四人目 早川恋
秋から冬へ。季節は移り替わる。オレは今までに集めたフラグ珠の力でなんとか今まで生きているが、そろそろ危ないらしい。
残るは幼馴染の恋だけだ。しかし、幼馴染とはいえ、そう上手くいくはずもないとオレは半ば諦めかけていた。
そんな十二月のある日、エミリアがいきなり俺に訊いてきた。
「恋さんって、一体どんな方なんですか?」
「そうだな……」
オレは知る限りの恋のデータを話す。
幼い頃はそのあどけない笑顔が可愛くて、周囲には彼女を一目見ようと大人たちが集まっていた。美人系か可愛い系かと言えば可愛い系の女子だ。木原とは違って、よく見なくとも幼い顔立ちをしている。目が大きくて、黒目がちだ。
オレと一緒に遊ぶ時も、おままごとや人形遊びが好きな奴だった。花冠を作るのも上手かった。よくシロツメクサで編んだ花冠をオレにかぶせてきた。
性格は温厚だが、怒ると怖い。俺も親同士が仲が良いから知っているが、あれで結構尽くす女だ。尽くしすぎて相手から引かれれることも多く、長く付き合った彼氏はいない。アイツの愛は重いのだ。
しかし、恋の天使のような歌声には誰もが惹かれずにいはいられない。あの頃の恋の声は誰よりも透き通っていて、誰が聞いても『天使の歌声』と称されるくらいの美声だった。
だが、ある日からその声はだみ声に変わった。環境が変わったとかではなく、心の問題だと医師は言ったらしい。
恋の両親はあらゆる手を尽くしたが、恋の美声が元に戻ることもなかった。恋の声はノイズのかかったような声になり、医者からは極度のストレスによるものだと診断された。オレは遠巻きにそんな噂を聞いたのだった。
オレがそう一息で説明を終えると、エミリアはなぜか俺と距離を置いた。
「……陽さん、キモイです」
「はぁ?」
「普通幼馴染だからってそこまで知りすぎてるのはキモイですよぅー。正直な話ぃー!」
なぜ訊かれた事を素直に話したからって『キモイ』など言われるのか、納得できない。
「そりゃあ、恋とは長い付き合いだし、家も隣同士だし」
そこでテレビを観ていたエミリオが口を挟んだ。
「エミリア、陽と恋には特別な絆があるんだろう。それに口を挟むのは野暮というものだ。それに、彼女が最後の女子なんだ。陽だってお前だって、その事は分かっているだろう?」
普段世話になっている兄には弱いのか、ピンク頭の非難の声はそこで止まった。
「……それもそうかもしれませんねぇー。ごめんなさぁーい、陽さーん!」
こうして、しおらしくしている分には可愛らしく感じるのに、色々と残念な点がありすぎるるから台無しだ。せめて簡単な料理でも出来れば、オレの評価は変わるはずなのに。
今までエミリオが観ているテレビでは、クリスマス特集をやっている。
今年のクリスマスは誰と過ごすか、彼氏彼女へのプレゼントは何を検討しているか、デートに適した場所はどこかいい場所はないか。それは、一人身の俺には淋しい特集だった。
今までは剣道一本に打ち込んできたから、こんな気持ちになどなった事などなかった。しかし、これまでの女子たちとの触れ合いを通じて、オレは気弱になっているのかもしれない。
オレは頭を振る。女子への雑念を振り払うために。
それでも今まで関わった女子たちとの思い出と、恋への戸惑いの気持ちは消え消えそうもなかった。
+ +
。
クリスマスイブにも予定の入っていないオレは、いわゆる『負け組』なのだろう。別にそれでもいいと、これまでのオレならば思っていただろうが、今は真っ白のスケジュール帳が寂しく感じる。
クリスマスイブまであと十日間を残した日曜日を、オレはテレビを観ながら過ごした。
うちの学校では、クリスマスイブには姉妹校との合同での終業式と、聖歌合唱コンサートがある。終業式が終わったからといっても、剣道部の稽古は終わらない。冬休みを怠惰に過ごすよりは、剣道で汗を流す方が健康的でいい。
