三人目 木原望

 季節は夏から秋へと移り変わり、暦の上では十月だ。まだまだ暑い日が続くが、もう衣替えだ。秋は嫌いじゃない、過ごしやすいから。

 オレたちの通う私立桐原学園わたくしりつきりはらがくえんでは、十月に文化祭がある。文化部にとっては一世一代のビッグイベントだ。だがオレたち剣道部には、当日の見世物である剣舞しか出番がない。

 しかし、オレのクラスである二年一組の催しは、当選確率の低い飲食店だ。これには気合いを入れてかからなければならない。ただ一言でも『マズイ』という客の声や、食中毒にでもなられたら、学園の評判はガタ落ちだ。  

 そんな事情があり、学級会議で出た『たこ焼き屋』という結果によりオレは、たこ焼き器と格闘している。人数をかき集めても、料理が出来るメンツは限られている。そんな中で、悪友の健司がオレを調理スタッフにどうかと提案したのだ。

 まったく、夏に竜ヶ崎先輩と上手くいったからって、オレにこんなことさせるなよ。ため息交じりで焼き上がったたこ焼きをひっくり返す。

「小金井は手つきが慣れてるな。やっぱり家でも料理とかしてるのか?」

 担任の西にしがこちらの手元を凝視している。見られると集中できないが、担任なので無視するわけにもいかない。チラチラ見られるのが落ち着かない。

「いや、ホントに簡単な料理しかしてませんよ?」

 オレが謙遜ではなく本心で言っていると、西には解ったらしい。

「あと当日の当番は……木原かぁ」

 オレとはだいぶ離れた場所で、たこ焼きを焼いている木原を目ざとく見つけた西は、彼女の元へ歩み寄る。

「うんうん、木原も案外、こういうのは向いてるんじゃないか? 綺麗に焼けてる」

 木原望きはらのぞむ――クラスではあまり目立たない女子だ。天然の栗色にセミロングのウエーブのかかった髪に、パープルのリボンという幼い髪型をしている。

 制服の着こなしは、スカート丈も規定通り、リボンにはきちんとアイロンが当てられている。几帳面な性格がそこから窺える。

 大人びた雰囲気のある女子で、周りの子供っぽい男子からは、『お姉さん』的扱いを受けている。彼女もそれで悪い気はしないらしい。

 オレの印象としてはどこかミステリアスといったところ。生活臭が感じられないというか、どこか浮世離れした雰囲気の女子だ。周りに弟系男子がいない時は、どこか遠くを眺めているようにぼうっとしている。そこがまた神秘的だ。

 彼女は部活には所属していないが、家庭科の調理実習の時は他のどの班よりも素早く料理を作り上げる。しかもそれがとても美味しいのだ。彼女の料理センスはクラスでも群を抜いている。どうせならその才能を料理研究部ででも発揮したらいいのに、とオレは思う。せっかく料理上手なのにもったいない。

 たこ焼きを焼く木原を見つめる西は、いつもはぼうっとしている彼女が、夢中になってたこ焼きを焼いているのが嬉しいらしい。担任として西は割といい教師だと思う。熱過ぎず冷め過ぎず、そのバランスがちょうど良い。

「たこ焼きって慣れないと難しいんだろ? それを一発で上手く焼くなんて、お前ら二人は才能があるんじゃないのか。特に木原なんて、こんなに積極的に何かに挑戦しているところなんて初めて見るぞ」

 残念な事に、西の教える教科は古典だ。木原の超人的な調理技術にお目にかかる機会など、この文化祭以外にはない。しかも、ここ二年一組はたこ焼き屋だ。木原の料理は正直に言えば、そこいらのファミリーレストランの比ではない。

「……あの、西先生? あまり見られていると集中できないので……」

 木原は目を合わせずにそうぼそりと呟く。元々内気で、友達も少ない木原は見られることには、慣れていないのだろう。オレも剣道の公式試合の時には緊張するから、気持ちはよく解る。

「おお、そうか。悪い悪い。邪魔者は退散するよ。青春を謳歌したまえ!」

 西は何かを誤解しているようだ。オレと木原が付き合っているという、下種の勘繰りをしているのだ。俺は構わないが、木原は困るだろう。

 木原の童顔で目元が大きく、くりっとしている。頬は化粧をしたわけでもないだろうが、赤みが差している。鼻も大きすぎず小さすぎず、ちょうどいいサイズだ。こうして木原の顔をじっくり見た事などなかったので、オレは意外と幼い木原の顔立ちにどきりとする。

「ごめんなさい、小金井くん」

「いいって。気にすんな」

 別に女子の前だからって気取ったわけじゃない。……ましてや木原の顔を凝視してどきりとしたからでもない。母さんには女の子は大事にしなさい、と子供の頃から躾けられてきた。それに、木原みたいなか弱そうな女子は守ってやりたくなる。

 その時、木原は嬉しそうにオレを見た後に言った。

「……小金井くんって優しいんだね」

「こんなのは普通だよ」

 オレは内心でどきりとしながらも、たこ焼きを焼いた。いつの間にかたこ焼きが山になって木原の横にあった。それでもオレたちは二人でひたすらたこ焼きの練習をした。

夏が過ぎたばかり、まだ十月は暑くて明るい。ぬるい風は不快だが、校舎の窓から差し込む夕日が綺麗だと思った。

「わたし、この時期が一番好き。夕日が綺麗で……」

 木原は言葉を続けようとしたようだったが、途中で言いよどんだ。

「あ、何でもないの。気にしないでね?」 

 木原は何かを言おうとした事を、忘れさせようとするかのようにオレを見た。そして無言で、暮れていく空を見る。それはどこか遠くを見つめているようでもあった。

 幼い顔立ちに夕陽が差して、どこかへ行ってしまいそうな、そんな表情を木原はしている。何かを思い出しているかのようにも見える。オレはそれが何を意味しているのか、ただそれだけが少し気になった。


