南北朝・オブ・ザ・デッド―十四世紀、日本―
死人
遠い昔、西行という法師がいた。
彼は高野山に住んでいた頃、彼は何を思ったのか、野原の死人の体を集め並べ骨に
だが出来上がった「それ」は、見た目は確かに人ではあるものの、血相が悪く声もか細く魂も入っていないものが出来てしまった。彼は落胆し、「それ」を高野山の奥に捨ててしまったという……。
――しかし噂によると、「それ」を作る技術はそもそも秘術として伝わっていたものであり、未だ密かに継承され続けているともいう……。
さて、時は下り鎌倉の幕府が滅びた後のことであった。
一度は共に幕府を倒し、建武の新政の樹立に貢献した後醍醐天皇ら皇族・貴族と足利尊氏ら武士団であったが、貴族を過度に重んじ功績のあった武士団を軽視した政策により、次第に武士の心は帝から離れていった。
やがて後醍醐天皇に反感を抱いた武士達は尊氏を立て、また、帝に未だ従う武士達もおり、再び日の本は戦場となった。
そんな折のことであった。
「はぁ……」
新田義貞は落胆していた。
彼はかつて帝側の指揮官として、対足利戦の最前線にたっていた。しかし、彼と楠木正成の連合軍は、帝側によって九州へ追われていたはずの足利軍に湊川の戦にて打ち負かされ、帝は比叡山まで逃げる事態になっていた。さらに新田軍は、よりによって帝側の切り札である楠木軍を実質見捨てて敗走する形となってしまい、結果、楠木正成・正季兄弟を自害に追い込んでしまった。
それだけではない。帝側が比叡山まで逃れたことにより、足利軍は光厳天皇を奉じて京へ入ってしまっていた。その後、新田軍などが京を奪還しようと奮戦したものの、逆に劣勢に立たされ、名和長年、千種忠顕らの重要人物が次々と討たれてしまった。よって、後醍醐天皇は吉野へ逃れ、南朝を立てる事態となった。
さらに義貞に追い打ちをかけたのは、後醍醐天皇の勝手な尊氏との和解だった。これにより実質彼は帝から切り捨てられる形となり、恒良親王と尊良親王を奉じて敦賀へ逃れる羽目になってしまった。
新田義貞は、すっかり孤立してしまっていた。
「一体私が何をしたというのか……」
ここまで追い詰められたら、このような弱音も出てしまうというものだ。
「そう落胆なさらないで下さい、父上」
隣にいた彼の嫡男、義顕がにこりと笑う。
「ただ運の流れでそうなっただけです。父上が悪いというわけではないでしょう」
「そうです。運が向いてきたら我らにも追い風が来ることでしょう」
義貞の弟である脇屋義助も続ける。義貞も、曇りは晴れなかったものの、優しい微笑みを垣間見せた。
――だが、それからほどなくして、金ヶ崎城は足利の軍勢に包囲された。
新田勢も負けてはいない。斯波高経率いる軍に囲まれようとも蹴散らし、足利勢が大量の軍勢を差し向けようとも、一時はむしろ義貞が優勢なくらいであった。
しかし、確実に兵糧は日に日に尽きていった。兵は飢餓に苦しみ、心身ともに疲弊していった。気づいたら、包囲から半年近く経っていた。
そんな時であった。
――初めに気付いたのは見張りの兵だった。
「……何だありゃ」
「どうした?」
「ほら、あれ……」
一人が指差す先を見やった兵達の顔から血の気が引いた。
「殿!見張りの者より急報が入りました!!」
「何だ!敵襲か!?」
倒れんばかりに脚をもつれさせて駆け込んできた伝令に、義貞は膝をつき傍らの太刀に手をかける。
「いえ、違うんです!!それが……」
そこで伝令が口をつぐむ。
「……恐らく信じていただけないでしょうが、手討ち覚悟で申し上げます」
「たとえ信じ難い事であろうとも、真実を言えば手討ちなど致しません。敵襲とあらばもう時間は無い。早く言いなさい」
義助の言葉に覚悟を決めたのだろうか、伝令が重い口を開いた。
「……死体が歩いておるのでございます」
「……死体が歩いておる……だと!?」
さしもの義貞も驚愕を隠せない。傍らの二人も動揺を露に顔を見合わせる。
「それは真か?」
「はい。複数の物見が何度も何度も確認致しましたが、いずれも半ば腐った死体が歩いておるという結論に至りました」
「その死体が、城を襲っておるというのか?」
「左様でございます。初めは足利軍を襲っておりましたが、その一部がこちらへ流れてきておるようでございますが、一部と言いましても溢れんばかりの大群でございまして、今や城の周りを埋め尽くしておるという状況でございます。近くの兵が防御にあたっておりますが、厳しい状況かと……」
「分かりました、私が確かめに行きましょう!!」
声を上げたのは義顕だった。
「何を言っておるのだ義顕!?」
「たとえ歩く死体であろうと生きた人間であろうと、兵が足りないのは事実です。新田の嫡男も共に戦うとなれば、兵の士気も上がるでしょう。この城には親王様もおらせられる、落とされるわけにはいきませぬ!では、行って参ります!!」
「おい!待て義顕!!」
義貞が呼び止めるもむなしく、義顕は鎧を着込むなり城門の方へと向かって行った。
