第6話 Those that can not be present

「良さんは」

 鼓膜に轟音が響く中、士峰は右耳のインカムに手を当てながら自分の声をマイクに通す。建造物がものすごい速さで後ろに流れていく。


「分かりません。そばにはいません」

 葉宜は上下左右に視界を移していく。が、人一人確認できない。白く塗装された高層の建物。遠く見える地上の光は空に広がる星々を映しているかのよう。雲一つなく、空気が透き通っているのがよく分かる。


「しゃーねーな…!––––––急ぐぞ葉宜!俺らだけで目標を––––––」

 だが前屈みになり空中を駆ける葉宜の体が不自然にぐにゃりと曲がり、一瞬士峰の視界から消え去る。


「⁉︎」


 反射的にホルダーの二丁の拳銃に手を伸ばし、

「誰だ!」


 高度を下げていく葉宜の体。背中に取り付く正体不明の何かも視認できるが、目にも留まらぬ速さの上、こうも視界が悪いとなると敵味方の判断もつきにくい。闇雲に引き金を引こうにも、銃弾が葉宜に直撃するとも限らないが。だが、士峰はそこまで考えた後、

「悪ぃな」


 一発ずつの合計二発を葉宜の体を掴む何かに向かって撃ち込んだ。


 銃弾は確かに目標の目の前まで接近した。だが士峰が次に気がついた時には、お互いの間に位置していた銃弾がいつの間にか目標の後方に過ぎ去っていた。そして、あっという間に葉宜の体を抱えた何かに士峰の体も奪われた。


 


「三番地よ」

 

 耳元で声がする。

 胴体部への強烈な圧迫が、二人の体の自由を奪っていた。


「がっ…––––––」

 急激な九十度方向転換と風圧。

 予期せぬ体への負担に、態勢を立て直すことが出来ない。


「ほら、もう自分の足で走って」

 右腕に抱えた葉宜を半ば乱暴に前方に投げ出す。体を仰け反らせながら葉宜はどうにか空中に足場を作る。


「––––––あんたも。少し腕を上げたわね」

 右肩に気を失いかけた士峰を乗せながら、新冨良は小さく呟いた。

「頼もしくなってくれたじゃない」

 そう言いつつも、右手を士峰の腰に回し葉宜同様前方に押し出した。


 脇腹を右手で押さえ、なんとか空中歩行に神経を集中させる。

「何のつもりだ…、良さん」

 顔を歪ませながらも必死に声を絞り出し、後ろを行く新冨を睨み付ける。


「模擬戦闘よ」

 無表情のまま。ろくに目も合わせないまま。どこか遠くを見つめるようにして新冨は答えた。


「模擬戦闘…?実戦中にか?」

 眉間にしわを寄せ、士峰の胸の内は懐疑的な感情で溢れかえる。

「––––––…はっ。またかよ。たまにそうやっておかしくなるの止めてくんねぇかな」

 士峰の額には粒状の汗が滲み出ていた。それらはこめかみを通り後方の空中へと流されていく。拳銃を握る両手にも意図せず力が入る。季節柄の寒さと内から湧き出る緊張感による熱量が、温度感覚を鈍らせている。

「––––––そうだ…。そういや…また相部屋の奴を殺しそうになったんだろ。本当ならとっくに隔離棟行きだぜ…」


 新冨は無表情を崩さない。内面も外面もすでに凍り付いてしまっているのだろうかと、士峰は疑心と恐怖感に苛まれる。


「まだ追いかけてんですか」


 彼の一言に、僅かだが新冨は目を大きく見開く。前傾姿勢から無理やり両足を前に出し、しゃがみこむ形でその場に立ち止まる。

「何のこと」

 そう小さく呟き、だが腹の底から発せられた声は強風が吹き荒れる中でも確実に士峰の鼓膜まで響いた。

 新冨を見上げる位置で、同様に直立。


「父親を」

 

 無気力を主張せんばかりの細めた目に対し、士峰は力強い瞳で新冨を見上げる。月明かりを背後に立ち、刹那羽織る黒コートが風に煽られ大きな翼か何かを士峰に想像させた。

 互いの目を見つめる中、最初に視線を横にずらしたのは新冨だった。


「身内を心配するのは––––––当然のことよ」

「分かってんですか!」

 突然怒鳴り声を上げる士峰。呼吸は荒く、両手を震わせる。

「奴は––––––」


 《こちら司令室。六十六班第八部隊、応答してください》

 突然別の声がインカムを通る。すかさず新冨がインカムに手を当て、

「こちら六十六班第八部隊〇四〇四七」


 《了解〇四〇四七。現在地は》

 苦味を潰したように舌打ちをする士峰。

 対して新冨は先程の会話を忘れたかのように、淡々と真下に目線をずらす。

「三番地森林区域。一般居住区域には間も無く––––––」

 《孤児院より緊急回線で通達。子ども二名が行方不明。至急急行し半径五百メートル圏内を集中捜索》







 ◆◇◆◇◆◇◆








「こっちだ!来い!」


 怒声が響く森の中。植物独特の匂いが鼻を強くつく。深海を駆けていると錯覚するほどの深い深い群青色が見渡す限りの空間に満ちている。


「早く!奴らに食われる…!」

 二人。

 たった二人が、どこまでも続くかと思わせるほどの広大な森を駆ける。先導する男児が、女児の右手を強く引く。男児は時折女児の後方を確認。その怯えた目と息の切らし様からも、明らかに何かから逃げている。


