第7話 Lamplight of revolution

「––––––今…、何と––––––」


 この上級会議室が静まり返ることは極めて珍しい。普段からお偉方の怒声が響き渡る同じ部屋とは思えない。

 巨大な木製の円卓の前に並べられた幾つもの椅子には空席がちらほらと目立つが、そのうちの一つに腰掛ける蒼髪の女性––––––眞堂桐依はそう思った。


 だか、そのようなどうでもいいことを考えている暇は無いようだと、眞堂は先程からこの室内にこだまする人工音声に手と足を組み深く腰掛けた状態で耳を傾ける。


『我々は、“神道開衆(しんとうかいしゅう)”。あなた方は、ARGと呼称する』


「ARG…⁉︎」

 室内が騒めく。椅子を後ろに蹴り倒す者、横と顔を見合わせる者、眞堂のように一人事の状況を認識する者。


「逆探知」

  話器を持つ老人から離れたところに、大きな箱型の機械を前に数人の黒服集団が集まっている。ヘッドホンを当て、機械のスイッチを手に当てている。


『“神使い”を崇め、尊ぶ。それが我々の行動理念だ』


 聞き慣れない言葉に、周りの者達は眼を細める。それは眞堂も同じだった。

 話のおおよその見当は付いた眞堂はワイシャツと黒ジャケットの間に手を伸ばし、端末を取り出した。

 だがそれを目撃した黒服集団のうちの一人はヘッドホンを片耳外し、

「眞堂さん。電波妨害の恐れが––––––」


「もう分かりきってるだろう」

 

  だが、その逆探知員の言葉を上からかぶせるようにして黙らせた。

「より早く手を打った者が勝つ。もう既にそういう状況だ、これは」


 端末の指を素早く動かし、耳に当て、何度目かのコールの後、


「––––––仲霧。状況は」

 

 

『お疲れ様です、班長。第八部隊ですが、新冨、士峰、葉宜の三名を3Z(スリーゼット)へ向かわせました。現在作戦遂行中と思われます』


 太い声が聞こえた。

 眞堂の元直属の部下、第六六班現班長の仲霧だった。

 

「––––––だからその班長っていうのを…、…いや、…まあいい。––––––後の五人はどうした」

 未だに何度も班長呼ばわりされることに眞堂はお決まりの台詞を返す。だが、普段と違い事は急を要した。


『釼谷(つるぎや)、風戸(かざと)、執印(しゅういん)、梁木(やなき)は、現在ウェイティングルームで待機させています。紅村(こうむら)は不在。通信が繋がらず、安否不明です』


 夜間とはいえヴェフパークを含め被管理区域を除く市民は自由行動時間帯であったため、襲撃時の居場所が特定できない。そのことを理解した上で眞堂にはおおよそ予想がついていたが、それを上回る数が消息不明としてカウントされていた。


 嫌でも耳に入ってくる他班の状況報告。最も酷いところでは班員全てが消息不明というのもあった。


 なおも人工音声は続ける。

『––––––あなた方が化物と畏れ、天敵と忌み嫌う存在。我々はそれを神使いと呼ぶ––––––』



「紅村は待つな。それよりも、至急四人を3Zへ向かわせろ」


『…3Z…ですか?––––––新冨達が既に向かっています。もうじき沈静化する––––––』


「違う。相手はただの堕人じゃない。奴らは––––––」


 そこまで言いかけた時、眞堂は視界の端に何か不自然な動きをとらえた。

 深夜の時間帯と言っても、部屋の灯りをすべて消せば、無数の電灯に彩られた天門霊送機関を一望することは容易い。

 だが今この大部屋の灯りは全て点けられ、ほぼ三百六十度に張り巡らされている窓には自分達の姿や円卓が映っているだけ。

 この状況では、“天敵”が超接近したとしても、それに気づける者はごく僅か––––––。


「––––––!彩葉(いろは)!」


 そう叫ぶことしかできなかった。


 窓ガラスがことごとく打ち破られ、何十ものけたたましい咆哮が上級会議室に響き渡る。


 眞堂の目線の先に立っていた他班の長は、後ろから胸部を鋭い鉤爪で一突きにされそのまま闇夜へ放り投げられた。

 右横から生暖かい液体が勢いよく眞堂に吹き付ける。左膝下を無くした男性が床に倒れ伏していた。そこに窓ガラスを破った巨体が覆い被さり、頭部を大きな口で包み込み、五本の鉤爪を丁寧に揃え胴体を貫いていた。







