第42話 許せない?

「まさか陛下にまで背いたつもりは」


 呆然と吐かれた反論に、ロウリィは「ベルナーレさん」と先を制した。表面状は穏やに聞こえるその口調に、隠しきれない腹立ちが混ざっているのが扉越しでもわかる。

「あなたはあまりにも安易に物事を見すぎです。しっかりしてください。イレイナさんが動いたのもあなたが原因でしょう。考えればわかったはずです。なんでも望み通りになるのなら、誰も苦労はしません。あなた方はそうしなかったから、今こうなっている。現実を見てください。そうだから絶対にあなた方に領主の役は返せない。あの聖堂だけではない。この土地の負担となり、エンピティロを衰退させたのは、間違いなくあなた方自身です」

 いいですか、と言い含めるような響きは続いていく。

「確かに、チュエイル家が抱える負債は何もここ最近表面化したものじゃない。生まれるよりもずっと前から続く重荷を押しつけられるなんてたまったものじゃないでしょう。ですがそんなもの多かれ少なかれ、どこの家だって抱えています。どうせ抱えなければならないんです。なら、それをどう捉えて向きあうかは、今、抱えている僕たちの問題です」

 言い切ったロウリィの言葉の重さは、私の身の内にも確かな質量を持って落ちてきた。それは、ロウリィの曽祖父がはじめたことを、今日までのケルシュタイード家の面々が放り出さずに背負ってきたことを知ったからかもしれない。

 これから先も、そう簡単には手放せないことを——少なくともこの国が存在し続ける間は、ケルシュタイード家の技術を凌ぐ誰かが現れるまでは、求められれば役割を果たさねばならないことを、この家の一員になった者として思い馳せずにはいられないからかもしれない。

「それなのにあなた方は、あなたの家がつくった負債を、長い間エンピティロの人たちに肩代わりさせてきた。領主は領地と領民を守り繁栄させる立場であり続けるべきだったのに、いつの頃からか領地と領民から搾取することで家の立場と地位を保っていた。本末転倒にも程があります」

「……そうまで言うなら、なぜ罪に問わない。何がしたいんだ」

 先に彼らに保証した内容と、繰り返される苦言の内容がそぐわないからか、ベルナーレが苦虫でも噛み潰したかのように問う。「ベル」と、震えたままの声で、それでも慌てて間に入ったのはイレイナだった。

「命は助けるって、言ってる」

「だが、領地から一歩も出るなと言うなら、幽閉とどこが変わらない」

「ええ。その通りです。少なくともあなたまでは、領主が許可しない限り外に出ることを許せはしません」

 なおも声をあげたベルナーレの言葉を遮って、ロウリィは「ですが」と一息ついた。

「勝手に出て行かれて、勝手に死なれるのも困るんです。それではこの土地に残るのは、これまで募った損害ばかりだ。だから、あなた方には、これからエンピティロのために働いてもらいます。あなた方が罪をあがなうべきは、僕らでも、陛下でもない。長年エンピティロで暮らしている人たちであるべきだと思うので。過去に彼らから搾取した分、今とこれからの彼らにあなた方が提供できうる限りのものを時間をかけて返してください」

 あたりに響く静けさが、耳にこだまする。隣を横目で伺いみれば、バノは戸惑いもあらわに顔を強張らせていた。そっと目を逸らして、私も対面の壁に目を向ける。

 そうして、ロウリィが話したのは領内を経由する道の再整備だった。領内を整え、人の活気を呼び戻すのに協力してほしい、とロウリィは言った。

 元々エンピティロは、主要な産業こそ農業ではあるが、八十年程前まで複数の主要な都市への経由点となっていた領地だった。隣国に続く道にも、海に至る道にも、王都に続く道にも繋がっていたから、多くの商人が行き交い、そこそこ賑わっていたと聞く。

 通り道とはいえ、当然、領地には少なくない富がもたらされていた。チュエイル家があんなにも立派な聖堂を建立できたのは、信仰心もあるがそれを成し得る財力があったのが理由だ。

 宿の他にも、聖堂がいくらか宿房を提供していたはずだから、エンピティロに到着した時点で、その日を終えようと決めていた商人も多かったかもしれない。そうであるのなら、私が思う以上に、当時のエンピティロは人の集まる豊かな場所だったはずだ。

 ただ年月が経つにつれ建物は補修が必要になった。チュエイル家の屋敷も随分と古い様式だったから、そちらもあわせると経費が自然膨らんだことは想像に容易い。聖堂会に寄進する金額も含めると、莫大なものだっただろう。

 その内そりのあわなくなった聖職者たちを、チュエイル家の聖堂から追い出しても賄えたのは束の間で、そうだったからこそ最終的に領民に負担がいった上に、国に納めるべき税も横領することになった。

