第35話 雅楽先輩特製・ロシアンルーレット

「ほんとごめんなさい……」

「いいよ、びっくりしただけだから。大丈夫だよ、センウィック。ほら、うーたん先輩、私たち仲直りしましたし、もう大丈夫です!」


 私とセンウィックが目線を合わせられるようにと、ラクィセルが大きな身体をを丸めるようにしてかがんでくれた。その肩の上で、しょんぼりとセンウィックが謝罪の言葉を口にする。そこには、いつもの勢いはない。なんだか胸が詰まって、私はその小さな小さな手にそっと触れた。

 目の前で手を取り合う私たちを見て、どうにか先輩の怒りは治まったらしい。ほっと胸をなでおろしたところに、センウィックのうっかり発言つぶやきが重なった。


「も~、ノノのことだからってそんなに怒んなくてもいいじゃん」

「は?」


 センウィックの呟き声はとても小さいものだったが、それはきちんと雅楽先輩の耳に届いてしまったらしい。抜き身の刀を突き付けられたみたいな、ぞわっとした先輩の声に、一瞬にしてその場の空気が凍る。


「僕の転移に巻き込まれただけの、本来なんの関係もない後輩が怪我するかどうかの事故を、僕が気にしなくっていいと? へぇ?」

「そうじゃなくて、だってリト……」

「センウィック? きみ、どうやら反省してないみたいだよね? 僕は考えて行動しろって話をしなかったっけ? 今」


 ひええ! 先輩の周りをなにかが渦巻いてる!

 私は慌てて雅楽先輩と距離を取った。冷気と稲光のようなものがズズズと渦巻いていて、物理的に側にいると怪我をしそうだったからだ。心なしか、地面も細かく揺れだしている。これも、先輩の仕業……なんだろうな、きっと。


「リト様! ここはお収めください! 町が壊れます!」

「そうそう! リト、夕飯でやりかえすんだろ? ここは引けって」


 臨戦態勢に入った雅楽先輩に、アウィラとラクィセルが明らかに焦った声を出した。その声に、ちらりと先輩の飴色の瞳が動く。


「ああ……そうだったっけ。うん、それじゃ、腕によりをかけて作るね。二人も来てよね」

「えっ、私たちもですか!?」

「いや、俺らは遠慮したいな、とか……」


 先輩の料理の腕は悪くない。それどころか、振る舞ってもらった朝食はかなりおいしかった。なのに何故ここまで嫌がられるのだろうか。

 少し考えて、その理由に思い至る。そういえば、こちらの人たちは皆甘党だった。ラクィセルなんかは辛党っぽい雰囲気なのに、先輩の言葉に腰が引けてるってことは、やっぱり甘味一筋なのだろうか。


「そう言わないで、久しぶりに皆で食事しようよ。ね?」


 清々しいまでの笑顔を浮かべて、雅楽先輩はそう締めくくった。


          ◆


 皆で食事をしよう。先輩はそう言っていた。

 そしてそれは実現され──今、再び涙目のセンウィックを目の前に、私は困惑している。


「センウィック、好きなだけ食べて。あ、これロシアンルーレットって言ってね。中にいくつか辛いの混じってるから。で、ひとつだけ激辛料理があります」


 鬼! 鬼がいる!


 帰るなり料理を始めた雅楽先輩は、棚からどんどん調味料を出して、スパイスの利いた料理を大量に作り始めた。

 そして今、私たちの目の前には赤い料理が並んでいる。麻婆豆腐、エビチリ、チリコンカン、ごぼうと人参のキンピラ、担々麺、茄子とベーコンのアラビアータ、トマトソースたっぷりのラザニア……とにかく赤か茶色い料理ばかりである。

 しかも、いくつか辛いのが混じってるって言ってたけど、これ、大半が辛いやつですよね? 大丈夫そうなのってラザニアくらい? それって“いくつか”じゃなくて、“ほぼ全部”ですけど?


「先輩、さすがにこれは」


 センウィックは先輩の逆鱗に触れたっぽいけれど、他の二人は無罪だと思う。そんな二人にまでこの料理を振る舞うとか、さすがになしなんじゃないだろうか。

 そう思って口を挟むと、その二人のは別皿らしい。何故そこまで凝るんだろう。


「これ……全部食べなきゃダメ?」

「当然」


 ふるふる震えるセンウィックに、にべもない返答を返した雅楽先輩は、にっこりと綺麗な笑顔を作った。


「おいしいよ? ほら、僕らも同じ皿から食べるからさ」


 たしかに、センウィックと雅楽先輩、そして私の前には取り分け皿がいくつか置いてある。


「ま、待って……ホント、無理」

「暴れて水を流してもいいように、風魔法で結界張ってあるから。安心して食べて」

「食べれるか! おまえ鬼だろリト!」


 おろおろしていたセンウィックだったが、先輩の笑顔にさすがにキレたようだった。噛みつくように叫んだが、雅楽先輩は涼しい顔でスルーする。怖い。


「食べてから言ってよ。ほら、のほほんも食べて。たくさんあるし。いただきまーす」


 綺麗な所作で手を合わせると、雅楽先輩は率先して大皿に盛られた料理に手を出した。絶望的な眼差しでセンウィックがそれを見送る。


「センウィック、一応アクィナに頼んでデザートに甘いもの、用意してもらったから」

「アクィナのは別の意味で拷問だし!」


 センウィックが可哀想になった私は、ここに来る前に頼んだ口直しのことをこそっと教えたが──間髪入れずに断られた。アクィナのスウィーツはディオシアの住人にも甘すぎるのか。


「あ、先輩も食べるからって言ってあるから、多分……大丈夫、だと思う」


 確証はなかったが、多分雅楽先輩大好きっこなアクィナは、先輩の口に入るものに関して多少は手加減してくれると思う。それを伝えると、三人は不承不承といったていで皿に手を伸ばした。

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