この時期は姉妹校との合同合唱の練習で、ほとんどの教室が使われてしまう。わが剣道部も例外ではなく、部室兼道場は声が響き渡っていいとの意見から、文字通り取り上げられている。
やる事のないオレがテレビを観てくつろいでいると、チャイムが鳴った。また新聞の勧誘かと、うんざりしながらドアを開ける。果して、そこにいたのは困り顔をした恋だった。
「……陽くん、助けて!」
恋とオレは幼馴染だ。だが、これほどまでに困った顔の恋は見たことがなかった。恋は目に涙さえ浮かべていた。
「どうかしたのか? 手芸部で何かあったとか? それとも――」
恋は首を横に振る。どうやらオレの考えている事よりも恋の悩みは深いらしい。目元から流れる涙が、筋となって彼女の頬を伝う。
「ちゃんと言葉にしろよ。わけ解んないぞ」
別に冷たくしたつもりはなかった。恋との距離はある程度保っていた方がいい。これは長年の付き合いで得た教訓だった。恋は手芸部のエースという事もあり、密かに男子にモテる。
オレがそう指摘すると、恋は頷いた。様子から見るに、ただ事ではないようだ。
「……あたし、聖桜女学園の聖歌隊に選ばれちゃったの」
「なんだって?」
恋は困り果てたかのように言葉を紡ぐ。聖桜高校と合同で合唱できる事は名誉な事だ。だが、恋には厳しい事だ。……だって恋は――。
「あたし音痴なのに!」
そう、恋は音痴なのだ。目も当てられないほど、いや耳も当てられないほどに。
昔の恋は決して音痴ではなかった。むしろ歌う事が大好きで、歌う事自体を楽しんでいた。
+ +
『ねぇようくん、あたしアイドル歌手になれるかな?』
そう恋が夢見がちな、それでいて透き通った綺麗な声で訊いてきたのはいつのことだったか。
『なれるなれる! 恋なら、エンカ歌手もイケるんじゃないか?』
『そうかな? 本当にそう思ってる?』
当時の彼女の声は、まさしく『天の歌声』と呼ぶにふさわしい、美しいモノで、当然彼女が歌手になるのは当然だと信じて疑わなかった。
しかし、ある日のこと。
『大変よ! 恋ちゃんが!』
当時はオレの教育に熱心だった母さんが、慌ててブロック遊びをしているオレの元に駆け寄ってきた。
『恋? 恋がどうしたって?』
『あの子の声が、あの綺麗な声が……喪われたんですって』
『え……?』
当時のオレは幼かったし、母さんが何を言っているのか、恋が運ばれた病院に行くまで解らなかった。ベッドで寝ていた彼女は目を覚まして、オレの名を呼んだ。
『ようくん』
それはこっちが泣きたくなるくらいの、だみ声だった。
+ +
「どうしよう。あたし歌なんて歌えないよ。みんなの和を崩しちゃう!」
恋はオレに抱き付いてきた。昔からの彼女の癖だ。困ったことがあると周りの人間に助けを求め、抱きついてしまう。けど流石に、この歳になって抱き合うのはマズイ。
オレは彼女を引き剥がすと、何かいい方法はないか考えてみると言った。
恋は元から慰めてもらいたくて我が家に来たらしく、素直に引き下がった。オレはその事にホッとすると、彼女の気持ちを落ち着かせるために、母さん直伝のハーブティーを淹れた。ハーブを乾燥させただけの茶葉だが、少しは効くだろう。
+ +
オレたちの通う私立桐芝学園には姉妹校がある。完全な女子校である私立聖桜女学院だ。
その聖桜女学園も初等部から大学部までのエスカレーター式で、生徒は全員クリスチャンだ。姉妹校とはいえ、あまり行事は合同で行わないのだが、クリスマスだけは別だった。
クリスチャンにとってはクリスマスは神聖な祭。姉妹校として、この行事に参加しないわけにはいかず桐芝学園の生徒も全員、聖桜女学園の講堂へと集まり聖歌を歌う。
聖桜女学園の生徒の大半は合唱部に所属しており、そのレベルも高い。毎年、桐芝学園の生徒も出会いの時期としてこの行事を楽しみにしている者も多いと聞く。
しかし、女子はそうもいかない。姉妹校の礼儀として、桐芝学園からも数名が合唱部主催の聖歌隊に参加する事になっているのだ。桐芝学園には合唱部などないから、参加する女子は生徒からの投票で決まる。