「領内に出入りするための通行税も、出店税も関税も、他領に比べるとあまりに高すぎました。それでいくらか補っていたんでしょうが、あげるだけで解決するものじゃないと気づいた時点で他で補填しようとせずに、やめていただきたかったですね。おかげで国内の平均に下げた今も、人の流れがいくらも戻ってきません。皆、変わらずこの領地を避けて迂回する道を選んでいる。この一年で、領地内の主要道の補修すべき箇所は確認できましたし、これから先、順次整備に取り掛かる予定ではありますが、それだけでは無理でしょう。だから、イレイナさん。あなたの力が必要です」

「待て。イレイナを巻き込むのはやめろ」

「イレイナさんがチュエイル家から離れると仰るのなら、それも致し方ありませんが」

 怒気を孕んだベルナーレの声に対して、ロウリィは淡々と「どうします?」と問いかける。ロウリィが口を向けた先は、ベルナーレではなく、イレイナ自身だったんだろう。「……私?」 と訝しそうな声が返った。

「そうです。今回の件であなたを見逃す最大の理由は、元々あなたのことを勘定に入れていたせいもあります。商家の出であるあなたから、他の皆さんに働きかけてください。商人同士の口コミの方が信憑性もあるし広まりやすい。こちらを通った方が数日浮く分、利益が増すのは事実ですし」

「……本当にここを通過するだけになると思うわよ。今のここじゃ、そう買い手がいると思えないもの」

「充分です。はじめはそれで。通ってくれさえすれば注文もかけやすくなりますし、ここに来る商人が徐々にでも戻れば、高すぎるここの物価もいくらか落ち着いていくでしょう」

 それからベルナーレさん、とロウリィは呼びかける。

「あなたにはチュエイル家が所有する聖堂の一般開放を求めます。これはご当主としていた賭けの条件の一つでもあります」

「聖堂を?」

「聖堂です。可能であれば、チュエイル家の屋敷の一部も宿泊先として提供してくれると益々いい。幸いなことに今この国は平和です。余暇を過ごすために皆、こぞって旅行に出かけている。観光はここ数十年で定着しはじめた娯楽です。名所のある場所は格別人気が高い。

 あの聖堂は歴史が古いし、外から見ただけでもガラス窓が豪奢なのがわかります。あれだけのものに匹敵する聖堂は、そうそうない。専門家が見れば今はもう廃れた技術もありそうです。

 それに、あれだけご当主が手放したがらないんです。他にも価値のあるものが施されていたり、保管してあるんじゃないんですか? もし聖堂の中に入ることができるのなら、足を伸ばしてでも見たい方は多いでしょう。あの規模にも関わらず聖堂会が関わっていない分、本来なら一般人が立ち入ることのできない場所も見ることができる。

 チュエイル家の屋敷も古風で趣があるし、何よりエンピティロの景観はそうあるものじゃない。都市部の人が憧れを抱くままの、田舎の美しい風景です。

 そういったものを全部ひっくるめてここの売りにしたいんです。この土地に目を向けてもらう足がかりとして、チュエイル家の聖堂を利用したいんです」

 もちろんあなた方から聖堂と屋敷を取りあげた上で行っても構わないんですが、とロウリィは釘を刺しながら、どこかやわらかに言った。

「ほら、印象が悪いじゃないですか。元領主の一族を財政破綻に追い込んだあげく、失脚させる要因になった聖堂だなんて。ケチがついたら困る。だから、あなた方自身の手で開いてほしいんです、聖堂を」

 それに旨味もあると思いますよ、とベルナーレの返事を待たずに、ロウリィは続けた。

「聖堂の観覧にはいくらか入場料をとって、さらに補修のための寄付も募ればいい。聖堂に来た記念になるような品を何か用意するのもいいかもしれません。そういうのはイレイナさんが得意でしょう?

 協力していただけるなら、領の予算からも毎年いくらか聖堂を管理するための補助金を付与します。あなたの代で、採算を取るのは難しいかもしれませんが、あの聖堂は年を経るごと価値があがる類のものです。そうであるなら、この先あなたの家も、エンピティロも助かる。

 やり方は最悪でしたが、あの聖堂とこの土地の風景を守ってきた功績自体は、紛れもなくチュエイル家にあると思っています。昔と変わらずあるからこそ今、選択肢としてこの提案ができます」

「そんなこと、うまくいくのか?」

 疑わしげな問いには、戸惑いが多分に含まれていた。ただ、真っ向から否定をしない分、ベルナーレ自身にも思うところがあったらしい。

「できると、……そう、考えているのか?」

「簡単なことではありません。だからこそ理想に近づくよう、最善を尽くすんです。それからベルナーレさんには、うちでも働いてもらいます。働きながら、この土地の皆さんと向き合っていただきます。きちんと働いていただいたら、見合った給料も出せますよ。せっかくなので働きながらもう少し資金の回し方を学んでください。うちには専門家がいますから、彼の下について働くといい。でないと、守りたいものは何も手元には残りませんよ。まぁ、個人的には何もしない親戚なんて切ればいいと思うんですけどね。さすがにそこまでは口出ししません」

