第8話 Messenger

【天門霊送機関––––––零地区中央棟上級会議室】



 一転して、室内は静寂に包まれていた。


 円卓上や床には人間と堕人の死体。

 赤い血と緑の体液が混じり合いドブの色が辺りを染める光景を見たのは、眞堂はこれで二度目だった。本来ならば堕人の体組織が発する異臭が充満していたところ、幸か不幸か、天井も窓も壁も粉々に砕かれたことでその状況は避けられた。堕人から発せられる独特の死鬼風と呼ばれる目に見えない物質だけでなく、ただの臭いでさえも人体に及ぼす影響は計り知れない。


 剣を振るい、トリガーを引き、迫り来る堕人の猛襲を凌いだと思ったのも束の間。ヴェフパーク達の目の前に次に姿を現したのは、三人の人間だった。


「お初にお目にかかります」


 と、一人の男性が黒のシルクハットを右手で取り胸に当てながら、左手の杖を支えに深々と頭を下げた。


 突然音もなく現れた正体不明の三人に、辛うじて生き残ったヴェフパークおよそ三十名は各々の武器を一斉に向ける。


「アンチリムーバルグループ一頭書記兼代表補佐、ヨ・ファングンと申します」


 タキシード姿に身を包んだ男はそう言って静かに微笑んだ。

 身長はおよそ一般成人の平均。ハットの下から覗かせる髪の毛は丁寧に切り揃えられている短髪の白色。

 だが軽やかな声質からして、四、五十代では無くせいぜい二十代かそこらであろうと眞堂は当たりをつけた。


 男の側には二人の女性。

 一人は若い、こちらも男と同年代のように見える。全身を覆う純白なコートがその存在を際立たせていた。そしてもう一人は––––––


「––––––…ガキがなんでこんなところに」


 円卓を挟んで反対側に立つヴェフパークがそう呟いた。


 その通りだった。

 多くの死体を前に平然と立っていたのは、まだ年端もいかぬ少女だった。

 所謂ゴスロリと呼ばれる黒いドレスを身に纏い、セミロングの金髪はこの薄暗い状況下でも美しさを失わずにいる。

 その可愛らしい姿には似合わず、また不自然と思われるような虚ろな瞳を自分の足元に落としている一方で、その胸に綿の人形を強く抱きかかえる様子はまさに年相応のようにも思えた。

 

 中央に立つ男は広い室内に舐め回すように目を行き渡らせる。

「––––––宮城斂掌(きゅうじょうれんしょう)はご不在ですか?」


「––––––代表になんの」

 

 眞堂の目の前にいたまた別のヴェフパークがすかさず聞き返そうとしたその時、


「––––––!」


 堕人や他の隊員の返り血に染まっていた彼の全身が、それを軽く上回る量の赤い血で染め上げられた。まるで、バケツで被った後のように。

 体は僅かに反応を見せただけ。突然の攻撃に、ヴェフパークは力無く倒れた。


「返事はYesかNoで」

 そう呟く男の後ろから、白コートの女性が猟銃のようなものを構えていた。先端は煙を立ち昇らせている。


「––––––貴様ァ!」


 眞堂の後ろにいた若い女性が大声を上げ、持っていたリボルバーの引き金を引いた。

 放たれた弾丸は一直線に伸び、大型銃を持つ白コートの女性へと向かう。


 だが、ほぼ同時に放たれた大型銃の弾丸はリボルバーの弾を易々と打砕いた。


「散弾銃––––––」

 眞堂は突っ立ったままの後ろの女性を庇うようにして、直ぐさま右手を前面に突き出す。

 緑色の膜のようなものが掌を中心にして現れる。鈍い金属音を残した後、眞堂の足元にベクトルを失った十数個の鉛玉が重力に従い落下した。


「––––––‼︎」

 それまでは無表情にやり過ごしていた白コートの女性だったが、何一つ武器を使用せず己の散弾銃を防ぎきった眞堂に目を見張った。


「––––––幼女の前で発砲するとは。流石は神欺(かみあざむ)の天霊––––––」

 一方で、何事もなかったかのように立ち振る舞うタキシード。皮肉一杯の口調を込めたように。

「当たったらどうするつもりです。そちらの––––––」

 

