第二章 転校先と指導者達

――気張ったって疲れるだけです。らくーに生きましょお~。


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部屋がある。

暖房のついた部屋だ。

そこには、幾人かの人間が、それぞれの机で、作業を行っている。

職員室だ。

私立・沙鞍馬さくらま高校の校舎内二階、階段を左に曲がってすぐのところに、その職員室はあった。

前面にある黒板には、

『12月25日 冬季休暇 ~1月7日迄』

と書かれている。

それぞれが、それぞれの仕事を黙々と片づけていく中、環境音以外で音を生む場があった。

衝立ついたてで仕切られ、その中で長机と数個のパイプ椅子で出来た空間だ。

紘一は、その通路側に座っていた。

対面には眼鏡を掛けた年配の男性が座っており、彼は机の上に置かれた資料を片づけ、

「――では、本校への編入手続きと編入に当たっての説明は以上となります。またご不明な点や質問があれば今の内にどうぞ」


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低い声で問われた紘一は、自分用の資料を鞄に仕舞いながら、

「登校日は三学期開始の1月8日……で、大丈夫なんですね? 教頭先生」

と聞いた。教頭と呼ばれた男は、眼鏡の位置を調節しながら、

「そうです。三学期開始当日は始業式とHR、大掃除のみですから。新学期当日から、貴方には来てもらうことになります」

「それは問題ないです、けど……」

「何か?」

「えーっと……、これ説明するのって、教頭先生ではなくて、俺……自分の担任になる先生と聞いたのですが」

それを聞くと、数秒の間を挟み、教頭は深く息をついた後、眼鏡をとり、目頭めがしらを揉み始めた。

「あれっ。もしかして聞いてはいけない事を聞きましたか?」

「いえ市ヶ谷くん、君は今とても正常な質問をしました。大丈夫です」

「本当ですか? だったらその反応は一体……。唐突に顔色悪くなりましたし、それに汗ダラッダラですけど」

すると教頭は突然立ち上がり、両の手を前に出して、

「いえ大丈夫です! 我が校に問題はありません。あなたの担任には多々の異常あれど学校自体は正常に動きますから」

「いやその反応というかハッキリ言いましたね担任に異常アリって!」

「いいえ違います異常など……。申し訳ありません、慌て過ぎて言葉を間違えてしまいました、えぇ」

「あっ、そ、そうなんですか。まあ、そうですよね。異常持った人が教師だなんて」

「えぇ。――彼女はで正常なので」

「意味同じだ――!!」

思わず叫んでしまった。周囲の職員方から注目を集めてしまうか、と思ったが、衝立の向こう側の諸先生方はみな、黙々と作業を続けていた。

……その程度では動じないくらいに仕事が多いのかな。それにしても少し不気味だ。

大人になればその感覚も解消されるのだろうか、などと思い座り直すと、教頭が、

「まあ、彼女に関しては追々おいおい分かることでしょう。……というか、先ほど貴方が言った通り、本来はこの編入手続きは彼女が担当する手筈となっていましたゆえ、今日には理解が出来なくなっている予定だったんですがねぇ」

「言葉の節々が不穏で気になりますが、それにしても教頭先生の説明はスムーズで頭に入りやすかったですよ」

「お褒め頂き光栄です。まあ、こうなることも予測済みでしたから」

ははは、と教頭は笑っているが、連絡も無しに予定踏み倒して学校に来ない高校教師ってどうなんだ一体。

紘一は気になったため、声を潜め、教頭に聞くことにした。

「あの、ここだけの話……自分の担任ってどんな人なんですか? 話だけ聞くととても学校教師とは思えないんですが」

教頭は顔を近づけ、

「まあ、人柄は良くて、生徒には人気があるんですがねぇ」

と、小声で応えてくれた。割とノリのいい人だ。

「短大の成績も優秀で……あぁ、彼女は短大卒なんですがね? どうも、怠け者気質なそうで。私も後になって確認したのですが、学校の出席日数がギリギリだったんですよ」

それに、

「教師になって1年目なのですが、色々な理由を付けて休みがちでして。自分の担当している科目のある日以外は基本的に来ませんねぇ。下手に怠けゲージが高い日はその担当科目の日すら平気で遅刻して来ますからね。ぶっちゃけ前代未聞ですよ」

「……聞けば聞くほど、何で教師続けられてるんですかその人。あと、クビにしないで置いてんですか学校」

「転入前からズカズカ来ますねぇ……! さっきの通り、人柄が受けて生徒にも人気ですし、あと、ホラ……、ここら辺って田舎じゃないですか」

教頭は更に声を潜めた。合わせる。

「あぁー。まあ、そうですね」

「うちの教師陣、平均年齢が高くてですねぇ。そのこともあってか、性格に難アリでも、ここに華を置いておくべきなのではと、校長が融通を利かせている、という噂が――」

「おっはようございまぁ~すぅ!!」

突然の間の抜けた叫声きょうせいに驚き机に膝をぶつけた二人は、しばらく衝立に隠れ悶絶していた。


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「皆さん、今日もいい朝でしたねぇ~。あまりにも素敵な朝日だったので先生、カーテン閉めて窓から覗く光にさよならーっからの二度寝敢行したらもう一日終わりそうですが元気ですよぉ~!」

