Planning 3 要請

 四月も半ばを過ぎた。

「ねえ、若王子くん」

 朝の教室。クラスメイトの香月に話しかけられ、机に突っ伏してダラダラしていた攻輔は「んー?」とやる気なく唸った。

「あのさ、ブライダル・クラブの件なんだけど……」

「はいっ。結婚式と一口に申しましても主にキリスト教婚式や神前式、仏前式、そして少し前から日本でも知名度が上がってきている人前式などありまして、やはりキリスト教婚式が一般的にはかなり多いようです。オリジナルのスタイルにこだわるというのもすでに定着しているようでして、これには人前式が広まってきているのも背景にあるのでしょう。オリジナルの式としましては、新郎新婦の共通の趣味を活かしたものが良いのではないかと。列席者にお二人のご紹介を兼ねることもできますし、最近は披露宴も出席者をおもてなしするというコンセプトで――」

「ま、待って! 待って待って若王子くんっ。止まって!」

 唐突に話し始めた攻輔の目の前に香月が両手を突き出す。攻輔はハッとなった。

「……俺、今、何をしてた?」

「……思いっきり結婚式について語ってた」

「……そうか、すまん。もはやこれは反射に近いな」

「相当大変みたいだね」

 香月が苦笑する。どうでもいいが、苦笑いなのに彼の笑顔は可愛かった。

「クラブを立ち上げてから、ほとんど毎日こんな調子なんだ。二、三日で騒ぎは治まって、もっとじっくりカップル探しができると思ってたのに。しかも質問するだけして、具体的なところまで進んだのはまだ一組もいないし……」

 はああああああ……。長い長いため息をつく。香月が「それなんだけど」と言った。

「実は、結婚式をやってみたいって人が……」

「式をあまり堅苦しくなくやりたいという希望も多いようです。ただ、単なるパーティーとはやはりどこかできちんと線を引いておかないと、結婚式という大切な人生の門出を表現することができなくなってしまう恐れがありますから――」

「若王子くんっ」

 香月が攻輔の肩を揺する。再びハッとして攻輔はかぶりを振った。

「まずい……。これは一種の病気じゃないか?」

「……ええっと、どうやって話せばいいんだろう?」

「大丈夫だ。もう大丈夫。結婚式をやりたいって言ってる人がいるんだろ。って、本当か!? 誰、誰? もしかして香月っ?」

 椅子から立ち上がり、身を乗り出す。鼻が触れ合いそうな至近距離で見つめ合う形になり、香月が「キャッ」と悲鳴を上げて身を引いた。

「そうなのかっ? 相手は誰だ!? もしかして写真部の、あの――」

「そう写真部! 写真部の先輩だよっ。僕じゃなくて、もう引退してるんだけど三年の先輩! その人がやってみたいって言ってて」

 息巻く攻輔の台詞をかき消すように香月が叫ぶ。教室にいたクラスメイトたちが振り返った。香月はそれに気づき、顔を真っ赤にして俯く。本当にどうでもいいが、そういう仕草も可愛かった。

「で、その先輩っていうのは?」

 声をひそめ、攻輔は香月の肩を抱く。「えっとね」と香月も小声で話を続けた。

「関谷さんっていう女子の先輩。ポスターを見て興味をもったらしくって、話を聞きたいそうなんだ。


 しかし、攻輔の読みは外れた。

 数日で治まると思っていた騒動は一週間経っても治まらなかったのだ。相変わらず四人は女子生徒からの質問攻めに合い、何人かは彼氏を連れてやってきたものの、式までには色々と準備が必要であることを説明すると二の足を踏んで去っていった。

 さらに、それとは別に攻輔の下にやってくる男子もいた。ポスターを譲って欲しい、売って欲しいという申し出である。中には写真のデータをくれと言ってくるものまでいた。噂によると、かなりの高値で買うと宣言しているものが少なくないらしい。思わぬビジネスチャンスであったが、攻輔もそこまで命知らずではなかった。ポスターが盗まれていないことから勘付いていたのだが、明らかに絢悧が目を光らせている。もしポスターや写真データを流出させたら、どんな恐ろしい「罰」を受けることになるか想像するだけでも鳥肌が立った。

