながら車に近づいた。

「お疲れ」

 助手席のドアが開き、大同が降りてくる。それに続いて四十代ほどの女性も姿を現した。大同が男性のような服装をしているので雰囲気が全然違うが、顔立ちは似ている。女性が甲高い声で「こんにちはあ」と挨拶した。

「こんにちは」

「こんにちはっ」

 攻輔と竹井も挨拶を返す。女性がホホホホホと笑いながら言った。

「いつも妹がお世話になっております。桃子の姉です」

「母だ」

 大同が姉、もとい母親の演技を一言で打ち砕く。

「桃ちゃん! どうしてお母さんのジャマするのよっ。桃ちゃんのせいで、誰一人姉だって信じてくれないじゃない!」

「言っておくけど、ボクのせいじゃないからね。誰がどう見たって姉は無理があるから。母さん、もう諦めようよ」

「ヤダヤダッ。お母さん、まだ女を諦めてないんだからっ」

「あーもー……」

 大同がうんざりした調子で額に手を当てる。そんな様も舞台役者のようで妙に決まっていた。大同の母親がまたホホホホホと笑う。

「ごめんなさいねえ。お見苦しいところを」

「いえ。えっと、今日はわざわざ車を出していただいてありがとうございます。ブライダル・クラブ代表の若王子といいます」

 攻輔が挨拶すると、大同の母親は「いえいえ」と手を振った。

「結婚式の練習をするんですってねえ。大胆だわあ。でも、私も色々試してみたかったのよ。良かったのか悪かったのか、本番はこの子の父親と一回きりで済んでしまってるけど。もう一回くらいしても良いのにねえ。オホホホホホホ」

「母さんっ」

 車の中に入ってて、と大同が母親を追い払う。彼女は恥ずかしそうにしていた。

「戸隠さんたちは? あっち?」

 攻輔が車の後ろに張られたテントを指差すと、大同は「うん」と頷く。

「今は中で関谷さんが着替えてる。戸隠さんはジュースを買いに行ったよ。自販機は上の公園の東屋にあったはず」

「霧峰はまともにやってるのか?」

「ドレスに関しては大丈夫だよ。友哉に変なことしないか、それだけが心配だけど」

「一緒に中に?」

「着替えはさすがに。後部座席のスペースも使って二つに仕切ってるから、手前の方でメイクの準備をね」

「何だか、すごいですね」

 竹井がテントを見ながら呟いた。攻輔は中を覗いてきたらどうだと言ったが、竹井はぷるぷる首を振る。霧峰と一緒の空間にいるのは危険だと察しているのだ。

「お待たせしましたー」

 弱々しい声がやってくる。藤家が小鳥遊を連れてようやく辿り着いた。「足が痛いですー」と小鳥遊がぼやくので、大同が車の中で休むことを勧める。小鳥遊はふらふらと空調の利いた車内へ入っていった。

「モリー、俺、戸隠さんの様子見てくるわ」

 帰りが遅い気がしたので、攻輔は走り出す。「私も行きますっ」と竹井がついてきた。二人で駐車場の階段を上り、公園の敷地内に入る。すぐに「わあっ」と竹井が歓声を上げた。

「すごくきれいな眺めですねっ」

 見下ろせば、ここからでも町を一望し、海を臨める。手摺のある端まで行けばもっと良い景色が見られるだろう。五月初旬の風は清々しく、日差しも夏の訪れを予感させながらまだ肌に心地よかった。快晴の今日は、空が本当に透き通っている。

「いいねえ。最高のロケーションだ」

 攻輔も周囲を見回して満足する。人はそれほど多くないので、今のうちに撮影できたらきっと良い画が取れる。

「……ところで、戸隠さんはどこだ?」

 ジュースを買いに行ったと聞かされたのだが、東屋の自販機についてもその姿が見当たらない。攻輔と竹井は二人して戸隠を探した。特に遊具があるわけでもない、広いだけの場所なので、人を探すのにそれほど苦労はしない。案の定、戸隠はすぐに見つかった。駐車場とは反対側。遊歩道に入る手前の東屋で一人、ベンチに座って項垂れていた。攻輔は、彼に駆け寄ろうとした竹井を止める。

「竹井。皆にジュース買っていってくれ。戸隠さんは俺が連れて行くから」

 財布を手渡して回れ右をさせ、背中を押した。竹井も心得たもので、「わかりました」と素直に走っていく。攻輔はゆっくり近づいていった。

「戸隠さん」

「……ああ、ごめん。ちょっと、テンパッちゃって」

 顔を上げて振り返った戸隠は、顔色が悪かった。

「大丈夫ですか?」

「正直、吐きそう……。あー、さっきまでは平気だったのになあ」

「隣、いいですか?」

「どうぞ」

 攻輔は一人分の隙間を開けて腰を下した。

「……塩原さんにもよく言われてたんだ。僕、肝心なときにダメなんだよ」

 戸隠は、力が抜け落ちるようなため息をつく。

「告白したときに比べれば何倍もやりやすいはずなのに、急に怖くなって……」

 ポケットから小箱を取り出した。蓋を開ける。中には指輪が入っていた。

「いいですね。関谷さん、喜びますよ」

「うあーっ……。今日はやっぱりやめようかなあ」

「何、言ってるんですか! 一番良い機会じゃないですかっ」

「いや、ほら、あんまり良い感じだからさ。そうだよ! あの景色見た途端怖くなったんだ。逆にプレッシャー感じてるのかもしれない。もっと普通に、『はい、これ』くらいの方が良くない?」