 そのあとに続く言葉は、最後方の木製の扉が打ち破られる爆裂音に打ち消された。


「どこが人間だ」


 静寂な空間に、一人の男の重々しい声が響き渡る。

 舞い上がる砂煙の中から見えるのは緑色のシルエット。ブーツが床に当たる音だろうか、一歩一歩誰かがこちらへ向かってくるのがわかる。


「一目見りゃ分かるぜ。死鬼風の塊だコイツは」


 タキシードは眉間にシワを寄せ、目を細め、少々声を荒げた。

「誰です。そんな遠くで大きな態度を張られても、余計に弱く見えるだけですよ。言いたいことがあるのならこちらまで––––––」


 その時、床が砕かれる音と共に舞い上がる砂煙が一瞬にして霧散した。姿を確認しようとしたタキシード。だが既に扉を砕いた本人はそこにはおらず、ヴェフパーク達もその行方を目で追うことは出来なかった。



「ぐぁっ……」


 苦痛に喘ぐような声がしたかと思うと、予想だにしない光景が目の前にあった。


 タキシードの側の円卓上で、緑色のコートがはためいている。遅れて室内に、まるで電車が高速で通り過ぎた時のような爆風が広がった。

 

 白コートの女性は目の前に突然現れたその男に驚愕の目を向けた。手に持つ散弾銃を構えることなく。


「––––––そのコート……。––––––その日本刀……。貴様…––––––」


 月明かりを銀色に反射させた刀がタキシードの右胸に突き刺さっていた。








 ◆◇◆◇◆◇◆










【天門霊送機関––––––エリア3Z––––––孤児院前】




「昴! 未来!」


 大きな一軒家の門の前で寒さに体を震わせながら一人佇んでいた女性。二人の子どもを目に留めるや否や、一目散に駆け出した。


「先生!」


 森から歩き出して以来、士峰が話しかけても一切何も口に出さなかった二人の子どもがエプロン姿の女性を見た瞬間、一気にその感情を露わにした。

 泣き出した子どもを抱きしめる女性の瞳からも、涙が零れ落ちる。


 何か言い知れぬ虚無感に苛まれた士峰。咳払いをし、深呼吸を一つ。

「なぁ良さん。ここってさ、眞堂さんが前に言ってた––––––」

 マイナス思考を拭う意味でも士峰は目の前の大きな一軒家を見つめる。

 

「––––––なぁ、無視かよ」


 だが呼び掛けても、少し先を行く新冨は何も答えない。

 右肩に巻きつけた無線機の周波数ダイアルを神妙な面持ちで右に左に動かしている。先程からしばらくの間、本部とは通信が途絶していた。眉間にシワを寄せたまま、ずっと神経を耳に集中させている。


 その表情はどこか焦りを感じさせた。

 だが通信が途絶したからといって、イコール本部が壊滅的打撃を受けた、とは言い切れない。通信を妨害する敵のジャミングの影響、電気系統の異常など、考えられる原因は他にもある。本部が敵の手に落ちたと考えるのは尚早に思えた。


 しかし、新冨が感じる不安要素の本質は恐らくそのことでは無いと士峰は仮定した。

 勿論言うまでもなく、通信が何事もなく繋がるのであればそのことに越したことは無い。本部が何も異常が無いとし追加の任務を与えなければ、必然的にそれは新冨が個人的に予期する事態を回避することに直結する。

 それに、どちらかと言えば天霊の上層機関には反抗的な態度を取る新冨だ。一時通信が途絶した程度で、青ざめた顔になるまで心配するとは到底考え難い。


「だとすりゃ、何だと思う––––––」

 士峰はその背におぶっていた葉宜に問いかける。額や腕に包帯を巻かれた応急処置のみでは、一刻も早く研究棟へ連れて行く必要があった。だが葉宜は自力で立つことは敵わず、またヴェフパークの単独行動を禁じられた状況では、これより他に最善策は無かった。

