第41話 帰れない雅楽先輩
雅楽先輩の思いがけない発言に、私は動けなかった。
だって、一緒に帰れると思っていたのだ。ひとりで帰る羽目になるとか、思ってもいなかった。
帰った先のあの日常に、雅楽先輩がいない。
HRが終わって家庭科準備室に向かうと、いつも本を読んで待っていてくれた先輩がいない。
──そんなの、嫌だ。
黒雲のように湧き出る嫌な気持ちに、私は慌てて蓋をした。先輩は帰りたくないんじゃない。こちらが心配で帰るのを延ばすだけだ。二度と会えないわけじゃない。もしかしたらしばらくの間行方不明扱いになるのかもしれないけれど、帰ってこないわけじゃないのだ。きっと。
「アウィラもラクィセルも、なにか言ったらどうなんだよ!」
糾弾するセンウィックの声に、アウィラが口を開く。薄い水色の瞳は、少し苦しそうな光を宿して見えた。
「私たちも、リト様をおとめしたんです。ですが、どうしてもディオシアが心配だと」
「ばっかじゃないの! リト、ノノをひとりきりで帰すつもりなの? それってどうなの? 知らないよ、むこうでなにかあっても!」
なにかあってもと言うが、なにかあるのだろうか。帰還の扉を探すのはタイムアタック制だとは聞いていたけれど、他にもあるのだろうか。
不安に駆られた私は、思わず縋るようなまなざしを雅楽先輩へ投げかけてしまう。
けれども、センウィックの言葉にも、私の視線にも、雅楽先輩は沈黙を返すだけだった。
その日の夜、私はアクィナに尋ねてみた。
「アクィナ、昼間の件だけどさ」
「なんですの」
翌朝使う洗顔用の水を準備しているアクィナは、私の方を振り向くと首を傾げた。ここにきた直後はすげない態度だった彼女も、雅楽先輩の不在期間中に仲良くなってからは、私に対してもその愛らしさを十二分に発揮している。
「先輩が帰らないって言ったとき、アクィナ、あんまり嬉しそうじゃなかったなって」
そう、雅楽先輩に恋心を寄せるアクィナだったが、昼間先輩がディオシア残留を宣言したとき、彼女は嬉しそうな顔をするどころか、すごく複雑そうな顔をしたのである。
「だって、嬉しくなかったんですもの」
私の問いかけに、アクィナは予想外の返答を返してきた。
「え? 嬉しくなかったの? 先輩と過ごす時間が増えるんだよ?」
「当然ですわ。だってリト様はこちらに残りたくて残ったわけじゃありませんでしょう? そんなの嬉しくもなんともありませんわ。それに──」
アクィナは、その綺麗なアイスブルーの瞳を翳らせる。憂い顔も決まっているとは、さすが美少女。
だが、そんな明後日なことを考えていた私に、次のアクィナの発言は思った以上の衝撃を与えてくれた。
「わたくし、実のところ、リト様のことは諦めてますの」
「はぁ!?」
すっとんきょうな声を上げる私を、アクィナはかすかに目を眇めて見やった。
「なんで……まぁ、そんなことを」
「驚きすぎですわ」
「そりゃ驚くでしょ。あんなに好き好き光線発してたのに」
先輩から鬱陶しがられるほどの好意をぶつけていたのに、実際はその恋を諦めているとか、どういうことなのだろうか。恋愛に疎いというか、縁のない私にとってその理由は推し量ることはできなかった。
「まだ完全に切り替えはできてませんけど」
そう前置きして、アクィナは話し出す。
「リト様を見てましたらね、勝てないなぁ、と」
「先輩に勝つ気でいたの?」
「そうじゃありませんわよ。ノノ、鈍感にもほどがありますわ。もうちょっとリト様のことを思いやってくださいまし!」
話の腰を折ったら怒られた。
「ノノは恋をしたことはありませんの?」
「ないなぁ」
「お子様ですのね!」
ハッと鼻で笑うと、アクィナは仕方ないなぁというように肩をすくめる。年齢は変わらないはずなのに、アクィナから見た私は、どうにもこうにも子どもっぽいらしい。
「この年齢になって、初恋もまだなんて」
「言うねぇ。……あのさ、私、中学のとき──ああ、昔ってことね。二年前の話なんだけど、友達がさ、恋愛関係でこじれちゃって、仲違いしてくのを隣で見てることしかできなかったんだよね。同じ人を取り合う二人の間に入ったりもしたんだけど、どうにもダメで」
「お節介焼きなのは変わらないんですのね」
仲良くなっても、アクィナの毒舌は健在だ。まぁ、その通りだからなにも言えないんだけど。
「すごく仲良かったのに、その二人、喧嘩してからは一言も話さなくなっちゃって。結局、卒業までそのままで。それ見てたら、恋愛って怖いなって思って」
「やっぱりお子様ですわ」
アクィナは繊手を伸ばすと、ピン! と桜貝のような爪の先で私のおでこを弾いた。地味に痛い。
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