死闘

さて、和泉国堺浦・石津に攻め込んだ足利軍は、兵が憔悴してもなお善戦する北畠軍を打ち負かし、ついに顕家を討ち取った。

その直後、師直は、筵をかぶせた屍を置き、物陰に隠れていた。

筵からは、屍の顔を覗かせている。

白い肌、端正な顔立ち……いかにも顕家といった様相だ。

この屍の懐に書いてあった文の中身を思い出す。

『この影武者の遺体を顕家のものだと偽りこれで誘い出すことにより、死人を作らんとしている者の正体を暴いて欲しい。』

罠を張ってから、長い時が過ぎた。

そろそろ疲れてきた……と思ったその時、

人影が現れた。

二人だ。編笠を深く被った僧服……いかにも怪しい出で立ち。

僧服の男達は、辺りを注意深く見渡すと、籠を担いだ者達を呼び、屍を抱えて籠に詰めた。

人目を避けるように去っていった男達の後を、師直自ら物陰に隠れつつ尾行していった。


数日経つと、顕家の訃報は遠く越前の義貞らにも届けられた。

「兄上、顕家殿が師直殿に討ち取られてしまわれたようで……」

「そうか」

馬上の義貞の肌はさらに青い血管が浮き出している。右眼には眼帯を着けている。眼病ではない。眼球が腐り落ちたのだ。

「尊氏達が死人の特性に気付いていない限り、死人の屠り方を心得ているのはもはや私達だけだ」

「はっ」

「畏まりました、父上!」

義顕も、死斑が滲む肌を包帯で隠し、顔色の悪い顔を薄化粧で整えている。

「この際尊氏は後回しだ。まずは手掛かりを探すべく吉野へ向かう――」

こう告げた義貞の前に、軍勢が立ちはだかる。

死人の群れだ。

その中央には、死人に守られるように騎乗の人影が二つ見えた。

義貞には、その顔に見覚えがあった。

「正成殿……正季殿……」


その頃、師直も僧服の男達が向かっていた山寺にたどり着いていた。

山道を数日歩き、すっかり息が切れ切れになった彼は、寂れた山寺の戸の傍に身を隠し、中の様子に目を凝らしていた。

金箔の剥げた仏像の前に設えられた寝台の上に屍が横たえられ、それを囲むように僧服の男達が立っている。その周りにも屍が転がっている。

僧服の男達が編笠を取る。見覚えのある顔だ。円観と文観、何れも後醍醐天皇に重用される僧侶だ。

小さな囁き声が聞こえるが、内容までは聞き取れない。

円観が抱えていた壺を下ろす。文観が壺に手を入れ、どろりとした液体をすくい取る。

師直は、固唾を呑んで事の顛末を見つめる。

――と、そこで文観がはたと手を止める。

「――おや、鼠が入り込んだようだ。誰かね。もしかして、北朝の高師直殿ではないだろうねぇ」

どくん、と、心臓が跳ね上がり、冷や汗が頬を伝う。

先手必勝、彼は意を決して刀を抜き放ち寺の中へと飛び込んだ。

振り下ろした刀は、円観を袈裟斬りに斬り捨てた……かに思えた。

だが、

「随分と乱暴な御挨拶ですねぇ……」

おびただしい鮮血が噴き出たにも関わらず、円観は汗一つかかずにたりと笑った。

「くそ!」

後ずさりした師直の足が、床に転がる屍に当たった、その時だった。

屍が、師直の足首を掴んだ。

「げっ!」

すかさず屍の手を斬り落とし飛び退いた師直の目の前で、屍がゆらりと立ち上がる。

その屍だけではない。他の屍もゆらりゆらりと立ち上がった。

よく見れば見覚えがある。尊良・恒良親王、日野資朝・俊基だ。

「さて、貴方も彼等の仲間に加えてあげましょう」

文観の言葉と共に、死人達が一斉に襲いかかった。


一方、新田軍も苦戦していた。

死人の数があまりにも多く、いくら倒しても追いつかない。死人の犠牲は確実に増えていく。

しかし新田軍も負けてはいない。既に感染している義貞と義顕が先頭に立ち、次々と死人を屠っていく。

その時だった。正成が自ら死人の守りを抜け、義貞目掛けて突撃してきた。

新鮮な肉に飢えたその様に、かつての聡明だった彼の面影はまるで無かった。

「安らかに眠れ、正成殿……」

義貞と正成の刀が、真っ向からぶつかり合った。

義貞はせめて一思いにと頭を狙うが、正成の方もそれを見抜いたのか、頭を目掛けた攻撃を全て防ぐ。正成の方も執拗に頭を狙うが、義貞もそれを受け流す。

一進一退の攻防が続き、刀がぶつかり合う度に火花が散る。

ほぼ同時に正季と衝突した義顕の事も気に掛かるが、目の前の敵を相手する事で精一杯だ。

と、突然正成が体勢を崩した。

「もらった!」

すかさず義貞が頭目掛けて斬り掛かる。

だが、正成は体勢を立て直し、義貞の渾身の一撃をかわす。今度は勢いを受け流された義貞の体が前のめりになる。

(しまった!)

