夢
蛍川から帰って以来、美は同じ夢に悩まされていた。
夢の内容はいつも同じ。
気が付けば美は見知らぬ豪邸の庭で、咲き誇る大きな枝垂れ桜の根元にいる。はらはらと舞う花びらを見上げ平たい庭石に腰掛けていた。隣には丸い黒塗りの盆が置かれており、薄く水が張られているのか低く垂れ下がる花の枝が逆さまに映りこんでいる。薄紅の花びらが数枚漂う水面を美はのぞき込んだ。ぼんやりと自分の顔が映る。
しかし、その顔は美と瓜二つでありながら美では無かった。
「助けて夕凪。わたくしを此処に連れてきて頂戴」
水盆に浮かぶ娘は美に助けてほしいと懇願していた。
きている着物は大変豪華でいかにも深窓の姫といったようすだ。美と同じ顔をした美しい姫君。
「私は美です。夕凪なんかではありません。貴女は誰ですか!?」
「わたくしは朝路です。あなたの双子の姉です」
姫は優しく微笑みかけた。それなのに美は何故かそれが恐ろしく、その場から走って逃げ出しだ。石灯篭に灯された明かりに照らされ幽かに見える見事な庭園の玉砂利の道を蹴立て逃げ惑う。
やがて見えてくる門前に人影があり、美に声をかけてくる。
「何処へ行かれますのか。朝路さま」
蛍川であった男の声だ。
美はゾッとして夢から覚める。
うなされながら目を覚ませば、目の前の囲炉裏で火がとろとろと燃えている。薄暗い土間には悪夢に震える美を安心させる雰囲気が漂っていた。あぁ、此処は由羅の塒の寺だ。そう分かった途端、肩から力が抜けた。
鬼の塒で安心するなど可笑しな話だが、美にとってはここが一番安らげる場所であった。
由羅はまだ帰っていない。
あの祭りの夜以来、由羅との間が少しぎこちないものに戻っていた。
だからとはいえ冷たくされている訳では無い。囲炉裏端で寝ていたはずの美が、朝起きると自室の布団へ寝かされていたり、厨に鳥や魚が置かれていたりする。
このまま何事もなくあの優しい鬼と過ごせたらいい。
美はそう思っているのに、毎夜訪れる悪夢が彼女の胸を騒がせた。
他人と呼ぶには不思議なくらいよく似ている。
でも、里の家には兄と弟しかいなかった。私に姉はいないはず。
だけど……でも……。
捨てられる前の私には?
物思いに沈む美の足元に、格子窓から射す青い光が落ちていた。
窓の外にはまだ高く月が出ている。
その同じ月が、瓦屋の立派な豪邸の庭で、枝垂れ桜の枝にかかっているのを一人眺め佇む男がいた。夜桜の美しい風景であるのにも関わらず、男の心はここになく、眉間に深くシワを刻んで物思いに沈んでいた。
老松はああ言ったが、桂木が主の香を間違えようはずも無い。
蛍川にて見付けた娘は朝路に違いない。
男は桂木であった。
あの日以来、彼は蛍川周辺をくまなく探し回っている。腕の良い絵師に頼み絵姿を描かせ、それをもとに方々に金を握らせて情報を求めた。あの娘を探し出すためなら糸目はつけないと言った大盤振る舞いだ。
その甲斐あってか、絵に似た娘を知っているという男が現れた。
三ケ峯の麓の今は失われた里に、その娘はいたという。
遊里で女たちの使い走りとして使われていた男は、酒に毒され希望の失せた暗い目で語った。
娘の名を《美》と言う。歳の頃十六。
親戚の産婆から貰い受け娘として育てていたという。里に飢饉が訪れ、家族を食べさせるために知り合いのつてを辿り、金を手にしてようやく戻った時には家族はいなくなっていたそうな。その後娘がどうなったかは分からない。
死に絶えた里に一人いることに耐えられず、家を捨て遊里に入り浸っているらしい。黄色く濁った白目を見る限り、男の命も長くはなさそうだ。
男が暮らしていた里は《三ケ峯》と呼ばれる山々の麓にあったそうな。
「三ケ峯……」
その名を思い出して桂木は顔をしかめた。
確かその山はこの辺りで指折りの妖が縄張りにしていたはずである。
青鬼と聞いている。
鬼の縄張りで娘が行方しれずとなると、残念ながら喰われたやもしれぬ。しかし、川の辺で娘を見たのはつい最近の事。まだ何処かで生きているかもしれぬ。
都はくまなく探したがいないらしい。となれば未だ三ケ峯の辺りに住んでいるかもしれない。鬼の縄張りに入るならば桂木とて挨拶をしておいた方が安全だ。荒らしたと思われれば取って食われるかも知れない。できれば穏便にことを勧めたいのだが。
鬼は周りと必要以上に馴れ合うことをしないので、直接出向いて相手にされるかどうか。また、紹介を頼むにしても彼と親しいものは誰も古い部類の妖ばかり。
思い浮かべた妖の中に、桂木はふと笑みを浮かべた。
良さそうなのが一人いた。
桂木は手を叩くと子飼いの妖を呼び出した。
膝をつき頭をたれて参じたそれに、彼はとびきり上等の酒を用意するように申し付けた。
「柘榴の古木に棲う媼殿へご挨拶に参ろう」
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