鬼の棲み処
美は少しづつ体が回復するとともに、床から起き上がるようになった。
美がこの部屋へ連れてこられた夜以来、由羅には会っていない。
寺を留守にしているかと思うとそうでも無く、気が付くと部屋の片隅に握り飯や菓子など食べ物が置かれている。 気にしてはいるようだが、それほど構う気もないらしい。
美はいつまで此処にいてよいものやら悩んでいた。
出て行けと言われても行くあてもない。干上がった村へ戻ったところで何もないのだ。だからとはいえ、このまま由羅の厚意へ甘えていていいものだろうか。
その晩のこと、久しぶりに由羅が美のもとへやってきた。
だらしなく肩へ羽織っていた女ものの衣を放るように美へ渡すと『お前が着ろ』と言ってまたどこかへ行こうとしている。
「待ってください!」
慌てて止める美を振り向いて何だと言う。
美はさっさと居なくなってしまいそうな由羅を引き留めようと、居住まいを正し早口に今までの厚意の礼を述べた。
「助けて頂いてありがとうございます。このような厳しい時期に此処に置いてくださって感謝に絶えません」
由羅は部屋の入り口に立ったまま美の礼の言葉を聞いていたが、少女の言葉が切れると、『そうか。良かったな』と感情の波も無く言い捨てて去ろうとする。
それをさらに引き留める。
「あぁ、まだあるのです! 厚かましいのは山々ですが、どうかこれからも寺へ置いてはもらえないでしょうか?」
『お願いでございます』と板間に
どうやら話が長くなりそうだと、さすがの由羅にも分かったらしく、部屋に入って来て美の前に座り込んだ。どうも言っていることが分からないと言うようすだ。
「すでにお前は
「ありません。だから、此処へ置いてほしいのです」
「ずっと居ろ」
次にお前が行くとしたら、俺の腹の中だ。
とは口にしないが、もしこの娘がほかに行くと言い出した時にはそうするつもりだ。塒を知ったものに生きて居られると、後々厄介な事にしかならない。
鬼はその程度にしか考えていなかったのだが、美は違った。
食べ物を分け与えるのも難しいこの時期に、なんと
向けられたことの無いまなざしを向けられて、内心由羅は動揺したが表面には出さなかった。
「ありがとうございます。ありがとうございます。何でもします。炊事洗濯、お掃除だって。畑があるならそれもやります」
輝くばかりに笑っているのに、涙をこぼしている。
恐怖にひきつる顔は何度も見てきたが、このように奇妙な顔をするものを由羅は初めて見たかもしれない。底なしのお人よしに呆れつつも、面白いと思う。
「まぁ、好きなようにしたらいい」
話が終わったとみて由羅は立ち上がると、そのまま庭に降りて夜の闇へ紛れて行った。
美はもともと捨て子だった。
親切な村人へ拾われ、いずれその家の後継ぎと添わせるため育てられたそうだ。大人たちは少女へ直接言ったりしなかったが、切れ切れに聞いたうわさ話をつなぎ合わせると、そう言うことのようだ。
由羅がどのような人かは未だよくわからない。けれど、ここ数日のようすを見ればさほど悪い人には思えなかった。此処に来られて良かったと、美はほっとしていた。独りではないことに、とてもほっとしたのである。
*
翌朝、美が由羅へ挨拶をしようと思い寺のなかを探してみた。
されど、その姿はどこにもなく、昨夜のことは夢ではないかと疑ってしまうほど、寺に生き物の気配はなかった。由羅以外の人は居ないようだ。
荒れ放題に放置された境内は障子が破れ、戸が
好きなようにしたらいい。
由羅から、冷たくも感じられるほど、
『
早く建物になれなくてはと考えて、寺のなかを歩き回る。
思っていたより建物自体は傷んでおらず、掃除さえすれば里の家と何ら変わりなく過ごせそうだった。
風雪にさらされ
どこから手を付けてよいものか、判断しかねて美はため息をついた。
百里の道も一歩から、今は他にやることもない。少しづつ片付ければいつか終わるはずだ。そう自分に言い聞かせた。
土間の隅、板やら要らぬ竹の棒などが無造作に立て掛けられている。
その壁の向こうに、小さな納戸が見つかった。
もしかしたら何か残されているかもしれない。そう思い、いらぬ板切れを全て外へよけ、薪に回すべくまとめておく。
ようやく入れた部屋には、うっすらと埃が積っていた。
開いた戸から入る風が入りキラキラと塵を巻き上げている。部屋には、木の樽に詰まった醤と、がびがびに表面が乾いた赤味噌、麻袋につめられた塩が置かれていた。使えなくはない。
然れど、それだけで穀物の類いは無かった。
埃を被って火の気すら感じられない台所。その汚れをぬぐいながら不思議に思う。由羅は何を食べているんだろう?
山の猟師のように、生き物を狩って生業をたてているのだろうか?
人の気配が恋しくなってあたりを見渡すもひとり。
ふと、めまいを覚えた。
ずっと動き通しなのに、食事をとっていないせいだ。
後で森に出掛けて何か探してこよう。
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