第4話 雷と傘と雅楽先輩

 電車はそれなりの混雑だった。腹立たしいことに私は吊革に手が届かないので(あれってむちゃくちゃ高くない?)、入り口付近のバーにつかまることにする。


「うーたん先輩、星ヶ丘だったんですね。出身校、星ヶ丘中?」

「そうだ。うちはその近くにある天津香香比売あまつかがひめ神社なんだが……知ってるか?」

「あ、意外と近所かもしれないです」


 おお、雅楽先輩が異世界以外の話をしている!

 普段とは違う会話にワクワクしていると、窓にぽつぽつと雨粒がぶつかってきた。


「あ、ヤバ、降ってきちゃいましたね」


 どんどん強まる雨脚に、私は駅前のコンビニで傘を買うしかないと悲壮な覚悟を決めた。さよなら、私の青にゃんラバスト……。

 強まる雨脚の向こうに、曇天を裂くような稲光が光る。まるで私と青にゃんの間を裂くような稲妻に、思わずため息が漏れる。


「なんだ、雷が怖いのか?」


 私の溜息を違う風に解釈した雅楽先輩は、雷についての蘊蓄を並べ始めた。


「雷の原理はまだ解明されていないそうだが、雷というのも悪いものではない。雷が落ちることによって、空気中の窒素分子を他の窒素化合物に変換することができるんだ。窒素固定というやつだな。その中には植物の栄養として使える物質が含まれるため、雷と共に降る雨には窒素肥料が含まれていることになる。そのせいで、昔から雷が落ちた水田の稲はよく実ると言われているらしいぞ」

「へぇ、そうなんですか! 雷も無駄じゃないんですね」

「稲妻というだろう。稲の生育を促す窒素源を作り出す大切な自然現象だ。米食な日本人には必要だろう。雷雲の上部と下部の電気の均衡が崩れると起こるらしいが、放電がなければ歪みはたまるばかりだろうしな」


 雷なんていらないだろうと思っていたが、そうでもないらしい。お米大好きな私にとっては、その生育を助けると聞いて俄然必要性が高まった。


「お米好きなんで、ないと困りますね」

「まぁ、雷が落ちなくても稲は育つがな」

「先輩、言ってることが真逆です」


 飄々とした雅楽先輩の言いぐさがおかしくて笑うと、雅楽先輩もつられたのか笑顔を見せた。

 そうこうしているうちに星ヶ丘駅に到着する。ドアが開くと、雷鳴と共にかなり強い雨音が聞こえた。これはどうやっても傘なしで帰れる気がしない。


「私、傘買ってから帰るんで、ここで」

「持ってきてないのか?」


 傘を開いて改札を出ようとする雅楽先輩に挨拶をすると、雅楽先輩は意外そうな声を上げた。すみません、ばっちり忘れました。


「そうなんです。ちょっと……かなり痛手ですが、傘買って帰らないと」


 脳内でお財布の中の残高を浚う。大丈夫、月末だがラバスト用のお金を避けていたので傘の一本くらいは買える。再来月発売の新作ゲームのためにお小遣いのほとんどを貯金に回したのが痛いが、我が家はバイト禁止なのでいたしかたない。


「…………その、ええと、……入ってくか?」


 私の様子がよほど悲壮感漂っていたのだろう。雅楽先輩は言いづらそうに傘を私の方へ傾けた。


「いえっ、大丈夫ですよ!」

「痛手なんだろう? その、のほほんさえ気にならないのなら」


 ひどく魅力的な提案に、私は恥ずかしさとお財布を天秤にかけた。通勤客の帰宅時間にはまだ早いためか、駅前に人気は少ない。傘代を節約できれば、テスト明けに青にゃんラバストを買うことができる。


「……お願いします」


 愛する猫天使のため、私は恥と外聞を捨てて雅楽先輩に相合傘を頼むことにした。あたりに峻英生がいないのが非常にありがたかった。これで誰かに見られたら、翌日から根も葉もない噂が校内を駆け巡りそうだが、目撃者が出る可能性がないのなら安心してお願いもできるというものだった。


「…………」

「…………」


 き、気まずい……。

 聞こえるのは雨音と雷鳴のみ。黒い傘の下で、私たちは無言だった。なにか話した方がいいのかな……。


「せんぱ」


 い、と口にした私の声をかき消すように、ものすごい雷鳴が轟き、瞬間、空が緑色に染まった。

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