 孤児院から行方不明となっていた二人の子どもを無事に送り届けるという追加任務もあり、余計に別行動を取るわけにもいかなかった。


「さっきから独り言が多いですね。あ、日頃からでしたっけ。新冨さんに無視されるからって、僕に話を振らないで下さい。阿呆の会話に付き合わされるのも楽じゃ無いんですよ。でもまぁ確かに、天門霊送機関の孤児院から初めて輩出されたヴェフパークが四戦士にまで登りつめたという話は聞いたことがあります。その真偽は定かではありませんが」


「今すぐここでぶちのめすぞテメェ。内部神経系(インシナプス)も一緒に抉り取って––––––」


「対堕人戦闘員(ヴェフパーク)…!」

 聞き慣れない声に士峰と葉宜はいがみ合うことも忘れ、思わず声のした方を振り向いた。

 それもその筈。声の主はエプロンを肩から下げ二人の子ども抱きしめた孤児院の関係者だった。

 森の出入り口から姿を現した三名の隊員を目に留めるや否や、その顔は一瞬にして無表情と化した。


「––––––この度は、ありがとうございました。––––––失礼します」


 一礼。

 新冨達に向かって手を振る子ども二人のもう片方の手を引き、一刻も早くその場を立ち去ろうとする。


「どこに行かれるおつもりですか」


 堕人を倒した後一言も口を利かなかった新冨。未だに周波数ダイアルを弄りながらも、凛とした口調で静止を求めた。


「この先にシェルターは無いはずです。幼児を連れて、一体どこへ」


 先程まで馬鹿なやりとりをしていた士峰と葉宜も、この時ばかりは固唾を飲んで見守った。

 

「––––––掩体壕へ」


「…何…?」


 新冨は職員の声が聞こえないわけではなかった。疑いたくなる言葉を発したからだ。


「子ども達を助けていただいたことには––––––、…感謝しています。ですが、私達は、貴方達のことは信じません」


 その言葉に士峰は片目を細め、

「オイてめぇ。別に感謝して欲しくてやってるわけじゃねぇけどよ、少なくともそんな言い方は無ぇんじゃねえか?––––––しかも何だいきなり信じないって」

 背負った葉宜をそのまま地面に落とし、ズカズカと職員の元へ歩み寄る。

 いきなりのことに地面に尻餅をついた葉宜は悶絶し、苦痛に顔を歪める。


 新冨が士峰のその言動を諌めようとしたその時、かすかに爆音のようなものが辺りに響いた。

 新冨、士峰は反射的にそれぞれの刀と拳銃に手をかけ、身を低くし、周囲の状況を確認する。


「本部。こちら六六班第八部隊新冨。応答して下さい。…本部!」

 

 だが変わらず応答は無い。

 新冨はあらゆる考えを頭の中で巡らせるが、不確定要素が多すぎる現状では困難だった。


「新冨さん…。今の爆発音––––––、零地区の方角からのように思えたんですが…」


「はぁ?零地区ってお前…。そんな場所に敵がどうやって––––––。––––––‼︎」

 