幼いあの日以来、恋は人前で歌わなくなったのだが、それがかえって謙遜していると見られたらしく、大多数で恋の聖歌隊参加が決まった、との事だった。
+ +
「本当にどうしよう? 陽くん、どうしたらいいと思う?」
オレにはどう答えていいのか解らない。はっきりと、「自分は音痴なので無理です」と言ってしまえばいい、とも思った。けれどそれでは恋が傷つく。
一見大人しいが、実は人一倍努力している恋には、とてもじゃないが言えないだろう。オレにはかける言葉が見つからなかった。
「……ごめんね、陽くん。あたし、陽くんには甘えちゃうんだよね。昔から一緒だったからかなぁー?」
恋は力なく苦笑した。乾いた涙がぶり返しそうだ。
「昔、医者に診てもらった時の診断書とかないのか? ストレスでまたあの声になったら、流石に無理強いもできないだろ?」
オレは妙案を思いついたと思ったが、次の恋の言葉でそれが無駄な事だと悟る。
「……それが、ないの。お父さんもお母さんも、ストレスで声がおかしくなるなんて、あたしがダメなだけだって言って、診断書を捨てちゃったの」
確かに、昔から恋の両親は厳しかったと記憶している。恋の父親は検事で、母親は中学校の教師をしている。世間的に立派と言われる職業の人ほど偏見の目は厳しいのかもしれない。
恋は好きであんな声に、音痴になったわけではないのに。なぜ彼女の両親は解ってくれないのだろう。オレの母さんだったら「気にしないの!」の一言で済ます。
「いっその事、うちの子にならないか?」
オレがそう言うと、恋は困ったように、でもどこか嬉しそうに言った。
「……優しいんだから」
せっかくの楽しいクリスマスの時期を、しょんぼりしながら過ごすしかない彼女が、恋人のいないオレよりも哀れに思えた。
恋はどれだけ苦しい思いをして、クリスマスまでの準備期間を過ごすのかと、やりきれない思いに駆られた。・
「ごめんね。あたし困らせちゃって。でも、頑張るから!」
そう言って恋は我が家から出ていた。
その様子をエミリアもエミリオも神妙な顔で見ていた。余計な事はしないで欲しいが、彼女のあの美声が戻るのなら頼んでみようか? そう思っていると、エミリオが呟いた。
「あの娘、匂うな」
「うん、お兄ちゃんも感じたぁー?」
「……一体何の話だ?」
オレが大した話でもないだろうとうんざりしながら訊くと、二人とも、険しい顔をした。
「彼女からは『亜種』の匂いがする。……それも俺たちの両親を殺した奴の。あの匂い……忘れるものか!」
「ええ、間違いないでーすぅ! あれは人間には分からないでしょーけどぉー、『亜種』の匂いでーすぅ!」
二人があまりにも確信に満ちた声で言うので、オレも少しは変に思った。でもまさか、あの恋が『亜種』なはずはない。なぜならオレと恋の思い出は確かにオレの心と頭の中にあるのだから。
+ +
終業式前、オレは剣道部に顔を出した。竹刀を振れないのは寂しいが、部長の引継ぎという大切な行事があった。
三年生の石橋先輩は、オレを次の部長にと推薦した。顧問の斎藤先生も納得している。
石橋先輩は大学入試はエスカレーター式で決めたと言っていた。それでも難しい試験はあったのだろう。目には真っ黒の隈が出来ていた。石橋先輩はオレ以上の剣道馬鹿だからか、クラスは三年七組だった。そこからよく大学部へと進学できたものだ。
「次の部長は小金井だ。異議は認めん!」
石橋先輩はオレを見つめながら言った。顧問の斎藤先生も石橋先輩の意見に賛成のようだった。
「確かに小金井なら、上手くやってくれるだろう。俺も賛成だ。誰か異議のある奴はいるか?」
反対意見はゼロだった。実力が認められるのは嬉しいが、これからは部長として、部員一人一人に気を配らなければならない。そのプレッシャーは予想以上のものだった。
