第43話 ロウリィのそういうところは嫌いよ

「おかえりなさい」


 寝室の扉が開いた気配を感じて声をかけたら、寝着姿のロウリィがぎょっとした顔になった。そっと開けたつもりだったらしい。そんなに驚かなくたっていいのにと笑ってしまう。

「起きていたんです? 明かりがついているから、もしかしてとは思いましたが」

「待っていたら悪い? まだそう遅い時間じゃないじゃない」

 寝台に腰掛けたまま、私は首を傾げる。

 手を伸ばせば、眉根を下げたロウリィが、手を結び返してくれた。「そりゃあ、悪くはないですけど」とどこか呆れた風に言って、ロウリィが隣に腰掛ける。

「疲れているでしょう?」

「ロウリィも、ね。みんなにも早く仕事を切り上げてもらったの。せっかく心待ちにしていた花呼びの日を台無しにしてしまったし、その分、家族と楽しめているといいのだけれど。でも、住み込みのみんなには改めてちゃんと仕切り直すから気にしないでください、って言われてしまったわ」

「そうですか」

「ええ」

 繋いでもらった手を振って、私はロウリィの顔を覗き込む。

「ね、花輪は?」

 持ってこなかったの、と聞けば、ロウリィは目を丸くした。

「あれ、冗談じゃなかったんです?」

「冗談なわけないじゃない。似合っていたのに」

「カザリアさんのは……どこかになくなってしまいましたね」

「そうね。残念だけど、また来年ね」

 視線を落とした先で、足をぷらりと揺らす。

「だけど、来年はきっともっと楽しいわね」

「きっともっと華やかですよ」

「ええ、きっとね」

 約束するように、繋いだ手をぎゅっと握る。それが本当にどちらからだったかわからなかったから、お互い顔を見合わせてしまった。

 ロウリィの手が伸びてきて、こめかみの辺りをさすられる。辿るごと眉尻を下げるロウリィに、私は目を瞬かせた。

「何?」

「……頭痛はないですか? ここに来る前にスタンとケフィのところに寄って来たんです。スタンは問題ないそうですが、ケフィの方は少し痛むと言っていました」

「それ、大丈夫なの?」

「薬を出したので明日には引くと思うんですが……恐らく吸い込んだ量が多かったのかと。今夜は他の方にも様子を気にするよう言っています」

「そう……大丈夫かしら」

「カザリアさんは?」

「私は……そうね、平気そう。特に気になるところもないし」

 言いながらもう一度自分の身体の調子を確かめてみて「うん、大丈夫」と頷く。

「ロウリィは、大丈夫?」

 意図はちゃんと伝わったんだろう。ロウリィは「おかげさまで」とささめいた。言いながら、ロウリィの指先が私の髪をすいていくのを、不思議な気持ちで見送った。

「あとはもう動いていくしかないですしね」

 あの二人からの答えはまだですが、とロウリィは苦笑する。

「よほどのことがない限り、さすがに受け入れてくれると思うんですが。嫌われているので正直最後まで気が抜けませんね」

「受けてくれたら、みんなにもチュエイル家への措置を公表するのよね?」

「区切りがついたらそのつもりで話を進めています。納得してもらえるかはわかりませんが」

「そうね。反発は少なからず起こると思う」

「はい、覚悟しています」

「でも、理解してくれる人も、ちゃんといると思うわ」

 一緒に話を聞いていたバノが複雑な思いを抱えながらも、考えてくれたように。

 先にこの案を聞いてロウリィの下で働いてきた役人のみんなが、それでも離れず手を貸し続けてくれていたように。

 きっとロウリィに関わってくれた人たちほど、一度は、立ち止まって話を聞いてくれるだろう。はじめから無碍にするのではなく、考えてくれるだろう。そうして最終的に彼に対して出す答えは、一人一人違うかもしれないけど。

