Planning 2 準備

 うふぁあ……、眠ぃ……。

 翌朝、攻輔は徹夜で作り上げたA2版のポスターを小脇に抱えて校内を歩き回っていた。掲示板にポスターを張っているのである。

 昨日、家に帰るなり養父のPCを借りて写真の選別を行い、これと決めたデータを加工した後、A2版で印刷できる店を探してみたところ少し離れた場所に二四時間開いている店があったので、データを入れたUSBを持って真夜中に自転車で車道を突っ走り、明らかに未成年の攻輔にいぶかしむ店員に高校のクラブ活動であることを説明して何とか一○枚印刷してもらった。一万円近い出費は痛かったが、必要経費だと割り切る。もちろん、領収書を貰うのも忘れなかった。「ブライダル・クラブ」という名称に店員は苦笑していたが。

「あー、でも、徹夜した甲斐があったな。我ながら良い出来だ」

 藤家にはポスターの件を電話してある。竹井にはメールをしておいた。何となく電話しにくかったのだ。昨日のことをどうフォローしたものかと、ポスターを見ながら徹夜明けのぼんやりした頭で考える。と、「オージ先輩っ」と声を掛けられた。

「おはようございます! ポスター、もう出来ちゃったんですねっ。すごいです」

 竹井が元気いっぱいという顔で挨拶する。「おはよう」と返し、攻輔はそれから何と言おうか迷った。

「昨日はすみませんでした。変なことで、すねたりして」

 ところが竹井の方がペコリと頭を下げてきた。攻輔は「いやいやいや」と手を振ったが、竹井も「いえいえいえ」と首を振る。

「先輩にご迷惑をおかけしたのは事実ですから。私が悪いんです」

 またペコリと頭を下げた。攻輔は思わず竹井をヒシと抱きしめる。

「竹井っ、お前は本当に良い子だな」

 昨日、同級生の女子に殺されかけた身には、竹井の優しさが胸に滲みた。「よしよし」と頭を撫でてやる。

「は、はふえっ?」

 竹井は奇妙な声を上げた。

「おっと、まだポスター張りの途中だったんだ。じゃな、竹井。また放課後」

 腕を離しても何故かその場に固まったままの竹井を残し、攻輔は残りのポスターを張りに向かった。

 ポスターの効果は絶大だった。

 その日の朝から話題になり、昼休みを待たずに攻輔の下へ話を聞きたいという女子生徒たちがやってきた。昼休みには教室に何人も詰め掛けたので、部室へ移動せざるを得なかったほどである。しかも藤家や竹井も同じ目に遭っていたらしく、部室で顔を合わせた彼らの周りにも十数人の女子生徒がいた。