ただ、今はマネージャーとなった篠原は好意的にオレに拍手を送ってきた。キスをした記憶は彼女の中からは消えているはずなのに……。今の篠原は眼鏡をかけている。
あの夏の日の事が嘘のように、彼女は一心にマネージャーとしての仕事を全うしている。
――……そうだよな。篠原が剣士としての道を断念しても頑張っているというのに、オレが逃げるわけにはいかないよな!
「部長の推薦をありがとうございます! これからはオレが部長として剣道部を盛り上げていきます!」
「次の部長はお前で決まりだな、小金井!」
石橋先輩はオレの成長を喜んでいるようだった。確かに中一で剣道部に入った時には竹刀の持ち方も解らなかった。それを教えてくれたのが石橋先輩だった。そして今日が石橋部長の最後の部活の日となる。
「今まで本当にお世話になりました。石橋先輩がいたからこそ、オレはここまで来ることが出来ました。本当に感謝しています!」
オレは五年間の気持ちを素直に石橋先輩にぶつけた。石橋先輩は少し寂しそうに笑うと、オレの頭を撫でた。
「……次期部長がそんな顔すんな。みんなが心配するだろ?」
石橋先輩はオレの頭を弄った。周りで竹刀を振る連中には期待に満ちた顔、戸惑う顔、嬉しそうな顔などがあった。
「小金井はこいつらを纏めていくんだ。時に厳しく、時に優しくないと部長は務まらないぞ!」
それは石橋先輩からの最後の教えだった。
「オレ、頑張ります! 石橋先輩の大事な剣道部を大切にします!」
オレは泣きそうになっていた。ずっとこのメンバーで続くかと思っていた剣道部が、突然、石橋先輩の卒業で終わってしまうかもしれないなんて。でもオレは後を託された身だ。オレが頑張らなくてどうするんだ。
「先輩、汗が……」
篠原がタオルを持ってきてくれる。彼女は不安そうに俺の顔を見つめる。大丈夫だ、と笑いかける。
オレは石橋先輩には敵わなくとも、オレはオレに出来る事をやればいいんだ、と。そう考えると気が楽になった。
+ +
その午後、クリスマスイブのイベントが始まった。学園中がクリスマス一色だ。星にベルに、トナカイとサンタのステンドグラスが講堂に設置されていた。
この学園はこんな季節の行事に金を使いすぎじゃないのか? オレはそう思ったが、周りにはオレの意見に同調してくれる奴などいなさそうだから黙っていた。
クリスマスのイエスへの祈り、マリアへの祝福。オレはクリスチャンではないから、聖桜女学園のこの風習は何年経っても慣れない。
立食パーティが始まった時、健司がオレの元へと駆け寄ってきた。変わらないなコイツは。
「そろそろだよな、聖歌隊の合唱。恋ゃんも出るんだろ?」
流石は学園でも有数の情報通だ。それに女好きは竜ヶ崎先輩と付き合い始めたからといっても止まらないらしい。
「ああ、恋の奴。緊張して失敗なんてしなければいいけど……」
オレの言葉に、健司はなぜか自信を持って答える。
「大丈夫だ。恋ちゃんはそんなにヤワじゃないぜ?」
お前が何を知っているんだと問いただしたかったが、緞帳が上がる音がする。恋の出番だ。
「続いては聖歌隊の合唱です!」
緞帳が上がり、聖歌隊のメンバーが顔を出した。その中でも、恋は桐芝学園の生徒の中で目立っていた。可愛い顔立ちの彼女が、大人びた聖歌隊の中にまぎれ混んでいるだけでも少し異質だった。
恋は緊張した面持ちでマイクを握りしめている。さぞかし緊張しているのだと、遠くのこの席でも解る。
「それではご拝聴ください!」
わあー、と歓声が巻き起こる。恋にはこれ以上ないプレッシャーだろう。だが、彼女は堂々とステージに立っている。何が彼女をそこまで駆り立てるのか。
恋は音痴ながらも、声が枯れそうになりながらも、一生懸命に歌っている。他のパートと合わないところもあるけれど、これが今の彼女の精一杯なんだ。あっという間にコンサートが終わり、オレは反射的に拍手をしていた。
ステージから降りてきた恋を迎えると、彼女は途端にぐったりした。まさかあの合唱で疲れ果てたのだろうか?
