第五章 六畳半と証明

​​───目にすれば解ることは、目に見えて信じにくい。


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 夜の町。

冬の到来を感じさせる、張り詰めた空気が世界を満たす。

空は曇り、明かりの道標になるのは遠目に見える家々の団欒の証拠だけだ。

 そんな夜の中を、一際目立つ光が照らし、移動していく。

二つの光線は前方に人が居ないことを確認し、四輪駆動の機械を存在させていた。

車だ。

常用自動車と呼ばれるそれは、田んぼが多く、街灯が少ない為に、時間帯によっては滅多に人の通らない農道を走っていく。

 運転者の懶惰芽らんだめは、今年買ったばかりの愛用車の中で鼻歌を歌いながら、助手席にいる生徒に答えた。

「いいんですよぉ。この時期は暗いですし、生徒の安全を守るのもせんせーのツトメですからー」


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 懶惰芽の車の中、助手席にいた皐月は内心ほっとしていた。

「助かっているし、実際申し訳ないとも思っているんですよ」

「そんなー、せんせーとして当然の振る舞いですよぅー」

「本当に、今日は驚かされることばかりです」

「そうですねー、色んなこと聞かされてしょーじき頭がパンクしそうですー」

「まさか懶惰芽先生に自動車運転の才能があったなんて」

車がエンストした。というか地味にMT車に乗っていることに尚更驚いているが、当の本人は、

「あ、あのですねぇー! みんな何故かせんせーのことを出来ない子扱いしますけど、ちゃんとせんせーになる為の資格とか色々は持ってるんですよー? せんせーはせんせーになるべくしてせんせーになったんですから!」

「アハハハハ。なら冬季休暇中に生徒に自分の債務を片付けられたりしませんよね?」

無言でエンジンを掛けて走らせ出した。こういう子供っぽいところが逆に生徒人気としての特徴なのだが、と苦笑しながら思う。

「ごめんなさい、言い過ぎました。そう怒らないでください」

「むぅ……だったら、せんせーの疑問に答えてほしいですよぅ」

頬を膨らませながら、懶惰芽は言う。

「えぇ、構いませんが……疑問とは?」

「職員室でしてた話です。時間が遅くなったので中途半端に終わったじゃないですかー。まだ説明してほしいこと、山ほどあったのに」

あぁ、なるほど。

「僕の知ってる範囲になりますが」

「そんなこと言ってぇ、さつき君は物知りですからねー。ほら、校長がしっそー事件とかのことを『伝説』だなんじゃーって言ってたじゃないですか」

「えぇ」

「それって、神様のこととどう関係があるんです?」


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 運転している懶惰芽は、助手席でクスリと笑う気配を感じた。

「科学が発達し数々の現象に名前が付けられるまで、古い人間というのはおのが理解し難い事象の数々を『奇跡』や『祟り』と言い換え、目に見えぬ存在に原因を押し付け無理やり納得させていたんですよ、懶惰芽先生」

まるで出来の悪い生徒に分かりやすく話すように、伍峰いつみねは語りかける。

「そうですね……近年では世界でも有数のアニメ映画のタイトルとしても使われた言葉がありましたよね?」

「あぁ、ありのまm」

「そう、『神隠し』です」

ボケを潰されましたぁ。いや分かってましたよ? ただほら走行中だから少し集中力切れてたというか。ところでなんで四方しほう田んぼな十字路に信号があるんでしょうね?

「今でこそ誘拐だとか他国の拉致被害だとか、家出だとか夜逃げだとか、そんな理由付けがなされる程には落ち着いているけれど、古来よりそんな素振りすら見せなかった人間が忽然こつぜんと消えることは多々あった。それは飢餓きがによって食べ物を求め外へ救いを見出みいだしたりした者が殆どでしょうが、それだけで納得出来ない時もあるもので。なんせ、赤ん坊すらも行方不明になる場合があったのですから」

一息。

「『神隠し』の伝承は名こそ違うものの全国に偏在しています。そしてその多くは神域しんいきと呼ばれる場所の近くで言伝ことづてられてきた。ここ、『井武須いむす町』も例外でないことは想像に難くないでしょう?」

「はあ、でも……」

言っていいのか迷いながらも、

「おぼーさんが広めたってことは、つまりあれですよね。……神様に祈るんじゃなくて、仏様になる為の場所として作ったんですよね? 事実、山で会ったっていう神様? のことは他の人には隠してるんですし」