 そのこと自体は嬉しい悲鳴だった。騒ぎは放課後になっても治まらず、小鳥遊も加えた四人は、下校時刻を迎えてようやく女子生徒たちの質問攻めから解放された。

「……あー、疲れた」

「もう、喉ガラガラです……」

「しかし、想像以上だったな……」

「……先生は、頑張りましたよー」

 右から竹井、攻輔、藤家、小鳥遊の順で四人仲良くテーブルに突っ伏し、ポツポツと言葉を交わす。

「でも、上々の滑り出しだろ? こういうのは初日が肝心だから」

「まあなあ。充分話題になっているってことは確認できたよ」

「女の子の憧れですからねぇ」

「そういえば、女の子ばっかりでしたね」

 竹井の声に、攻輔は顔を右へ向けた。

「だなあ。今日はうちがどういうクラブなのかの説明くらいで、実際にやってみたいって話まではいかなかったし」

「私、途中から恋愛相談みたいになってました」

「彼氏はいないけど、式はやってみたいってのもいたぞ。ああいうのはどうするかなあ」

「付き合っていることが前提だからな」

 藤家が言う。攻輔は首を左へ回した。

「話題にはなっても、実際に式を挙げるところまでいく人たちが現れるかどうか。彼氏も連れてきてくれたら良いんだけど」

「結婚は一人ではできませんし」

「あー、そうですよねえ」

 攻輔は右を見る。

「興味を示してくれている間に、一組でも捕まえて式をやってみせないとな」

 左へ顔を向けた。

「そうしたら、具体的なイメージも抱けると思うんですよ」

 右を向く。

「俺たちも、どこまでやれるかわかるしな」

「ぬあっ」

 攻輔はたまらず身を起こした。首が痛い。

「まあ、あれだ。明日、明後日まではこんな調子だろうけど、何とか乗り切ろう」

「おーっす」

「はい、頑張ります」

「頑張りますよー。先生も頑張りますよー」

 おそらく四人の中で一番ふにゃふにゃになっている小鳥遊が、ふにゃふにゃと小さな拳を力なく突き出した。


「んじゃ、お疲れさまでーす。お先にー」

 帰り支度を整え、攻輔が一番に部室を出る。「お疲れさま」「お疲れ」と返す小鳥遊や藤家の声を背中に受けた。廊下を進み、昇降口で靴を履き替えて外に出たところでパタパタと軽い足取りを耳にする。振り向くと、竹井が駆け寄ってきていた。

「オージ先輩っ。途中まで一緒にいいですか?」

「おう。竹井も自転車か?」

「えっ? 私はバスです……。おーじ先輩、ここまで自転車で来てるんですかっ? すごく時間かかりません?」

 竹井がただでさえ丸い瞳をさらに丸くする。攻輔は肩を竦めた。

「雨とかひどいときはバスにすることもあるけど、基本は自転車だなあ。慣れると大したことないぞ。ざっと四○分くらいだし。バスの時刻表とか考えるとそんなに変わんないんだよ」

「……そ、そうですか」

 竹井は何か考えるような顔で少し俯く。「とりあえず、バス停まで付き合おう」と攻輔は歩きだした。まず、駐輪場へ向かう。

「……あの、質問してもいいですか?」

 道すがら、竹井が切り出した。

「どした?」

「……どうして、結婚式のクラブを作ろうと思ったんですか?」

「んあ? ああ、それか。竹井にはまだ説明してなかったな」

 攻輔は藤家や校長にした話を彼女にも聞かせることにする。竹井は静かに聞いていたが、攻輔が話し終えるなり小首を傾げた。

「……オージ先輩、本当にそれだけですか?」

「?」

 彼女がこちらを見上げてくる。その視線には疑いの色があった。

「どうしたよ、竹井。俺のことが信じられないのか?」

 あえて胸を張って言い返してみたけれど、中学からの後輩には通用しない。

「オージ先輩のことは信じています。だから疑っているんです」

「矛盾してないか、それ?」

「してません。私の知っているオージ先輩は、もっと……何ていうか、ずるい人です」

「うわお、言われましたよ」

「すみませんっ。でも、オージ先輩って中学のときもそうでした。口ではいい加減なこと言ったり、全然大したことじゃないみたいな言い方して、本当はすごく大切なことを隠していたりして。それも、誰か他人のためにそうしてたりして……」

 言いながら竹井が下を向いた。ぶすっと唇を尖らせている。

「えーと、ひょっとして俺のこと買い被ってる?」

「茶化さないでください。真面目な話なんです」

 竹井がこちらを見上げてきた。その真摯な眼差しに攻輔は迷う。彼女のことを頼りないと思ったことなど一度もない。むしろ中学の頃も頼りにしてばかりだった。ただ、確かに彼女に自分の「本音」を語ってはいない。この際、彼女に話してみるべきなのか。それとも、これはまだ自分一人の胸の内にしまっておくべきことか。攻輔の心はしばし揺らいだ。

「……竹井、とりあえずお前の読み通りだ。本当は別の理由がある。それもかなり直接的なものが。でもな、今は言えない」

 そして、「言わない」という選択をする。こちらを見つめる竹井の瞳がふるふると震えた。攻輔はすぐに続ける。

「念のために言っておくけど、お前のことを頼りにしてないから言わないんじゃないぞ。というか、竹井のことは一番頼りにしてるしっ。でもな、何ていうか、こっちにも段取りがあってだな……」

 フォローの言葉が、しかし上手く出てこなかった。ところが竹井はスッと手を挙げて攻輔を制する。「わかりました」と言った。

「今は、それで納得しようと思います。言うかどうか、ちゃんと考えてくれたみたいですし。でも絶対に教えて下さいねっ。今度は、今度こそは絶対にオージ先輩の力になりますからっ。中学のときの私とは違うんですからっ」

