爪なし牙なし

昼間、由羅の姿を見ることはない。何処でどうしているかは分からなかった。

陽が翳るころ、不意に現れて宵になると寺を出ていく。それきり明け方まで帰る事はないようだ。


ある晩のこと、囲炉裏いろりのかたわらで美が拾ってきた木の実を焼いていると、珍しく由羅が現れた。壁にも垂れて座り、興味深げに美の手元を眺めている。


「お一つ召し上がりますか?」

「お前、鳥のようだな。そのようなものばかり食べて腹が膨れるのか?」


思いもよらぬ問いかけに美は苦笑を浮かべる。


「畑を作ったから直ぐに野菜が採れるわけではありません」


庭の片隅を掘り起こし、小さな畑を作ったばかりだ。由羅に何度も説明し、ようやく手に入れた野菜の種をまいたのだが、収穫が見込めるのは数か月も先の話である。


「お前らは肉を食べないのか?」


もし、彼女が由羅の正体を知っていたら、これほど恐ろしい問い掛けもないだろう。然れど、美は未だに彼の正体を知らないでいた。


「魚や鳥、兎くらいなら食べたことがありますよ」

「ならばこの山にもいるぞ。捕まえて食べないのか?」

「そう簡単には捕まらないでしょう?以前は父や兄が捕まえて来てくれましたから」


その父や兄も、もう居ない。

由羅は『そうか』と言ったきり黙った。


由羅は少し娘を警戒していた。

人間のなかには女を餌にして、鬼を退治しようと罠を張る者もいるからだ。何人来ようが蹴散らす自信はある。されどわざわざ大騒ぎして、己の存在を人里中に知らしめるなど賢いとは言えない。

たかが人と侮って、討たれる妖は意外と多のだ。


日中は天井のはりの上で休み、美を観察していた。

特に変わった様子もなく、せわしなく寺を片付けたり、庭の片隅を掘り起こしたりしていた。

たまに出掛けたと思えば、山奥で木の実を拾って帰ってくる。

あんなものよく食べようという気になるものだ。

そんなものばかり毎日食べて、相変わらず痩せ細っている。見ているうちに何だか気になってきて声をかけた。

答えを知れば何の事はない。この娘は狩りを知らぬのだ。内心呆れて開いた口が塞がらなかった。なるほど、だから里の人間は畑などというものを持ち、それが駄目になると餓えて死ぬのか。爪も牙も持たぬ者は難儀なことよ。


娘には教えていないが、ふもとの里は無人なった。多くの者が死に絶え、僅かに生き残ったものは里を捨てて出ていった。留まっても荒れ果てた土地に生きる術がなかったのである。今は荒野が広がっている。


「美」

「はい」


突然名前を呼ばれて少女は驚いた。由羅に初めて名前を呼ばれたかもしれない。

『お前』とか、『おい』としか呼びかけられなかったので、てっきり由羅は美の名前を忘れてしまったのだと思っていた。


「欲しいものがあったらまた教えろ。わかる範囲でもってきてやる」


以前、豪華な着物やかんざしをくれたことがあったのだが、美が戸惑うばかりで喜ばなかった。なら何が欲しいかと聞かれて野菜の種を言うと妙な顔をされた。そんなものを欲しいと言った女は美が初めてだったらしい。


「お前の好みは珍妙だからな。言われねば分からん」


都で狩る大概の女は高価なものを望んだ。豪華な着物や帯、簪など、それに騙されてついてくるものは多かった。もっとも、それは男を相手にする夜の花であったり、大金をせしめたいとカモを狙う盗人や野盗が大半であったが。

山で獣を狩るよりも、簡単に釣れる獲物である。しかし、同じ餌で釣れない人間もいるのだと知って、由羅は驚いたものだ。


「まさか、草で喜ぶとは……」

「え?」


美が聞き返す前に由羅は立ち上がる、そのまま部屋を去り際に『変わったやつだな』と少し笑った。


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