 士峰は地面を強く蹴り、バク宙。高さ十メートルに達した後、孤児院の天井に着地した。


「士峰!」

 叫ぶ新冨だったが、同時に後方からの強い殺気を感じ取り、握ったままの刀を鞘から素早く抜き百八十度回転で高速で迫り来る敵の突進を止めた。


「くそッ」

 士峰を襲ったもう一体の堕人。新冨の背中がガラ空きであることを確認すると、一目散に駆け出した。


 素早く二丁の拳銃を取り出し、その引き金を引こうとしたその時、突然堕人はその動きを止めた。何故か、腹部に刀が突き刺さっていた。


「女性に背後から襲いかかるとは。化物と言えど看過できたものでは無いね」


 刀は葉宜のものだった。辛うじて動く左手を使い左腰にある刀を逆手に持ちとっさの判断で堕人目掛け放っていた。


「チェックメイトだ。愚図野郎」


 堕人の頭部には、士峰の拳銃が既に零距離で向けられていた。

 新冨は刀でもう一体の鉤爪を防いだまま。



 突然の強襲。優位にあるのは誰の目にも三人の方に思えた。

 葉宜がその胴体を何者かに貫かれる迄は––––––。





◆◇◆◇◆◇◆





「は…––––––」


 葉宜の身体が弓なりの様に反る。

 血の雫が胸郭から飛び散った。堕人の鋭い槍の様な爪が胴体を貫通している。

 その目は大きく開かれ、自分でも何が起きたのか理解できていない様子。


 そのすぐ背後に、五メートル以上高さのある堕人が立っていた。

 葉宜の身体をまるで小石を拾い上げるかの様にして、高々と突き上げた。


「葉宜…––––––!」

 銃を堕人に突き付けていたことも忘れ、巨大な堕人へ駆け出す。

 だがその瞬間腹部を強烈な痛みが襲った。士峰の体は孤児院の門を突き破り、家屋の窓ガラスを突き破った。


「––––––脆いな」


 拳銃を突きつけられていた堕人が士峰の目が逸れた一瞬の隙を突き、空中で回し蹴りを炸裂させ、地面に降り立った。


「さて––––––これで邪魔者は居なくなりましたぞ、お嬢」

 新冨の刀と未だ己の鉤爪を交える堕人は告げる。

「––––––くっ…。さっきの奴といい…––––––」

 新冨は予想を上回る相手の力量に動揺を隠せずにいた。刀を持つ手が震えている。


 堕人は満面の笑みを浮かべ、その顔を新冨に近づけた。口からは涎が垂れ、近くで見るとグロテスクな体表。吐く息は鼻が曲がるほどの異臭がした。

「もう逃げることは出来ませんよ。貴女はその目で見た筈だ。この天霊が、あの時と同じ様に取り囲まれていたのを」


「黙れェェ‼︎」


 一層刀を握る手に力が入る。

 普段は滅多に感情を露わにしない新冨が声を大にして響かせた。


「––––––先程、連絡が入りました。我々の同胞が零地区の上級会議室を強襲し、天霊の主要メンバーの約三分の一を皆殺しにしたと––––––」


「‼︎」


「これも全て、貴女の判断が招いたことだ。貴女があの時、お父上からのお誘いを無碍にした。それ故の––––––」

 刀と交じり合わせていた大きな鉤爪。だが次の瞬間には、新冨は刀を地面に叩きつけていた。そこにあった筈の鉤爪が一瞬にして消えたのだ。完全に体制の崩れた新冨は、急いで辺りを見渡す。

「何処へ––––––」

 そう自分で口にしながら新冨は気付いた。

 

 堕人は変わらず自分の丁度一メートル真横にいた。ただ体を左に一回転せさると同時に、新冨の刀を受け流した後、そのまま溜まったバネを放出し右拳を新冨の腹部に命中させた。


「がっ…––––––」


 激痛を通り越し、直径三十センチはくだらない拳が背中の向こうまで貫通したかのような感覚に見舞われた。端から見れば拳のインパクトは一瞬のように見えるが、接触してから離れるまで五秒も十秒もかかっているかのように新冨は感じた。


 地面に叩きつけられた所をもう一体の堕人が更に追い打ちをかけた。尋常では無い速度で飛ばされた新冨に空中から狙いを定め、真上から急降下の後右腕で首を握りしめる。その衝撃はコンクリートの地面に深さ四十センチほどの窪みを残した。


「く…っ……、あ…––––––」

 地面に押し付けられ苦悶の表情を浮かべる新冨。頭部は血が滲み、この一瞬でコートやシャツが何ヶ所も破れた。


「気を失えば、少しは楽になれたものをよぉ…。中途半端に鍛錬なんてしたから、そうやって苦しみを味わうんだぜ」

 堕人は首を手で握りしめたまま新冨の上に跨り、もう片方の手で新冨のコートの下にあるワイシャツに手をかける。


「…ぁ…、うっ…あ…」


「だーが喜べ。焫昇島(ぜっしょうとう)に着くまでの間、俺がたくさん可愛がってやるからよ」

 そう言うと堕人は決して細くはない爪を器用に使い、ワイシャツの第一ボタンに爪先を当て、

「な…、…やめ––––––!」

 そのまま一直線に振り下ろした。


 爪はワイシャツだけでなく肌にまで長い傷を残した。すぐに血が滲み出し、白いシャツを赤く染め上げた。

「…!––––––この…!」

 至近距離にある堕人の目を辛うじて動く左手で潰そうと手を伸ばしたが、分かっていたかのように首を握っていた手で新冨の両手をまとめて掴み、新冨の頭上の地面に荒々しく叩きつけた。

