第16話 雅楽先輩と甘いもの

 案内されたお風呂は思ったより新しく、そして豪華だった。大理石で作られた湯船は、丸いプールのような形をしている。窓はなかったが、壁にたくさんかけられた燭台のおかげか暗くはなく、なんだか非日常的な雰囲気を漂わせていた。

 天井には頭の後ろに丸い円盤のようなもの──光輪といっただろうか──を乗せた半裸の女性と、その女性の手を額に押しいただく、一人の少年が描かれていた。綺羅綺羅しく装飾された二人の人物を、遠巻きにするようにしてたくさんの獣人たちが見つめている。

 人間の姿をしているのは中心の人物のみで、あとはすべて獣人──完全な獣人なのでウィ族だろう──ということに気づいた私は、遅まきながらそれが雅楽先輩と鬼畜女神ディオシアを描いた絵だということを理解した。

 先輩、絵になってるんですね。でも、それがお風呂に描かれてるってどういうことですか。覗きですか雅楽先輩。

 そんな馬鹿なことをぼんやり考えつつ、私はお湯に沈んだ。

 考えることはたくさんあったが、激動ともいえる環境の変化に、どうやら私は疲れているようだった。ダメだ、今日はお風呂に入ってごはんを食べて、さっさと寝てしまおう。一旦リセットしないと、頭が働かない気がする。

 あんまり似てない雅楽先輩の絵を見つつ、私はひとつため息を吐いた。


          ◆


 お風呂からあがった私は、アクィナの先導の下、部屋に戻った。次は自分で行けるよう道順を覚えようとしたが、ちょっと危ういかもしれない。


 部屋の前では、絵ではない本物の雅楽先輩が立っていた。やっぱりあの絵は似ていないと、先輩の姿を見て思う。似てるのは……色合いくらいか?


「うーたん先輩、どうしたんですか?」


 雅楽先輩の訪問理由は、先輩が手にしていたものでわかった。私の荷物だ。


「ああ、持ってきてくれたんですね」

「僕のと一緒になってたから。きみの部屋はここなのか」

「先輩の部屋はどこですか?」


 私と先輩の部屋は、少し離れたところにあるようだった。というか、棟自体が違っていた。さすがは勇者様だと笑うと、雅楽先輩は不服そうに口をゆがめた。


「先輩、部屋寄ってきます?」


 廊下で立ち話もなんだろうと声をかけると、予想外に雅楽先輩は慌てた。慌てるようなことは言っていないと思うのだが、さすが変人、よくわからない反応をする。


「リト様、わたくしが淹れたお茶を飲んでくださいませ。兄様ほどではありませんが、だいぶおいしく淹れられるようになったのですよ」


 私に荷物を渡し、そそくさと帰ろうとする雅楽先輩を、アクィナが引き留める。「お茶はもういい」「そう言わずに」と、しばらく揉める彼らを観察していたところ、私の視線に気づいたらしい雅楽先輩が白旗を上げた。別に非難の眼差しを向けていたわけではないのに、おかしな人である。


 苦虫を噛み潰したような顔で雅楽先輩がソファに座ると、対照的に嬉しそうな顔をしたアクィナが、すごい勢いでお茶の準備にすっ飛んでいった。しっぽがパタパタしているのでわかりやすい。


「そんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃないですか」

「きみはアクィナの料理関係の腕を知らないからそういうことを言えるんだ」


 どうやら、アクィナの淹れるお茶が嫌で渋い顔をしていたらしい。どんだけマズいんだ。

 期待半分怖いもの見たさ半分でアクィナの向かった先を見ていると、雅楽先輩が咳払いをした。


「……その、意外と似合うな、こちらの衣装」


 雅楽先輩のセリフに、私は自分の着ている服に視線を移した。お風呂上りに借りた衣装は、アクィナやツィ族の女性たちが着ていたものとよく似たデザインで、すっきりとしていながら可愛らしいものだった。落ち着いた青朽葉色は、自分では選ばない色だったが、このドレスには合っているように思えた。


「コスプレみたいじゃないですか?」

「そんなことはない」

「だといいんですが。それにしても、先輩もこっちの衣装に着替えたんですね。これ、文化祭用に作ってたあれですよね?」


 見覚えのある藍鼠あいねずの布地は、先輩がせっせと縫っていたあの衣装だった。手縫いなのにもう完成していたのか。さすがは雅楽先輩である。


「うん、前来たとき着てたのは、冬物だったからね」

「冬物は暑そうですね」


 借りた衣装は初夏物なのか、薄手の布で作られていた。たしかに薄くはあるが、襟元は詰まっているし、二重三重に重ね着するデザインなので、真夏だと暑そうである。


「こっちの夏は暑いんですか?」

「日本ほどじゃない。もっと湿度が低くて過ごしやすい」

「それは最高ですね」


 見たところエアコンはなさそうなので、日本のように暑いと、この衣装はかなり厳しいと思う。

 そんな感じで雅楽先輩ととりとめのない話をしていると、ティーワゴンを押してアクィナがいそいそと戻ってきた。


「リト様。お疲れが取れるよう、フィオの蜜漬けを入れますね」

「あっ、余計なものは入れるな!」

「まぁ、わたくし、もう入れてしまいましたわ」


 先輩の制止は間に合わず、アクィナは丸いサクランボのような実をティーカップに入れてしまった。しゅわっと炭酸のような音がする。


「……お茶請けの菓子はいらない」

「もう、リト様は相変わらず甘いものがお嫌いですわね」

「きみが好きすぎるんだろう」

「まあ! 好きすぎるだなんて! リト様に言われると、とても素敵な響きですわね!」


 どこまでもポジティブなアクィナに対し、雅楽先輩はネガティブ……というか、疲れが増したように肩を落とした。そんなに甘いものが嫌いなんだろうか。部活でケーキを作っていたときは普通に食べていたように思う。


 そんな私の疑問は、紅茶を口に含んだ瞬間に答えを得ることとなった。甘い。甘すぎるのだ。過ぎる甘味は時に暴力となるのだと、私は初めて知った。

 口に含んだ紅茶を吹き出すわけにはいかず、どうにかこうにか嚥下すると、向かいに座っていた雅楽先輩がため息を吐いた。


「やっぱり」

「先輩、知ってるなら言ってくださいよ!」


 可愛い後輩を毒見役に使った雅楽先輩は、アクィナに向き直ると、淡々とした口調で抗議の文句を口にした。


「アクィナ。アウィラにも言われているだろう? きみがおいしいと感じる甘さは、僕らには甘すぎるんだ。フィオの蜜漬けはたしかに滋養があるけれど、きみのは甘すぎる」


 好きな人に叱られたアクィナは、先程までの様子と打って変わって、しゅんと耳を伏せた。

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