 + +


「へぇぇー、たこ焼き屋さんですかぁー? 意外ですぅー!」

 我が家に帰ると、エミリアがソファーを占領していた。しかも、オレが取っておいたブルーベリーアイスを食べながら。

「あーこの時期のアイスも絶品ですねぇー。もっと遅く帰ってきてもよかったのにぃー」

 クラスの出し物の練習をした後、道場で汗を流して返ってきた途端にそれか。買い溜めしておいたアイスを全部食われる前に帰って来て、本当に良かった。

「うーんー美味しいですぅー。もう一本いただきますよぉー?」

「これ以上食べたら太るぞ」

 この一言が効いたらしい。エミリアは冷蔵庫から離れて、ソファーに正座した。それも姿勢まで正して。

「今日は豚キムチ鍋でいいか?」

「正気ですかぁー? この暑い中に鍋なんてぇー!」

「食いたくなきゃ食わなくてもいいんだぞ?」

「陽さんのイジワルぅー!」

 この頭が空のピンク頭はクッションを力一杯こちらに投げつけてくる。オレはそれをよけながら、学校帰りに寄ったスーパーで買ってきた食材をレジ袋から出す。

 今日は頑張った自分へのご褒美として、いつもよりワンランク高い肉を奮発して買ってきた。ピンク頭もこれを食べるのかと思うと癪だが、一応オレの命は彼女の手助けにかかっている。

「おい、座ってないで手伝え!」

「私が手伝ったところで、いつかのよーにぃー、キッチンを台無しにして終わりですよぅー?」

 平気で開き直る態度には腹が立ったが、確かに言う事はもっともだ。これ以上キッチンを破壊されてはたまらない。ただでさえ、前の料理とは呼べない料理の後片付けの、コンロ周りのタイル磨きが終わっていない。タイルは真っ黒に焦げたままだ。

 この状態で母さんに帰ってこられてはオレが叱られる。理不尽を感じながらも、オレは、自分でも感じるほど健気に豚キムチ鍋を作った。

 そして結局、エミリアは豚キムチ鍋を食った。疲れている中に頑張って汗水たらして作ったオレ以上の量を。

「陽さんの料理が美味しいから悪いんですよぅー? これで太ったらどう責任を取ってくれるんですかぁー?」

 なんて、悪気もなさそうに開き直る。まったく、責任転嫁もいいところだ。

「……ところで、ケロケロ君から出てきた写真はまだ残ってたよな? 見せてくれ」

 彼女は一瞬きょとんとしたが、すぐに頷く。

「はーい。まあぁー、いいですけどぉー?」

 ピンク頭から写真を奪い取る。その写真に写っていたのは、篠原しのはら竜ヶ崎りゅうがさき先輩、幼馴染のれん、そして……木原望だった。

「……やっぱり。最近どこかで見たと思ってたら」

 セピア色の写真には、ばっちり木原の姿が写っていた。普段は大人しくて、目立たない系の女子なのに、たこ焼きを焼いていた時に感じた妙な親近感の正体はこれだったのだ。

「どういう事ですかぁー?」

 エミリアが不審そうにオレを見る。顔が「まさか」と言っている。

「同じクラスにフラグが立ちそうな相手がいる」

 エミリアは神妙に頷いた。今までのぐうたらな彼女とは違った真剣な顔で、ケロケロ君を取り出す。いつも不思議に思うが、その小さなポーチの中にどうやってケロケロ君を収納しているのだろうか。

「じゃあ好感度を測ってみますねぇー!」

 しばらく待つ事、数秒。エミリアの持つケロケロ君が光り出した。ケロケロ君の舌の目盛りは毒々しいピンクのラインが長く伸びている。

「好感度八十八です! これならフラグが立てば確実に一か月は寿命が伸びますよーう!」

 エミリアは興奮気味に言った。かくいうオレも、残り少ない寿命が延びると思うと、気が楽になる。それに、そうまで言われてはやらないわけにはいかない。

 オレは木原を落とすことに全力を傾けることにした。なにせ、オレの寿命はあと僅か。どんな温厚な人間でもタガが外れるというものだ。それが例え、相手の気持ちを踏みにじる行為であったとしても。

 それにこの場合、お互いにフリーだ。木原はモテるように見えるものの、特定の相手はいないという噂だ。だから、誰にも遠慮はいらない。

 それにしても、木原はオレのどこを気に入ったのだろうか? クラスメイトだが、ほとんど会話らしい会話をした記憶がない。ほとんど接する機会のなかったオレに、どうしてそこまで好意を持ってくれているのだろうか? 剣道部の試合の模様が載っている学校新聞か、それとも成績か? 

 それくらいしか、オレが木原に好意を持たれる心当たりはない。

「文化祭って、わたしも見に行っていいんですよねぇー? 陽さんの焼いたたこ焼き、楽しみですぅー! 他にも食べ物屋さんはあるんでしょー? ああー楽しみですぅー!」

 悩むオレを尻目に、コイツはすっかり花より団子だ。オレとしては今は団子より花だが、今のコイツにはオレのフラグの事など眼中にないらしい。自称社会人が聞いて呆れる。社会人ってのはもっと不自由なものじゃないのか?

 そんなオレの気持ちにはお構いなしに、エミリアはソファーに横になって、文化祭のパンフレットを眺めている。オレはそれをひったくると読み上げる。

「一年三組ではクレープ屋、一年五組ではチョコバナナの屋台……」

 オレが刷り上がったばかりの文化祭のパンフレットを読み上げると、エミリアはますます目を輝かせる。

「クレープにチョコバナナ……ですってぇー!? わたし、一度も食べたことがないんですよぅー! 俄然楽しみですぅー!」

 新種はものを食べなくても平気だという話は聞いたが、それでは何のために食べるのか? それはきっと美味しいものを食べたいからだろう。

 さぞかし新種たちは食に飢えているのだろうな。楽しそうに文化祭のパンフレットを凝視するエミリアを見て、オレはそう思った。

 オレは何となくパンフレットの裏面、イベントスケジュールを眺める。

「そういえば去年もあったっけ」

 去年の文化祭の事を思い出した。

 文化祭のラストにはキャンプファイアーがある。そこで踊った男女は永遠に結ばれるという、女子の好きそうな類のジンクスがある。事実、卒業生の中でも結婚したという同級生は少なくない。

