第34話 穴の中に雅楽先輩

 センウィックの掘った(?)穴は、意外と深かった。一瞬にして奪われた視界に、私はパニックになるか……と思われたが、そうでもなかった。おお、落ちてる! と、我ながら笑えるくらいに冷静だ。

 だが、「落ちたし」とケタケタ笑う私の代わりにパニックになった人がいた。雅楽先輩だ。


「のっ、のほほん!」


 声にも色があるというなら、まさに真っ青といった声を上げ、先輩は落ちた私を追うように降りてきた。


「先輩! 状況確認してから降りてきてください!」


 さすがに上に墜落するということはなかったが、そう広くない穴の中、若干重なるようにして降りてきた雅楽先輩に、私は抗議の声を上げた。突然降ってこられると危ない上に怖い。


「ご、ごめん。怪我はない?」

「欠片ほどもないですよ。それにしても、意外と深いですね。這い上がれるかな」

「それは大丈夫、のほほん、僕につかまってくれる?」


 頭上にぽっかりと切り取られた空を仰ぐ私に、雅楽先輩は手を差し伸べた。深く考えずに先輩の掌に手を重ねた私だったが、そのままその手を引かれて抱きしめられたのにはびっくりした。穴に落ちるよりびっくりだ。


「先輩!?」

「ちゃんとつかまっててね」


 初めて家族以外の異性に抱きしめられ、パニックになった私をよそに、雅楽先輩は腹が立つほどに冷静だ。これではさっきと真逆ではないか。


「な……っ」


 私を抱きしめたまま、先輩は大地を蹴った。ふわりと身体が宙に浮く。

 落ちた経路を逆再生するかのように、私は雅楽先輩に抱えられて空を飛んだ。落ちたり戻ったり忙しいことである。


「センウィック!」


 地上にそっと私を戻すと、雅楽先輩はラクィセルの肩に乗るセンウィックに向かって声を荒げた。


「突然穴を掘るとか、どういう感覚してるの、きみ?」

「いや、リト……それは、親切心で」

「親切心でも、やっていいことと悪いことの区別くらいつかない? いくつなの、きみ」

「先輩、そんなに怒るほどじゃ……」


 あまりの剣幕に、落ちた当人である私が助けに入るほどだ。センウィックも、背中の針がすべて立っている。ぎゃあぎゃあと声高に怒るわけでなく、静かに低い声で怒るところが怖い。


「怪我してからじゃ遅いんだよ」

「すまん! すまんリト! ノノを傷つけるつもりがあったわけじゃないんだ!」

「当たり前だよ。そんなつもりがあったなら、友達でも容赦してない」

「先輩、センウィックだって悪気があったやったわけじゃ……」

「悪気があろうがなかろうが、確認もせずにやることがマズいんだ」

「……ごもっともです」

「……ごめんなさい」


 先輩の威圧に思わず賛同すると、かぶせるようにセンウィックが項垂れた。なんだか二人して怒られているようだ。


「センウィック、今日の夕飯、僕と食べようか」

「えっ、ヤダ! リトの料理怖い!」

「そんなこと言わずに。別におかしなものは入れないから。ちょっと調味料を奢ってあげるくらいで」

調味料ソレが怖いんだよ! ボク死んじゃう!」


 雅楽先輩が食事に誘うと、ぴょんとセンウィックはラクィセルの肩先で跳ねた。先輩の料理はおいしかったのに、なにをそんなに嫌がることがあるのか、と思った私に、アウィラが教えてくれる。


「センウィックにとってリト様の料理は、その、ちょっと罰と同義というか」

「カレー以外! カレー以外なら食べるぞ! カレーは断固として断る!」

「ああ! なるほど」


 苦笑いの声で教えてくれるアウィラに、センウィックの悲鳴が響く。そういや辛いもの駄目だったね、センウィックは。先輩の振る舞ったカレーがトラウマなんだろう。


「いいよ。カレー以外、ね」


 先輩の笑顔が怖いのは気のせいだろうか。

 それにしても、ホントにそんなに怒らなくてもいいのに……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る