「はぁ…。いいねぇ、その生意気な態度も好みだ」

 新冨は何とか拘束を振り解こうとするが、完全に倒された状態で自分の数倍ある巨体を相手にそれは不可能だった。


「馬鹿やってないで、さっさと行くぞ」

 後ろで成り行きを見守っていた堕人が踵を返し、外壁へ歩き出したその時、葉宜の身体を一突きにした堕人が奇妙な唸り声をあげた。


「––––––どうした」

 振り返り見上げてみると、そこに居る筈の五メートル超の体を有する堕人がその姿を消していた。

 意識を失った葉宜の身体が先程とはさほど変わらない体勢で宙に浮いている。消えたのは堕人のみ。さらにすぐ隣に目線を滑らせていくと、紫色をした何かが目に入った。

「…!」


 ほぼ同時に、上空でかすかに金属の擦れ合うような音がした。

「––––––まったく…」


 上を見上げると、確かにそこには一人の人間が今にも右手に握った長大な槍を放とうとしていた。

「もう一回‼︎死んどけェ‼︎」

 空中で高らかに吠えながらリリースの瞬間に回転を加えられた槍は、強力な磁場に引き寄せられるようにして地面に向かっていく。


「いつから人間は––––––空なんて飛べるようになったんだ」


 堕人はそれ以上自身の体を動かすことなく、寸分違わず己に迫る槍に眉間を貫かれた。









 ◆◇◆◇◆◇◆







 




「っぶねぇな」

 槍を投擲した少年は約三十メートルほどの空中から着地し、荒々しく呟いた。肩まで伸ばした金髪が風になびく。全身を黒に統一した身なりで、左腰辺りには銀色のチェーンをぶら下げている。鋭い目を辺りに向け、状況を一通り確認してから倒れている満身創痍の葉宜の元へ向かう。


「だから、お前にはまだ早いって言ったんだ。ボロボロじゃねえか」

 土手っ腹に穴を開けられとめどなく血を流す葉宜に対して、金髪の少年は手を差し伸べるでもなく、見下していただけだった。


 新冨に覆い被さっていた堕人が地面を蹴り、あっという間に少年の背後に迫る。大きな鉤爪を振りかざし、少年の頭を抉ろうとする。だがあと二メートルという所にまで迫ったその瞬間、空中に浮く堕人の身体がひしゃげ、地面に叩きつけられた。


 轟音と共に上半身の半分をコンクリートの地面に埋めることになった堕人。その身体の上には、黒いジャケットに身を包んだ銀髪の少年が立っていた。すぐに地面に降り立ち辺りを見渡すと、少し離れたところでこちらを怯えた様子で見つめる女性と幼児二人が目に入った。


「執印(しゅういん)…。葉宜を……早く医療棟へ」

 執印。そう呼ばれた金髪の少年は声のする方へ顔を向ける。小さなクレーターの上で倒れる新冨が天を仰いだまま呟いていた。体の前面に殆ど外傷は見られない。が、クレーターは新冨の背を中心にして血溜まりのようになっていた。

