第26話 雅楽先輩が見せたかったもの

 アクィナからフィ族のことについて聞きながら、私は部屋に戻った。正確には戻されたというのが正しいのかもしれない。フィ族についての知識と引き換えに、私は一人部屋に取り残された。「絶対ここにいてくださいませね!」と念を押していくアクィナは、私(というか私の方向感覚だろうか)を信用していないようだった。

 アクィナが出て行ったあと、私はぽすんとベッドに身体を預けた。思ったより歩いたようで、少し疲れているみたいだった。脚がダルい。だらしなく足を振って靴を脱ぎ捨てると、軽くふくらはぎを揉む。

 自分でマッサージをしつつ、私はアクィナから聞いた話を思い出していた。


 フィ族は、とても少ないんだそうだ。というのも、まず魔人がディオシアに侵入してくることが比較的稀な上、出生率が高くない。その上、フィ族は性別がなく、生殖能力もないらしい。それで種族としての数が少ないのだと、アクィナは言っていた。

 その話をされたとき、ユーフィは無性なのかと内心驚いていたが、努めて驚きを顔に出さないようにした。ユーフィと会ったことを話してもいいのかもしれないが、なんとなく話しそびれた私は、会ったことを隠すことにしたのだ。つまり私もまた、アクィナを信用しきれていない。

 別に悪い子ではないのだと思うのだけれど、雅楽先輩の後輩である私は、先輩に恋をしてるアクィナからいつ敵視されるかわからないので、少し怖いのだ。女の敵は女なのだと、私は中学の時に学んだ。敵視されたのは私ではなかったけれど、友達として仲良くしていた人たちが、たったひとつの恋という感情から仲違いし、いがみ合うさまは、傍で見ていて怖かった。

 それ以来、私は恋というものが怖くて仕方がない。あんな風にその人の人格を変えてしまうような強い気持ちというものは、自分には無縁であってほしかった。


 そんな感じで、夕方になって雅楽先輩がやってくるまで、私はベッドの上でぼんやりと過ごした。


「あれ、もう夕方ですか?」

「うん。夕食までもう少し間があるし、出てこれる?」


 鞄に入れてあった小説を読んでいた私は、部屋の扉から顔だけ出した雅楽先輩に目をぱちくりとさせた。そう言われると、外はもううっすらと暗くなってきている。

 サイドテーブルに栞を挟んだ本を置くと、私は靴を履きなおして先輩のところへ向かった。


「あれ、着替えました?」

「うん、ちょっと汚しちゃって。のほほんはこのまま出れる?」

「はい。昼間迷子になったくらいで、あとはずっと部屋にいましたし」

「迷子?」


 人気がないことを確認した私は、先輩にユーフィと会ったことを話した。


「ああ、会ったんだ。変わってるけど、悪い子じゃないから」

「ですね。ダークエルフみたいで興奮しました」

「興……えっと」

「だってエルフですよ!? 獣人もそうですけど、生きてるうちに会えるとは思いませんでした!」

「まぁ……普通に生きてたら会わないからね」


 鼻息荒くエルフの魅力について語る私に、雅楽先輩は生暖かい眼差しを投げかけてきた。いいじゃないですか、リアルファンタジー。先輩は毎年経験してるから、そのありがたみがわからないんですよ!

 そんな風に取り留めない話をしながら歩いていくと、どこかで見た景色に出会った。


「あ、ここ……」

「今はいないよ。フィ族は夜は部屋にこもる。月の光がダメなんだって」


 ユーフィと出会った小川のあたりに差し掛かったとき、きょろきょろとする私に雅楽先輩は首を振って見せた。月の光、なんでダメなんだろう。雅楽先輩もその理由は知らないらしい。頑として言わないのだそうだ。

 太陽と交代で空に現れた月を見ながら、私はその理由を考えた。月……狼男的ななにか、とか? だが、まだあたりは闇に染まっておらず、月の光より太陽の残滓の方が濃い。それなのにユーフィたちフィ族はもう部屋にこもってしまうのだろうか。だとしたら、相当怖いのだろう。


 そうこうしているうちに、私たちは小川を越え、ユーフィが隠れていた叢を抜け、さらに奥へと進んでいった。この先になにがあるのだろうか、と思考を巡らせていたら、ようやく目的地に着いた。


「うわぁ……!」


 目の前に現れたのは花畑だった。ぼんやりと発光しているピンク色の花は、かすかに風に揺れて甘い香りを漂わせている。


「あ、この匂い……」

「うん、レシカの花」


 アウィラさんが振る舞ってくれた、センウィックが作った花の紅茶。その元となった魔法使いの花が、そこにあった。淡いピンクのチュールをくるくると丸めたような花弁はなびらが、風に揺れるたびに鈍い金色の光をあたりに散らせている。


「いつでも見れるわけじゃないって言ってませんでした?」

「うん、でも見たいかなって」


 ほんのり笑う雅楽先輩の隣で、私はしばらく言葉を失って花畑を眺めていた。それくらい幻想的で美しい景色だった。

 先輩が見せたいと言っていたのはこれだったのだ。

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