Planning 1 発足

「ついにこのときが来ましたよ」

 一○○枚を超えるアンケート用紙に、ブライダル・クラブ設立についてまとめた調査結果。そして創部に向けての思いを綴った作文も一緒にして紐で留めた。最初はホッチキスを使おうと思ったのだが、厚過ぎて歯が通らなかったのである。

 それを朝一番で小鳥遊のところへ持っていき、校長に渡してもらうよう頼んだのだ。一週間もすれば返事が返ってくるだろうと考えていたのだが、驚いたことにその日の放課後、小鳥遊とともに校長室へ来るよう言われたのである。

「緊張しますね」

 放課後、職員室に小鳥遊を呼びにいくと、彼女はスーツの皺を頻りに気にしていた。同僚の教師に糸くずを取ってもらっている。「失礼します」と攻輔が中に入るなり、引きつった笑顔で迎えてくれた。

「センセー、緊張しすぎですよ」

 小鳥遊の緊張ぶりを見て逆に冷静になった攻輔は、職員室の隣にある校長室のドアの前に立って一度深呼吸をした。ちなみに職員室から校長室へ廊下を通らず直接出入りできるドアもあるらしいが、そちらは教師専用らしい。

 重そうな木製のドアをノックする。中から「どうぞ」という声がした。

「失礼しますっ」

「し、失礼しますぅ」

 室内に入る。床に絨毯が敷きつめられており、足音がまったくしなかった。変な感触だが、そんなことを気にしている場合ではない。攻輔は部屋の主を探して視線を走らせた。部屋の奥、向かって右の壁に開け放たれたままのドアが見える。あれが教師専用の出入り口なのだろう。

「ああ、来たね」

 福間校長は、ほぼ真正面の位置にある横長の重厚そうな机の向かい側に座っていた。椅子も革張りの高そうなものである。大きな窓を背にしているので逆光になり、顔はよく見えなかった。何か書き物をしていたらしい校長は、二人の姿を見とめて向かって左側を指し示す。そちらには応接用の低いテーブルが一脚と一人掛けのソファチェアが二つずつ向かい合わせに並んでいた。

「失礼します」

 そう言ってソファチェアに歩み寄る。先に座って良いものかと小鳥遊に目をやったが、彼女も小首を傾げるばかりだ。

「ああ、座って座って」

 机の引き出しから何か取り出しながら校長が言う。攻輔は会釈して腰を下した。隣に小鳥遊がちょこんと座る。

「君がワカオウジくん?」

 攻輔が提出した書類の束を持って、校長が机を回り込んできた。

「ワコウジです」

「ああ、ワコウジと読むんだね。すまない、すまない。珍しい名前だね」

 校長は攻輔の向かい側に座り、テーブルに書類を置く。穏やかに微笑んでいた。六○代といったところだろうか。量は多いものの、髪には白いものが目立っていた。恰幅がよく、温厚そうな雰囲気がある。しかし、攻輔は急に緊張してきた。何となくだが、微笑んでいる割りに相手の目が笑っていないように感じられる。

「結婚式の予習か。面白いことを考えるねえ。自分で考えたのかい?」

 唐突に話が始まった。「あ、はい」と反射的に返事をし、それから気持ちを引き締め直す。折角のチャンスだ。無駄にはしたくない。

「アンケートもよく集めたものだ。これも一人で?」

「途中から後輩にも手伝ってもらいましたけど、まとめたのは全部自分で」

「そう。大したものだねえ。一○○枚くらいあるよね」

「一一一枚です」

「そうか。ゾロ目とは縁起が良いじゃないか」

「どうも」

 相手が笑ったので、攻輔も愛想笑いを返した。

「それで、創部に関してだけどね」

 スッと校長の顔から笑みが消える。

「もう一度、君の口から説明してもらえるかな。どうしてこんな部を作ってみようと考えたのか」

 真剣な眼差しに、喉が干上がった。攻輔は一度目の前の書類に目を落とし、呼吸を整えた。用意してきた台詞は頭の中にある。ただ、口を開くきっかけを考えていた。

「……愛が」

 ポツリ。一言零れ出る。たちまち言葉が流れ出した。

「愛が足りないと思ったんです。最近、世の中に愛が足りてないんじゃないかって。もっと愛が溢れる世界になればいいなって。それで――」

 話している途中で気づく。これは、まずい。このままだと「あの話」をしなければならないかもしれない。ほとんど初対面の校長に、そこまで話すつもりはなかった。攻輔は口を開けたまま止まった。校長がじっとこちらを見ている。柔らかな微笑みが復活していた。攻輔は仕切り直すように「ふう」と息を吐く。隣で小鳥遊がハラハラしていた。祈るように手を合わせている。