「報いるためにも、結果で返していくしかありません。選択したことが間違いではなかったと思ってもらえるよう、少しずつでも確実に前に進むしかありません」

「援護は任せて」

 つんと顎をそびやかしていえば、噴き出したロウリィは、ふはは、となんだか奇妙な笑い声をたてた。

「頼もしいですね。カザリアさんがついているなら安心です。やりますよ、絶対に。やると宣言した以上は。ここにいる間に、道筋をたてます」

 ええ、と相槌を返す。

 ロウリィが話していたことが具体的にどう動いていくのか、正直なところ私には、まだぼんやりとしか見えない。

 ただ、間違いなく日を追うごとに、年を追うごとに、目に見える姿形が増えていくんじゃないかと、そのことだけははっきりと想像できた。

「もしエンピティロに人が戻ってきたら、ここの野菜の虜になる人も多そうね。花呼びのお祭りも他では聞いたことがないから、その日を目指してくる人もいるかもしれない」

「そうですね。せっかくなので、皆さんには儲けを多く出してほしいんですが、おまけの数がすごそうですね」

 まだ見ぬ姿を想像して、その愉快さに顔を見合わせあって笑う。

「でも、そうね。課題はたくさんあるけど、とりあえずもう一週間後には、毒やら刺客やらの心配をしなくてよくなるっていうのも、いいわねぇ」

 のんびりと呟けば「まぁ、それが普通なんですけどねぇ」とほやほやと至極まともな答えが隣から返った。

「あのね、ロウリィ。さっき外で聞いてから考えていたのだけど」

「うん?」

「領内の道を整備をするための準備ができたと言っていたでしょう?」

「はい。もうすぐ実際に取りかかる予定です。隣接する領とも話がついていますよ。それがどうかしましたか?」

「だから、もしかしてあの賭けって、おとりだったのかしらって。物事を整える間、チュエイル家の気をそらしていたの?」

「え、まさか。そこまで殊勝じゃないですよ」

 こちらは真剣に聞いたのに「そんなこと考えていたんですか」とロウリィはほとほと感心したように私を見つめ返した。

「……違うの?」

「違いますよ、さすがに。巻き込んでしまったカザリアさんには申し訳ないけど。ですが、結果的にそうなってましたかね?」

「なってた……と思うわよ? 多分」

「それは、得をしましたねぇ」

 ぽやぽやとのたまったロウリィを前に、チュエイル家の意識がこちらに集中したのは本当に意図したものではなかったのだと知る。拍子抜けした私は「よかったわよ」と半ば投げやりに溜息をついた。

 そうですねぇ、とロウリィは言葉を探すように、視線を天井にあげる。遊ぶようにくるりくるりと、ロウリィは私の髪先を指に巻いた。

「賭けはあくまで他の方への被害を避けるのと、説得の手段のつもりでした。おかげで僕に対する仕込みがますます多くなったので、いろんな毒がいろんな方法で試せるなんてお得だなぁとは思っていましたけど……って痛い」

 向き合うロウリィに頭突きすれば、「何してるんです」と同じように痛んだ私の額をなでられた。

 近くにある薄蒼の双眸が、部屋の中の灯りを映して、やわらかにひらめく。

 その瞬きに流されないように、私は一度きゅっと口を引き結んだ。

「怒らないで、カザリアさん」

「どうして怒るか、わかっているくせに」

「うん、そうですね。わかります」

「なんで嬉しそうなのよ」

「わからない?」

「……私、ロウリィのそういうところは嫌いよ」

「いいですよ、別に。嫌いでも」

「ぐうううう」

 そう切り替えされたら、その言葉をさらに重ねることはできなかった。

 悔しくて睨む私を、ロウリィは楽しそうな顔をして引き寄せる。

 繋いだ手はそのままに、もう片方の手で、ぽむぽむと宥めるように背を叩かれた。

 どうせこの先も聞いてはもらえないだろうから。抵抗するのを諦めて、私はロウリィの肩に顎をのせる。

「お得にできたのは、僕の下で働いてくれていた皆さんのおかげです。僕が来るよりも前からエンピティロの役人として残ることを選んで、領主が不在の間を繋いでくれていた人たちな分、人一倍この土地をよくしたいっていう気持ちが強いんですよね。僕なんかよりずっと優秀で責任感に満ちているので、計画よりもずっと早く調査も手続きも終わってしまいました。全部チュエイルさんの問題に片をつけてから取り掛かる予定だったんですが」

「すごいわね」

「すごいですよね。本当にすごい人たちですよ。おかげで一年早く進んだんですから」

「会うのはロウリィを探しに来る時くらいだったから知らなかったわ」

「いやぁ、皆さん仕事ができすぎて、ちょくちょく僕は手があいてしまって」

「それってどうなのよ」

「ね?」

 自慢するように言われて、私は呆れたように「ねっ、て」と言い返す。

「他には何かありますか、聞きたいこと」

「うううん」

 考えているふりをしながら、私はロウリィから身体を離す。遠のく間際、ロウリィの指先から、私の髪がこぼれ落ちた。それを見逃さず、さっきから私の髪を辿るように探るようになぞっていた指先を捕まえる。

