鬼灯と一つ目

「うそっ!」

 声をあげたとたん、ナナシの『視界』に艶やかな夜市場が映り込む。

 橙色に光る神社の境内。赤い鳥居の向こう側には参道が続き、その参道の頭上には、光り輝く鬼灯が鈴なりに吊るされている。

 

 ぼぉう。ぼぉう。

 

 鬼灯が明滅する。

 菱形の形をした鬼灯たちは、橙の光を放って、提灯のように輝いているのだ。

 その鬼灯の下で、こんこんと鳴く白狐たちが、赤い屋台を行ったり来たりしている。

 

 こんこん。こんこん。

 

 鬼灯灯篭はいかがかね? こんこん。 


 伏見さまの神子米で作った、餅を食べないかい? こんこん。


 ポン菓子も美味しいよ! こんこん。

 

 掛け声の轟く狐たちの屋台には、どっさりと珍品が並んでいた。

 茫茫と光る鬼灯。油揚げに包まれたお餅。星屑みたいなポン菓子に、カリカリに炙られた油揚げの串焼き。

 屋台に立つ狐たちの尻尾は二つだったり、三つだったり。狐たちはそんな尻尾をゆらして、参道を行き交う客たちを誘う。

 屋台を覗き込む客も、これまた珍妙だった。

 二足歩行の猫又やら、どっしりとした体を持つぬり壁。ちょこんと角が生えた愛らしい鬼の少年に、その後を追いかけるかまいたち。鳥獣戯画にいそうな二足歩行の兎やら、蛙なんからもあちらこちらにいる。

 そこでふと、ナナシは奇妙なことに気がついた。

 私は、これまで一度も眼でモノをみたことがない。それなのに、どうして眼の前にあるものを理解することが出来るのかしら。

「おぉ、不憫だと思ってなぁ。私の視る記憶を少しばかりアンタさんに分けてやったわけだよぉ。そんな驚くな。人外は大概みんなやってることだぁ」

 乱暴な声がする。

 ナナシは驚いて、声のした斜め左へと顔を向けた。ぎょっとナナシは眼を見開いて、両手で口を覆ってしまう。

 そこには、女が立っていた。巨大な一つ目を美しい造りの顔に嵌め込んだ、いかにも人間離れした女だった。

 艶やかな絣の着物を着崩した女の体は、包帯で覆われている。その包帯の隙間から、ぎょろぎょろとこちらを覗くものがあった。

 眼だ。

 幾つもの、おびただしい数の眼が、包帯の隙間からナナシを見つめている。橙の光を帯びて、宝石みたく光り輝いている。

 百目女だ。

 その女が、なんの気まぐれかナナシに眼をくれたらしい。

「こんこん。お嬢さん。大丈夫かい?」

「こんこん。痛くない。痛くない?」

「こんこん。百目は女の癖に乱暴なやつだからな」

 ナナシの背後からゾロゾロと白狐たちが姿を表す。彼らは、ひょんと後ろ足で立ち上がり、心配そうにナナシの顔を覗き込んできた。

「大丈夫に決まってんだろぉ!! なぁ、ガキィ。調子はどうだぁ!!」

「調子……」

「眼だぁよ、眼! ちゃんと見えてるんだろ?」

 一つ目を指差し、百目女はにぃっと口元に笑みを浮かべてみせる。

「見える……?」

「そぅ、ちゃんと見えてっか?」

 心配そうに巨大な一つ眼が瞬いた。秋の楓を想わせる赤い眼は、心配そうにナナシを見つめている。

 その眼の中に、眼を真ん丸くして驚く、少女の姿があった。

 ボサボサの長い黒髪に包まれた顔は薄汚れている。だが、その顔に嵌ったふた粒の眼は、愛らしい光を放っていた。

 あぁ、あれは私だ。私の姿が、百目女の眼に映っている。

 じぃんと、ナナシの涙腺が熱を帯びた。ほろほろとナナシの眼から大粒の涙が零れていく。ナナシはその涙を止めたくて、眼を擦っていた。

 それでも、涙は後から後から出てくるのだ。

「百目がお嬢さんを泣かせた。こんこん!」

「この、意地悪女が。こんこんこん!!」

「謝れ、謝れ!! こんこん!!」

「えっ……。眼、いらなかった……?」

 百目女の言葉に、ナナシは首を振ってみせる。涙で濡れた眼を百目女に向け、ナナシは笑っていた。

「ちゃんと、見える……。ちゃんと、見えてるよ……」

「そぉか! 見えるかぁ!! 良かった! 良かった!!」

 膝をバンバンと叩き、百目が笑う。彼女は軽やかな足取りでナナシに駆け寄り、ぽんっと頭に手を乗せてきた。

「良かった、良かった!! こりゃぁあ、市場に来た甲斐があった!!」

 笑う百目を、ナナシは驚いた眼で見上げてみせた。

「うぅん!? なんか変か、ガキ!?」

「その……眼のお代は……? 私、お金持ってない……」

「あぁ、いぃいぃ。んあこたぁ、気にすんなぁ! この百目様のために、感謝の祈りを絶えず捧げてくれりゃぁ、それで良い。零落したとはいえ、これでも一応は八百万の端くれだからなぁ!! にんげんたちの祈りが一番の報酬なんだよぉ」

 百目女は豪快な笑いで応えてみせる。ナナシはぽかんと口を開け、彼女を見つめることしかできなかった。

「なぁに、こんな神様いちゃ駄目かぁ!?」

 にぃっと百目が口の端を持ち上げる。ナナシは、とっさに頭を振っていた。百目の一つ目が、夕陽のように眩しく煌く。彼女はナナシの頭をバンバンと乱暴に叩いてみせた。

 さすがに痛かったが、ナナシは我慢してみせる。かわりに、百目に笑顔を送ってみせた。

「おぉ、そんなに嬉しいかぁ!」

 百目が嬉しそうに声をあげる。その声が、ナナシには妙に心地よく聞こえた。

 なぜだろうか。

 こんな奇妙な人に会うのは初めてなのに、懐かしさを覚えてしまうのは。

「いぁあ、にんげんのガキにゃぁ何度か会ったがぁ、こんなに可愛いやつぁ、久しぶりだ! 昔会ったぁ、腹の中のガキ以来だなぁ……。にしてもぉ、どぉしたお前? 何でこんなところにいる? それに――」

「やや、百目! 百目ではないか!?」

 百目の言葉を、声が遮る。しゃがれた、男の声だ。百目が鋭く一つ目を細める。

「ぉお、久しぶりだなぁ! 一目連さま!!」

 どことなく剣呑な百目の声に不信感を覚え、ナナシは百目が見つめる方向へと顔を向けていた。


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