第29話 雅楽先輩に再チャレンジ!

「……先輩、これ、どうやったらでるんですか?」

「僕に訊かれても……」


 ワクワクしながら差し出した私の手からは、なんのアクションも起こらなかった。悲しいことに、水しぶきの一滴すら現れない。


「センウィックとかは呪文唱えたりします?」

「えー……多分なにも言ってなかったんじゃないかなぁ」

「無詠唱? マジですか~。え~、じゃあ、まだ先輩との接触が足りなかったとか?」

「せっ……!」


 掌を眺めながらなんの気なしにそんなことを呟くと、雅楽先輩が上ずった声を出した。見ると、またもや顔が真っ赤である。


「どうしたんですか?」

「のほほんが接触とかいうから……」

「接触がどう……あっ、ヤダ先輩! なんてことを想像してるんですかエッチ!」

「違っ……! いや、その、違うっていうか、そうじゃなくて」


 口元を手で押さえつつ先輩が赤面したのは、あのアクシデントを思い出したからに違いない。違う、断じて私はそういうつもりで言ったわけではない。


「手ですよ、手! 魔法手から出してたでしょう、先輩。だから手の接触がいるのかなって! そういうことですよ!」

「わかってる! わかったから! だからストップ!」


 誤解を解こうと早口で言い募ると、赤い顔の雅楽先輩に待ったをかけられた。精一杯手を伸ばして、上半身を反らし気味にした先輩の姿に、そんなに嫌だったのかと少し悲しくなる。別に先輩が好きとかそういうわけではないのだが、やはり嫌がられるのは悲しい。


「うーたん先輩、もう一回! もう一回だけ試させて!」

「えぇっ」

「お願い! 憧れの魔法なの! 異世界ディオシアにいる間くらいしかチャレンジできないんです! 可愛い後輩の頼みです! お願い!」


 だが、悲しい気持ちよりも、魔法を使ってみたいという欲の方が勝った。

 両手を合わせ、拝み倒すようにしてお願いすると、しばらくして、小さく「効果がなくてもいい?」といらえがあった。もちろん! と頷くと、そっと手を差し出される。掌を合わせるようにして重ねると、そのままぎゅっと握りこまれた。繋いだ手は温かかった。


「魔力ください!」

「……あげられるならね」


 祈るようにその掌に向かって話しかけると、少し困ったような、呆れたような先輩の声が返る。


「あげられるなら、どれだけでもあげるのにね」


 かすかに口の端を緩めて、ぽつりと先輩は言う。飴色の瞳に、薄い色合いの睫毛がけぶって、このときの先輩は、なんだか作り物めいた容貌に見えた。


「少しでいいですよ。だって、先輩のなくなっちゃいますよ?」

「なくなってもいいよ。別に僕は使いたいわけじゃないし。今のところ旱魃かんばつは起きてないから、いつも畑の水やりにしか使わないし」

「宝の持ち腐れですね」

「うん、正直持ち腐れてる。だから、それなら使いたい人が使った方がいいだろう?」


 指を絡めたまま、先輩は淡々と話す。その話し方は、向こうでの話し方そのもので、なんだか少しほっとしてしまう自分がいた。


「そういえばうーたん先輩、なんだかこっちでは感じが違いますね」

「え?」


 指摘を受けた雅楽先輩は、びっくりしたように目をぱちくりとさせた。


「先輩、こっちに来てから、よく笑うし、表情もころころ変わるし、向こうにいたときと違うなって思って」

「そう……かな?」

「そうですよ~。水を得た魚みたいに生き生きしてる」


 クラスでの先輩はよく知らないが、私の知っている家庭科部の雅楽先輩は、準備中などの雑談(異世界話限定)でのみほほ笑んだりするものの、基本淡々と作業をしていて、どちらかというと寡黙な方だ。他の先輩たちもあまり話しかけないし、自分からも話しかけてくることなどない。校内でも指折りな美人である晴夏が話しかけても、話題によってはけんもほろろな対応を見せるのだ。あおいが私となら話すと言っていたのは、単に私が振る話題が異世界ディオシアのことか、部活における必要事項だからだ。多分先輩にとって、それ以上でも、それ以下でもない。


「……そう見える?」

「はい」


 正直、先輩にとってはこちらの世界が正しいのかと思うくらい馴染んでいる。そう告げると、先輩は目を見開いた。


「そう」


 先輩は私に向かってはっきりと笑んで見せると、紺色に染まった空を仰いだ。

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