「……今日は本当に驚かされることばかりですね」

「えぇ、せんせーもちょっとびっくりしてます。で、なんで神様というのない村で、神隠しなんていう出来事が信じられたんです?」

すると伍峰は、ここから先は確定ではなく僕の持論ですよ? と前置きして、

「神と仏……それらが違うものとして区別され、信仰宗派が分かれているという現状……これは江戸時代後期に神仏分離しんぶつぶつりの政策から始まり、明治時代の廃仏毀釈はいぶつきしゃく運動によって完全に分けさせられたことが原因です。つまりそれ以前は、神と仏は同一視されていたんです」

「それはつまり……神様も、仏様と一緒な存在だから、集団失踪も神様がやったこととして受け入れられた……ってことですか?」

「そういうことです。そしてその『神隠し』は井武須町……旧称・井武須村では20年に1度の頻度で、子供を対象に起こっていた。その人数はバラバラながらも、必ず2、3人は生還し、そして口を揃えて神の存在を肯定した」

「……ほんとーにさつき君は頭が良いですよねー」

「いえいえ。僕もこの地域の住民ですから、一応は」

そう言って伍峰は少し微笑んでから、言い放つ。

「それに。僕は"当事者"ではなくとも"同年代"なんですよ?」

‪再び車がエンストした。


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「……え?」

懶惰芽からまた間抜けな声が出たことを、皐月は確認する。

「本当に何も知らないんですね、懶惰芽先生……」

 ……彼女が今年からこの高校に配属になり、またそれまでは都会で暮らしていたということ、そしてこの町の情報統制の厳密さを考えれば、この思考と知識の乖離は致し方ないとも言えるけど、ね。

そう結論をつけつつ、エンジンが掛かる音をBGMに、語りを続けてみる。

「そう、不定期ながらもあまり期間を空けずに繰り返されてきた井武須の神によるとされる『集団失踪』……、最後にそうであると認められたのは7年前の『比良坂小学校児童集団失踪事件』。対象とされた人数は当時3年4組であった36名の児童。そして捜索が打ち切られる半年後までに身柄を保護され生還したのはわずか4名。勿論、事件ごと世間に知らされることはなく闇に葬られたけれど、その子らは未だこの町で健在……であるそうです」

実はこの部分が今日の本題だった。時間が無かった為、校長には確認が出来ず終いだったが、もしも質問出来ていたら彼はどう答えたのだろうか。

「……古くから、『集団失踪』から生還した子供らは大人達によって手厚く保護されるケースが多い。何故ならもう一つの言い伝えが、この井武須町には根付いているから」

「あの、それってもしかして……」

懶惰芽は律儀にクラッチを踏んだ状態で止まり、皐月の答えを待つ。

ここはやはり、期待に応えなくてはならない。

皐月は数呼吸の後に真っ直ぐに見つめ、

「『井武須町の神は、何かの代償と引き換えに​​───』」

今、在る推測を、まだ見ぬ誰かに届けるように紡いだ。

「『───何でも一つ願いを叶えてくれる』」


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 遠い誰かが呼んでいる。

 それが誰かは分からない。

 分からないまま、私は声に体を向ける。

 勿論、そこには誰もいない。

 何も見えない。

 わかっていた。

 ここは暗闇。

 一抹の寂しさを抱かせながら、安穏に包まれる空間。

 この感覚も、もう何度目なのか。

 また。

 また、最初からだ。

 

 目を開ければ、再び始まる。

 背けたい現実がかたどられてしまう。

 投げ出したくなったこともあった。

 実際そうしてしまえばいいとさえ思う。

 でも、開けなくてはならない。

 闘わなくてはならない。

 覚悟はしてもしたりないけれど。

 前に進まない限り、未来は決して近づいてこない。

 過去に引きずられるだけだ。

 でも。

 だからこそ。

 だからこそ私は。

 過去を引きずったまま、未来を手にしたいと思う。


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 少女は目を覚ます。

まず最初に見たものは。見覚えのない天井だった。

木目の模様がこちらを睨んでいる。

……ここは……。

起き上がる。寝起き特有の倦怠感はあるものの、

 彼女はまず、最優先で腰元を確認する。

左手はしっかりと日本刀と納める鞘を握っていた。

それだけで、彼女は8割方安堵を覚える。そしてそれから初めて、身の周りを調べ始めた。

制服がボロボロなのはもう諦めるしかない。そのために何着も買ったんだから。

 しかし、確認と同時に視界に映るそれは紛れもなく掛け布団だ。

……誰の部屋? 倒れているうちに見つかって運び込まれたのかな。

そうした心配が無いように、あえて人気のない林の中へ誘い込んでいたのだが。

病院に連れ込まれず、布団を敷かれた上に寝かされていたのだから、何かの事情を察してくれたと考えるのが早い。なんと空気の読める人だ。

 ともあれこれからどうするか、と思案している横から、

「ついに起きやがったなこの美少女があっ!!!」

突然の怒声に驚きつつ、そちらを見る。見た。

……あっ。


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 紘一こういちは、あかい瞳にピンク髪の女の子が刀を持って怯えているという奇妙な光景には屈しなかった。