 そうして四月も半ばを過ぎた頃だった。

「どうも、ありがとうございましたー」

 放課後。もはや体に染みついてきた挨拶とお辞儀をして、攻輔は三人組の女子生徒を見送った。最後まで部室に居座っていた生徒たちである。ようやく四人だけになった室内で、「うあーっ」と声を上げてパイプ椅子に座り込んだ。

「お疲れさまでした」

 竹井がお茶を差し出してくれる。「おー、ありがと」と受け取り、熱い緑茶を啜った。渇いた喉がじんわり潤っていく。

「今日も雑然としていたなあ。本当に恋愛相談所になってないか、うち?」

 隣で資料をまとめながら藤家が言った。攻輔は肩を回しながら「近いもの、あるなあ」と答える。

「ねねちゃん、先生にもココアを、ココアをください」

「あ、はい。わかりました」

 部屋の奥では小鳥遊がぐったりしていた。彼女もずっと攻輔たちに付き合ってくれている。竹井に猫の絵がプリントされたマイカップを差し出した。

「しかし、そろそろ一組くらい決めたいよなあ。……モリー、見込みありそうなのいない?」

「そうだなあ。今まで来た中では何とも……」

 藤家が渋い顔をする。攻輔は「ぬあっ」と立ち上がった。

「いかん! このまま座して待っていたところで、事態が好転するとは思えない! 俺は、自ら動くことを推奨したい!」

「……急にどうした?」

 眉根を寄せた藤家に親指を立ててみせ、

「ちょっと校内を回って、カップルをひっ捕まえてくる!」

 宣言してドアに飛びつく。「待て待て待てっ」と藤家が叫んだ。

「ひっ捕まえてくるってお前、どこまで無茶なんだ!?」

「待っていたって始まらないだろっ。それよりも俺たちは進んで未知の扉を開くべきなんだよ! ほら、この扉の先にはきっと素敵な未来が待っているよ! もしかしたら、恥ずかしがってなかなかドアを開けることができないカップルが待っているかもしれないじゃないかっ」

 アハハハハ、と夢見がちな瞳で攻輔はドアを押し開く。

「キャアッ」

 悲鳴がした。本当にドアの前に誰かいたらしい。攻輔は「すみませんっ」と叫んで、廊下に尻もちをついた人物に目を落とした。そして目を丸くする。

「……香月?」

「あ、若王子くん……どうも」

 そこに倒れていたのは、先日写真部で世話になった香月だった。服装は教室でいつも見慣れている男子の制服である。それはいいのだが、先程の悲鳴は攻輔の耳にはっきり残っていた。

「香月、今、お前キャアッて……」

「そ、そんなことよりっ、大切な話があってきたんだ! 聞いてよ!」

 香月が文字通り飛び上がる。真剣な眼差しで迫るので、黙らざるを得なかった。

「実はっ、もう引退してるんだけど、うちの部の先輩が結婚式をやってみたいって言ってるんだ! 話を聞いてもらえないかなっ」

「えっ? 本当に!? 聞く聞くっ、ぜひ聞かせてください!」

 願ってもない申し出に攻輔は飛びつく。部室から藤家も顔を出した。

「挙式の希望者? ここに来られてるのか?」

「あ、いや、うちの部室にいるんだけど……」

 廊下を見回す藤家に、香月が両手を小さく振って答える。

「じゃあ、俺らがそっちに行こうか? 来てもらえると資料とか見せやすいんだけど」

 攻輔は一度部室を振り返った。竹井が「どうしたらいいでしょうか?」という顔で立っている。小鳥遊は部屋の奥でのんびり椅子に座っていた。

「ええっと、僕が呼んでくるよ。ちょっと待ってて」

 香月はそう答えて、廊下を走り去る。その後ろ姿を見ながら藤家が呟いた。

「……変だな」

「……お前も気づいたか、モリー。俺も香月は怪しいと思うんだ」

「は? 香月って今の人のことか? 俺は彼の先輩のことを言ったんだが」

「え? あ、ああ、そっち。そっちね。……何が変なんだよ?」

 まだ会ってもいない相手に疑念を抱いていると聞かされ、攻輔は小首を傾げる。

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