柘榴の古木にて

所々岩肌ののぞく断崖にしがみつくように生い茂る木々より飛びぬけて柘榴の古木が生えている。宵闇に包まれた山肌を赤い月が照らしいた。硬い大地を穿ち掴み掛るようにして根を貼る姿は月下化け物じみて見える。その大ぶりの枝の上、蜈公と由羅が酒を酌み交わしていた。


「お前が私に何か聞きたい事があるなど珍しい。明日は雨が降るね」


蜈公がもらった酒を傾けながら、由羅へからかいの含んだ調子の言葉をかける。何を聞きたいのか分からぬが、おぼこのように会話のイトグチをさぐる由羅を皺の多い顔を綻ばせて見ている。


「もどかしいのぉ。女の事であろう? お前さんが塒に囲っておる女と何かあったのであろう?」


さっさと言え、とばかりに蜈公は話題を振る。

由羅は年嵩の妖にスバリと言い当てられ返事を言い淀む。


「違う。桜屋の話を聞こうと思ったのだ」

「ほぉ、何を聞きたい?」


嘘をつけ、まだはぐらかすのか?

そんなことを言いたげな視線を由羅へ寄越すも、それを口に出すことは無かった。


「蜈公はあれよりも長く生きているのか?」

「女に歳を尋ねるもんじゃないよ。失礼なやつだね」

「真面目な話だ」

「あたしゃ何時だって真面目だよ。悪いがあたしの方が少し年下さ」


怪しいものだ。

この界隈で誰よりも長命だと噂されるこの妖は、その歳を経てもなお女であった。少し年下と言うが、自分が遥かに年上であっても彼女はそう言うのだ。


「でもまぁ、古い妖であることは間違いないよ。外つ国より渡ってきた奴らだね。男女で一対の妖だが随分昔に女の方が人間の術師に殺されたようだよ」


「なぜ人の女を妻に迎える?」


その時媼は口が裂けたようにニタリと笑った。

からからと楽しげな笑い声をあげる。


「それか! お前さんの知りたかったことは嫁取りの話だったのか!」


由羅は苦虫を噛んだように顔をしかめた。

このことを聞けば蜈公にからかわれるのは分かっていた。だから、のらりくらりと質問を先延ばしにしていたのだが。


「とうとう例の女子に骨抜きにされたな小僧! 初々しいのう! 愛らしいのう!」


身をよじるようにして両手で頬を抑える。

白髪のオババがするには乙女のような仕草に由羅は眉を潜めた。


「恋の話など心が浮き立つのぉ。若返るようじゃ」

「馬鹿を言え」


蜈公はこうなるともう止まらない。

治まるまで放って置こうと胡座をかいた膝に肘をあて、憮然と頬杖をつく。媼はますます酒が進むようで、自ら杯を満たしてはどんどん空けていく。


「じゃがな小僧。お前にアレの真似はできまいよ」

「何故だ?」

「アレが娶っておるのは失った己の半身。人間に殺された対の女の生まれ変わりであるからな」


桜屋は、殺された自分の妻の魂を探して再び妻にしているのだという。


「好き好んで人間の妻を迎えている訳では無い。己の妻がたまたま人に生まれ変わっているだけじゃ。アレはいつか自分の妻が己と同じく妖になる日を待っておるのよ。永い、永い間な……」


桜屋と同じ方法を取るということは、お前さん。

その女を妖にしたいのかい?


「その女はお前をどう思っているだろうねぇ? 妖として生きていけそうかい?」


人間が人でなくなる例はよくある。

だだしそれは度を超えた怒りや悲しみ、恨みを伴うものが多く、ただの人が妖になる事はほとんど無い。


由羅は飲みかけの杯に視線を落とす。

赤々と杯の底に沈む月を眺めて、ありし日に美が言った言葉が胸を打つ。


『やはり人は人なのです』


「無理であろうな」


沈む月をも呑み込むように杯をあおる。

哀愁漂う呟きに蜈公は眉尻を下げた。


「人は人、妖には妖の生き様があるというものさ。我らは所詮闇に生きる者、陽の下にこそ似合うものたちとは交わらぬ方が気が楽だねぇ」


『アンタもそう思わないかい?』そんな問いかけと共に勧めるように酒の入った瓢の口を向ける。が、由羅は受ける杯を差し出すことは無かった。


ただ遠く、憂いを帯びた目で、手の届かない月を眺めていた。


不意に蜈公のマナコが殺気立ち見開かれる。

赤く輝く鋭い瞳で背後の虚空を睨みつけた。枝も葉もなく広がる闇夜に一瞬ざわりと気配が立ち、確認するまもなく消えた。


「何だ急に!?」


ほろ酔いに上機嫌であった蜈公の豹変に由羅が驚いて我に帰った。


「なぁに、ちょいと毒蛇が上がってきてね。苦手なんだよ」


そう言いながら片手に握りつぶした蛇をぶら下げている。由羅が見ている前でそれを旨そうに食べ始める。少し疑わしげな顔をしつつも、由羅はそれ以上何か尋ねることはしなかった。再び月を眺める由良へ聞こえぬように媼は呟く。


「野暮な奴はもっと嫌いだよ」


ふん、と鼻を鳴らした。



枝垂れ桜のもと、バラバラに砕けた水盆の傍で、顔に傷を受け血を流す桂木の姿があった。蜈公の様子を伺おうと術を飛ばしていた折、運良く由羅の姿を見つけふたりの会話へ聞き耳を立てていたのだ。

しかし、それが飛んだ結果を招いてしまった。


顔の片側を抑え身をよじり痛みに耐えている。


「おのれっ! あの婆ァ」


潰れていない方の目を燃え立たせ、魔物の性をかいまみせる。瞳は縦に細く引き絞られ、肌に鱗が現れた。怒りを爆発させようという時、屋敷の方から桂木を呼ぶ声がする。


荒い息を繰り返しながらなんとか平静を保ち、庭を望む濡れ縁まで戻ると女房が一人かしづいていた。


「主さまがお呼びでございます……どうなされましたか?」


顔を上げた女房は取り乱すことなく子首をかしげた。

通常の女人なら、悲鳴をあげて倒れても可笑しくはないほどの桂木の傷である。しかし、眉一つ動かさぬところを見ると、この女房も人ならざるものなのかもしれない。


「何でもない。直ぐに参ると伝えておいてくれ」

「お手当てはなさらずとも良いのでしょうか?」


女房が桂木の怪我を気遣って手布を差し出した。

必要なら自分が手当をすると言っているようだ。

されど不思議な事に、ふたりが言葉を交わしている僅かな時の間にも、桂木の血は止まり、シュウシュウと微かな揺らぎを見せながら癒えていく。


「よい。早う主に伝えて参れ」


桂木は女房から手布を受け取り顔の鮮血を拭う。

受けた傷は既に塞がっており、数ヶ月も時を経たように白い傷跡になっていた。それさえじわじわと消えようとしている。


女房はそれを見ると安堵したように軽く頭を下げ、濡縁を立って行った。


桂木はそれを見送ると、手近にあった水琴の為のツクバイで手布を湿らせ顔を拭った。綺麗に血を落とした目元にはもう傷跡はない。

潰れたはずの眼が開く。


「おのれっ! 百足の老ぼれが」


しかし、面白い話を聞いた。

三ケ峰の鬼は自分の塒に人間の女を囲っているらしい。

よもやそれがではあるまいか? ふと、そんな予感がよぎる。


「誰かある」


桂木の呼びかけに、彼のそばの闇がゆらりと立ち上がる。

目ばかり炯々と光るそれに、桂木は鬼の塒を探るように伝えた。





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