第41話 今回は許可をとっているから
領主の執務室の扉の前で佇んでいたバノが、私の姿に気付いて軽く瞠目した。
その場から離れまではしないものの、足を止めずに一人で向かってくる私に、バノにしては珍しく慌てているようだった。
「大丈夫。今回は許可を取っているから」
手をあげて申告すれば、生真面目なバノは「いえ、そうではなく」となおのこと焦燥を帯びて眉を寄せる。
「平気なのですか?」
ここに来て、と言外に仄めかすだけで、詳細を口にすることすら避けてくれたバノの心遣いに「大丈夫よ」と返す。
随分とみんなに心配をかけてしまったのだと、声をかけられるたびに思い知らされる。
外ではすっかり夕日が色濃くなっていた。
窓のない廊下からその様子は見えないけれど、夕日さす室内にはイレイナとベルナーレがいるはずだった。
大丈夫だから、と重ねて頷けば、バノはもう何も言わなかった。
黙って扉の近くを譲ってくれたバノと並んで、私は壁に背をもたせかける。
そのうち聞こえはじめた会話に私は耳をすました。
はじめにお伝えしておきます、とロウリィは落ち着いた声で前置いた。
大窓のある領主の執務室。ロウリィは今、きっと応接席にベルナーレとイレイナの二人と向かいあって座っているはずだ。
「チュエイル家のご当主の身柄は、すでに拘束済みです」
聞こえてきた内容が予想外で隣のバノを見あげると、バノは肯定をするように頷いた。
「いつ?」
「奥様が誘拐されたのがわかってすぐです。領主様はチュエイル家の制圧と、領内の家屋等の管理状況の確認、領境の封鎖を同時に指示されました。伺っていなかったのですか?」
「馬車の中では、私が聞いた事情を伝えていたから」
「そうでしたか」
あとは『服の上から縛られていたおかげで痕になっていないし、寒い時期でよかったわね』とうっかり私が口を滑らせたものだから、『そういう問題じゃないです』とこんこんと諭されていた。私が捕まっていたあの建物は、それほど遠い場所でもなかったのだろう。一時間程そうしているうちに屋敷に着いたのだ。
扉の内側では、ロウリィがチュエイル家の当主と屋敷の今の状況について説明している。
あわせてバノが説明してくれたところによると、あの屋台の中でケフィとスタンの二人が倒れているのを見た瞬間、ロウリィは犯人がイレイナだと確信したらしい。
毛織物という手がかりがあったのはもちろんだけど、チュエイル家の当主の性格上、彼であればまわりくどいことはせず、もっと直接的に動くし、逆に息子のベルナーレは私に新年会の時の負い目がある分、私のことをわざわざ選んで狙わない、と。なら、残るのはイレイナしかいなかったらしい。
手紙には、引き渡し場所として花呼びの日の祭が開かれたあの市場と、明日の引き渡し時刻だけが指定されていた。
引き渡しの場所の近さから、私の身柄とイレイナの居場所は少なくとも数時間で移動できる範囲にあると踏んだらしい。
結果、イレイナが伝言用にと残した二人が意識を取り戻すよりもずっと早く、犯人の目星をつけて、私の救出に動くことになったとバノは言った。
「もともとエンピティロは空き家が多いのです。領主様がいらっしゃってから土地と家屋の管理状況をまとめていたのですが……そのリストをもとに役人のみなさんと屋敷のみんなとで手分けして、奥様がいそうなところを絞りました」
エンピティロの住人たちは、昔からよくも悪くも人と人の距離が近い分、誰がどこに住んで出入りしているか、管理しているか、噂を含めてよく聞き知っているという。誰も使っていない場所も、子どもが入り込んだりしないよう、壊れ具合を含めて世間話の延長として話にあがるらしい。
だからこそロウリィと、バノを含め昔からこの土地に住んでいるみんなは可能性のある場所を確実に絞り込むことができ、近い場所から順次探してくれたそうだ。
一方で、ルカウトも人を連れてチュエイル家を制圧し、当主を捕縛してきたという。その詳細を、ルカウトの方についていなかったバノは、よくは知らないようだった。ただ事前に指示を仰いだルカウトが、ロウリィから六個と十個と命じられたのは聞いたらしく、私も詳しく考えることはやめることにした。
結局、当主がイレイナの計画を把握していたことで、彼女が犯人であることも確定した。当主が吐いた場所が絞り込んだリストにもあがっていたから、でたらめではないと判断したロウリィたちは、先に空き家を確認してまわっていたバノたちと合流し、私を助けに来てくれたそうだ。
「ロウリィはチュエイル家の当主が私の居場所を知っていると気付いていたのかしら」
「可能性としては、あると仰っていました。ただ、それよりも領地から出られると守れなくなると」
「それって、どういう……」
意味なの、と聞きかけて、ハッとした。
口をつぐんだ私に、バノは不思議そうな顔をする。
「……なるほど」
それは謝りたくもなるかもしれない。私だけではなく、陛下に領主の罷免を求めたここのみんなに。
この一年、彼らと親しくしてきたロウリィなら、なおさらだろう。
暗がりが増した廊下の天井を仰いで、私はひそりと息を整える。
「イレイナさん、今回のあなたの事情については既に伺っています。ですが、あなたのしたことは許されるものではない。それは、どのような理由であっても、です」
諭し聞かせるようにロウリィは告げる。
「あなたがご当主とどのように話をつけたのかは知りません。ただ少なくとも、ご当主はこの土地を離れる気は微塵もないようでした。ここの者が向かった時、むしろ兵を整えようとさえしていた」
「そんなっ! 嘘よ。だって、おじさまは――」
「残念ながら事実です」
うそ、と震える声が辛うじて聞こえた。うわごとのように繰り返される声に重なって、あの場所で必死にチュエイル家の二人の心配をしていたイレイナの姿がどうしても思い起こされ、重苦しい気持ちになる。
「ベルナーレさんなら事実だと予想がつくでしょう。いえ、ご存知でしたか? あれはこちらに来ていた人たちも含め、あなたの家で雇いあげたものでしょう?」
問いかけに答える声はなく、扉の外からは名をあげられた当主の息子がどのような反応を示したのかは窺い知れない。
「ただ、こちらもご当主の身柄と……足りなければ聖堂を交換条件に持ち出すつもりで掌握しましたので、イレイナさんがしたことはそれで手打ちとします。今回の件に限っては罪には問いません」
部屋の中から漏れ聞こえてきた裁定に息をつめたバノが、私に顔を向けてくる。知っていたから、と微笑して、私は安心させるようバノの腕を軽く叩いた。
「二度と今回のような気を起こさないよう言っておきますが、そもそもあなた方を国に引き渡す予定も、改めて裁く予定も、僕にははじめからありませんでしたよ。あなた方が諦めていないだけで、領主の地位自体は一応すでに取りあげていますからね。陛下もこのことについては承知の上です。加えて、チュエイル家の問題が片付くまでは、エンピティロ内で起こったことは僕の裁量ですべて判断してよいと、あなた方の処遇を含め陛下より全権を委任していただいています。それを条件として僕はここに来ました」
反対に、とロウリィは強い口調で重ねる。
「エンピティロの外に一歩でも出た場合、あなた方の命の保証はしかねます。僕の裁量で保護可能な範囲を離れますので。陛下の命に背くことを選んだ時点で、あなた方のことは正直どうにでもできる。エンピティロで起こっている混乱について、他領にも通告はされています。逃げ出していたら捕らえられていたでしょう。あなたが妻を巻き込んでしたことはそういうことです。逃げなかったご当主はある意味賢明でした。ただ、どちらであっても次回はありませんよ」
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