 指を絡めて握りこむと、ロウリィが居心地悪そうにたじろいだ。

「見つからないわよ、探したって。諦めなさい」

 正面から覗き込んで、私は不敵にほくそ笑む。

「……ばれてる」

 ばれないと思ったの、と問えば、ロウリィは答えの代わりに肩を落とした。

「ロウリィくらいじゃ、どこかわからないように、ここに来る前に整えてもらったもの。せっかくだから毛先も少し短くしてもらったの。それすら気づいていないでしょ」

「うっ」

「ね。ほら無理よ。諦めて。いいから」

「……素直に負けを認めます」

「よろしい」

 項垂れるロウリィに笑って、私は繋いだ両手を揺する。

「寝ましょう、そろそろ。今日はさすがに疲れたものね?」

 言って、寝台の脇机に置いていたランプの灯りを一つ消す。他の灯りも消そうと立ち上がろうとしたら、ロウリィに「僕がします」と押し止められた。

 ロウリィが寝台から離れると同時に、繋いだ手が離れてしまう。そんな当たり前のことを心細く思った。

 ロウリィが部屋をまわるたび灯りが消えて、暗がりが、ひたひたとにじり寄ってくる。私は膝を抱き寄せて、暖炉の熾火がつくりだす部屋を巡る影を見つめた。

「え、何してるんです? そんな膝抱えてちゃ眠れないじゃないですか」

 戻ってきたロウリィが、呆れたように言う。ほけらと見上げた先でロウリィは溜息をついた。

「はい。早く入ちゃってください」

「え、……ええ」

 座っていた場所を追い出されるように毛布を端からめくられて、私は慌てて移動した。のそのそと寝台に上がってきたロウリィに、あけてもらった場所に潜り込む。

 向かい合わせに寝転がると、もうほんわり中は温かかった。首まで毛布にうずまって、ロウリィの方を見る。

「カザリアさん?」

「なぁに?」

 なんだか私の方にばかり毛布が多い気がして、返事をしながらロウリィの上の毛布をかけなおして整える。

「わからなかったけど」

 ロウリィは不服そうに、枕元に零れた私の髪を軽くつついた。

「大切なんです」

「え? ええ」

「大切なんですよ、ものすごく」

「うん、そうね」

「…………あれ、これ伝わってます? ちゃんと」

 恐る恐る聞いてくるロウリィの眼差しには、不審さが交じる。

「……知ってるもの、そんなこと。ありがとう、大切に思ってくれて」

 認めるたびに、恥ずかしさが実感として込みあげてくる。逃げ場のないこの場所で、枕に顔をうずめてしまおうかと思ったけど、やめた。うずめてしまわないよう、代わりに枕の端を握り込む。途端、枕の中に入れているカモミールの香り玉のあまさが濃く鼻先をくすぐった。

「あの、ロウリィ、わたし」

「うん、知ってます」

「……い、言わせなさいよ、最後まで」

「だから、もう一度」

「もう一度?」

 うん、とロウリィは顎をひく。

「髪飾りを受け取ってくださいね。今、僕が預かっているので」

「そんなの……くれなきゃ怒るわ。本当に、すごく、すっごく、勇気がいったんだから」

 詰ったつもりが、尻つぼむように声が消えた。

 ロウリィは、おかしそうに幸せそうに笑声をこぼしながら、仰向いた。

 それが妙に腹立たしくて、私もぽすりと仰向けになって、枕に頭を沈み込ませる。

 とろとろと燃える暖炉の火にあわせて、天井の影がうすく淡く揺れていく。

「ロウリィ?」

「うん?」

「あのね、私、ちゃんとエンピティロは、ロウリィが思い描いた通り、豊かになると思うわ。前よりずっと。私たちが生きている間だけでは届かなくっても、この土地のみんなは強くて優しくて元気だから、道筋さえ一度できてしまえばそう遠くない未来、きっとみんなみたいな場所になるわ」

「うん、ありがとう。僕もそう思います」

 叶えますから、と天井を見上げて言ったロウリィに「叶えましょうね」と重ねて新たに誓う。

「おやすみ、カザリアさん」

「ええ、おやすみなさい」

「はい」

 宣言すると、ロウリィはいつもからくりみたいにすとんと眠りに落ちる。それはもう羨ましいぐらいの早さで。

 手を伸ばして、ロウリィの髪をそっと指先ですく。私にしてくれたのがそうだったみたいに、心地よければいいな、と密かに思う。

「おつかれさまでした。よい夢を」

 すぅすぅと早くも聞こえてきた寝息に、今日も声を出さないよう笑いながら、私も目を閉じる。

 ぱちりと弾けた熾火に混ざって、静かな夜が降りてくる。

 まどろみかけて、思わず目を開いてしまった。

 どくどくと鼓動がうるさく音を立てて混乱する。

 慌てて隣を見ればロウリィは気持ちよさそうに寝ていて。

 安堵したのは一瞬だった。

 また目を閉じようとして、できなかった。

 這いあがってきたわけのわからなさに、私は両手で悲鳴を押さえこんだ。

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