 最後の方は呆れたようにロウリィはぼやいた。

「あと……正直、チュエイル家時代の資料の管理が杜撰すぎて、どこに何があるのか、資料を探すのに一番手間取っているんですよね……。恐らく、チュエイル家の屋敷にあるものもいくらかあるんじゃないですかね。僕を含めて、皆さん困っているので、ベルナーレさんにはその辺も責任持って整理してもらいますからね」

 以上があなた方をエンピティロに留めおく上でのこちらからの条件です、とロウリィは言った。

「断る権利はあります。ご当主との賭けの期限は、あと一週間ありますし、その期日を猶予とします。二人で答えを出して、ご当主を説得してください。できなければ、ベルナーレさん——あなたが責任を持って当主になってください。この条件を断る場合は、こちらもこれ以上責任は持ちません。残り一週間のうちに、こちらに手を出してきた場合も断ったとみなし、同様の措置を取ります」

 いいですね、とロウリィは念を押す。

 沈黙の後、やがて長い溜息が吐かれた。

「それは選択の余地があると言えるのか」

 響いたベルナーレの声には苦味が含まれていた。尋ねるまでもなく、ベルナーレ自身さすがに答えはわかっているはずだった。その上で、『選ばない』という道を彼らは選ぶこともできるけれど。

 ロウリィは、何も言わなかった。

 静まり返った扉の内からは、嘘のように誰の声も聞こえなくなる。

 あとはもうベルナーレたちが、チュエイル家として答えを出すしかない。

 ふぅ、と一息ついて、私はもたれていた壁から背を離した。

「平気?」

 私は、一緒に話を聞いていたバノに問いかける。

 問いかけに応じてこちらを向いたバノは、何かをこらえているように見えた。もしもバノがもっと感情を顕にすることが得意だったのなら、泣いたり、憤ったり、そういった想いを吐き出せたのかもしれない。

「よろしいんですか?」

 やっとのことでバノの喉から出た声は、掠れていた。

 それでもなお、私たちに向けられた気遣いに、胸が軋む思いがする。

「私たちは、いいの。ロウリィが言った通りだと思う。チュエイル家が償いをすべきは、誰でもない、エンピティロで生きてきたあなたたちであるべき」

「あんなにも毎日、被害を受けたのですよ?」

「はるかに長い年月、被害に晒されていたのは、あなたたちの方だわ」

 ロウリィが選んだのは、あえてチュエイル家を裁かないことで、これからのエンピティロの発展に彼ら自身を寄与させる道だ。

 恐らく彼自身が考えうる中で、関わったすべての人たちを守り抜く道。最も損害が少なく、まるく収める方法。チュエイル家をもすくいあげる方法だ。

 だけど、だからこそ、ロウリィが選んだ方法が、エンピティロの人たちの心に添うかはわからない。

 私がここに来てから出会った人たちは、みんな明るく優しい人たちで。

 この土地の、あんなにも穏やかな気質の人たちが、領主の不正を訴えるために声をあげるなんて相当なことだったはずだ。

 ロウリィだって、そのことは誰より理解している。

「許せない? 不正を訴えた領民の一人としては」

「わかりま、せん……」

 暗がりの中、複雑な顔をしたバノは、答えを噛み締めるように吐き出した。

「……チュエイル家が領主の座を下ろされて、新しくやって来た方たちに正しく管理されて二年程経ちます。私たちの声が上に届くことを知ることもできました」

 来られた方の内お二人はここに長くいられませんでしたが、とバノは苦く口の端をあげる。

「訴えたのは、罰して欲しいと願ったからでもありません。普通に、平穏に、飢えることなく暮らしたかったからです。正直、普通に暮らしていけさえするなら、誰が領主であろうと私たちには変わらないんです。ただ同時に、こんなに苦労してきたのに、領主の地位を剥奪される以外、目に見えるような咎めは何もないのかと思ってしまったのも事実です」

「ええ」

 ですが、とバノは清濁を飲み込み、回顧するように言う。

「花呼びの日に、あんなに……どれも真新しい布でできた花輪が準備してあるのを見たのは生まれて初めてでした」

「そう、なの?」

「はい。それまでは着潰した衣服の古布で作られていたので。毎年、回収をしていましたし。色は植物で染め直していたので、確かに鮮やかではありましたが。前の領主の時はまだできなかった。ここまで目に見えて変わったのは、今の領主様——ロウリエ様になってからです」

 ですから、とバノは惑うように言葉を切った。

「……わかりません。チュエイル家のことはすっきり許せるものではありませんが、ロウリエ様が私たちの土地のことを考え、寄り添ってくださったのは、この一年ずっと近くで見てきましたから。ロウリエ様がそう仰るのなら、そうなのだと信じたい。理想の未来がこの土地に来るよう、私自身も協力したいと、結局はそう考えてしまうと思います」

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