 しかし去年のオレは、そんな事をすべて、全く信じていなかった。全く迷信だと信じて疑わなかった。だから多数の女子と踊り、最後には恋と踊った。最後まで見ず知らずの女子と踊るのは気が引けたからだ。恋はやたらと楽しそうにしていたっけ……。

「……今年は木原と踊るべきなのか?」

「そんなジンクスがあるんですかぁー!」

「うわっ!」

 いつの間にかまたエミリアが接触感応していた。……なぜだかコイツに心を読まれると、綺麗な思い出が汚される気がする。

「酷いですぅー! 陽さんのためを思ってやっている事なのにぃー!」

 エミリアは頬をぷくっと膨らます。やはりこういう仕草は素直に可愛い。口を開かなければの話だが。オレは頭からコイツの手を乱暴にどけると、パンフレットを放り出した。

「オレは寝るからな。明日も早いんだ、邪魔するなよ?」

 部屋に鍵がない事には不満なんて感じなかったが、コイツが我が家に住みつくようになってからは切実にカギが欲しいと思うようになった。このアホピンク頭は隙あればオレの部屋に入ってくる。

「明日は平和に過ごせますように」

 オレは夜の月でも星でも、平穏に過ごしたいという願いを叶えてくれるのなら、何にでも祈ろうと思う。

ピンク頭が来てからは、夜も落ち着いて寝られやしない。暑いながらも冷房は我慢して、タオルケットだけを被り、オレはいつの間にか眠りに落ちた。


 + +

 

 文化祭まであと数日を切った。今日もまだ暑い。オレが家から出ると、ちょうど隣の家の恋も外へ出たところだった。

「おはよう、恋」

 そう挨拶した時に、やっと恋はオレに気づいたようだった。

「あっ、おはよう陽くん」

 こころなしか、どこか彼女は眠そうだ。

「どうしたんだ? いつもは庭の花に水やりしてから学校に行くくせに。もしかして、寝坊か?」

 恋は眠そうに目元を擦った。よく見ると目元にうっすらと隈が出来ている。

「うん、お寝坊しちゃった。文化祭用の作品を作ってたら、今日になってて……」

 そう言いながら欠伸をする。恋は手芸部の中でも一、二を争う手先の器用な奴だ。きっと大がかりな作品の制作でも頼まれたのだろう。

「陽くん部活は? 剣道部は練習じゃないの?」

「文化祭があるから運動部は活動を自粛してるんだ。恋も知ってると思ってたんだけど」

 剣道の道具も身に着けていない、俺の制服姿を見れば一目瞭然だと思うのだが……。それだけ恋は忙しいという事だろう。いつもは目ざとく変化に気づくのに。

「せっかく会ったんだし、一緒に学校まで行かないか?」

「……そうだね。陽くんと登校するのって何年ぶりかなぁ?」

 恋はそう言って笑った。優しい顔立ちの恋の笑顔は見ていて癒される。それに恋は性格も穏やかで優しい。声は今となってはひどいだみ声だが、それは錬のせいじゃない。オレは幼馴染に恵まれている。

 オレたちは通学路を歩きながら、文化祭の話をする。剣道部は出し物といっても、ただの剣舞がメインなので、自然と手芸部の話になる。

「手芸部はアリスのティーパーティをテーマにした喫茶店なの」

 そういえば、手芸部も飲食店だっけ。と、昨日のパンフレットの事を思い出してみる。確か手芸部の出し物は当日まで秘密だと書かれていた。

 ……恋の奴、いくら幼馴染だからってそんな事をオレにバラしていいのか? そう疑問に思いながらも、オレは恋の話に耳を傾ける。

「へぇー、アリスって不思議の国のアリスのことか? ルイス・キャロルの?」

「うん。アリスの参加したお茶会をテーマに来客室を借りて、そこにアリスをモチーフにした小物を飾るの。素敵でしょ?」

 俺はアリスについてはそれほど詳しくないが、恋の作った作品を見ながら、お茶を楽しむのは悪くないと思う。夏の合宿の作品を見るのも楽しみだ。

「オレも、クラスの当番が終わったらお邪魔するよ」

「嬉しい! 楽しみにしてるからね、陽くん!」

 恋は心底嬉しそうに無邪気な笑顔を見せた。それはやはり可愛くて、胸が高鳴った。木原の事が頭になかったわけじゃない。

 恋は……特別だ。特別なオレの幼馴染だ。だから、木原の事とはまた別だ。オレはそう自分に言い訳をしながら、校門まで恋と一緒に登校した。

 

 + +


 二年一組のたこ焼き屋の準備は着々と進んでいく。印刷所にフライヤーの印刷を頼み、教室も関西風に飾りつける。食い倒れ人形とかに道楽、ロッテの体操着の男の看板など、教室の飾りつけは日を追うごとに派手になっていった。

 部活以外では無気力なオレには、何一つとして口を挟めなかった。これらは当日の当番ではない者たちの仕事だ。

 この無茶苦茶な空間の飾りつけの責任者は健司だった。元からお祭り騒ぎが好きな奴だとは思っていたが、これほどまでとは思わなかった。人は見かけによるのかもしれない。ちなみに夏以来、彼は制服をきちんと着るようになった。竜ヶ崎先輩の影響だろうか?