静粛だった職員室に破天荒な声がこだまする。

青のベレー帽を被り、女子用の学生服に和を足したような恰好をした、一見少女にしか見えない姿は、一斉に頭を抱えた職員たち介さず、悪意のない笑顔でスキップをしながら入ってくる。

「あれあれ? どうしたんですか皆さん。お疲れみたいですよぉー? 今日もお仕事頑張ってたんですねぇ~、すごいことだと思います! 先生は頑張っても集中力が3秒持ちませんからねぇ~。……あ、ダメです疲れました今の無駄スキップで」

体力なさすぎだろ、というその場全員の突っ込みを代表するかのように、職員室のドアから一番近い席に座っていた外国人の英語教師が、鈍い汗をかきながらその女性に話しかけた。

「あのですね、懶惰芽らんだめ先生……。彼らは、貴女が今までサボってやってこなかった作業を皆で分担して終わらせようとしてくれてるのですよ」

「えっ!? そうなんですか、あーもんど先生?」

「私の名前はです。いつになったら覚えるんですか……」

「あ、そうなんですねぇ。へぇ~」

まるで初めて聞いたかのような反応にレイモンドは膝から崩れ落ちそうになったが、本題を切りださなくてはならない。いや、本題は遅刻の方だろうか。そもそも仕事をサボっている事自体を叱るべきではないだろうか。こちらが負担を背負い後始末をしている状況に対し何の悪びれも無く能天気をかます大和撫子とは……。

「れ、レイモンド先生!? スパイラル! スパイラル入ってますよ!」

隣にいた女性の数学教師によって現実に引き戻されたレイモンドは、落ち着きを取り戻す。

……いけないいけない。なにがあろうと私だけは冷静沈着であれ、と決めたではないか。

祖国に居る愛妻と家族たちを想いながら、立ち直る。

「えぇ、それでですね懶惰芽先生、貴女のことを教頭先生が待っていますよ。そこの衝立のところです。貴女が迎えるべき教え子さんも一緒です」

「はぁ~そうだったんですね! そういえばそんなことをつい一週間前に言われたような気がします。じゃあ、ちょっと行ってきますねぇ~! ―― ありがとうございます、れいぞうこ先生!」

「人殺しがここにいるぞ!!」

ついにその場全員の突っ込みが入るとともに、レイモンドは膝から崩れ落ちた。


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紘一は衝立の向こうから鼻歌混じりにてこてこやってくる人型大量殺戮兵器キリングマシーンを見ながら、

「教頭、何ですかあの無差別通り魔は。まさかが俺の担任なんですか。というか本当に高校教師なんですか! 幼稚園の先生と間違えてませんか……!?」

「気になったことは何でも聞いてくるスタイルは感心ですが私から応えられることはありませんねぇ。おっと、しゃがんで視界から外したところであちらからやって来ているので無駄です。現実を見ましょう、えぇ」

「とかいいながら教頭もわざわざ息吹きかけて眼鏡曇らせてるじゃないですか! ぼやかしたってもう悪魔の輪郭りんかくくっきり見えますよ!」

「悪魔って何のことですかぁ~?」

「いえ何でもないですゥゥゥゥゥ!!」

勢いでごまかす。しかし驚きすぎてまるでヒーローのポーズのようになってしまった。視界の端に自分とまったく同じポーズをしている教頭が映ったが無視しよう。

少女のようなその悪魔はしばらく頭にハテナを浮かべ首をかしげていたが、結論がつかなかったのか、紘一に向けて、ゆるやかなお辞儀をする。

「初めまして~。先生は、懶惰芽らんだめくくりって言います。担当科目はたぶん家庭科でー、たぶん2年壱組の担任でー、貴方の先生になりますねぇー、たぶん」

だいたい多分で済まされた自己紹介だったが、近くで聞くと妙に甘ったるい声だった。

この人を構成する全てが腑抜けなのではないかと錯覚する程だ。

「あ、えぇっと……市ヶ谷・紘一です。これから、よろしくお願いします」

戸惑いながら挨拶を返す。懶惰芽先生は、帽子の下、肩までの長さの髪を揺らしながら、

「えへへー、こーいちくんも、困ったことがあったら先生に頼るといいですよー。先生は頼られ上手ですからねぇ~」

「いや、無いと思います」

「そ、そんなキッパリ!」

懶惰芽先生はうぅ~、と涙目になる。そんな彼女を見ると、小動物のようだと思うし、何だか罪悪感も芽生えてしまう。

それだけではなく、衝立の向こうから謎の圧迫感が来ている。

『このままの状態で帰られると、おそらく向こう一カ月は顔を出さない→俺達の仕事が増える……!!』といった思念が送られてきている気分になってきた。怖い。

あと教頭のポーズが騎乗覆面から銀河警部に変わっているが何を伝えたいんだ。

「こ、今度! また学校来るときに色々教えてほしいなあ、なんて」

「ほんとですかぁ……?」

「えぇ、そうです。俺、懶惰芽先生に頼りたいなあ――!」

最後だけがどうしても棒読みになってしまったが、どうやら感づかれてはいないようで、

「わっかりましたぁ~! 先生、頼られ上手ですから、こーいちくんのこともしっかり面倒見ますよぉー!」

えっへん、と無い胸を張っていた。何だか無性に頭を撫でたくなったが、年上の女性にそんなことをするのは失礼だろう、と我慢した。まあ、本当に年上なのかも疑わしくはあるのだが。

