Planning 2 準備

 翌日の放課後、攻輔は部室で竹井を待っていた。

「遅くなりましたっ」

 HRが長引いたらしい。入ってくるなり謝る竹井に近づき、攻輔は「ふむ」と彼女を四方から眺めた。

「あの? 何ですか、先輩」

「よし、竹井を我らがブライダル・クラブのポスターのモデルにしよう」

「えっ? えええっ!? そ、そんなムリですっ。ムリですムリですムリですっ。私、背も高くないし、可愛くないし、写真写り良くないし、とにかくムリです!」

 顔の前で両手を振り、必死になって拒む竹井に攻輔は優しく語りかける。

「何を言ってるんだ、竹井。お前くらいがちょうどいいんだって。そんなに美人でもなく、かといってブスでもない。程好く可愛いくらいが親近感があって良いんだぞ」

「…………」

 竹井の動きが止まった。それからトボトボと部屋の隅に歩いていき、壁に顔を向けて蹲ってしまった。

「あれ? どうした竹井。おーい、竹井ねねちゃん」

「最悪だな、お前」

 結婚式関連の本を読んでいた藤家が、呆れた顔で言った。攻輔は懸命に言い訳する。

「な、何だよお。俺は竹井の精神的負担を軽くしてやろうと思ってだな。良かれと思ってだな」

「……どうせ私はそこそこですから」

「いや、だから、程好く可愛いんだって!」

 壁に向かってぶつぶつ言っている竹井に必死でフォローを試みるが、閉ざされた彼女の心の扉を開くことはできなかった。

「はーい。皆さん、頑張ってますかー? 先生も頑張っちゃいますよー」

 陽気な声とともに小鳥遊がドアを開ける。攻輔は反射的に振り返り、

「あっ、小鳥遊センセー……は、歳いき過ぎてるか」

 言いかけて、途中でやめた。藤家が真っ青になる。

「バカ野郎っ!」

 叫んだが、遅かった。小鳥遊はドアを開けた姿勢のまま立ち尽くし、それからそろそろとドアを閉めて部屋の隅に向かう。竹井とは対角線上に位置する角だった。

「先生、まだ、年増って言われるような年齢じゃ、ありません……」

 しゃがみこみ、さめざめと嘆く。あっという間に二人の女性を傷付けた攻輔は、小鳥遊の側に向かいかけていた藤家に救いを求める目を向けた。

「オージ、とりあえず出ていけ」

 友人の指示を甘んじて受け、攻輔は部室から退場した。


「参ったな。ポスターのモデルを頼もうと思っただけなのに、何でこんなことになってるんだ?」

 廊下を歩きながら、攻輔はぼやいた。小鳥遊の場合はしまったと自分でも思ったが、竹井の気持ちがよくわからない。そこそこの何が良くないのか。

「女心はわからんねえ」

 そんなことを呟いたところで、ふとモデルのあてがあることを思い出した。後で少々うるさいことになるかもしれないけれど、構うものかとそちらに足を向ける。

 攻輔が向かった先は、学校の所有地となっている裏山のふもとだった。歩行橋高校は道路を挟んで向かいが田圃というくらいの郊外型立地であり、そのせいというわけでもないだろうが、所有している敷地は広い。

「相変わらずここは、野性味溢れるねえ」

 通用門を抜けて、車が一台かろうじて進めるほどの幅の砂利道を数百メートルほど進むと、急に視界が開けて幾つもの花壇群が目の前に広がった。そこかしこで女子生徒が花々の世話をしている。チューリップや雛罌粟ひなげし、庭桜が花開いていた。ここは園芸部の活動場所、通称「庭園」である。右手にクラブハウスという名のプレハブ小屋が建っており、花壇群の奥には温室も聳え立っていた。温室の脇から更に奥に続いている細い道の先では、野菜まで栽培しているらしい。