「イイ感じになってきたじゃないか。あとは当日の当番を決めるだけだな!」

 健司が露骨にこっちを見ながらそう言った。オレと木原とその他三名しかたこ焼きを調理できる者はいない。となると、文化祭終了後のキャンプファイアーに参加できる人数は限られてくる。

 誰でも我先にと踊りたい相手を誘えるのは文化祭の一日目だけなのだ。

「わたしは朝番がいい。……それと、小金井君も」

 普段は大人しく、周りの意見に振り回されがちな木原がそう呟いた。とはいっても、その声は小さく、健司の元には届かない。彼ら事前の準備係は文化祭当日に働かなくて済むのだ。

「健司。木原は朝番希望だって。あと、オレも朝番か昼番がいい」

 オレは健司にはっきりそう言った。木原はどこか危なっかしいし、恋のアリス喫茶に行ってみたいという気持ちもあった。そこへ西が口を挟む。

「木原、お前も朝番希望なのか? だったらはっきり自分で言いなさい。誰かに代わりに言ってもらおうなんて思うんじゃない」

 確かに木原の声は蚊の鳴くような声だった。だけどそんな言い方はないだろう。木原は木原なりに一生懸命だったんだ。周りが雑然としていたから聞こえてなかっただけなのに、そこまで言われてしまう木原が可哀想だ。

「……木原、気にするなよ」

 オレは、人だかりの中心から姿を消そうとしている木原を追いかけて、そう慰めの言葉を口にした。木原は涙目になりそうになっていた。彼女はホッとしたようにオレを見ると、あの例の遠くを見るような眼差しで呟いた。

「……やっぱり小金井君は優しい」

 そう呟いた木原の声音は、どこか遠い人を追っている気がした。オレに誰かを重ねているような、そんな目をしている。やはり彼女は、どこか危なっかしい。

「オレは優しくなんかない」

 反射的にそう言っていた。だって、自分の命のために人の気持ちを踏みにじっている。そんな人間のどこが『優しい』のか。それでも木原はオレを真正面から見る。

「優しいよ……」

 木原は満足そうに笑った。……やっぱり木原はオレのことが好きなのか? それにしては、木原の見つめる眼差しはどこか遠い。何か腑に落ちないものを感じながらも、オレはそれ以上何も言えなかった。……我ながら情けない事に。

 結局いつまで経ってもオレは色恋沙汰に疎い。本当に情けない子供のように。


 + +


 ソイツを見つけたのは放課後の事だった。剣道部のあのしごきが懐くしくなるくらいの間、オレは竹刀を持っていない。といっても、本格的な文化祭準備期間の二週間だけだが。

 オレが余計な飾りつけを片付けようと廊下を歩いている時だった。藍色の詰襟に緑の頭をした男とすれ違ったのだ。オレは思わず立ち止まった。

 あまりの事に何も言えない……なんてことはなかった。これだけ見事な緑色の髪なんて、染めようとしてもこれほど上手く染まるはずがない。

「……アンタ、エミリアの関係者か?」

 男の目がピクリと反応した。エミリアのようにコスプレのような恰好はしていないが、うちの学園の制服はブレザーだ。それに、すれ違った瞬間、普通の人間にはない違和感を覚えたのだ。なんというか……気配が変だった。

「貴様……エミリアの事を何か知っているのか?」

 男は名も名乗らずに、オレの胸元に掴みかかってきた。焦燥した様子が見て取れる。反応の必死さから、オレはらしくもなくつい弱腰になり、敬語になる。

「エミリアなら……今頃は俺オレの家でテレビでも観てると思いますけど」

 そう答えると彼は面白いほどの狼狽ぶりを見せた。頭に爪を立てて引っ掻いている。それは何かのノイローゼの発作のようにも見える。色々と忙しい男だ。

「エミリアが昼間からサボリだと? この俺が、今は亡き両親の代わりに育ててやったというのに……!」

 オレはいつかのエミリアとの会話を思い出していた。確かエミリアには兄がいるという事だった。そして両親は『亜種』によって殺されたと。と、なると目の前のこの男はエミリアの兄……なのか?

 似ているような、似ていないような……。少なくとも変な髪の色は似ているといえるが、この男はあのアホと違って賢そうだ。そんな事を考えていると、目の前の男が勝手に自己紹介を始めた。

「俺はエミリオ。エミリアの兄だ。アイツが小さい頃から面倒を見ている」

 やっぱりか。新種というのは自分勝手な奴の集まりなのか。見た目も中身もネジが一本ぶっ飛んでいる。

「エミリアはお兄さんの事を凄い能力者って言ってましたよ」

「貴様に『お兄さん』呼ばわりされる筋合いはない!」

 ――コイツ、面倒くさい。

 オレの彼への第一印象はそれだった。しかし、めんどくさいだけならあのアホピンク頭よりはいくらか無害だ。少なくともキッチンを破壊したりはしないだろう。

「……では行こうか。エミリアの待つ貴様のボロ家に!」

 ……いっておくが、我が家は築五年のほぼ新築だ。ゴキブリだって一度も見かけたことがない。

 変な人につきまとわれていると西に言うと、早退許可はあっさり出た。まだ文化祭までは日があるためか、全体的に余裕があった。

 エミリオは例の姿が隠れるマントなど持っていないというので、大幅に遠回りして家路についた。

「どこまで歩かせる気だ? いい加減にしろ!」

 そうエミリオは逆ギレするが、そもそも事の始まりはお前の妹が厄介な話を持ち掛けてきたからだ。そう、はっきり言えない自分が情けなかった。


 + +


「お帰りなさい、陽さぁーん!」

 エミリアはいつもの笑みを浮かべてオレを迎える。オレの後から入ってきた緑頭は目に入らないらしい。

「……エミリア」

「あっ、お兄ちゃん!」

 感動の兄妹の再会……とはいかなかった。エミリオがエミリアの頬を叩いたからだ。バシッといい音がした。学校での態度とは打って変わった厳しい表情に、オレもエミリアも唖然とする。

「痛ったぁー! お兄ちゃん、何をそんなに怒ってるのぉー?」

 エミリアが涙目になったところを初めて見た。それほど長い付き合いというわけでもないけれど。彼は妹をじっと見つめている。

「これでも手ぬるい方だ。一体お前はどこまで心配をかければ気が済むんだ!」

 近所迷惑なエミリオの怒号が、荒々しく部屋中に響く。低い声が威圧感たっぷりだ。きっとこんな男が結婚して子供を持つと、カミナリ親父になるんだろうな。

「ただ仕事で出てただけですぅー! この陽さんが命の危機なんですよぅー? 何もしないわけにはいかないでしょーぅ?」

「お前の身を危険に晒してもか?」

 エミリオの言葉にエミリアは何も反論できなかった。

 オレには事情がさっぱりだ。

「なぁエミリア。エミリオの言うお前の身を危険に晒すってどういう意味なんだ?」

 オレが問いかけてたっぷり五分。その後彼女は、叩かれた頬をさすりながら質問に答えた。

「……わたしたち兄妹の両親を殺した『亜種』はこの辺りにいるんです。索敵部の人が言っていました」

「まさか、両親の仇を取るために……?」

 俺はあまりの急展開に頭がくらくらした。このあたりに『亜種』だと? 確か『亜種』って危険な生き物だって言ってなかったか?

