姫の面影

竹林に囲まれた大きな館に、黒い牛車が横付けされた。

『飾り立てることが一種の特権』と、考えているような者が乗る乗り物にしては質素である。しかし、所々へ見受けられる細工は目を見張るものがあり、かなり裕福な、位の高い者が乗っていると見受けられる。

差し出された黒漆の台を踏みしめ、降りてきた男は河原で美を追ってきた男であった。急ぎの用であるらしく、迎えでた家人を館の主のもとへ急かす。


色白く、涼しげな眼もとは美男と言えなくも無い。しかし、その表情は乏しく、氷のような冷たさを感じさせた。宮中で仕えるものが平素着る黒の衣冠いかんを身に着け、家人が先導する廊下を滑るように歩いていく。

勝手知ったる家のようだが、決して親しい者のところへ遊びに来たという様子ではない。


障子戸を開ければ、奥の間で館の主と思わしきご老体が待っていた。

髪に白い束が混じる年ごろの翁で、その表情は穏やかだ。常盤色ときわいろの衣が枯淡こたんとした姿をより引き立てていた。急な訪問にもかかわらず『ようおいでなされた』と客人を迎え入れる。


大松おいまつどの、私をたばかりましたな」

「謀ったとは異なことを。わしが何を謀ったと申されますのか?」


歓待したにも関わらず、苛立ちを押し隠した冷たい言葉でそう切り出した男に翁は目を丸くする。


「昨年、朝路姫が御隠れになったと言う知らせの事です」


この男、名を『桂木かつらぎ』と言い。

彼の主がこの家の姫と婚約をしていたのだが、去年その朝路が病を経て呆気なく亡くなってしまった。亡きものをあの世へ追って行くわけにもいかず、桂木は破談にしたいという大松の申し出をしぶしぶ受けたのである。

姉妹でもいればまた違う話となったであろうが、生憎と朝路姫は一人子であった。


「そのような大切なことで戯れを申したりはいたしません。そちらこそ何か勘違いをなさっているのではありませんか」


その一人娘の生き死にを戯れに話すことなどあり得ない。翁は大変に腹を立てたようすで声を荒げる。

しかし、男の方も後に引かず、更にいい募った。


「されど、私は昨夜螢川の辺りで朝路さまにお会いました」


翁は螢川と聞いて気が抜けたように怒りを治めた。昨夜は夕涼みの祭り、死者に想いを送る集いの夜でもある。この男、恋したう余り幻でも見たのだろうか。

桂木の主の姫へ対する執着はなかなかのもので、彼も説得するのに相当苦労したようである。そう思うと哀れだ。


「桂木さまが余り呼ぶので、朝路も彼岸から会いに来たのやも知れませぬな」


「いえ、あれは生きた人でした。そうでなければ、草を分けて走るなど出来ましょうか?」


しかし、何と言われようが朝路は亡くなっているのだ。先祖代々の墓の中で今は安らかに眠っているはずだ。生き返りようも無い。それであったならどんなに嬉しいことだろう。


「どなたと見間違えたかは分かりませぬが、それは朝路ではありません。申し訳ないが、もうお引き取り下され」


収まりつつあった娘を喪失した悲しみを再び揺り起こされて、さしもの大松も気分を損ねたらしい。客人に対しいつになく冷たい態度で言い放つ。

桂木は未だ何か言いたげであったが、これ以上聞いても無理と判断したのだろう。

形だけの挨拶を済ますと去っていった。


妻は娘を生んだ折、この世を去った。

それからは娘と二人きりで過ごしてきたが、その姫も年ごろとなり、手放しがたい気持ちを堪え縁談もまとまったというのに。大松は深い溜息を吐いた。

このところ、老いのせいか寂しさが募る。


桂木の見た娘はそれほど朝路に似ていたのだろうか。

不意に会ってみたいという気持ちが湧いた。無論、いくら似ているとはいえ別人に違いない。違いないが、一目その娘に会ってみたいと思った。

たとえ仮初と分かっていても、娘が生きている姿をもう一度見たい。

見るだけでいい。


「誰か在る」


現れた家人に人探しを頼んだ。

蛍川の付近に姫に似た娘を探している、と。


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