「陽、俺が運んでやるよ」
今まで聖桜高校の学生をじっと見ていた男とは思えないほどに、健司の動きは素早かった。
「待てよ、どこに連れ込む気だ?」
いつもの健司とは様子が違う。その違和感に気づいたオレが問いかけると、健司はどこか諦めたかのような表情で、「保健室だよ」とだけ言った。
何か嫌な予感がする。いつもの学園の行事、ただそれだけなのに。
+ +
「間違いありませぇーん。ケロケロ君曰く、恋さんの好感度は九十オーバーでーすぅ!」
姉妹校合同のクリスマス合唱の成果を聞きに来ていた、エミリアとエミリオは互いに頷き合った。
「じゃあ恋はオレの事が好きって事か?」
「そうですねぇー。多分大好きの部類に入ると思いますよぅー?」
いいですよねぇ―幼馴染! と、この呑気なピンク頭が無責任に言い放つ。
「それにしても健司さん、でしたっけぇー? すっごく気になるんですよねぇー。まるで昔の知り合いみたいな感じでぇー」
妹の言葉にエミリオも頷く。
「確かに。……どこかで見た記憶があるような気がする」
「何を言ってるんだ? 健司はオレの中学からの悪友だぞ? それを悪く言うなんて許さないからな!」
するとエミリアの表情が曇った。
「でもぉー、やっぱりぃーどこかで見たことがあるんですよねぇー?」
「気のせいだろ」
オレはそれ以上話したくなくて、二人から離れた部屋へと向かった。
「そうだ、保健室に行こう。恋も健司もあそこにいるだろうし」
オレはただ人恋しくなって、保健室に向かう事にした。それに健司を悪く言う二人から離れたかった。それに、恋をねぎらいたい気持ちは大ありだったし。
+ +
保健室では彼が気を失った恋を見つめていた。
「ごめんな。お前の綺麗な声を奪っちまって」
彼は詫びるように前かがみになる。恋は未だに目覚めない。
「……俺にはもう必要ないから返すよ」
彼が胸元を開いた。そこには沢山の穴があった。その中から一つの『能力』、『美声の能力』を彼女に返す。彼女は意識がないが、いずれ目覚めるだろう。その時に、自分の声が元に戻っている事を知るのだ。
彼にとっても悪くない事だった。あの時は追跡者から逃げるために、幼かった彼女から美声をやむなく奪ってしまった。その事を、ずっと気に病んできた。
「そこまでですよぅー!」
いつの間にか保健室にはピンク頭と緑頭の兄妹がいた。ピンク髪がエミリアで、緑髪がエミリオだ。
「あの時から俺をつけてたのか?」
佐々岡健司は声を低くして問うた。
「当たり前でしょうーぅ? あなたはわたしたちの両親をぉー……」
「殺した!」
エミリアの言葉をエミリオが引き継ぐ。二人の目には迷いがなかった。二人の目には殺意がギラギラと浮かんでいる。やっと見つけた両親の仇。ここで逃がすなど絶対にありえなかった。
やっと巡ってきた復讐のチャンス。健司はため息をついた。彼らしくもなく。
更に間が悪い事に、小金井陽が保健室に入ってきた。どうやら恋の事が気になったらしい。しかし、この一触即発の雰囲気を見ると陽は激怒した。
「何してんだよ? エミリアもエミリオも、それに健司も……」
そんな陽の言葉は無駄だった。エミリアは隠し持っていたナイフを構える。
「コイツがわたしたちの両親を殺したんですよぅー!」
陽には話がみえない。しかし罵倒の言葉は続く。
