第3話 偶然な雅楽先輩

 とうとうテストまで残すところあと三日となった。このテストを乗り越えれば、文化祭は目前だ。

 今日から部活禁止期間に入るので、家庭科室へは近寄れない。家に持ち帰った浴衣はテスト勉強の息抜きと称してちまちまと準備を進めたので、あとはガッと縫ってしまえば終いである。童顔な私が選んだのは藍色の古典柄。ピンクや水色といったパステルカラーの布地だと、どう見ても小学生ですありがとうございました、な見た目になってしまうからだ。


「図書館に寄って勉強してく?」


 あおいの発言に、晴夏が繊手をパタパタとひらめかせた。心底嫌そうに整った顔を歪める。


「あおちゃん、あたし一抜け。もう勉強したくない」

「あたしも二抜けかなぁ。特に勉強することないし」


 勉強嫌いな晴夏に続いて、記憶力が抜群な素子が同意した。


「そりゃせんちゃんは一夜漬けで大丈夫な人間だもんねぇ」

「教科書ぱらっと読んだらそれでいいとか、頭の中身変えてほしいよ」


 まっすぐ帰るという晴夏と素子を見送った後、成績は常に中の中といった私と碧は、テスト前で混んでいるだろう図書館に寄っていくことにした。


「初日ってなんだっけ」

「世界史Bと数Ⅰ、それにコミュ英Ⅰじゃなかった?」

「コミュ英苦手~。英語表現も苦手~」

「ののは英語全般ダメだね」

「碧は英語得意だもんね。脳みそ取り換えてくれ」

「歴史全般とだったら交渉に応じる」


 初日の科目を確認しながら図書館へ足を向ける。空いているといいのだが、と思いつつ行ったが、残念なことに図書館の机はすべて埋まってしまっていた。


「これはダメだね……」

「諦めるっきゃないか。勉強はそれぞれ家でやろ」


 峻英生のテストにかける情熱を目の当たりにした私たちは、お互いのがっかりした顔を確認すると、試験勉強を断念して帰ることにした。急げば先を行った晴夏たちと合流できるかもしれない。


 昇降口を抜け外へ出ると、一雨来そうな空模様が目に飛び込んできた。これはヤバい。


「今日って雨予報だっけ……あぁ、あたし折りたたみ持ってきてないや」

「私も。晴夏たちに追いついたらせんちゃんあたりが持ってきてないかな?」

「そだね。ていうか、急げば降る前に電車に乗れるんじゃない?」


 わたしたちは雨雲から逃げるようにして走り出した。駅までは一本道なので、しばらく走ると先に帰った晴夏と素子の背中が見えた。


「晴夏! せんちゃん!」

「あれ、図書館は?」

「その様子だと混んでた? すごいね、結構席数あるのにね」

「そうなの。激混み。あんな混んだ図書館見たことない」

「そういや碧、図書委員だもんね」


 雨が心配で走っていたというのに、晴夏たちと合流して安心した私たちは走るのをやめて歩き出した。単におしゃべりに夢中になっていたともいう。


「今度ね~、ココジゴの新しいグッズが出るの! 青にゃんのラバスト狙っててさ~」

「のんちゃん、その作品好きだね~。アニメになってるんだっけ?」


 ココジゴというのは、「ここが地獄なら、君がいるのは天国……かもしれない⁉︎」というラノベ原作のアニメで、今私のイチオシの作品だ。青にゃんというのはその作品に出てくる見た目人面猫な天使キャラである。そのシュールさがツボにハマっているのだが、なかなかわかってくれる人はいない。


「のの、まずはテストだよ。シュールな青猫天使に夢中になってる場合じゃないから」

「そうなんだよね、まずはテストだ。テスト終わったらソッコーでお店に買いに行こっと。なんていうの? 自分へのご褒美?」

「のんちゃん、そりゃ随分安価なご褒美だね」

「バイトしてない私のお財布には、七百円のラバストは十分ご褒美ですぅ~」

「やぁだ、それ、あたしの化粧水より安いってば」


 たわいもない会話を交わしているうちに駅に着く。すると、隣を歩いていた碧がつんつんと袖を引っ張った。


「ね、あれうーたん先輩じゃない?」


 碧の視線の先をたどると、たしかに少し前を歩いていたのは見慣れた部活の先輩だった。


「うーたん先輩~」


 声をかけたのは晴夏だ。だが、先輩は聞こえていないのか立ち止まらない。


「ののも呼んでごらんよ」


 にやにやしつつ肘で私のことを突く碧に流されて、それならばと私も晴夏に続いて「先輩!」と、やや大きめの声でその背中に声をかける。ほら見てみなよ、同じように止まらないから……って、あれ?


「なんだ、きみたちか」


 予想と違ってするりと振り向いた雅楽先輩に、碧が吹き出す。失礼だと思う、私にも雅楽先輩にも。


「きみたちはいつも一緒だな」

「中学から一緒の仲良し四人組なんで」


 スパッと切れ味よく素子が返すと、それには興味がなさそうに雅楽先輩は手を挙げた。会話する気もないようだ。


「それじゃ、僕は星ヶ丘の方だから」

「先輩、そっち方面なんですか。残念、あたしたち月ヶ瀬側なんですよ~」


 峻英のある日野平駅を挟んで、雅楽先輩と晴夏たちは真逆の方に住んでいるらしかった。そういえば雅楽先輩とそういうプライベートな話をしたことがない。私と先輩が話すのはいつも異世界の話だからだ。


「あぁ、でもののは先輩と一緒じゃん。星ヶ丘でしょ?」

「さっき中学が一緒だと言ってなかったか?」

「のんちゃんは卒業のタイミングで引っ越したんですよ。それを見越して志望校合わせたんで、最寄り駅は違うけど同中ってことです」


 素子の説明に、雅楽先輩は「それは仲がいいことだな」と、皮肉なのかそうでないのかわからない感想を漏らした。淡々とした口調からはなかなか感情が読めない。


「あっ、そろそろ電車きちゃう~。のんちゃん、先輩。それじゃまた学校で~」

「のんちゃんまたね~!」

「のの、頑張れ~」


 電車の時刻が迫った月ヶ瀬組は、慌しく去っていった。私と雅楽先輩を置いて。


「……帰るか」

「……ソウデスネ」


 そうして、なんの因果か、私は雅楽先輩と下校することになった。

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