第40話 ロウリィだって、ずっと強いって知っているわ

「奥様! 奥様!」


 屋敷の食堂に入ると顔を涙でぐしゃぐしゃにしたケフィがいた。

 まだ薬が残ってしまっているようで、立ち上がろうとしたケフィが椅子から崩れ落ちて膝をつく。

「ごめんね、ケフィ。巻き込んでしまって」

 駆け寄って抱き締めれば、ケフィは声をあげて泣き出した。もうずっと泣いていたらしい彼女の声はとてもかすれていて、いつもの明るく愛らしい顔はどこもかしこもあかく腫れて痛々しい。目が覚めてから、ずっと自分を責め続けていたらしいのは明らかで、心が痛んだ。

「怖い思いをさせてごめんなさい。心配をかけてしまったわね。大丈夫よ、もう。ちゃんと戻ってきたから。これ以上は、もう考えなくていいからね」

 ケフィにそう諭せば、彼女は首を横に振るった。いいから、と抱き締めたケフィの背をさすりながら見上げれば、私たちを取り囲んでいたみんなが安堵と心配をない交ぜにした複雑そうな表情で見守ってくれていた。

 食堂で全員待っていますから顔を出してあげてください、と言っていたロウリィの言葉は少しも誇張などなかったようで、見渡せば屋敷中のみんなと、役人たちが一堂に会している。

「手間をかけさせて申し訳なかったわ。まだ玄関にいるので、行ってください。あちらの手伝いを」

 領主のもとで働く役人たちに向かって言うと、それだけで通じたのだろう。皆、口々に無事の祝いと労いを告げて、足早に食堂を後にする。

「スタン」

 泣きじゃくるケフィを抱きしめたまま呼ぶと、ほど近い場所に立ち尽くしていたスタンが、すぐさま近くに来て、跪いた。

「お守りできず申し訳ありませんでした」

 噛み締めるように告げられた謝罪は、ひどく悔恨が滲んでいて、伏せられた彼の目の端はやはり赤かった。

 ルカウトに窘められたせいもあるけれど、スタンの真摯な気持ちを否定し、なかったことにすることはできなかったから、彼の言葉ごと頷いて受けとめる。

 それでも、と膝上できつく握り込まれた拳に手を伸ばした。

「ちゃんと生きて、ここにいるから。帰ってきたから。悔しさは次に活かせる」

 でしょう? と肯定を促せば、顔をあげたスタンはいつになく真剣な目をしてで、口を引き結んだ。

「二人とも無事でいて、よかったわ」

 手に触れる温もりを二つ抱いて、ここにあれる幸福を確かめる。

「——奥様、もっ……」

「無事でいてくださって、ありがとうございます」

 震えながら重なった声に、私は「ええ」と頷き返した。



「カザリアさん、ちょっと」

 ロウリィに手招きされたのは、「ひどい気分の時もお祝いの時も甘いものが一番」とコック長のジルが用意してくれたお茶とお菓子をみんなで食べていた時だった。

 そういえばあの時なぜジルがいたのか尋ねたら、どうしてもついていくと言い張って、みんなが包丁やらくわやらはさみを持ち出しはじめたものだから、皆の代表としてジルが一人、ルカウトに選ばれたらしい。絶対顔が一番迫力があるからですよ、とコックのリックが菓子をこんもりと盛った皿を手に教えてくれた。

 まだ、すんすんと鼻を鳴らしているケフィを他の侍女たちに任せて、食堂の入口に向かう。

「どうしたの」

 聞けば、入り口の影に隠れて待っていたロウリィは、どことなく疲れた顔をして顎を引いた。

 ロウリィは、イレイナとベルナーレを含め、あの場にいた全員の身柄を拘束して一度この屋敷の中にある牢にいれると言っていた。そう言って、私たちは彼らと共にここに帰ってきた。

