第46話 雅楽先輩と異世界の話

「うわぁっ!」


 “帰還の扉”へ飛び込んだ私に降ってきたのは、雷でも女神の声でもなく、悲鳴だった。振り返ろうと首をひねった瞬間、私はどちゃっと地面に墜落する。そして、運の悪いことに、更にどさっと上から重いものが降ってきた。


「いったたたた……」


 じゃり、と、掌の下の地面が鳴った。土よりも硬いその感触に目を開けると、見慣れたアスファルトが視界に飛び込んでくる。──そうか、帰ってきたのか。そう思った私は身体を起こそうとし──上に乗ったものの重さで断念した。

 だが、上の重石は私が身じろぎしたことでごろんと転がり落ちた。謝罪と共に降りたそれは──


「ごめん! 大丈夫か!」

「……先輩、なんでいるんですか」


 焦りまくる雅楽先輩に、私は困惑した声を投げかけた。残ったはずじゃなかったのか、雅楽先輩。


「なんで──なんでなんだろうね。僕も残る予定でいたんだけど、センウィックが」


 訊けば、私が“帰還の扉”に飛び込んだ直後、センウィックに押し込められたのだという。あんな小さなハリネズミにしてやられるとか、先輩ちょっと弱すぎやしませんか?


「不意を突かれた上に、アウィラがとどめを刺してきた」


 先輩を押し込んだのはセンウィックだけでなく、先輩に心酔していたアウィラもだったらしい。たしかに先輩が残ると言いだしたときのセンウィックはひどく反対していたし、アウィラも同じ意見だったように思う。言って聞かないから、二人して実力行使に及んだのだろう。


「……今、いつなんですかね」


 コメントに困った私は、センウィックたちの所業には触れず、こちらの世界の話を振った。結構扉を探すのに時間を食った記憶はあるが、一体どれくらい私たちはこちらの世界を留守にしていたのかというのは、私が一番懸念する事項だった。


「えっと……ああ、しまった。荷物は全部向こうか」


 なにかを探そうとした雅楽先輩だったが、自分が手ぶらであることに気づいて苦い顔をした。よく見れば、制服姿の私と違い、向こうに残る気だった先輩はディオシア風の衣装のままだ。鞄も持っていない。


「携帯はある?」


 問われて、私はスマホを取り出した。日付はあの日の翌々日になっている。


「丸一日は行方不明だったみたいですね、私たち」

「そうか……。今何時?」

「六時前です。早朝ですね」


 ここはどこだろうとまわりをきょろきょろとしてみれば、雷に撃たれたあの場所であるようだった。時間に変動はあるものの、場所の変動はないらしい。


「とりあえず、家まで送る」

「えっ、大丈夫です、帰れます」

「いや、危ないし、不在だった時間の説明もあるだろう」

「説明って……大丈夫ですよ」


 一日以上行方不明だったのだ、全然大丈夫などではない。でも、私は先輩の申し出を断った。ウチの家族につるし上げを食らったらただでは済まないと思う。


 多少の押し問答はあったものの、結局家の近くまで送ってもらうことで話はついた。もちろん、謝罪や説明はなしだ。このタイミングで家族の前に先輩が顔を出したら、きっと血の雨が降る。


「じゃあ、また学校で!」


 手を振って別れたものの、異世界ディオシアに制服や鞄を置いてきてしまった先輩がどうやって学校に来るのか、ちょっと不安になった。どうするんだろう。

 でも、まぁ、異世界転移慣れしている先輩ならどうにかするのだろう。そう結論付けた私は懐かしい自宅の鍵を開けた。


          ◆


 帰宅したあとは、大騒ぎだった。両親も兄たちも、私に抱き着いて泣き出す始末だ。

 いままでどこにいたのか、身体に異変はないのか問われた私は、すっとぼけることにした。つまり、「学校からまっすぐ帰ったけどなにか?」とやったのだ。下校したのが夕方だったのに、今が朝だということなどまるっと無視だ。そう、誘拐や家出ではなく、神隠しのフリをしたのである。あくまでも私はどこにも行っていない。まっすぐ帰った。今が翌々日の朝? なんでそうなったか私は知らないよ! 身体に異常なんてないよ! もう、それですべて押し通した。病院やら警察やら連れて行かれたけれど、ディオシアの話は一切しなかった。──しても、信じてもらえないからだと、思ったからだ。


 そう、異世界に行ってきたなど、普通の人は信じない。雅楽先輩と同じ状態に置かれて、私はようやくそれに気づいた。

 雅楽先輩から初めて異世界の話を聞いたとき、私はただその話の面白さにばかり目が行って、それが現実だったかどうかなんて気にしなかった。だから先輩の話を普通に受け入れて聞いていたけれど、いざ自分が同じ立場に置かれたとき思ったことは……恥ずかしいことに、「こんな話、信じてもらえないな」だった。信じてもらえないだろうし、心配かけるだろうし、なにより説明に困るということで、私は家族にも誰にも本当のことを話すのを諦めたのである。

 検査やら聴取やらなにやらが終わって、ようやく自室へ戻れた私が思ったことは、いろいろと誤魔化すことへの恥ずかしさと、この体験をまっすぐに公言して憚らない先輩への尊敬の念だった。

 先輩という神隠しの先駆者がいたせいなのかなんなのか、私の神隠し説は割合すんなりと信じてもらえた。中学卒業後に引っ越してきたので知らなかったが、この星ヶ丘という地は、昔から神隠しの言い伝えがあったのだそうだ。「現代でも、たまに神隠しに遭う人がいるんですよ……」と、神妙な顔で呟いた年かさの警官に、私はこっそり手を合わせた。現代で神隠しに遭ったというのは、きっと雅楽先輩だろう。もしかしたら、過去に神隠しに遭った人というのも、鬼畜女神の所業なのかもしれない。

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