「こんにちはー」

 攻輔は園芸部の部室となっているプレハブ小屋を訪れた。ノックして引き戸を開けると、中から「はあい」と返事が返ってくる。目当ての人物の声だったので、攻輔は「嘉鳴ーっ」と声を掛けた。

「あ、若王子くん。どうしたの?」

 雑然とした室内からドアの側までやってきたのは、獅王葉絢悧と瓜二つの少女である。違いといえば、髪の毛が外にカールしておらず、首の下辺りで一つにまとめていることと、表情が柔らかいのでツリ目があまり気にならないということくらいだろうか。彼女は獅王葉しおうば嘉鳴かなる。絢悧の双子の姉である。

「実は嘉鳴に頼みごとがあって。今、時間ある?」

 一年の頃、絢悧と同じクラスだった縁で嘉鳴とも知り合いだったが、二年になって今度は彼女と同じクラスになっていた。絢悧と違って大変人当たりが良く、頼まれごとを断れない性格なので、モデルを引き受けてくれるのではと考えたのである。

「いいよ。今日はもう帰るところだったから」

「それは良いタイミングだった」

 攻輔はプレハブ小屋にお邪魔して、モデルの件を話した。さすがに嘉鳴も聞いてすぐは断ったが、攻輔は食い下がり、とうとう彼女の承諾を得た。「善は急げ」とばかり、衣装合わせに連れ出そうとする。

「あっ、ちょっと待ってよ」

 嘉鳴は攻輔を呼びとめ、花壇の方に向かった。花に水をやったり移植ゴテで穴を掘ったりしている生徒の中の一人に話しかける。二、三やり取りした後、その生徒が攻輔の方を見た。嘉鳴に何か言い、笑う。嘉鳴は驚いた顔をしてブンブン首を振り、それからこちらに向かって駆けてきた。鞄を手に取り、「行こう」と言う。

「何、話してたんだ?」

 攻輔が尋ねると、嘉鳴は「全然大したことじゃないよ」とだけ言った。

「それで、どこに行くの?」

「ああ、先に話はしといたんだ。演劇部。倉庫に結婚式の衣装もあるんじゃないかと思って。富沢に聞いたら、自分で確認してくれって言われたんだけど」

「富沢くんって、うちのクラスの? 演劇部だったんだ」

 感心する嘉鳴に、攻輔は肩を竦める。

「園芸部は活発にやってるみたいだけど、うちの部活って文化系は今ひとつだろ? 演劇部も去年の文化祭からずっと気合いが抜けたままらしいんだ。富沢も、全然練習してないって言ってたし」

「それ、絢悧も言ってた。運動系の部は頑張ってるのに、文化系はパッとしないって。うちも色々お花を育てるのは楽しいんだけど、華道部にわけてあげるくらいで、部として何か一つ目標があるわけじゃないんだよなあ。だから盛り上がらないのかも」

「おお、部長の自覚が出てきたみたいだな」

 攻輔が茶化すと、嘉鳴は「むう」と唸った。

「やめてよー。単に絢悧が生徒会長だから、私を部長にしておけば有利かもって思われただけだよ。絢悧がそんなことするわけないのにね」

 それは二人の仲があまり良くないという意味ではなく、絢悧は公私混同したりしないという信頼を表したものである。攻輔もその点には同意見だった。

 話しているうちに演劇部の部室に辿り着く。声を掛けるとクラスメイトの富沢が顔を出した。嘉鳴を見て少し驚いたようだったが、二人を演劇部の倉庫へと案内する。部室とは別に大きな部屋を与えられており、そこにほとんどの道具や衣装などを放り込んでいるそうだ。

「ウェディングドレスねえ。あったかなあ?」

 倉庫の鍵を開けながら、富沢が洩らす。

「衣装の記録帳とかはないの? 道具を管理している人は……」

 嘉鳴が聞いたが、富沢は「さあ」とやる気のない返事をするばかりだった。

「オージ、適当に探してよ。俺も見てみるけど」

 電気をつける。倉庫の中は埃っぽかった。きちんと換気がなされていないのだろう。嘉鳴が眉根を寄せ、率先して窓を開けて回る。棚が列を成しており、雑多なものが大量に納められているので随分と狭く感じられた。攻輔は制服の上着を脱いで袖を捲る。