 オレの疑問はエミリオが解説してくれた。

「我々新種は、地球のマグマが溢れる場所に生まれる。『亜種』もそうだ。ただ新種と『亜種』の違いとは、新種は人間とあまり変わらない、ただ食事が必要ないだけの無害な存在だが、『亜種』は違う。『亜種』には危険な能力があり、種族として好戦的だ。しかも、それぞれ何らかの強力な能力も持っている。厄介な事に奴らは貴様ら人間と見た目が同じで、一見では見分けがつかん。身体的な成長もする。そんな奴らに……俺の同僚も何人も奴らに殺された」

 エミリオは悔しそうに顔をゆがめた。それだけの人数を『亜種』が殺してきた、という事だろう。って、ちょっと待て! そんな危険な奴らを放っといていいのか? そう思ったが、珍しくシリアスなこの空気に水を差すほど、オレも野暮ではない。

エミリオが次に言いたい事は、大体読めた。

「理解できたか? 『亜種』は新種の天敵だ!」

「……」

 オレは何も言わず黙っていた。この場に沈黙が訪れる。

しばらくの間そうやって三人で突っ立っていたが、沈黙を破ったのはエミリアの腹の音だった。彼女の方を見ると、恥ずかしそうに腹を押さえている。

「……まあ、とりあえず夕飯にするか」

 オレがそう提案すると、エミリアは飛び上がった。エミリオはやれやれとでも言いたげに無言を通した。エミリアの気迫に押されたのか、それとも言いたいことを言ってすっきりしたのか。そのどちらでもよかった、近所迷惑の悩みの種が減るのなら。

 とりあえずオレは夕食の準備をする。

 今日の夕食には、学校帰りに買ってきたサンマを焼く。いい具合に焼き色のついた魚はそれだけで食欲をそそる。すだちを添えてテーブルに出すと、エミリアはいつも通りに嬉しそうな悲鳴を上げた。そしてそのままサンマに齧りつく。

 焼きたてで熱すぎるし、骨はどうするのかと黙って見ていると、器用に舌の上でまとめて吐き出した。

「……汚いし、行儀が悪い」

 てっきり二人だけの夕食だと思っていたから、エミリオの分のサンマはない。目だけでそれを告げると、エミリオは食べなくても平気だと強がった。その腹からは情けないくらい大きな腹の虫が鳴いている。

