宵待ちの狩場にて
由羅が不在のある晩のこと。
美が囲炉裏のある土間で繕い物をしていると、訪いを入れるものがある。旅人と名乗る一組の男女が寺へ一夜の宿を乞うてきた。
人も余り足を踏み入れないような山のなか、しかも宵も遅い時刻である。
初めのうちは警戒していた美だが、ふたりの気の良さそうな笑顔と困っているようすにどうしたものか迷う。しかし、ここは由羅の家だ。
勝手に人を上げたりして良いのだろうか?
遠方から、むかし親が住んでいたという麓の村のようすを見に来たらしい。祖父母の墓を拝み、できれば土の一掴みなり持ち帰って、亡くなった親の墓へ納め一緒に弔ってやりたいのだそうな。しかし、村は遠にすたれて無人となっており、宿を頼めるところがここ以外見当たらなかったらしい。
どうかどうかと頭を下げる。
そんな話を聞くと、美もほだされて何とかしてあげたいと心が動く。
「今晩一夜だけなら」
つい、引き受けてしまったのである。
由羅は明日の晩まで帰ってこないはずである。それならば一晩くらい泊めてあげても叱られることは無いはずだ。最悪、分かってしまったとしても、その頃ふたりは旅の空である。叱られるのは自分独りだ。
ならば心配することも無い。そう腹を決めてふたりを自分の部屋へ通した。
夕食をふるまい。自分の布団を長旅で疲れているであろうふたりへ譲った。
深夜、蠢く影があった。
疲れ切って布団で寝ているはずのふたりの旅人が、月明かりのもと
「つまらねぇ寺の割には良い物あるじゃねぇか」
由羅の部屋へ入ったらしき男が砂金の袋を持って戻ってきた。
「でも、盗賊の塒かもしれないよ。さっさと逃げないと危ないよ」
「なぁに、見たところ大した人数は住んでなさそうだ。明日まで帰らないらしいから心配ねぇよ」
美が招き入れた旅人は盗人だった。悲しいことに美へ語って聞かせた美談も全てが絵空事、この家に忍び込むための口実でしかなかった。
「お前さま、あの女はどうする?」
追っ手がかかっては厄介だ。
人を殺めるのも面倒ごとになるが、自分が追われるよりはいい。
心の荒みは人の命を軽くする。
「目が悪いと言っていた。俺達の顔は覚えてねぇだろう」
だからとは言え、余計な悪事を重ねたいわけではない。
ふたりは高価な品を持てるだけまとめると、用心には念を入れてと夜のうち寺から逃げだすことにした。
寺を出てきたものの鬱蒼とした山の中である。
道を間違えれば、山賊、妖、何でもありだ。せめてもう少し夜が明けてから移動したほうが安全といえる。
暗い山道を麓にある廃村まで下っていくと、無人のはずのあばら屋にぼんやりと明かりがともっている。不思議なことだと覗いて見れば、もとは土間だった辺りで薪を焚いて男とふたりの子供が火を囲んでいる。
害はなかろうと踏んで盗人の男が声をかけた。
「こんばんわ。道に迷ってしまって、出来れば少し火にあたらせては貰えませんか?」
男はこちらを一瞥しただけだったが、ふたりの女童がおいでおいでと手招きしている。愛想の良い笑顔を浮かべて焚火の輪に入っていった。
長い黒髪の端正な顔をした男は、白い単衣に片脱ぎした派手な女の着物を重ねている。
人買いと、買われた娘なのかもしれない。
そんな印象を持った。
「このようなところで人に会うとは驚いたな」
「それはお互いさまでございますよ。私も驚いていたとこでして」
人買いらしき男が、旅の男に話しかけ、少ししか無いがと酒を振る舞う。
知らない者から振る舞われる食べ物には危険が伴う、ましてこのような侘しい場所で、夜明かししている者からの施しは警戒が必要だ。
やんわりと断りをいれ、どうしてこのような所に居たのかと探りをいれる。
「人を待っていたのよ」
旅の男女はぎょっとした。
このような廃村で普通の者が待ち合わせるはずがない。まさか野盗ではなかろうか? 仲間を待っているのだとしたら此所にいるのは大変不味い。
ふたりは目配せしあい、ちらりと先程自分達が掠め取ってきた荷物に目をくれる。
「お仲間がいらっしゃるなら、私らはおいとました方が良さそうですね」
そう言って立とうとすると、童が駆け寄って旅人にすがった。自分達も連れていって欲しいと思っているのだろうか。そう思うと哀れではあったが、面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ。必死にしがみつく幼子を振り払えずに、女のほうが悲しげな顔を向ける。
この女、昔貧しさの余り子を手放したことがある。
酒に酔った折にそんなことを言っていた。盗人稼業もそれを取り戻したい一心で手を染めたと聞いている。だが、今は幼子を抱え込む余裕などない。
静かに首を横に振る。
「まぁ、そう急ぐな。待っていたのは仲間ではない」
ならばなんだ?
人買の男は立ち上がりもせずに盃を傾けながら、余り興味がなさそうにこちらを見ていた。と、連れの女の悲鳴に男が振り向く。それを確かめる暇も無く、自らの腕にも痛みが走り、見れば先程自分にすがりついた童が噛みついているではないか。
口には鋭い牙を生やし、赤く燃える瞳が微笑みをたたえていた。
「獲物だよ」
男が悲鳴をあげて振りほどこうとすると、童の背中や脇から着物を突き破って節の多い鉤爪の生えた足が何本も現れる。逃げようともがくうちに毒が回ったのか、体が痺れて動きがどんどん緩慢になっていく。狂ったように助けを呼ぶ旅の男の姿を、顔色一つ変えないで人買の男は眺めていた。
「まぁ、待っていたのは俺ではなく。この子達だかな」
可愛かった童は極彩色の腹を持つ二匹の大蜘蛛に姿を変え、動けなくなった旅人を糸でくるむと器用に抱えあげる。
「山の御前によろしく伝えてくれ」
「オテツダイ、アリガトウ。ユラサマ、ヤサシイ」
生きたまま親蜘蛛の元へ届けるのだ。
くぐもった悲鳴が上がる繭を大切そうに持ち直すと、揚々と去っていく。
子蜘蛛の背に『気を付けてな』と、声をかけると、振り向いて数ある足の一本をあげ手を振った。
置いておくのも何なので、由羅は残された荷物を貰うことにした。背に担ぐと中身がひとつこぼれ落ちる。足元で光る首飾りをみて顔色を変えた。見れば荷の中身は全て由羅の知っているものばかりだ。
黒雲をまとい風のように寺へ戻れば、囲炉裏のそばで綿入れにくるまる美が寝息をたてていた。今夜の一件とは何のかかわりも無いと言うような、その穏やかな顔を見て安堵のため息が出る。そっと抱えあげ、美の部屋へ寝かせた。
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