第45話 雅楽先輩としばしのお別れ

 王様たちの無事な姿を見れて満足した私は、また次の扉に取り掛かった。ユーフィの姿はなかったけれど、ユーフィは人目を避けているようなそぶりがあったから、あんなすごい人混みには混じらないのかもしれなかった。お別れは帰る前に告げていたからいいけれど、やっぱり最後に顔が見たかったな、と、少し残念に思う。


 皆は息を殺してこちらを見ているようで、部屋に入ると扉がたてるばたんばたんという音しか聞こえない。これは扉を開けるまで存在に気づかなかったはずだ。皆、静かすぎる。集中できるようにってことなんだろうけれど。

 事実、私は扉を開けて行くにつれ、そのことしか考えられなくなってきた。静かすぎるのも集中できないけれど、扉の開閉音が静寂とは程遠い環境を提供してくれている。最初はうるさい気もしたけれど、慣れたらそれも気にならなくなってきた。

 まぁ、なにより扉と対峙していると、だんだん扉のことしか考えられなくなってくるのだ。いけどもいけども扉。扉、扉、扉。開けてもそこには普通の光景しかなく、光る場所に通じている扉は見つからない。


 普通の扉に焦りを感じたそのときだった。遠くから合図の笛の音が響き渡った。響くミの音は──ラクィセルさんのものだ。


(とうとう、見つかったんだ……)


 笛の合図に、私の胸はどきりと高鳴った。鳴り続ける笛の音は、私の帰還の合図でもあり──先輩との別れの合図でもあった。

 音がした場所に駆けつけるのは怖かったけれど、その躊躇いのままここに佇んでいたら、私は元の世界に戻れない。

 私は拳を握り締めると、床を蹴って走り出した。


「ノノ!」


 センウィックの魔法の笛は、吹いていなくても一定時間音が鳴り続けるというものだったから、私が駆けつけたとき、ラクィセルはもう笛から口を離していた。

 そんなラクィセルに名前を呼ばれて、私は慌てて部屋に飛び込む。


「見つかったんですね」

「ああ。寂しくなるな、いなくなると」


 見つかった“帰還の扉”は、試作中のドレッサーの鏡の裏だった。訊けば、王妃様のために便利なドレッサーを作ろうと、先輩が向こうのドレッサーの説明をして、お城の人が試行錯誤している途中の品だという。鏡を開くと、こう……裏にアクセサリーなどを仕舞っておくスペースが現れるという、あれだ。


「それにしても、これは扉なんですか?」


 それは、どう見ても扉ではない。だが、鏡の向こうは光に満ちていて、それが私たちの世界へと繋がっていることを教えてくれていた。

 首を傾げる私に、ラクィセルは腕組みをすると、ふんっと鼻を鳴らした。


「本来は扉じゃないけれど、こう、リトたちの世界と繋がっているところを見ると、扉としてカウントされているんだろうな」

「なんで開けようと思ったし」


 私だったら、絶対開かない。

 そう思って訊くと、先輩の二回目だかの帰還の際、こういう“扉ではないけれど、人が通れるサイズの開けるもの”が“帰還の扉”として採用されたらしい。それを覚えていたラクィセルは、開けるものはすべて開いていったそうだ。


「見取り図に、そう書かなかったっけ」

「そういえば、あったかもしれません」


 ちょっと呆れたように先輩が言う。いいじゃないですか、見つかったんですから。


「それはともかく、これはちょっと入りにくいですね」

「まぁ、入れないことはないだろう」


 入るとしたら、上半身を入れて、その後下半身だろうか。机部分に乗っていいのなら、そうだな……茶室のにじり口みたいな感覚だろうか。大きくはないけど、入れなくはない。


「じゃあ……のほほん、気を付けて」

「先輩も、怪我とかしちゃダメですよ? ちゃんと帰ってこないとダメですからね! 私、怒りますよ!」


 ドレッサーに手をかけると、先輩が声をかけてくる。その声が、少し名残惜しげだと思うのは、私の感傷だろうか。


「それじゃ、皆さんお世話になりました!」


 最後に振り返って皆を見る。アウィラ、センウィック、ラクィセル、アクィナ。仲良くなった人たちがそこにいた。気が付くと、中庭にいたはずの王様たちも集まってきている。

 異世界になんて一生行くことはないと思っていたけれど、なんの因果か来ることができて、一月余りの滞在だったけれど、楽しく過ごせて、こうやって無事帰ることができるのは、とても幸せなことだった。なかなかない経験をしたと、そう思う。

 ここの人たちとはもう会うことはないと思うけれど、手紙くらいは先輩を通じてきっと送ることはできるだろう。そう思うと、永遠のさよならではない。

 それなら、きっと相応しいのはこの言葉だろう。


「皆、またね!」


 そうして、私は“帰還の扉”に飛び込んだ。

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