「それで、春休みに従兄の結婚式があったんですけど……」

 話は繋がっていなかったが、強引に藤家に話した理由にもっていった。更にアンケートを取ってみたときの感想も話す。校長は時々相槌を打つくらいで、静かに聞いてくれた。

「……と、以上、です」

 話したいことを話しきり、どう締めれば良いのかわからなかったので、そんなふうに言ってみた。チラッと小鳥遊の方を見る。一拍遅れて小鳥遊がパチパチと拍手をした。

「小鳥遊先生」

 校長がやんわり彼女を止める。縮こまってしまった彼女を見ていると、校長が「なるほど」と頷いた。

「なかなか面白かったよ。これだけのものを作って、私に読んで欲しいと言ってくるものだから、どんな生徒なのか興味があったんだ。うん、面白かった」

 そう言ってソファチェアに身を沈める。瞬間、攻輔は嫌な予感に囚われた。相手に期待を持たせる言い方の後には、「しかし」という否定の言葉がついてくる。そんなことを考えたのだ。

「…………」

 攻輔は黙って校長の次の言葉を待った。否定の言葉に対して身構えたといった方が正しいかもしれない。

「私はね、数年前まで経営の世界に身を置いていたんだよ」

 ところが、校長の台詞はまったく別のものだった。攻輔はいきなり始まった昔話に相手の真意が読めず、眉根を寄せる。

「こんなことを言うと先生方に失礼だけどね、教員免許は念のため取っておいたというのが本音だ。大学を卒業してから三年間、臨時採用で教職についていたのも、仲間たちと立ち上げようと計画していた事業の起業目処が立つまでの間、自分の生活費を稼ぐためだった。元々自分で会社を興したくてね」

 校長は懐かしそうに語っていく。本人は運が良かったからと言ったが、最初の会社が上手く成長していき、そこから派生するように幾つかの会社を立ち上げることもできた。ただ、自分には経営を維持するセンスがないと自覚していたらしい。それらを軌道に乗せたところで別の会社に売り抜いてきたそうだ。

「お陰で六○を前にして、余生を優雅に暮らせるだけの蓄えを持つことができたよ。あとは悠々自適、とも思ったんだが、性分かね、何かしていないと落ち着かなくてね。知り合いに誘われてここの理事会に入った。それで五年ほどかな、ここの様子を見させてもらって、一つ、私なりの考えを持つに至ったのだよ」

「はい……」

 まだ校長が何を言いたいのかわからないが、とりあえず相槌を打つ。

「もっと実学を重視すべきではないか、とね。現在の教育の現場は、あまりに仕事と直結してなさ過ぎる。このまま社会に出たところで、とても通用するとは思えない生徒ばかりが、ああ、失礼、君たちを非難しているわけではないのだよ。そういう教育しか行えていないのが現状だと感じたのだ」

「そう、ですか」

「うん。それでね、私から理事会に働きかけてここの校長職につかせてもらったんだ。生徒にもっと仕事と直結した教育を施したくてね」

 校長はテーブルの上にあった書類の束を取り上げた。攻輔を真正面から見て告げる。

「そこで、これだ。若王子くん、君は気づいていないかもしれないが、これは、あまり出来は良くないが、仕事を始めるためのスタート地点のようなものなんだよ」

「?」

 攻輔の困惑を読み取ったのだろう。校長は書類の束を再びテーブルに置き、一枚一枚捲りながら説明した。

「まず、何かやってみたいことがある。周囲にアンテナを張り、面白そうなこと、人の役に立ちそうなことを敏感に察知する。自分が強く欲していることでも良いね。何か一つ見つけ出す。君が従兄さんの結婚式に出て、結婚式の練習が必要だと感じたのがこれに当たる」

「あ、はい」

「それからマーケティングだ。自分の考えが本当に世間に受け入れられそうか、調べてみる。君がアンケートを取ったこと、これがそうだね。そして集められたデータをまとめ、分析する。あまり言いたくはないが、この『調査結果』は今ひとつだったね。データをグラフにしてもっと見やすくして欲しかったし、まとめ方も客観性が足りない。どうしても、やってみたいという思いが前面に出すぎていた」

「……すみません」

 確かに思い当たる節がある。攻輔は脇の下に嫌な汗を感じた。

「そして、私のところに持ってきた。これは会社だと企画書を上司に提出するようなものだね。君は小鳥遊先生を間に挟んだものの、この場合はいきなり社長に企画を持ち込んだといったところかな」