「貴様が俺たちの両親を殺したんだろう? 男ならはっきり答えろ!」
健司は何も言わない。言い訳をするのが面倒臭いと思っているようだ。
「そうだ、お前たちの両親を殺したのは俺だ。あの二人の能力が欲しかった」
そこでやっと陽は、健司が『亜種』だと気づいた。確か『亜種』とは新種と敵対する者。とてもではないが、健司が亜種とは思えなかった。
中一からの悪友兼親友で、一番仲の良い奴だった。
+ +
「……まさか、健司が『亜種』? 嘘だろ?」
オレの心にいつもある健司は偽りとでもいうのか? いつもちゃらちゃらとした遊び人は仮の姿だった?
「『亜種』は滅ぼさなきゃ! でなきゃ、みんながわたしたちと同じ気持ちを味わう事になるんですぅー!」
オレが絶句していると、エミリアは不機嫌な顔を崩さずに、甘い奴だという反応を返した。でもそれでも、健司はオレの悪友兼親友で……。
健司はひとりごちる。それは淡々としたもので、言い訳は一切なかった。
「……俺は『他人の長所を自分のものにする能力』を持っている。恋ちゃんには散々世話になった。そのせいで彼女はずっと辛い思いをしてきた。今更だが、俺は恋ちゃんに歌声を返す。こんな事で許してもらえるとは思わないが……」
健司の声は今まで聞いたどんな声よりも真摯だった。本当に悪いと思っている声色。それは長い付き合いであるオレでも一度も聞いたことがない声だった。
「でも、この辺りが限界かもな」
健司は両手両足を開いた。それはエミリアとエミリオに何をされてもいいような、諦めを含んだ仕草だった。
「ダメだ! 健司!」
しかし、エミリアもエミリオも、何も制裁を加えようとしない。
「こんな腑抜けが俺たちの両親を殺すなどありえないな……」
エミリオが気だるげに言う。エミリアは怒りに肩を震わせている。
「どうしてぇー、お兄ちゃんー?」
「新種であろうが、『亜種』であろうが、この男を殺しても無駄なだけだ。……何しろ陽が味方についているんだからな。俺には殺せそうもない」
エミリアはムキになって健司を攻撃しようとするが、エミリオが一切攻撃を加えようとしないためか、ナイフの切っ先はただ空を切るだけ。
「陽さんはどうしてこんな男を庇うんですかぁー? 信じられませんよぉー!」
エミリアの怒りは確かにもっともだ。オレだって両親が殺されたら、その相手を怨まずにはいられないだろう。しかしオレは健司の事を知り過ぎている。
何だって許し合える、大切な親友。それが失われるのを黙って見ている、なんて器用な真似がオレに出来るとは思えない。
「健司はオレの親友だ。お前になんて殺させない!」
唖然とするエミリアをよそに、オレは健司は連れて保健室を出て行った。
保健室から出ると、そこはクリスマスの雰囲気で満ちていた。クリスマスツリーは電飾で光っている。
「逃がしませんよ! せめて、なぜわたしたちの両親を殺したのかを訊くまではぁー!」
エミリアがそう問う。健司は逃げず、立ち止まる。
「……『亜種』は嫌われ者だ。お前たち新種によって狩られる。『亜種』は圧倒的に数でいえば『弱者』だ。お前たちの両親は俺を殺そうとした。だから反撃した。……正当防衛だった」
「そんな……!」
エミリアの目が驚きで見開かれる。オレも驚いた。健司が『亜種』だった事にも、エミリアたちの両親を殺した事にも。それでも……健司は大事な友達だ。