「くあーっ、やりがいありそう。今日中に見つかるかね」

「衣装は衣装でまとめてあるはずだから、そこだけ見れば良いんじゃない? どこに衣装をまとめてあるのかわからないけど」

「親切なご意見、どうもありがとう」

 富沢の微妙なアドバイスを受け、攻輔は棚の間へと突き進んでいった。衣装は大抵ハンガーに掛けてあるものだと思っていたので、それらしき区画を探す。嘉鳴が「うーっ」と顰め面になって手をパタパタ振っているのが、棚の隙間から見えた。

「衣装、衣装、衣装さーん」

 埃が舞う中、どんどん奥へと踏み込んでいく。と、黄ばみかけた白いカバーに覆われたものを見つけた。攻輔の胸辺りまで高さがある。「これか?」と思い、カバーを捲った。

「……何だ、これ? 漁船の網か?」

 カバーの下には、ネットが丸めて置かれてあった。かなり大きなもののようだ。富沢を呼ぶと、「ああ」と呟いた。

「けっこう昔の話なんだけど、うちの演劇部がすごかった頃に、サーカスの真似みたいなこともやったらしいんだよ。劇の一シーンとしてね。そのときの防護ネットだろ。ほら、本物のサーカスでも下に張ってあるじゃん。落ちたときのためのネットが」

「ああ、あれか。って、そんなものまであるのかよ!」

「昔はすごかったらしいよ。うちの演劇部」

 富沢がしみじみと言う。攻輔は「今は?」とあえて聞いてやった。富沢は平気な顔で「さっぱりだね」と返す。

「ねえっ、これじゃないかなー」

 遠くで嘉鳴の声がした。狭い棚の間を進み、彼女の元へ向かう。倉庫の端、壁に沿うようにして、ハンガーにかけられた衣装がずらりと並んでいた。嘉鳴がその中からウェディングドレスを探している。

「状態は良さそうじゃないか。こんなところに仕舞ってた割りには」

 貴族の衣装だろうか、フリルがたくさんつけられた洋服の袖を掴み、攻輔は虫食いの痕がないかチェックした。防虫剤の匂いがはっきり感じられる。目立った汚れも見当たらなかった。そのときになって気づく。衣装のかけられた区画だけ、埃もほとんど舞っていなかった。誰かが定期的に手入れしているのかもしれない。

「あったよ! これでしょ」

 嘉鳴が純白のドレスをハンガーごと引き出した。一着ではなく、色の風合いやデザインの違うものが数着ある。とりあえず全部引っ張り出し、三人で手分けして外に持ち出した。日の光に当てて眺めてみる。