 執印は大きく溜息をつく。唇を噛み、真横で突っ立っている紫色の髪をした女性に目を遣り、顎で新冨の元へ行くよう促した。


「はいはーい」

 状況に似合わないような調子で、黒のキャスケットを被った小柄な女性が小走りで新冨の元へ駆け寄っていく。


「僕たちより真っ先に駆けつけたくせに。相変わらずのツンデレだね、執印」

 孤児院の門の方から声がした。緑色の髪の毛をした少年が自分よりもかなり背丈の差がある士峰を軽々と肩に抱えている。士峰は目を閉じ、気を失っていた。

 葉宜が横たわるすぐ側に、これ以上容体が悪くならないよう静かに士峰の身体を横たえた。


「ゴチャゴチャうるせぇ。…おい風戸(かざと)、釼谷(つるぎや)はどこ行ったんだ」

 風戸と呼ばれた少年、そして執印は辺りを見渡す。するとその姿をすぐに捉えることが出来た。先程執印に背後から襲いかかった堕人に強烈な蹴りを入れた銀髪の少年、釼谷豊秋(つるぎやとうしゅう)は、三、四十メートル先の道端で見慣れない誰かと話している様子だった。

 執印は目を細めるようにして確認する。


「あれは…、もしかして通信にあった孤児院の餓鬼どもか––––––?」

「餓鬼どもって…。…口悪いよ、執印」

 執印は風戸の言葉を気にすることなく、

「ハッ。よくまぁ死ななかったもんだな。餓鬼どころか、一般市民が堕人と遭遇すりゃ普通死ぬぜ。––––––俺ら第八が居なけりゃ確実に即死でしたね、新冨さん」

 執印は得意げに、意識が朦朧としている新冨に向かって同意を求めた。だが満身創痍の新冨が何も答えるはずは無い。


「何得意げになってるの。ヴェフパークは一般市民を堕人の脅威から守って当然でしょ。––––––てか執印、君殆ど何もしてないじゃない」

「あ?うるせぇよ。テメェこそ何もしてねぇじゃねえか。いい子ぶってんじゃねぇ緑。––––––俺は最後締めただろうが、華麗な投擲でよ」

「それを言うなら、最後は釼谷の蹴り––––––」

 だが執印は風戸の言葉を無視し、堕人の眉間を貫き地面に突き刺さった槍を見つめる。

 ––––––だが同時に、その堕人が瞼をパチリと動かした。


「⁉︎」

 予想外の出来事に執印は身構え、風戸は背中にかけていた刀の柄に右手をかけた。


 新冨を両腕に抱えたキャスケットの女性はその動きを察知し、身を屈め、クレーターを丁度盾代わりにする。道端で会話を続けていた釼谷もこちらを振り向く。


「まだ生きてんのかよ…。本当に化物だな」

「––––––でも、いくら堕人とはいえ脳を貫かれてもなお意識を保っていられるなんて、聞いたことが無いよ」


 堕人の両手はだらんと重力に従い、足も同様に神経は行き届いていない様だ。だが唯一動かせるその眼球をギョロリと二人の方へ向けた。

「…あっ……ァ…、ま…さか…、此処で…死ぬと…ハ……」

 堕人は口を震わせながら、声にならない声を振り絞る。額から流れ出る血は鼻と涙腺の間を通り、両頬を伝って地面に落ちていく。

 

「やっぱり聞き違いじゃねえみてぇだな…。堕人が言葉を発するとは…初めて聞いたぜ…。––––––だが残念だったな。こんな所に来なきゃ、そうやってまた死ぬことも無かっただろうよ」

 少し構えを崩した執印が真剣な眼差しでそう呟く。


「……ふ…ふふ…。––––––ハッ…ハッハ…」

 突然力無く笑い出す堕人。


「…?何が可笑しい」

「…貴様らは…そうやって…、神の使者である…我々に…、易々と…手を…かける…」


「…あ?神だと?…とうとう頭までおかしくなりやがったか。罪の無い奴等を無差別に殺して回るだけのお前達堕人に、存在価値など––––––」

「貴様らは…まだ事の重大さに気付いていないようだ。我々が今この場に居ることが、どのような意味を持つのか…」


 その目を、紫色の髪の女性に抱えられた新冨に向ける。

「今の内に…最後の別れを済ませておくんだな…。––––––いや…、もうそんなことも…言ってられなくなる事態が…お前達を襲う…。神欺(かみあざむ)…、いや、世界中の人間を欺いてきたお前達に…下される審判が––––––」


 唯一力を宿していたその瞳から光が消え、呼吸音が消えた。両手は完全にだらんと垂れ下がり、堕人は微動だにしなくなった。


 

 







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