 ◆◇◆◇◆◇◆








「眞堂!」

 叫び声が上がった。同時に眞堂は背後に強烈な殺気を感じ取った。その通りだった。獣が大きく開口し、まさに眞堂の体を噛み砕こうとしていた。


 が、その獣の頭蓋は、眞堂との間に突然現われた何者かの踵落としをもろに浴び、その頭部を体ごと床にのめり込ませる羽目になった。


「––––––……」


 何の前触れも無く空間に出現したそれは、自分の体の周りに青白い光の粉のようなものを一瞬纏わせ、重力を無視するかのようにゆっくりと獣の頭部に右足を置いた。


「済まぬ」


 そう呟き、右足を軸にして体を回転させ、隣で男性隊員にむしゃぶりつく化物を蹴り飛ばした。

 思わぬ不意打ちを被った化物は、鋭利な窓ガラスの破片に勢いよく切り裂かれ、鉄枠をへし折り、叫び声をあげながらそのまま地上へと落下していった。


「これほどの大群の接近にも気づけなかったとは」


 苦味を潰したような顔をしてそう言ったのは、小紋を見に纏った少女だった。セルリアンブルーの髪色と瞳。外見は小柄、身長はおそらく一五〇センチもないくらい。


「彩葉が謝ることじゃない。こいつら、普通の堕人じゃない」


 眞堂、そして彩葉と呼ばれた少女は隣で倒れている男性を引きずり、円卓の真下に身を隠し、周囲の状況を伺う。

 

 悲鳴、雄叫び、肉の潰れる音、流血、爆発、刃の擦れる音。


 男性は出血多量だった。胸部の傷口は予想以上に大きく、また右顎部分から左のこめかみにかけても傷を負っており、右眼は真っ赤に染まっていた。その顔は苦痛に歪んでいる。

 


「彩葉。エリア3Zだ。そこに私の班の者がいる」


「いいのか、桐依。四戦士ともあろう者が私情を挟むような––––––」

「あそこは私の古巣だ。それを見捨てるほどにまで、人の心を無くしたつもりはない。それに何より––––––」


「一番の危機に瀕しているのは、彼らかもしれない」






◆◇◆◇◆◇◆





 警報が鳴り響く。


 真っ白な室内の所々に設置された赤い警光灯が回転している。人々は眠たい体をなんとか引きずり、各棟の襲撃時避難用シェルターに身を寄せ合っていた。

 

 無理やり押し込まれ、自由に身動き出来ずフラストレーションが溜まっていく。その中に晩崎鮮陽の姿もあった。


 あらゆる事態を考慮し設計された避難用シェルター。そのはずだったが、見渡す限り人混みで埋め尽くされているこの状況には、設置された空気調節器が役目を果たせずにいる。

 いくら暖かさが恋しい時期とはいえ、こうも他人の体が密接していては気持ちが悪くなる一方だ。


 部屋の隅に設置された一台のテレビに皆が目を見張らせている。映像は自分達の住む天門霊送機関を上空から、恐らくヘリコプターに搭乗したカメラマンが撮影しているものだろう。


「––––––!」

 晩崎は思わず口を押さえる。

 彼女の目に映ったのは、天門霊送機関外周部外壁あたりから立ち昇る黒煙だった。それだけではない。美しく造形物のように整えられた立方体の純白の建物が瓦礫と化し、見るも無残な光景が広がっていた。



『Z地区の被害が甚大です!––––––ヴェフパークも次々と出動しているようですが、これは犠牲者も…––––––』


 テレビから聞こえる音声が目の前の惨状を可能な限り伝えていた。

 だがその時、


 今迄に聞いたことのないほどの、一瞬それが爆発音なのか分からなくなるような、酷いノイズが部屋に響き渡った。視聴者の何人かは自分の耳を塞ぐほどの大音量。そうでない人もジャーキングのような反応をして見せた。


 部屋がこれまでにないほど騒ついたのはその直後だった。カメラは誰もが予想し得なかった光景を映し出した。


 外周部からは一番距離のある中央棟。そしてその中で最も高高度にあるガラス張りの一室。


 侵略する敵の手から最も遠い位置にある筈の零地区が敵の手に落ちた瞬間だった。









 ◆◇◆◇◆◇◆








「ほう」


 目の前のテレビを見て、男は少し驚いた様子を見せた。


 暗い部屋の一室。開け放った大きな窓の向こう側には月がその姿を現し、優しい明かりを部屋に差し込ませるとともに、静かな水面に反射させている。


 心地良い風が紅色のカーテンを揺らす。

 

「あやつら。本当にやりおったわ」


 男は八時間前のことを思い出す。一人の女性と一人の女児と交わした言葉を。


 ––––––『明日という一日が、革命の日となることを祈っていて下さい』––––––『ママと相談したの!パパに何か誕生日プレゼントって!』––––––

 

 


「––––––ありがとう。二人とも」

 男は目を瞑りながら、そう呟いた。


 望み通りの結果になるかどうかは、確信が持てなかった。

 この映像を目にするまでは––––––。


「この蝋燭に灯った火を、消しに行けばいいんだね。友梨鈳(ゆりあ)」


 男は声を荒げ、扉の外の者の名を呼んだ。

 扉が開き、現れたのはスーツ姿の男性。椅子に座る男の側まで近づく。そしてテレビの映像を見るや否や、

 

「––––––これは、私も気合いを入れませんと」

 苦笑いをしながらそう言った。


「一九九八年三月二十日は、記念すべき日として後世に語り継がれるだろう。世界を正しい方向へ導いた、革命の火を灯した一日として」


 

 男はおもむろに立ち上がり、深呼吸。


「さあ。燭台をひっくり返しに行こうか」


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