「いいねえ。悪くないよ」

 日光に細かいビーズ等が反射してキラキラ輝いた。染みも見当たらない。予想以上の収穫に攻輔は「よっしゃ!」と叫んだ。

「んじゃ、富沢。ひとまず全部借りるわ」

「ああ、いいよ。どうせ使うことないだろうし」

「サンキュー、恩に着る。ついでにさ、衣装の手直しとかできる人いない? 演劇部の衣装担当とか」

 撮影の前に衣装合わせをしておきたかったので、富沢に聞いてみる。すると急に彼の表情が険しくなった。

「……いることはいるんだけど、あいつはどうかなあ?」

「誰、誰? 説得なら俺がするから」

「いや、そういう問題じゃないんだけど……。とりあえず、電話してみるか」

 富沢が渋々という感じで携帯電話を取り出す。

「どうしたのかな?」

「さあね」

 嘉鳴の疑問に攻輔も首を捻った。電話は繋がったらしく、富沢が相手に用件を伝える。彼が眉根を寄せた。交渉は上手くいかなかったのだろうか。

「……わかった。じゃあな」

 通話を切った富沢は、攻輔たちを振り返り、

「今すぐ会いたいってさ」

 願ってもない申し出を伝えてくれた。思わず「ありがとう!」と叫ぶ。ところが富沢は頬を引きつらせた。

「今は漫研にいるから、そっちに来て欲しいって。霧峰っていう二年の女子なんだけど、オージ、あいつの扱いは大変だぜ。獅王葉さんも気をつけて」

 そんなことを言うものだから、攻輔は「どういう意味だ?」と聞く。富沢は目を逸らして「会えばわかるよ」と言った。

「ますます気になるわっ! はっきり言え!」

 富沢に詰め寄る。彼は「はあ」と息をつき、「コスプレオタクでねえ」と呟いた。

霧峰きりみねりんっていって、衣装に関してはすごい奴なんだよ。自分でデザイン描いて型紙起こして服を縫い上げたり、小物も器用に作るし。見た目もけっこう可愛いくて、喋らなけりゃいいんだけどなあ……」

「喋るとヒドイのか? 性格きついとか?」

「……そこは、会って確認してくれ。正直、説明するのがウゼエ」

 富沢はそう言って首を振る。嘉鳴が「ひとまず行ってみようよ」と言うので、攻輔も彼を解放した。

「どうもありがとう」

 二人で礼を言い、数着のウェディングドレスを担いで倉庫を後にする。漫画研究同好会の部室に向かった。

「やーん♪ 嘉鳴ちゃんだー。嘉鳴ちゃんが来てくれたーっ。えっ? てことはこれから私、嘉鳴ちゃんにあんなことやこんなことを公然と出来るってことなの? マジで? うそ、これって夢? (パアン!) 痛い! 夢じゃない! やった!! 神様ありがとうございます! 私、これから全力で……いけない、涎垂れちゃった」

「…………」

 そして、富沢の発言の意味を理解した。

「若王子くんっ?」

 涎を拭う霧峰の姿に身の危険を感じたのだろう。嘉鳴が切迫した顔で攻輔を凝視する。対して霧峰は、丸顔の人懐っこい笑顔で主に嘉鳴を注視していた。透視でもしそうな勢いである。

「こんな美味しそうな、じゃなかった美しい子が私の前で服を脱いで、色んなところを測らせてくれるんでしょっ。それって、もう、もうっ、……ヤバッ、鼻血出てきた」

「若王子くんっ!」

 恐怖に戦く瞳で嘉鳴が訴えかける。さすがにここまで酷いのは想定外だったので、彼は使いたくなかった切り札を使うことにした。

「嘉鳴、妹を呼ぼう」

「そうする!」

 瞬時に頷き、嘉鳴が抜き手を見せぬ速さで携帯電話を取り出す。直ちに絢悧へと電話をかけた。

「絢悧っ、助けて!」

 この一言で全てが片付いたといっても過言ではない。攻輔はここで絢悧に会うのは避けたかったので、先に写真部に向かうことにした。その旨を告げると、嘉鳴は攻輔の制服の袖を掴んで「絢悧が来るまでいてよっ」と懇願する。

「いや、それはちょっと遠慮したいというか、それに忘れられてるみたいだけど、ここには男だっているんだし、万が一のときは彼らを頼ってくれ」

 攻輔は部屋の一角でトレーディングカードゲームをしている男子生徒たちを指し示した。彼らは「生徒会長が来るまで、廊下に出ていたら?」と実に簡潔な解決策を提示してくれる。「なるほど」と頷きつつ攻輔が霧峰の方を見やると、「えっ、絢悧ちゃんも来るの? 美人双子が揃って私の前に? え、何? これって死亡フラグ?」などと鼻息荒く呟いていた。

「じゃ、そういうことで」

「早く帰ってきてよっ」

 叫ぶ嘉鳴に手を振り、攻輔は撮影の手はずを整えるため写真部に向かった。


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