 戸隠が懇願するような目になった。

「ダメですって! そんなこと言ってたら、結婚式までに渡せませんよっ。何のために買ったんですか!? ケジメをつけるためでしょっ。ご自分でそう仰ったじゃないですか!」

「そうだよ。そうなんだよなー。あー、でもなー……」

「戸隠さんっ」

 戸隠は「あー」とか「うー」とか言ってなかなか動こうとしない。攻輔は励ましたり宥めたりしてみたが、効果はなかった。

「…………」

 長期戦になることを覚悟する。「ちょっとすみません」と断って席を立ち、戸隠から充分離れて携帯電話を取り出した。藤家に電話する。

『どうなってる?』

 竹井から話を聞いて大体のところは察していたのだろう。彼はすぐに尋ねてきた。

「長くなりそうな予感がする」

『そうか……。実は、こっちもなんだ。急に関谷さんが車から出たくないって言い出して』

「そっちもかよ!? 何があったんだ?」

『それが、よくわからないんだ。ドレスが恥ずかしいのか、もしかしたら気に入らないのかと最初は思ったんだけど、そうじゃないらしい。ただ、どうしても出たくないと言い張って。今は竹井が側にいる』

「竹井一人で説得してるのか?」

『関谷さんの希望なんだ。彼女一人だけ残して、あとは出ていって欲しいって。どうする? 試合と言っていたから繋がるかどうかわからないけど、塩原さんに連絡してみるか? 電話ででも彼女に気合いを入れてもらえば……』

「……いや、それはやめておこう」

 攻輔は頭を振った。

「何でもかんでもあの人頼みじゃ、お二人のためにならないよ。こっちの原因はわかってるんだ。だから、自力で解決してもらうしかない」

『何だ? そっちもか?』

 藤家の返事は意外なものだった。攻輔は「そっちも?」と聞き返す。

『さっき竹井からも言われたんだ。原因はわかっているから待って欲しいって。お前ら、何を隠しているんだ?』

 瞬間、攻輔は一つの推論に至った。藤家に確認する。

「もしかして、前撮りを外でやろうって提案、竹井からもされたか?」

 数日前のことを思い出しながら言う。藤家の答えは「イエス」だった。

「オッケー。ちょっと竹井に換わってくれ」

『わかった』

 疑念を抱いているだろうに、藤家は何も聞かずに了解してくれた。少し間があって、竹井の声がする。

『はい、換わりました』

「竹井。お前、俺に隠しごとしてるだろ?」

『ふえっ!? な、何を急に言い出すんですかっ? な、何にも隠してなんか――』

「はい、決定! 隠してやがるな」

『そんな、そんなことはないですよっ。全然ないですっ。どうしてそんなこと言うんですかおかしいですおかしいです先輩おかしいです』

 不自然に早口になる。攻輔はニヤニヤしてしまった。

「落ち着け。お互い様だ。俺もお前に隠しごとをしている」

『ひゃい?』

「いいか。落ち着いて聞けよ」

 攻輔は自分の推論を彼女に話した。電話口で竹井が息を飲む気配を感じる。それから、クスクスと笑う声が聞こえてきた。

「笑うなって。笑い話だけど笑うなって。本人は真剣なんだから」

 自分も笑いながら言う。『オージ先輩も笑ってますよ』と文句を言われた。

「とにかく、そういうことだ。これはもう、待つしかないんだよ。こうなったら今日はとことん粘ろうや」

『はい。そうですね。あの、このこと藤家先輩たちには……』

「ああ、話さなくていい。モリーに換わってくれ」

 再び藤家が電話に出る。

「今日は長期戦覚悟ということが決定した」

 それだけ告げると、少しの間があってから藤家が言った。

『それはつまり、俺たちが何もしなくても事態は解決する。むしろ、何もしない方が良いと、そういうことだな?』

「イエス!」

『わかった。今のうちに昼飯を買いに行ってこよう』

「よろしくー」

 藤家との通話はそれで終わる。

 相変わらず、モリーは度量が広いね。

 何も説明していないのに、攻輔の判断を支持してくれた。彼には、本当に頭が上がらない。

 戸隠の下に戻る。彼は箱の中にある指輪をじっと見つめていた。

「ここなんだ」

「はい?」

 不意に口を開いたので、座りながら聞き返す。

「この公園なんだ。付き合おうって告白したの。ほら、下に映画館があるだろ。一年の春休みだよ。美緒と映画を観に来て、それから、この公園に来たんだ。夕焼けがきれいでね……」

 懐かしい思い出に浸っているのだろう。戸隠は優しく微笑んでいる。攻輔は黙って続きを待った。

「あのときは、本当、よく言えたよなあ……。あれが、今までの人生で一番勇気を振り絞ったときじゃないか?」

 戸隠が小箱に蓋をする。背もたれに身を預け、目を閉じた。

「ごめん。もう少しだけ……。絶対、今日渡すから」

「ええ、わかりました」

 攻輔はそれだけ言う。同じように背もたれに寄りかかって、待つことにした。

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