 ここは紘一の住むアパートで、部屋だ。

六畳半で少し狭いが苦学生には丁度いい、と思う。むしろ台所付き風呂付きで電気ガス水道がしっかり通ってておまけに日当たりもいいので一人暮らしの高校生には贅沢過ぎる物件だ。そんなことはどうでもいい。いやよくない。どっちだ。

 そんな苦学生の目の前で、現在部屋のど真ん中を占有している少女にジリジリと詰め寄る。

「貴様に聞くことは世界中の木を切り倒して書き連ねても足りないくらいとは言わないが山ほどあぁぁぁる! 全ての質問に答える義務があるし答えるまでここは通さん。黙秘権はないと思え」

「あの、貴方は」

「だァァァれが口を開けと言いましたかァ〜!?」

「いや、あの、だから」

「んんぅ~!?」

「……はい。すみません」

分かればよろしい。

変なテンションに見えるだろうが、武器を所持している相手だ。こちらが威圧的な態度をとっておけばとりあえずは警戒してくれるだろう。しておいてくれ。

「まずお前はどこの誰だ。いくつだ。その刀は何だ。さっき寝ているお前から取ろうとしたら意地でも離れなかったぞ。それと何で吹っ飛んできた。言い訳せずに答えろ」

 少女は暫く考え込んでいたが、何かを諦めたかのように淡々と答え始めた。

「……名前は仟螺せんらせん。人偏のほうの『せん』に、螺旋の『』と『せん』が苗字と名前で離れてる。井武須町出身。17歳」

続け様に、抱えていた日本刀らしきものを掲げ、

これは私をに結びつける証明。自分の意思以外では手元から離れない。吹っ飛ばされたのは……負けたから」

そこで、旋と名乗った少女は表情を暗くして右手を鞘ごと握りしめる。

「負けたってのは何だ? 真剣試合でもしてたのか。……いや、この質問は後でいい。まずはこれを聞かせろ」

紘一は、彼女を部屋に入れてから見た光景を思い出しながら、言った。

「何でお前は、


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 紘一は思い出す。

先刻、自分は正体不明のあかい何かから逃げおおせる為に、この仟螺・旋というらしい少女を抱きかかえて暗い夜道の坂を上り、下り、誰かに見られはしないかとおっかなびっくり但し急ぎで走っていた。

そうしてようやく入居2日目の我が家に辿り着き、さあとりあえず布団に寝かすかと、不整頓にも敷いたままにしてあった其処に設置した。

 その後、目の前にある状況を最も信頼している相手に相談しようと、ケータイを開き、今日入ったばかりの連絡先にメッセージを飛ばすことにした。

自分も何が何だかという状態だったので、起こっている事実だけを正確に、しかし簡潔にまとめる。

三條さんじょう。さっき暗い夜道で気を失ってる可愛い女の子を拾って家に持って帰ってきたんだが、この後どうすればいいと思う?』

『首吊れ』

送って5秒でこの返事は流石だが、やはりあちらも状況を直ぐには呑み込めないようだ。

ともあれ三條には天井が足りんとだけ説明して、スマホを閉じる。そしてそこでだ。

……ん?

 そこで紘一は、妙な違和感を得た。

それは手に感じる感触だった。

さっきまで、抱きかかえる為に初めてこの少女に触れていた訳だが、その手には恐らく彼女から流れ出したのであろう血がべったりとくっついた。

それは生温ぬるく、つい今し方出来た傷から出血したのだろうという考えに至ったのはもちろん数秒走ってからなのだが、家に着いた現在、その温度は感じていなかった。

どころか、少女から手を放し、乾いた血の色で染まっているはずの掌は、夜の寒さでかじかみ少し乾燥していた部分がはっきりと分かる程、至って変わらない普通の肌色だった。

……まさか!