「美味しいですぅー。やっぱり陽さんの料理は絶妙ですねぇー!」

 ただサンマを焼いただけなのに大絶賛だ。これにはエミリオも面白くはないだろう。更に、自分は飯なしだし。

何か文句でも言われそうな雰囲気だと思っていたら、やはり突っかかってきた。

「おい、貴様」

 予想通り、エミリオはオレを睨みつけてきた。オレはその尊大な態度に戸惑うばかりで、上手い逃げ口上が思い浮かばない。

「はっ、はい?」

「この食べ物は骨を取って食べるのだろう? なのに調理の段階で骨を抜かないのはおかしい!」

「はぁ?」

 単なる言いがかりとしか思えないし、実際そうだ。なんと返事をしたものか。

「そんな事を言われても……」

 オレはすぐに言い返すことが出来ずにいると、エミリアが助け舟を出してくれた。

「もう、お兄ちゃん! 陽さんは悪意なんてありませんよぅー!」 

 妹にここまで言われてしまうと兄としてのメンツをつぶされたと思ったのだろう。

「いや、俺はお前が心配で……」

 エミリオの表情が曇る。妹に拒絶されたことがショックだったのだろう。妹に対して強気なのか弱気なのか、男ならはっきりしろと言いたくなるが、その言葉はそっと飲み込む。

「まあまあ、兄妹喧嘩はそれくらいにして……」

 オレは仕方がなく二人を宥めた。それでもエミリアの勢いは止まらない。

「大体お兄ちゃんはいつもそうだよねぇー! わたしの心配をするふりしてぇー……!」

「エミリア……」

 修羅場になりそうな雰囲気だ。どうにか逃げようにも、リビングは狭くて隠れ場所などない。突然エミリアが二階へと駆け上がるとともに、エミリオの大きなため息が聞こえた。

「エミリア……」

 それは明らかに妹を心配する兄の様子で、オレは言葉に詰まった。何を言っていいのか解らない。先ほどの厳しい態度も心配の裏返しなのだろう。

「……彼女にはきっと彼女なりの考えがあるんだよ」

 オレがそう慰めると、エミリオは泣きそうな表情になった。

「エミリアは目の前で両親を亡くしてるんだ。その埋め合わせに、と俺は頑張ってきたつもりだ。それがなぜ……?」

 オレは一人っ子だからエミリオの気持ちは解らない。けれど、たった一人の肉親に拒絶される、というのはとてつもなく寂しい。

想像するだけでも辛いのに、実際にそんな思いをしているかと思うと、急にエミリオが不憫に思えてきた。

「……エミリアだっていつか解ってくれるさ」

 あくまでも気休めでしかない事を口にしている自覚はある。それでも何か言わずにはいられなかった。

「……ありがとう」

 エミリオはそう言って、食器洗いを引き受けてくれた。ここ数日、文化祭の準備で忙しかったから、こうして少しの時間でもテレビを観られることがありがたい。

その礼としてオレは一階の和室にエミリオ用の布団を用意した。

「お前が気の済むまでいればいいさ。エミリアもいつかきっとお前に感謝する日が来るだろうし」

 オレが布団を敷きながらそう慰めると、エミリオは別人のような爽やかな顔で笑った。

「……お前っていい奴だな。最初は気に入らないと思ってたけれど……前言撤回だ。陽、お前のために俺も一肌脱ごう」

 エミリオはベテランだとエミリアは自慢していた。そのエミリオが協力してくれるならこれ以上ないくらい心強い。正直、あのピンク頭とチェンジしてもらいたいくらいだ。

「ありがとう、助けてくれるか? オレの事を」

「もちろんだ」

 エミリオは任せろとばかりに胸を叩いた。この夜は久しぶりにぐっすり眠れた。


 + +


 いよいよ迎えた文化祭当日。オレは朝から昼までの番を任されている。一緒にいるのは木原だ。彼女は本番前には完璧なたこ焼きを作っていたというのに、緊張からか上手く焼けないでいる。          

 二年一組の店だと一目で分かるように、お揃いのエプロンをつけたオレたちは、他人から見たら、ただの同級生以上に見えるのかもしれない。

OBらしき大人たちが、ニヤニヤ笑いながらこちらを見ている。それが余計焦りを生むのか、木原は本日二十個のたこ焼きを焼くのに失敗した。

「……わたし、たこ焼きって苦手。上手く丸まらないんだもん」

 そんな木原の愚痴も可愛らしく思えた。頬を膨らませてむくれているのも、普段のミステリアスなイメージからかけ離れていて、新たな一面が見れた気がする。

「木原もそんな顔するんだな」

日頃、子供っぽい男子に勉強を教えてやっている姿とは別人だ。いつも何を考えているのか解らない木原が、オレの前でこんな顔をしている。この事を、その連中に教えてやりたくなる。

 普段見る事の出来ない顔を見られる、というのも文化祭の醍醐味だと思う。

「当たり前じゃない。わたしを何だと思ってたの?」

 木原はムキになって、たこ焼きを乱暴にくるっと回そうとする。しかし、たこ焼き器からたこ焼きが、木原の華奢な腕に落ちた。

「熱っ!」

「大丈夫かっ!」

 オレは思わず木原の制服の腕を捲り上げる。焼きたてのたこ焼きは熱すぎる。もし木原の白い肌にやけどの跡でも残ったら……。そう思っての瞬時の行動だったが、木原は落ち着いていた。

「大丈夫。制服で守られてるから」

 余裕のある言い方に、オレは心底安堵する。

「心配性なんだね、小金井君は」

 余裕どころか、ケラケラと笑っている。そしてもう一度、木原はひっくり返ったたこ焼き器を、注意深く元通りにセットしながら言った。

「やっぱりたこ焼きは苦手」

 これは木原なりの意趣返しなのだろう。オレも今度は笑いながら答える。

「奇遇だな。俺も苦手だ。型からはみ出さないか、って心配になる」

 オレが笑いながら頷くと、木原は少し照れたようだった。……いい感じじゃないのか? このままフラグが立ってくれれば……。

「……小金井君、お願いがあるの」

 オレたちは一通り笑いあった後、木原が神妙な顔で少し上目遣いに言った。

「お願い?」

 二人の担当するたこ焼き器から、たこ焼きのいい匂いがしてきた。

 まさかこんなたこ焼きの匂いで充満した空間で告白なのか、と少し焦る。こんなオレだってムードにはこだわりたい。

「……今夜のキャンプファイアーで一緒に踊ってほしいの」

「ああ、なんか一緒に踊った男女は結ばれる、とかいう噂のアレか?」 

 キャンプファイアーのジンクスはここまで浸透していたのか。オレは昨日見たパンフレットの内容を思い出した。

 ――『三年間の秋の思い出にキャンプファイアー』、そんな謳い文句が書いてあったっけ。

「……ダメ、かな?」

 木原の表情は真剣そのものだった。ただの噂に振り回されるようなタイプとは思えないが、この必死さには何か事情があるのかもしれない。

それに、オレをキャンプファイアーのダンスの相手に誘うという事は、オレに気がある証拠じゃないか。竜ヶ崎先輩の時みたいに障害があるわけじゃない。

 オレにとってフラグを立てるには絶好の機会だ。

「ああ。いいよ」

 オレがあっさり了承すると、木原は心底安堵したように胸を撫で下ろした。それからの木原は手際よくたこ焼きを仕上げ、パックに詰め入れ、訪れた客に営業スマイルを見せながら頑張っていた。

 もちろんオレも頑張ったのだが、男の営業スマイルなど、よほどのイケメンでない限り寒いだけだ。接客は完全に木原に任せ、木原の使っていたたこ焼き器を使って、これまでの二倍の量のたこ焼きを仕上げた。我ながらよくやったと思う。

 長いはずの三時間はあっという間に過ぎ、昼から夜番の三人と替わってもらった。

「木原、これからの予定は?」

 オレは恋との約束で、手芸部のアリス喫茶に行くことになっている。クラスでも、基本は一人でいる女子である彼女には予定があるとは思えない。ここは木原を誘ってみよう、という気になっていた。