「終わったの?」

「いえ」

 ロウリィは、首を振る。

 言い淀んだのはきっと彼には長く、私には束の間の時間だったんだろう。

 決心をしたように眼差しをあげたロウリィが「カザリアさん」と私を呼ぶ。

 その響きの確かさに、私は慌ててロウリィの口を両手で塞いだ。

「待って。いいわ。私のことは気にしなくて。そのことで謝ってくれなくて、いい。そんなことをしたら、一生恨むわよ」

 私が言い募る間も、強く見据えてくる薄蒼の双眸を、じっと睨み返す。

「私のせいで何かを変えてしまったり、変えられないことを後ろめたく思われるのは嬉しくない。だから、いい。そんなこと言わなくて」

 大丈夫だから、とロウリィの口許を解放して、代わりにそっと指先で彼の両頬に触れる。

「だって、ロウリィは今もちゃんと生きていてくれているんだから。あなた自身がここにいるのなら、何も曲げなくてすむんでしょう?」

 真意の見えづらい表情で、ロウリィは「そうです」と頷く。

 ほっとして「ほら」と言い返し、ぐいぐいとロウリィの両頬をさすってあげる。ほんのわずかでも気持ちが楽になればいいと思った。

 予定通り進められることを、素直に喜んでくれたらいい。

「いいの。ロウリィが選んだことなら」

「何をするか聞かずに言い切っていいんですか」

「何を考えているか、知っているわけではないけど。でも、気をつかって先にここに来た理由の一つくらいなら、さすがに察しがつくわよ」

 わからないと思ったの、と非難を込めて、ロウリィの頬を両手で挟む。

 その分だけ、ロウリィの眼差しが深くなった。 

「……カザリアさんは、強い」

「そうよ、だって、私は強いもの」

 ふふふん、と笑ってみせれば、ロウリィが目の端でかすかに苦笑した。 

「だけど、ロウリィだって、ずっと強いって知っているわ」

「……買いかぶりですよ」

「買いかぶられるほうなら、いいでしょ」

 相槌を求めて、首を傾げる。

 私を見据え返したロウリィは、やおら私の手の甲に自身の手を添え、頬から外した。両手を繋ぐように、手を握り直される。

「すみません」

「それ以上言ったら、怒る」

 わざと語気を強めて言う。

「昨日と変わらず、ここにいるでしょう。誰一人欠けていない。ロウリィがちゃんと迎えにきたからよ」

 うん、とロウリィは力なく首肯する。

「だけど、無事じゃないかもしれなかった。自分ではじめたことの意味も無茶も理解してはいたんです」

「ええ」

「カザリアさんが毒を食べてしまった時も、今回も、本当に血の気が引いた」

「ええ」

「残されたカザリアさんの髪と髪飾りを見た瞬間、倒れていた二人を見つけた瞬間、イレイナさんは動かないと過信していた自分を呪いました。怒りで目の前が真っ黒になった」

「ええ」

「本当はもう危険にさらす可能性を残したくない」

「ええ」

「カザリアさんも、みんなも巻き込んで。まだうまくいくか、わからないのに。なら、これは、僕のわがままでしかない」

「ええ。いいのよ、それでも」

 繰り返された吐露に、囁きを返す。

 ロウリィの中にわだかまる苦悩を取り除いてあげることは、きっと私にはできなくて。

 彼がこれからすることに対して抱える後ろめたさは、恐らく私だけに向けられたものではない。

 できることは、せめて肯定を返してあげることだけだったから。

 掌の中にある彼の手をあたためたくて強く握る。

「あのね。私はあなたがいるからここに来たけれど、あなたははじめからエンピティロのためにここに来たんでしょう。ずっと一番に、誰よりもエンピティロのことを考えてきたのはロウリィなんだから」

 自信を持ちなさい、と叱咤する。

「あなたの決断を尊重する。私はちゃんとロウリィの味方でいる」

 繰り返し、繰り返し、届けと願う。

 いくら応援はできても、寄り添っていたくても、チュエイル家と、この土地と、誰よりも先頭で向きあわないといけないのは、領主であるロウリィ自身でしかないから。

「頑張って。胸を張って。気を咎めたりしないで。あなたのまま、決めたことを曲げないで」

 両手を握りしめたまま、祈りを込めてロウリィの頬に口付ける。

「あなたなら、全部うまくいく」

 断言して覗き込めば、ロウリィはほんのわずか驚いた顔をしていた。

 繋いだ両手を引かれ、腰を引き寄せられて、抱きしめられる。

 ありがとう、と耳に届いた苦しげな響きが切なかった。

 左肩に乗せられた額の重みに寄り添う。首元をくすぐる茶の髪に、頬擦りする。抱き込まれてしまったら、どこにも隙間がなくて。まわし損ねて行き場を失った手で、ロウリィの服を握りしめる。

 ね、ロウリィ、と彼の頭に頬を寄せたまま、私は呼びかけた。

「私も一つだけ、いいかしら」

「どうぞ。なんでも」

「なんでもなんて言ったら、とんでもないこと言うわよ」

「とんでもないことなんです?」

「今回はとんでもなくはないけど」

 そのうち言うかもしれないわ、と続けて呟けば、ロウリィが笑って、わずか顔をあげた。

 ロウリィが少しだけいつもの雰囲気を取り戻していて、途端、安らいだ気持ちになる。

 絶対に邪魔はしないと誓うから、と、ずっと近くにあるロウリィを見つめて、許しを乞う。


「外で聞いていてもいい?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る