そう視界が捉えた瞬間、全身に走る怖気をそのままに、紘一は少女の姿を今一度確認しに走り、今に至る。

 紘一の視線の先、警戒を少し強めた仟螺・旋がいる。

薄桃色の長髪を上半分だけ後ろに結んだ、いわゆるハーフアップと言うらしい髪型。

自分のことを計りかねているのか、戸惑いの表情を見せるあかい瞳。

端正な顔をしている、と思う。だが、あの夜道で出会った時と決定的に違う部分がある。

 それは、

「―――血だ。お前の血だよ」

ボロボロになった、よく見れば沙鞍馬高校の学生服と分かるその衣服に多分に付着していた血の奥。

暗がりでよくは見えなかったが、明らかに大きな穴が、彼女の腹に出来ていた。

しかし、

「その腹、もっとよく見せてくれないか?」

「…………」

彼女は無言で、シャツの裾であったものを少し捲った。

真っ白な肌だった。きずあと一つない、まるでけがれも知らないような珠の肌。

「おかしいよな? あの傷は誰がどう見たって致命傷だ。それなのに何故……否、それだけじゃない」

紘一は思わず近づく。拒絶されるかもと思ったが、意外にもこの仟螺という少女は動かなかった。

「口から流れ出ていた血も、明らかに骨折が原因だった右足の脛も……何事も無かったかのようにほとんど消えている! ……なぁ、おい。お前は一体、一体なんだ……!?」


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 静まり返った六畳半の一室。

 言い終わってから、己がヒートアップして、語気が荒くなっていたことに紘一は気付く。

奇怪な現象を相次いで見ているのだから混乱するのは必然ではあるが、それでも牽制のための演技ではなくこの少女にキツく当たってしまったのは事実だ。

「いや、すまん。言い過ぎた」

「……ううん。隠し通し切れなかった、私の責任だから」

仟螺は淡々と呟くように言う。フォローのつもりだったのだろうか。

「簡単に説明するとね、」

言いながら、彼女は立ち上がる。

そして、鞘から刀を抜いた。

……おいおいおいおい!?

 然しもの紘一もこれには焦った。

「お、俺を口封じにする気か!?」

へっぴり腰で言うもんだから傍から見れば完全にヘタレだろう。

しかし仟螺はまったく動じない。表情一つ動いていない。

「黙って聞いて」

……ロボットみたいな奴だ。

と、そんな状況に似つかわしくない感想を抱いている内に、彼女は眉一つ動かさないまま、前に突き出した左腕の上に刀の刃を乗せた。

……いや、待て。待て待て待て待て待て。

紘一の頭の中に瞬時に二つの「どうして」が生まれる。

それは、突然大仰なリストカットを始めようとしている目の前の頭がおかしい少女のことと、

……何で、!?

紘一の思考が固まった瞬間。

「​​​​───ッッ!!」

仟螺・旋の左腕は鮮血とともに宙を舞った。


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 真っ赤に染まっていく部屋。

自然の摂理に従い重力に落ちた左腕。

そして、今まさに命を絶った薄桃色の髪の少女。

彼女の右腕は刀を放してはいなかった。

 常人であるならば、目撃者は胃からくる吐瀉物を我慢出来ずにぶち撒け、目前の惨劇を脳裏に焼き付けながらも直ぐ様その場から立ち去りたくなるだろう。

 だが、紘一は違った。

『この少女はどういう訳か速攻で傷が治る』という大前提を事前に確認していたこの男は、顔や服に掛かった彼女の鮮血も諸共せず、ただ、これから起こり得る『奇跡』を見るためにその場を動けなかった。

 幾秒が経ったのか。

部屋の中で、異変が起き始めた。

 壁や床や天井、そこらじゅうに飛び散らされたあか色が、少女の遺体を中心ににじり寄ってくる。

紘一にへばりついた血さえもが、当人に何も感じさせないまま紘一から離れていくのだ。

その血流に飲まれるように、斬られた左腕もに戻ってくる。

その光景はまさに魑魅魍魎ちみもうりょうの類だが、果たして紘一は、それに激しい感動すら覚えてしまっていた。

美しいと、思ってしまったのだ。

 変化が起き始めて10秒も経たない内に、部屋は元通りとなり、

彼女はいつも通りとでも言うように刀を鞘に仕舞い、紅い瞳で紘一を見据える。

そして、斬り落とした左腕を動かし、存在しない結合部分を見せて、未だ動けないでいる家主に、こう言った。

「​​───私は、死ねない肉体だから」


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