「兄上、私達も向かいましょう。このまま、義顕様を一人にさせるわけにはいかないでしょう」
「う、うむ、そうだな……」
鎧を着こむや否や、すぐさま城門に向か――おうとするが……おかしい。何やら異様に騒がしい。
疑念と不安を胸に押し込むように太刀を固く握り締め、城門へと向かう。
――そこには異様な光景が広がっていた。
「父上…」
勇敢なはずの義顕が、半べそをかいている。
勇猛なはずの東武者が、ひどく怯えている。
皆臆病風に吹かれながらも必死に敵に矢を浴びせかけるが、敵が減ることは無い。怯んでいる間にも、敵は城門を押し、こじ開けようとしている。
その視線の先にあるものは、足利軍ではない。城の周りを埋め尽くさんばかりに溢れる「それ」は、皮膚が腐敗して変色し、目は白く濁り、唇が腐り落ちて歯が剥き出しになり、服は血塗れで裂けて
紛うことなき、歩く死人であった。
「何ということだ……!」
義貞と義助も矢を放ち加勢するも、眉間や胸などに急所となるはずの箇所に矢が幾重にも刺さっているにも関わらず、敵は動きを止めずに城門に押し寄せてくる。
すると一角で、死人が城壁をよじ登り城内へと侵入した。
「畜生!!」
「お、おい待て!!」
一人の武者が、痺れを切らしたのか、制止する仲間を振り切って死人に飛びかかり、太刀で死人の首を掻き切った。
死人の首が土に転がる。
「どうだ!死人であろうが何であろうが、首を斬れば終いだろう!」
武者が誇らしげに死人の首を掲げた――その時だった。
死人の首が目を見開き、ぐるりと顔を武者に向けた。
「ひっ……!」
怯む武者の背後から、別の死人が襲いかかり、その首の肉を噛みちぎった。
喉が裂けるような絶叫を上げる武者に、さらに城内へと侵入した死人達が折り重なるように食らい付いていく。
やがて、死人の間から覗いていた武者の手が力無く落ちた。
城内の武士達は、戦い慣れした義貞達でさえも、目の前で人間が食われてゆくのをただただ蒼白な顔で見つめる事しか出来なかった。中には、小便を漏らしている者もいた。
「ひ、怯むな!何としてでも侵入を防げ!」
震える唇を噛み締め、上ずる声を精一杯張り上げた義貞の号令に、兵士達ははたと我に返り、恐怖を振り払わんと雄叫びを上げながら死人に斬り掛かる。
その刹那、食い殺されただの肉片と成り果てたはずの武者が起き上がり、味方であったはずの兵の首に食らい付いた。
「敵に背を向けるな!!腕を落とそうと脚を落とそうと構わぬ、敵の動きを封じよ!!」
命じながらも、義貞は目を皿のようにして敵を睨んでいた。
先程の首を斬られた死人の胴が目に入る。あれ程首が動いていたというのに、胴は未だぴくりとも動いていない……。
「――義助」
「え、はい」
「すまんな、少しばかり無茶をするぞ!!」
言うなり、義貞は走りざまに太刀を抜き、死人目がけて突っ込んでいった。
そして、彼に襲いかからんとしていた死人の脳天に刃を振り下ろし、頭蓋骨を二分に叩き割った。
死人は、地の底より響くような断末魔の叫びをあげながら地に伏し、そのまま動かなくなった。
「やはりな……」
兵士達が皆息を呑む。
「皆の者!死人共は不死身ではない!!頭だ!頭を狙え!!」
相手は不死身ではない――そう知って勢いを盛り返した兵士達が、弓を捨てて太刀や鈍器で次々と死人を屠っていく。死人は次々と侵入してくるが、それくらいの敵なら何とか倒せる。一気に、そう、一気に攻めてこられさえしなければ――。
そう思った矢先だった。
何か、音が近づいている。
規則正しい何かが走るような音が、城門へ近づいてきている。それはまるで、馬の蹄のような……。
その刹那、破壊音と共に人間の体長ほどの黒い物体が突進し、城門が打ち破られた。
物体――皮膚が腐り骨が露わになった馬は、甲高い
「兄上!!」
「皆の者!!城は捨てよ!!退けぇ!!」
もはや打つ手はない。義貞は叫ぶなり、辺りに視線を巡らせ義顕を探す。
しかし――
「よ……義顕……」
義顕は、死人達に囲まれていた。
その肩からは鮮血が湧き出している。
「義顕!!」
「あ、兄上!!」
義助の制止を振り切り、義貞は死人の群れへと突撃した。
死人が新たな肉へ群がる。彼はその群れを斬り捨て斬り捨て、ただ前へ突き進む。
そしてついに、義顕の元へとたどり着かんとした――その時だった。
「父上、後ろ!!」
義顕の声にはっと背後を振り返るも――遅かった。
目の前には、鋭い爪を光らせた死人がいた。
死人が腕を振り下ろす。肩からごっそりと肉が削られ、鮮血が噴き出す。
「父上!!」
義顕の声が遠く聞こえる。その叫びが絶叫に変わる。彼の首に死人が牙を立てているのが朧気に見えた。助けよう、そうは思うが体が動かない。再び馬の嘶きが聞こえる。今度は馬上に人が乗っている……いや、あれも死人だ……いや、あれはもしかして……。
そして、目の前が暗闇に落ちた。
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