衝立の向こうからの強迫観念は安堵に代わり、教頭も銀河警部のポーズを解除した。だからそれは意味あったのか一体。

気を取り直し、それで、と紘一は続ける。

「担任の先生に聞きたかったことがあるんですけど、俺が入ることになる2年壱組って、どんな雰囲気なんですか?」

もはやこの高校教師(?)を見るだけで察せられるが、形式的に聞いておこうと思った。

懶惰芽先生は、迷うことなく、笑顔で答えた。

「良い子が多くて、最高のクラスですよぉ~!」


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日暮れ空を映す窓の横を、紘一は荷物両手に歩く。

階段を降り、玄関へと向かう廊下だ。

本当は学校の中の配置を確認しておきたかったのだが、如何せん時間が無かった。

……ま、それは来年でも遅くはないだろ。

ふ、と息をついていると、突然、右側から音が鳴った。

それは横開きのドアが開いた音だった。

「うおっ」

思わず飛びのいてしまう、音の先を見ると、そこには紙束を手に持った男子高校生の姿があった。

……おお。

少しキョトンとしたその男子高校生は、とても整った顔をしており、男である自分ですら綺麗だと思ってしまう程であった。

「あの……失礼ですが、ここに御用のあった方でしょうか?」

その彼が、紘一に向かって話しかける。自分が誰か、というのを量りかねている様子だった。

その穏やかな声に謎の安心感を得ながら、

「い、いえ。編入手続きを行いに来て、今はその帰りです」

「あぁ……つまり君が例の?」

彼は、A4の紙束を左手に持ち替えながら、右手を顎に置き、興味深そうな笑みで紘一を見つめた。

「……もしかして、噂になってたりしてます?」

「あぁ、いやいや。僕がたまたま先生方の話を耳にしていただけだよ」

彼は苦笑しながら返す。

紘一はそれに同じく苦笑を返しながら、上を見る。教室の名を示す札には、『生徒会室』と書いてあった。

……なるほど。

彼は生徒会の役員であり、遅くまで作業をしていたということだろう。

案外、この学校には勤勉な人間が多いのかもしれない。例外の存在が大きすぎるだけかもしれないが。

それに、この雰囲気や立ち振る舞いからして、同級生であることも察した。

「来年から2年壱組に転入する、市ヶ谷・紘一っていいます」

「あはは、まあそれも知ってるけどね」

「一応、挨拶だからね」

こういうところで礼儀をみせるようになったところも、伊里栖いりすから言わせれば『変わった』部分なのだろうか。

そんなことを思っていると、彼も向き直り、挨拶を返してくれる。

「――僕の名前は伍峰いつみね皐月さつき。2年弐組で、今月から生徒会長になったんだ。来年と言わずに、これから仲良くしてくれてもいいよ?」

冗談めかして笑う。それに合わせて笑いながら、紘一は己の記憶に問いかける。

……伍峰、か。そんな名前の同級生は、小学生の頃には確かいなかったな。

これでも記憶力はいい方だ。それでも覚えがないということは、きっと自分が離れている内にやってきたか、隣町出身なのだろう。

「わかったよ。じゃあ、これからよろしく」

握手を交わそうと手を出そうと思ったが、買い物袋で塞がれていることを思い出した。

その時の顔がよほどおかしかったのだろう、伍峰はクスクスと笑った後、

「初対面で、握手まで行かなくてもいいさ。これから長い付き合いになるしね。それじゃ、僕はこの資料を持って行かなくちゃあいけないから」

「ああ、そうか。またな」

うん、と言うと、伍峰は手を振って立ち去って行った。

……イケメンだなあ。

素直に感じる。恐らくはああいうのがモテるのだろう。自分には無い全てを持っているのではないかとさえ思う。

……思ってて悲しくなってくるなあ。

これ以上気落ちすると荷物の重力も増えそうなので、一旦忘れて下校する。


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彼の後姿を見送ったあと、伍峰・皐月は息を吐く。

……市ヶ谷・紘一、ね。

これからのことを少し思案しようとしたが、先に用事を済ませることにした。

あのがいるうちに資料を押し付けないと、他の教師陣の負担が増えてしまうからだ。

……自分でも意図しない駄洒落はなんでこんなに面白いんだろうねー。

きっと誰にも評価がされないからだろう、と自己完結しつつ、職員室へ足を運ぶ。

……さて。

伍峰は想う。廊下に差す光は、徐々に色を失いかけていた。

……これからどうするのかなあ、は。

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