「……それが、ないの。小金井君は?」

 質問を質問で返された。オレが手芸部のアリス喫茶に行くことを告げると、木原は興味を示した。彼女は不思議の国のアリスが大好きらしく、こちらの話に乗ってきた。

「……ここだけの秘密だって約束できる?」

「もちろん」

 アリスの事で頭が一杯な様子の木原だが、話し相手もいないように見えるし、言ってもいいだろう。

「オレの家の隣に住んでる早川恋からの情報。これは絶対秘密な?」

 オレの答えに満足したのか、彼女はそれ以上は踏み込んでこなかった。こうして、オレと木原は恋のいる手芸部のアリス喫茶に行く事になった。


 + +


 午前中の当番を終えて、手芸部主催のアリス喫茶に出向いたオレたちを出迎えたのは、変わったデザインの帽子をかぶった恋だった。

「陽くん、来てくれたんだ! ……ところで、お隣さんは?」

 恋は嬉しそうにオレの顔をじっと見ながら、木原の顔もじっと見つめた。木原はなんだか居心地が悪そうに、オレの陰に隠れようとしている。

「彼女は木原望。オレのクラスの同級生で、ついさっきまで一緒に店番してたんだ。予定がないっていうから一緒に来た」

 恋は少し表情を曇らせながらも、「そう」と頷いた。

手芸部のアリス喫茶は、内装が徹底的にフリルやリボン、ラインストーンにレースがあしらわれた、乙女チック前回で、男にはかなり居心地が悪い。しかし木原は目を輝かせている。

 憧れのアリスの世界観が、腕の立つ手芸部員の手によって再現されているこtpに、驚きと喜びを感じているのだろう。恋はオレの戸惑いには気づかずに、オーダーを取りに来た。

「じゃあオレは、オムライスで」

「わたしはこのアリスのスペシャルパイとダージリンをお願いします」

「かしこまりました」

 すっかりウエイトレスとして身についた動作のごとく、恋は踊るように応接室を立ち回る。周囲にはウサギやら帽子屋やら、トランプの兵隊やらのぬいぐるみでいっぱいだ。

 どう見てもそれらは手作りで、手芸部の本気を感じる。それだけこだわっているという事だろう。

 しばらくして、恋がオムライスと木原の頼んだアリスのパイらしきものと、ダージリンの紅茶をトレイに乗せて器用に持ってきた。

「恋、お前もかなり器用というか力持ちというか……。重くないのか? しかも片手で」

「夏休みの合宿の時に練習したの。凄い?」

 恋は得意げだ。木原は拍手を送っている。

「凄いです! それに、このアリスのスイートパイが凄く美味しそう!」

 木原がはしゃいでいるのを初めて見たかもしれない。アリスパイはかなりの量があるようだが、一人で食べきれるのかと訊くと、「大丈夫」という心強い返事が返ってきた。

「女子は甘いものは別腹なんです。スイーツはいくらでも入っちゃう!」

 それには恋も同意した。

「そうだよね! 甘いものならいくらでも入っちゃう。……それで体重が増えてショックを受けるまでがワンセットだよね!」

 最初は木原の事を警戒していたようだった恋が、すっかり意気投合している。

「太るのが嫌なら食べなきゃいいじゃないか?」

「もうっ!」

 恋と木原が同時に怒った。オレが何かしたか?

「女心が全く分かってないんだから! そういうところは相変わらずなんだから!」

「女子は定期的に甘いものが必要な生き物なの! 男子には解らないよ!」

 恋と木原が徒党を組んで攻撃してくる。……母さん、やっぱりオレには女心を知るのは早すぎるよ。女心と秋の空……なんてな。

 恋が気を取り直すように、わざとらしく咳をした。

「文字入れのサービスなどございますが?」

 他人行儀のわざとらしい謙譲語だ。

「ああ、俺は薄味の方が好みだからこのままでいい」

 俺がそう告げると、恋は残念そうに厨房へと引っ込んだ。木原と一緒にいるから、遠慮もしているのだろう。幼馴染だからそれくらいは察せる。恋はそういう奴だ。

 オムライスの味は家庭的な素朴な味で、オレの好みだった。再現しようと思って。恋にレシピを訊いても、秘密とだけしか言わなかった。

 しかし暇があれば作ってあげると、木原がトイレに立った時に言われたので、オレは無性に嬉しくなった。


 + +


 ある程度文化祭を楽しんだ後、オレは木原と一度別れた。

 キャンプファイアーまではまだ時間がある。その隙に、おそらく学校に来ているであろうエミリアの力を借りたいと思ったのだ。  

 あの時、木原は必死にオレと踊りたがっていた。何か深い事情でもあるのか。オレはそう疑わずにはいられなかった。校庭ではキャンプファイアー用の木材が要領よく組まれていく。

「こんなところにいたのか」

 それは学校に入り込めるはずのない、エミリオの声だった。彼はオレの文化祭の時の特等席である校庭の植え込みに近づいてきた。

「……エミリアはどうした? こんなところにいていいのか?」

 オレがそう尋ねると、エミリオはうんざりしたように呟いた。

「いくら可愛い妹のわがままといっても限度がある。エミリアは飲食店を全て回って、今はマントで姿を隠して眠っている。今、お前の役に立てるのは俺だけだ」

 あの大食いのアホピンク頭のことだし、大体は予想のついていた。それでも今は彼女のあの力が必要だった。なんとしても木原とフラグを立てるために。

「……大丈夫だ。何のためにこの俺がこんな騒がしい場所に来たと思う? 言わなくても解るだろう? お前の役に立つためだ。俺は、受けた恩は倍にして返すのが主義だからな!」

「エミリオ……」

 一体どんな能力かは不明だが、こういう時に頼りになりそうな奴が身近にいる、という事は素直にありがたいと思った。

 さっそく、頭を触ってもらい、接触感応で今までのいきさつを見てもらう。エミリオは頷いた。

「俺の能力は初恋の相手との、綺麗な思い出を対象とのものだと錯覚させる能力だ」

「……つまり、オレとの思い出は初恋相手との思い出にされるわけだな?」

「そういう事だ。使うか?」

 正直迷った。そんな方法でフラグを立てるなんて、ただ身体目当ての不純な男子と何ら変わりはない。いや、もっと不純だ。

「……お前が拒否したとしても、俺はこの力を使うからな」

 なぜエミリオがこんなに積極的なのかが解らない。エミリオがオレの頭の上に手を乗せたままだったので、オレの考えは読まれてしまった。

「……後に解る。それに、きっとお前は俺が能力を使った事を感謝するだろう。それでは、『マインド・ブレイク』!」


 + +


 文化祭も大詰め、校庭ではキャンプファイアーが行われていた。在校生もOBも関係なく、みんなが仲良く踊っている。

 文化祭のこの時だけは風紀も無礼講で、好きなドレスを持ってきて着ることが許されている。これは近年になって、姉妹校の影響で始まった風習らしい。

 木原は淡いパープルの絹の素材に、肩のあいた大人っぽいドレスを着てオレを待っていた。普段の彼女とは一味違う雰囲気に、一緒に踊りたいらしい男子たちも遠慮がちに彼女を見ている。