「や、やっぱり狙うなら一番偉い人が良いと思って」

 つい口にしてしまうと、校長は本当に愉快そうに笑った。

「そうかね。実際の社会ではなかなか通用しないことだが、君の意気込みは買おう。さて、本題はここからだ」

 書類を元に戻し、校長は改めて攻輔に向き合った。

「さっきも少し言ったけれど、この企画書は出来が悪い。この程度では生徒会活動でもダメを出されるだろう。ただ、君をこのまま帰すのも私個人としては惜しいと考えているんだ」

「はあ……、どういうことですか?」

 すっかり混乱してしまい、攻輔は率直に疑問を口にした。校長がニヤリとする。

「これもさっき言ったね。私は余生を優雅に送れるだけの蓄えをすでに得ていると。若王子くん、こういうのはどうだろう。君の『ブライダル・クラブ』という部活動を生徒会ではなく私との直接の契約として承認しよう。君はクラブ活動によって発生した諸経費を、全て私に請求しなさい。

 結婚式と披露宴を行うのが主な活動内容なのだから、そうだな、一件につき上限一○○万円まで費用を私が負担しよう。その代わり、きちんとした会計報告書と活動の報告を義務づける。それが正しく履行されない限り、私は一円たりとも君に支払わない。当然、会計監査もさせてもらう。余計な金を使っていると判断したら、その分は決して払わない。例え、君が何十万、何百万という負債を背負おうともね」

 厳しい眼差し。厳然たる態度。隣では小鳥遊が竦みあがっている。校長は腕時計をチラリと見やり、「さて」と呟いた。

「若王子くん。それだけのリスクを負ってでも、『ブライダル・クラブ』をやってみたいと思うかね」

「はい! ありがとうございます!!」

 間髪いれず、攻輔は答えた。立ち上がって深々と頭を下げる。校長が「ほう」と呟く声が聞こえた。顔を上げると、腕時計を見ながら「計るまでもなかったか」と笑っている。

「契約成立だ。少し待っていなさい」

 そう言って立ち上がり、校長は机について何かを書きだした。それから大きな印鑑をドン、ドンとつき、紙を手にこちらに戻ってくる。

「これを持っていなさい。契約書だ。同時に部活動の許可証でもある。大いにやりたまえ」

 その紙を手にするとき、さすがに少し指が震えた。ここまで上手くいって良いのかと信じられない思いもあったのだろう。

「ありがとうございます。やっぱり、校長先生はすごい人だ」

 感極まって妙なことを口走ってしまった。校長は口の端を上げ、「そうでもないよ」と皮肉げな笑みを見せる。

「これから君が、私から幾ら引き出すことができるのか。とても楽しみにしているからね」

 その言葉を最後に受け取り、攻輔と小鳥遊は校長室を辞した。

「失礼しましたっ」

 ドアを閉じる。

「いよっしゃああああああ!」

 瞬間、攻輔は喜びを爆発させた。廊下で小躍りする。小鳥遊はほーっと胸を撫で下ろし、「何とかなりましたー」と呟いた。

「だけど若王子くん、本当に良かったんですか? とても大変な約束をしてしまいましたけど。校長先生、きっと本気ですよ」

 言った後でまた思い出したのだろう。プルプルと震え出す。攻輔は「何、言ってるんですかっ」と契約書を掲げて叫んだ。

「確かにリスクはでかいけど、俺は今、すごくワクワクしてますよ! やっとスタート地点に立てたんですからっ。最高の気分です!」

「そ、そうですか。それなら良いんですけど……」

 まだ小鳥遊は心配そうにしている。そこに藤家の声がかけられた。

「どうやら、首尾よくいったみたいだな。信じられないけど」

「やりましたね、先輩っ」

 藤家の後ろに竹井の姿もある。ちいさい後輩の頭を景気良くグリグリ撫でながら、「おうよ」と答えた。藤家が契約書を手に取り、それに目を通す。

「オージ、これ、本当か?」

 目を剥く友人に、攻輔はグッと親指を突き出してみせた。

「やってやろうぜ。これであの冷血魔女、獅王葉絢悧の鼻を明かしてやるんだよ。ギャフンと言わせてやる」

「私に何を言わせるって?」

「だから、ギャフンって……うえっ?」

 背後を振り返る。職員室から出てきた絢悧の姿があった。

「あ、どうも、生徒会長……」

「……ま、せいぜいヘマをやらかさないことね」

 鼻で笑い、絢悧は去っていった。

「おのれ、獅王葉あああ」

 ギリギリと歯を食い縛る攻輔を、藤家が「どうどう」と宥めた。

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