第36話 雅楽先輩と怒りの激辛料理

 センウィックは、恐る恐る雅楽先輩の手料理に手を伸ばした。小さな体躯の彼は、そんなに量が食べれない。だから、先輩は笑顔で「センウィック専用のを作ってあげるね」と、笑顔で小皿にそれぞれの料理を少しずつ盛りだした。全部の料理をまんべんなく、だ。鬼の所業だと思う。

 全身を体毛で覆っているので顔色の変化は見て取れないが、それでも明らかにセンウィックは真っ青になる。つぶらな瞳がきょどきょどと落ち着きなく動くので、彼が混乱しているのがわかるのだ。……可哀想に。

 思わず「動物虐待反対!」と言いそうになり、思いとどまる。彼らは動物ではない。人だ。ましてやセンウィックは私や先輩より年上だと言っていた。だとしたら──なんと言ってとめるのが正解なのか。

 私は雅楽先輩の顔をそっと窺った。先輩は真顔だ。家庭科室でよく見たその表情は、特に感情を読ませない。こちらにきてからの先輩は常に表情豊かだったから、妙に懐かしい反面、なんだか怖い。心に壁を作られたみたいだ。

 その空気は私以外にも伝わっているのか、アウィラとラクィセルも無言を貫いている。お通夜か。

 いたたまれなくなった私は、料理に手を付けることにした。特に私は辛い料理に抵抗はない。激辛料理は別だけど。


「いただきま~す」


 手を合わせ、先輩の手料理を口にする。朝食のときも思ったが、先輩は料理がうまいと思う。


「あ、チリコンカンはパンに挟むといいよ」


 食べたことないからという理由で、私はチリコンカンに手を伸ばした。

 チリコンカン──要は豆料理だ。チリパウダーを使った気がするけれど、それもお手製なのだろうか。訊くと、さすがにチリパウダーと豆板醤は日本から持ち込んだらしい。なお、使われていた金時豆は、甘煮を作ろうと朝から水に浸していたそうだ。……マメな人である。

 パンに挟んだものを食べてみると、チリパウダーを使っているだけあって多少スパイシーな辛さがある。が、おいしい。思ったほど辛くないし、なによりパンに挟むことで辛さを感じない。


「かっ、辛っ……リト、おま、これのどこが辛くない、だ!」

「…………っ」


 私が平然と料理を味わっていると、同じように別工程の料理を口にしたアウィラとラクィセルが、同時に口を押さえた。ラクィセルは文句を口にするが、アウィラは無言で口を押さえたままだ。彼らが口にしたのは麻婆豆腐だ。


「あ、速攻であたり引いた? わかりやすくそれは花山椒をかけたから、匂いでわかるかと思ってたんだけど」

「俺はウィ族じゃないから、そんなに鼻は利かねぇって……」

「……いろんな匂いが混ざってて、油断していました……」


 お水をがぶ飲みする二人は、若干涙目だ。そんなに辛かったの?

 そう思って麻婆豆腐に口を付けたが、特に辛いことはない。むしろ甘口だ。ひとつだけ激辛料理と言っていたが、その激辛料理がこの辛さだとすると、先輩なりに手加減はしているのだろう。

 だが、横の二人──ちなみに席順は、私と雅楽先輩が横並び、対面にアウィラ、ラクィセル、センウィックの順で並んでいる──の様子に怯えたセンウィックは、ちょうど口にしかけていた麻婆豆腐を皿に戻した。


「アウィラたちの他の料理には唐辛子使ってないから、安心して食べて。さっきのほほんが食べてたチリコンカンも、きみたちのは実はそう見えるだけでひき肉入りの豆料理なだけだから」


 にっこりと、笑顔で雅楽先輩は言う。

 だが、今まで真顔だっただけに、雅楽先輩の笑顔は裏になにか隠れていそうで怖い。辛いものが苦手な彼らにとって、それは殊更そうなのであろう。


「あ、辛くない……」

「リト様、おいしいです」


 他の料理を口にしたアウィラとラクィセルは、あからさまにほっとした様子を見せた。そんなにダメなのか、辛いもの。

 それにしても、先輩の料理はおいしい。私はエビチリ、チリコンカン、麻婆豆腐に続けて、キンピラや担々麺にも手を付ける。どれもさほど辛みを感じさせない程度に押さえてあっておいしい。辛い方がおいしいのもあるだろうけど、これはどれもが子どもが食べるための料理っぽいかも。数はあるけれど量はないのが助かる。


 そんな私たちの様子を見て、センウィックが恐る恐るスプーンを握り直した。麻婆豆腐は怖いのだろう。センウィックはそれを避けて、隣のキンピラを口にする。食べる前に中に入っている唐辛子の輪切りを避けるよう助言すると、ものすごい勢いで首肯された。


「辛……っ! 辛い、辛いぞリト!」

「そりゃ辛く作ってるもん。それでも辛みは押さえてるんだよ? だから前のカレーより辛くないでしょ。きみ、水出さなくてもいけてるじゃん」

「たしかに、食べれるくらいの辛さだけど……」


 唐辛子を避けたキンピラでも、センウィックには辛かったようだった。どうやら、センウィックの辛さメーターは私のものよりずいぶん低いようだ。……大丈夫か、センウィック。


「無理しない方がいいよ……」


 助け船を出すと、意外にも隣の雅楽先輩からも同意を得られた。さすがにやりすぎたと思ったのか。


「センウィック、全部食べろとは言わないから、全部一口ずつ食べてね」

「リト! それは全部食べろと言ってるだろう!」

「いや、完食しないでいいだけでだいぶ違うと思うよ。ほら、パンやごはんと一緒に食べると食べれると思うし。……あたり以外は」

「え……でも」

「食べてね。こんなに品数作ったのも、センウィック、きみに食べさせるためだからね」


 一瞬手を差し伸べたかに見えたが、雅楽先輩は追及の手を休めない。鬼畜な方法で料理を進めると、またもやにっこり笑うのだから恐ろしい。

 そんな笑顔に逆らえなかったのだろう。センウィックは目を瞑ると、苦手な料理たちに立ち向かっていった。頑張り屋だな、センウィック。

 心の中でセンウィックの健闘を称えながら、私はラザニアに手を伸ばした。さすがに辛みが押さえられてるとはいえ、辛いものばかりだと口直しが欲しくなる。

 だが──


「あっ、待て、そこはダメ──」

「ッ!! 辛ッ! 辛~!!」


 ラザニアを口に入れた私は、叫びながら口元を押さえた。先輩がなにか言いかけたようだったけれど、そんなのは耳に入ってこない。

 なにこれ、この暴力的な辛さはなに? 痛い! むしろ痛い!


「よりによって僕用の一番辛い部分に手を出すとか……」

「そんなんわかるかっ!」

「わかりやすく上にカイエンペッパー置いてたでしょ」

「見たことないわそんなもんっ!」


 丁寧語もなにもかもかなぐり捨て、涙目で先輩の胸ぐらをつかんで怒鳴ると、しょんぼりと謝られた。


「ごめん……やりすぎた。あ、水は飲まないで、逆効果だから。レモネードあるから飲んで。酸っぱいけど、それが効くから」


 背中をさすられつつ、渡されたレモネードを口にする。かなり酸っぱい。甘さゼロか。

 だが、それがよかったようだ。訊くと、唐辛子の辛さを中和するには酸味がいいのだそうだ。知らなかった。

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