義貞はすぐさま退こうとするも、間に合わない。正成の刀が、義貞の首筋を一閃する。

「父上!!」

――義貞の首が、地に落ちた。


師直も苦戦を強いられていた。

ただでさえ一対四と不利な状況な上相手が頭を砕かなければ死なずになおかつ負傷するだけで危険なのだ。無理も無い。

それでも辛うじて尊良親王・恒良親王は倒せたのだが、日野兄弟がさすが手強い。本調子の師直なら勝てなくもないのだろうが、敵の猛撃に加え、数日山道を行った疲れが彼を容赦なく襲う。もはや防戦がやっとだ。

激しく体力を消耗する中、彼の判断力も鈍っていた――後頭部を強かに殴られるまで、目の前の資朝に意識を奪われる程に。

気が遠のいた彼の右腕を、俊基の鋭い爪が肉ごと引き裂く。

俊基はさらに、苦痛に歪んだ師直の顔を掴むと、彼の身を投げ飛ばし、壁に叩きつけた。

「かは……っ」

口から鮮血が漏れる。力が入らな

い。目は霞み、失神と苦痛による覚醒に脳が揺らぐ。

「さて、楽にしてあげましょう」

ここで死ぬのか……自分でも驚く程冷静に死を受け入れていた――その時だった。

佇んでいた資朝の頭を白刃が貫いた。

「あ……」

資朝は、眉間から突き出た刃を見上げるなり、どうと倒れる。

人影はさらに円観の眉間に刀を突き立てた。

「――これ以上勝手な事はさせぬ」

顕家だった。


「どうなさいました?顕家殿ともあろう御方が北朝の鼠に加勢するなんて。我々の邪魔をする事は即ち南朝に逆らう事ですぞ?」

眉間に刀を生やしてなおにやにやと笑う円観を、顕家は涼し気な目元をつり上げ睨み付ける。

「北朝の肩を持つつもりは毛頭無い。だが、例え南朝の為であろうと、死した将を無理矢理蘇らせるなど、死者を辱め、南朝をも辱める行為。許されざる業だ」

「……ほう、そうですか」

そう言うや否や、文観は、壺の中の液体を床にぶちまけた。

「ならばこの寺で行なっていた事は全て消しましょう……貴方方と共に」

文観は、液体に仏像の傍らで揺れていた炎を点ける。

すると、炎はあっという間に液体を伝って燃え広がった。

「くっ!」

顕家は師直を抱えて逃れようとするも、俊基がその道に立ちはだかる。それでも顕家は怯まず、俊基の頭を刀でかち割る。

「おやおや、お強いですなぁ」

だが、文観の嫌らしい笑みは歪まない。

「では――」

その時気が付いた。隅の暗がりにも一体、屍があったことに。

「――この御方はどうですかな?」

屍が傍らに置かれた刀を手に取り、ゆらりと立ち上がった。

その顔を一目見、顕家が顔面を蒼白にして後ずさる。

「護良親王、様……」


師直が意識を少し取り戻した時、目の前に飛び込んできたのは、死人と刀を交える顕家の姿だった。

死人が刀を振るい顕家が受ける度に重い音が響く。顕家は衝撃に震える腕で必死に対抗するも、防戦がやっとな状況だ。

助けなければ……そう思うも、刀は遠く壁際に追いやられている。

どうすべきかと頭を巡らせているその間にも、顕家の体力は容赦なく奪われていく。

その時、仏像の方で小さく物音がした。

はたと振り向くと、文観が仏像の台座の裏へと逃げ込もうとしていた。

その胸には、なぜか仏像の頭が抱えられている。

彼の頭を、道誉の言葉がよぎった。

『特定の媒介を介して自由に操れる死人が作れるようですなぁ』

特定の媒介を介して――

(――あれか!!)

師直は残された力を振り絞り、脇差を抜き放って文観目掛けて駆ける。

「なっ!」

驚いた文観は慌てて身を隠そうとするも、遅かった。

「死ねえ!!」

師直の渾身の一撃は、仏像の眉間を、文観の胸を、さらに壁をも貫いた。

断末魔の叫びを上げる文観の胸から脇差を抜き、さらに頭に突き刺した。

文観の体が、力無く横たわる。

それと同時に、死人も糸が切れたように崩れ落ちたと思うと、灰のように肉体が霧散し、ただ白骨のみが残った。

顕家は唖然として動かなくなった死人を見つめる。

「やった……」

刹那、師直の意識が暗闇に覆われた。


「父上!!」

義貞は、義顕の絶叫に意識を取り戻した。

見れば、義顕は正季だけでなく正成にも襲われ、窮地に陥っていた。

義貞はすぐさま立ち上がり、転がった首を拾うや否や義顕の元へと走り寄る。

正成と正季が義貞に気付き迎撃体制を整える中、義貞は高く跳躍し、正季の脳天に刀を突き立てた。

「――貴殿を見捨て、死人へ身を落とさせてしまったのは他でもない私だ――」

正成が、灰と化す正季を悲しげに見下ろす。その隙に、義貞は正成の懐へ飛び込む。

「――しかし、もうそのような貴殿の姿はもう見たくない――」

正成は、刀を捨て、義貞を受け入れるように手を広げた。

「――だから目を覚ましてくれ、正成殿……」

義貞の刀が、正成の眉間を貫いた。

正成の表情から凶暴性が抜け、かつての穏やかな笑みが浮かぶ。

「正成殿……」

気が付けば、頬を涙が伝っていた。

正成の唇が小さく動く。「ありがとう」と言った、そんな気がした。

その体が力無く崩れる。義貞は正成の亡骸を優しく抱き締めた。

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