「……あ、ああ」

 拳を握って訴える後輩に頷いてみせる。竹井は手を下ろし、それからまた小さな声で言った。

「やっぱり、『愛が溢れる世界』とか、そういうのと関係があるんですか?」

「!」

 先日、校長と話したときのことが思い出される。攻輔はそっと竹井を見下ろし、「そういえば、そんな話をしたこともあったっけ」と返した。

「新聞部で、そんな話をよくしてました……。オージ先輩っ、あのときは――」

「ストップ。その話はなしだ。そう決めただろ」

 攻輔は竹井の頭をむんずと掴む。左右に振ってやった。「すみませんー」と謝る彼女の顔から思いつめた雰囲気が消えるまで、攻輔は後輩の頭をぐりぐり動かす。

「……ううう、ヒドイです」

 嘆く竹井を待たせておいて、駐輪場から自転車を取ってきた。前の籠に自分と竹井のカバンを放り込み、押して歩く。校門の近くには、花がほとんど散ってしまって葉桜になりつつある桜の木が並んでいた。それを何となく見上げながら進んでいると、門柱のそばに人影を見つける。女子生徒だ。彼女はデジタルカメラでこちらを、いや、桜の木を撮ろうとしているらしい。真剣な目つきでカメラの裏にある画面を見つめていたが、ふと頭を上げた。

「?」

 攻輔と目が合う。途端にカメラを下ろし、女子生徒が軽く礼をした。つられて二人も頭を下げる。竹井が「邪魔になってるんですよ」と攻輔の腕を押した。

「ああ、画面に入ってたのか。……もうほとんど散ってるのにな」

 小声で言う。女子生徒はまたカメラを構えていた。すれ違うとき、ピピッとシャッターを切る前の電子音が聞こえた。フラッシュが光る。

 攻輔は彼女を振り返ってみた。画像を確認しているのか、厳しい表情でデジタルカメラを見下ろしている。丸顔の優しそうな顔立ちをしているが、その横顔には何か執念のようなものを感じて背筋が少し寒くなった。

「そんなに見たら失礼ですよっ」

 竹井が袖を引っ張ってくる。「悪い」と向き直り、校門前の歩道に出た。夕陽がさしてくる方を見やる。歩行橋高校前のバス停はすぐ傍にあるが、これは大半の生徒が登校するときに乗ってくる側のものだ。帰りは道路を渡って向かい側のバス停からバスに乗ることになる。

 夕陽から目を逸らすように反対側を向くと、三メートルほど先に信号のついた横断歩道があった。あまり車が通らない道だというのに、学校が目の前にあるからという理由で設置されたに違いない信号が、青に変わるのを待って横断歩道を渡る生徒は少数派である。攻輔は左右を見てから自転車を押して渡った。竹井が続く。

 向かい側のバス停につくなり、竹井が時刻表を確認した。携帯電話を見て「あと一○分くらいです」と言う。攻輔は自転車のスタンドを立てた。

「それにしても――」

 話を切り出そうとしたところで、校門の方から声が聞こえてくる。駆けてくる足音と「ミオ!」と呼ぶ声。二人ともそちらに目をやった。男子生徒が、カメラを構えていた女子生徒に向かって駆けてくる。

「お、彼氏っぽいな」

「そ、そうですね……」

 見ていると、眼鏡をかけた面長の少年はカメラを持った少女の前に立ち、何か笑顔で話しかけた。先程の少女の真剣な表情を思い出し、攻輔は彼女がどんな反応を返すのかちょっと気になる。笑いかけている彼氏に対し、彼女は冷静に応えるのだろうか。

 しかし、攻輔の読みは外れた。少年を前にするなり、彼女はデジタルカメラをさっさとポケットにしまいこんで満面の笑顔になり、さらには甘えるように少年の腕にしがみついたのである。そこには、さっき攻輔が背筋を寒くした「執念」などというものは一切見受けられなかった。嬉しそうに少年に話しかけ、笑っている。二人、仲良く手をつないで歩きだした。

「わあ……、ラブラブですね」

 隣で竹井が恥ずかしそうに呟く。二人は楽しげに話しながら歩道を歩いていった。こちらにはこない。家がこの近くなのかと首を巡らせたが、だだっ広い田圃が見渡せるばかりなので攻輔は首を捻った。そんな彼の行動に気づいたらしく、竹井が囁く。

「電車じゃないですか? 少し歩きますけど、向こうの方に駅がありますよ」

「ああ。そういや、そんなのもあったな。俺は一度も使ったことないけど」

 遠ざかる二人の背中を眺めながら、攻輔は頷いた。

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