「遅いよ、小金井君」

 そうは言いつつも、待っている時間も楽しく有効活用していたらしく、彼女と踊ったらしい男子は嬉しそうに手を振っている。

「悪い」

 オレはそう謝ると木原の腕を取って踊り始めた。ダンスなんて精々体育の授業で習うフォークダンス程度しか踊れない。それでも木原は褒めてくれた。

「小金井君ってダンス上手なんだ? 剣道部所属だし、運動神経いいんだね」

「いや、そうでもないよ」

 校庭では既にキャンプファイアーが燃え尽きようとしている。そこで木原は立ち止まり、一世一代の告白をするように黙り込んだ。オレはただそれを黙って受け入れる。

「……あのね、わたし小金井君のことが好きなの」

 エミリオの能力のせいだろう。真剣に告白しているはずの木原の頬は赤くなっていない。

 それに『好き』という言葉が、これほどまでに空虚に響いたことはない。誰かに言わされている、としか思えなかった。オレの中の彼女への気持ちが、急激に萎えていくのを感じた。

 こんな空虚な告白など、『愛』をモットーとしているらしいカンパニーとしても不本意だろう。

 それになにより、こんな『茶番』という言葉がぴったりの告白を木原に強いるのは、酷だ。あまりにも。

「エミリオ! いるんだろ? もういいから! 木原の気持ちを、オレは大事にしたいんだ!」

 周りから白い目で見られるのは解っていた。それでも、この無価値な時間を終わらせられるのならそれでいい。周りの反応は、やはりオレを白い目で見ている。

 そこに間もなく緑頭の男――エミリオが姿を現した途端、辺りは騒然となった。

「……本当にいいのか?」

「ああ、もういい。だから木原を――」

 エミリオが指を鳴らすと、木原の目に光が戻った。空虚なガラス玉のようだった目は意思を取り戻し、輝いている。

「あれ? わたしは……」

 エミリオはサッと木の陰に隠れた。木原を元に戻す時、時間が一時停止していたように思う。いや、実際にそうだったのだろう。

周りの誰一人として、緑頭の男の話などしていない。

「ちょっとボーッとしてただけだよ。ところで……なんでオレをパートナーに選んだんだ?」

 すると木原は少し申し訳なさそうな顔をした。何も後ろめたい事などないはずなのに。意を決したように、木原は口を開く。

「わたしの初恋はね、叔父さんだったの」

「は?」

 言っている意味が解らなかった。少なくとも、もう少し噛み砕いて説明してくれないと納得できない。だが、そんなオレを無視して、彼女は話を続ける。

「わたしが小さい頃は、当然のように可愛がってもらえた。でも、それももうない。……叔父さんもついに結婚しちゃったから。……それから、それでも、ずっと片思い。笑っちゃうでしょ……?」

 とてもじゃないが笑える気分ではなかった。木原が叔父さんに抱いていた気持ちは本物だったのだろう。その証拠に木原は今、笑いながら泣いている。

「最初に小金井君を見た時はびっくりした。あまりにも若い頃の叔父さんにそっくりだったから。だから付き合いたいって思った。……けど駄目だった。叔父さんのコロンの匂いとかタバコの匂いとかが、小金井君にはなかった。……だから駄目だった」

 フォークダンスを踊っている周りの人たちがこちらを見ている。オレは木原を庇うように抱きしめた。

「……それだけ純粋な恋が出来たのなら、木原はきっとイイ女になれるよ」

 オレには情けないけれども、これだけしか慰めの言葉がなかった。彼女はキャンプファイアーが燃え尽きるまで、細々と泣き続けた。

 決して叶わない恋、報われてはならない恋をしてきたからこそ、木原はどこか他の女子と違っていたのだ。

 オレは木原の純粋な気持ちを、危うく踏み潰すところだったのだ。エミリオの力を解除してもらって、本当に良かったと心から思う。


 + +


「陽、フラグ球が出た。小さいが、あと二週間は持つはずだ」

 キャンプファイアーが終わった後で、エミリオは緑色に光る小さなフラグ珠をオレに見せた。一瞬の想いでもフラグ珠は出るらしい。そういえば竜ヶ崎先輩の時もそうだったっけ。

「ありがとうエミリオ。……ごめんな、せっかくオレのために頑張ってくれたのに」

「気にするな。俺はエミリアとは違う」

 泣き疲れて眠ってしまった木原を運びながら、オレたちはヒソヒソと話をする。彼女が目覚める頃には、オレへの想いも消えているはずだ。

……それでいい。オレへの中途半端な想いで傷つくのは木原自身なのだから。


 + +


「あーあー。せっかく好感度が高かったのにぃー、獲物を逃がしちゃうなんてぇー」

 緑色の小さなフラグ球を握りしめながら、エミリアがぼやく。

「オレだって好きで棒に振ったわけじゃないぞ? 彼女には叔父さんっていう想い人がいたんだからな」

「まったくぅー。あと残りは一人。早川恋さんだけなんですよぉー? 自分の置かれた状況解ってるんですかぁー?」

 結局今回のフラグ珠で伸びた寿命は二週間ちょっと。今までの全てのフラグ珠の合計でも、クリスマスまでしかもたない。

エミリアが焦るるのも解る気がする。それでも、オレは木原の純粋な想いを汚す事は自分でも許せなかったし、それでいいと思っている。

「――聞いてるんですか、陽さん!」

 秋の夕暮れ時、忙しなかった学園祭の準備期間が終わった今日くらいは、のんびり過ごしたいと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る