オレは健司を連れて、廊下へ抜ける。逃げるなら、エミリアが呆然と立ちすくんでいる今がチャンスだ。
+ +
「さっきはサンキュ。庇って貰っちゃって」
健司がいつもと違った神妙な顔で言う。本当にコイツがエミリアたちの両親の命を奪ったのか? そう考えるとぞっとする。
「……驚いただろ? 俺のせいで恋ちゃんには辛い思いをさせた。その点は本当に悪かった!」
「正直、どっちを信じたらいいのか解らなかった。……でも健司はいい奴だ。オレにはそれで十分だ」
もうあまり突っ込んだ話はしたくなかった。せっかくの聖夜、せっかくのクリスマスイブに、そんな無粋な話はやめよう。
健司はそんなオレの考えを察したのか、急にいつものだらしない顔に戻った。
「そうだ、確か俺、桃のところに行く予定だったんだ! だからわりィ、クリスマスは一人で過ごしてくれ!」
健司は全く悪いと思っていない顔で駆け出した。でもそれも仕方がないのかもしれない。竜ヶ崎先輩はああ見えて、尽くされたいタイプだから。
オレはこれからの時間をどう過ごそうかと、頭を悩ませた。しばし考え込んだ後、恋の顔が頭に浮かんだ。恋の『美声』を返したというのなら、声も元に戻っているはずだ。
俺は保健室へと引き返した。
+ +
保健室に着くと、恋以外誰もいなかった。保険教諭も昼飯の時間らしい。
俺は遠慮がちに恋のいる辺り、眠っているであろうベッドサイドのカーテンを開ける。
「……大丈夫か?」
オレの声に応えない。長年の弊害かと思ったが、か細い返事が聞こえる。
「陽くん……」
それはこの数年のだみ声ではなく、恋の持つ本来の透き通るような美声だった。この声で歌ったらさぞかし多くの者を魅了するだろう。
「陽くん、寒そう」
そう言って、彼女がオレの首に巻き付けたのは、インディゴブルーのマフラーだった。最近改めて意識しだした恋に巻いてもらったせいか、胸がドキドキする。
「余り物の毛糸で編んだんだけど、気に入らなかったら捨ててもいいからね?」
気のせいか、それとも意識しすぎか、恋の頬が赤い。よく考えてみるとこれはチャンスだ。このチャンスを逃さないよう、オレは彼女の両手首を握りしめる。
「恋、オレはお前が好きだ」
予想通り彼女は顔を更に真っ赤にして何か言葉を探している。……ずっと一緒にいて当たり前だと、気づかなかったけれど、オレは恋が好きだったんだ。
それがここ最近の、夏からの出来事でやっと気づいた事実だった。
止まらない想いを抱いたまま、オレは数分その場で待った。
「……あたしも陽くんのことが好き」
小さな、綺麗な声でそう言った恋が愛しくてたまらなかった。
オレと恋は長く続くだろう。そんな不思議な確信があった。照れくさくて、いきなり一緒に登下校は出来ないけれど。
「あたしたちもいつかはあんな風になりたいね!」
あんな風、とはきっと健司と竜ヶ崎先輩のことだろう。
「そうだな。……でもしばらくは勘弁してくれ。照れくさくて……」
「それじゃ『付き合う』意味がないじゃない!」
そう勢いよく反論される。その声の澄んだ響きは昔からの、忘れようにも簡単には忘れられない、紛れもない恋自身のもの。
オレと恋はどちらからともなく、軽くくちびるを合わせていた。
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