星よりも花よりも

夜になると由羅は出掛けていく。

そして明け方に近い時刻にいつの間にか帰ってきていた。

なにも告げずにふらりと居なくなり、一日二日と居なくなることも珍しくはない。

そんなある日、土間の囲炉裏端いろりばたで美が寝ているのが目にとまった。そう言えば己の帰りが遅い日は、決まって布団に入らずここに寝ている気がする。


人は物怪もののけと違って弱い。

たいして長くも生きられない癖に、直ぐ病気だ怪我だと言って死ぬ。それなのに冷たい板の間で寝るなど馬鹿のすることだ。何度かここで寝るなと言ってみた。しかし、普段聞き分けの良い娘であるのに、こればかりは一向に止めようとしない。


寒いのかと思い、部屋に火鉢を置いてやった。

貴族の屋敷に忍び込んだついでに貰ってきた、川の深みを思わせる青磁せいじの美しい火鉢だ。美は驚きつつも喜んだが、相変わらず囲炉裏の傍で寝ることをやめない。


放っておけば良いのだが、気になり始めると目につくようになる。自分の言葉を無視されているようで気に入らない。


「人は冷えると直ぐ死ぬのに、お前は何故こんなところで寝るんだ? 部屋で寝ろ」


美は怒られたと思ったのか身をすくめる。

返事になってないとばかりに問い詰めれば、うつむいたままポツリと訳を話す。


「眠れないのです」

「暗闇が怖いのか?」

「怖くありません。でも......独りが恐いのです」


また、誰もいなくなるのではないか。置いていかれて独りにされるのではないか。

そう考えると怖いと言う。

なにも告げずに居なくなられるのが怖いのだと。


由羅はそれがよくわからない。


鬼は産み落とされて一年で大人になる。

生まれて直ぐ走れるし、牙も爪も生え揃っているので獣をとらえて食べ、ひとりでに成長する。記憶力に優れ、一度見聞きしたものを忘れない。言葉は自然と身に付いた。大抵の鬼の子はその異形と奇行から、生まれてすぐに捨てられる。そうでなくともいずれ人里を追われ山に潜むようになるのだ。

由羅とて例外ではない。それゆえ親兄弟、家族と言うものを理解しない。


今まで独りであったから、己の行いを誰かに説明しなければ成らない何て事は無かったし、ましてや何処に居ようが自由であるため家に帰ると言う概念がない。今はたまたまこの荒れ寺が、ねぐらにするのに便利だからここにいると言うだけだ。


それに、自分がいなくとも美は大概の事は出来る。

彼女が来てからと言うもの、寺は荒れ寺ではなくなった。

障子戸は綺麗に張り替えられたし、床に埃が積もることもない。土間では毎日のように何かが煮炊きされ、いい匂いがしている。庭も草が刈り取られ、昔の庭園の姿を忍ばせるようになった。

自分が居なくてもここで暮らせるではないか。


しかし、なぜ美が己を必要とするのか?

そうして考えるうちに一つの思いに至る。

そうか、こいつは弱いから、自分の力だけでは縄張りを守れないのだな。


それなら由羅にも理解できた。弱い生き物にとって、縄張りがあるのと無いのとでは雲泥うんでいの差、死活問題である。


「大丈夫だ。暫くここを動く気はない。居なくなるときはちゃんと教える」


由羅の名は妖の間でもかなり知られている。だからわざわざ彼の縄張りの周辺を荒らして不興を買おうとする者もいない。だから、この寺が由羅の持ち物とされているうちは、誰も横取りしたりはしないはずだ。


心配するな。

そう声を掛けると、美が明らかに嬉しそうに笑った。

春の日差しのように暖かな、ふっくらとした微笑みから由羅は目を逸らす事が出来なかった。このような暖かさをもって、誰かに微笑みかけられたことなどあっただろうか?


美しいと思った。

どの星よりも花よりも。


思わず手を伸ばし美のほほに触れた。少女は訳も分からぬまま微笑んで、優しく触れた手に手を重ねようとする。美の手が彼の手へ触れるか触れないかのうち、由羅ははっと我に返って手を引いた。


「分かったらもう寝ろ」


由羅は落ち着かぬ己の胸に戸惑いながら、戸の外に広がる闇へと逃げ込んだ。

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