「––––––おい、大丈夫か…⁉︎」

 女児の状態を確認すると、目は完全に生気を失っていた。ずっと自分の足元に目線を下ろし、顔は青ざめ、呼吸も十分にできている様子ではない。


「しっかりしろ!」

 男児は必死に女児を鼓舞する。しかし辛うじて動かしている足も、過度な疲労と恐怖からか、満足に体の前に出すことができない。

「走れ!…じゃなきゃ––––––」


 頭上の分厚い草木が不自然な音を発したのを聞き、男児は体の動きを止め、押し黙る。


 一瞬にして、沈黙がこの場を支配した。男児は女児を胸の中に抱きしめ身を小さくかがんだまま、音のした頭上に神経を集中させる。が、

「…くっ…––––––」

 指先一つ、動かすことができない。まるで自分の手足の神経が肩と骨盤あたりから途切れているかのような感覚に襲われる。女児を抱くこの腕は自分の腕ではなく、地面を踏む感覚はあるこの足でさえも支配権を有さない足であるかのような。

 思考などままならない。感情は言うまでもなく。


「…ぁぁ…ぁあああぁあ!!」

 耳をつんざくかと思うほどの悲鳴。声の主は胸の中でうずくまる女児だった。

 男児の体は意図せず横回転。どう地面を蹴ったのかも、どう地面を蹴れば助走無しに空中回転し真横に五メートルの位置に着地できるのかも、この時男児本人には知り得なかっただろうし、無論、驚き考える余裕も時間も無かった。


 至近距離には、見たことのない大きな物体。今まで二人がうずくまっていた地面に大きなヒビを入れ、そこに立っている。

 狼のような口からは、白く濁った吐息と凝固しきったよだれ。二つの目の位置は獣のように横にずれている。体毛はほとんど見られないが、胴体、腕、足の筋肉はその外見からも異常だと分かる。殴られでもすればただでは済まないだろう。砂漠の色をした全身を露わにし、何も身に纏ってはいない。


 間違いなく––––––死んでいた。

 今避けたのは奇跡。

 二度目はない。


 目の前の化物がそう言わんばかりに、鋭い眼光を二人に向かって光らせた。


 迫る巨体。

 強靭なバネを有する両足で地面を強く蹴り、土埃が舞い上がる。

 飢えた肉食獣の如く。鋭い牙が大きく開かれる。

 獲物は蛇に睨まれた蛙。


「ああぁぁあぁあ‼︎」

 恐怖を通り越し、迫り来る死に対し二人にできることは叫ぶことだけだった。

 

 動くことなど、できなかった。

 




◆◇◆◇◆◇◆





 

 掴みかかろうとする化物の腕に、白く光る何かが入り込む。

「……––––––⁉︎」

 いともたやすく貫通。

 

 刀だった。男児の眼前で何者かが刀を右手に持ち、視界の右端からとてつもない速度で切り掛かった。化物に背を向け、体を仰け反らせながら。

 その状態から未だに空中に浮いている両足のうち右脚で軽く地面を踏み込み、僅かに跳躍。


 化物は依然、二人を捕食しにかかろうという体勢。右腕を切断されたことも未だ認識できていないのかもしれない。

 ––––––今にも強烈な回し蹴りをその身に浴びようとしていることさえ。


 上半身を左方向へ捻り、その者の体は完全に宙に浮く。

「がら空きだっ‼︎」

 遅れて放たれた強烈な右脚を化物の頭部に炸裂させる。


 予想外の力に化物の体は大きく反り返り、近くにあった木々をなぎ倒していく。幹は原型を留めず、クリーム色の内部が露わになる。上方の草葉は地面に落ち、小鳥が数匹鳴き声をあげながら飛び立っていく。

 二十メートルほど蹴り飛ばされた化物は、何度も転がる内大木に衝突し、その動きを止めた。

 固体の混じったドロドロの体液が切断面から勢いよく飛散し、横たわる地面の草葉を更に染める。


「こちら六六班第八部隊、一三四二六、葉宜康介。行方不明と思われる子ども二名を保護しました」


 依然、子ども二人に背を向けたまま、刀を右手に持つ男––––––葉宜は、ブレザーの内ポケットから端末を取り出し、そう告げた。


「––––––了解しました」

 返答を待った後、葉宜は二人の子どもに向き直り、

「ごめん。ちょっと肩見せてもらってもいいかな」

 未だに震えの収まらない男児の肩に軽く手を置いた。頷く代わりに、男児は自分の左腕の長袖を捲った。左肩に英数字が刻印されている。葉宜は隣の女児も同様に確認し、

「えー。Z二九四四三。それから……、Z二九四〇一です。ええ、––––––了解しました。二人をシェルターまで連れて行った後、フォーメーションに復帰––––––」

 右上半身に過度な圧迫がかかる。


「…がっ…––––––」

 葉宜の右肩に、先程まで地に伏していたはずの化物の拳が炸裂。真横からの力を他方向に分散させることが出来ず、地に三度体を打ち付ける。


 〈––––––あー久しぶりに効いたぜ〉

「…⁉︎」

 大木に背中を預ける葉宜。額の出血が顎まで流れ地面に滴る。驚きを隠せなかったのは、敵の予想以上の回復力でも、不意打ちに対応出来なかった己自身に対するものでもない。

「堕人が…––––––言葉を……⁉︎」







 ◆◇◆◇◆◇◆








 出血が酷い。急所は無事なのが幸いだが、未だに脳がグラつく状態に、葉宜は一抹の不安を感じた。

 堕人とはいえ、たったの拳一発。その程度で易々と飛ばされ、立ちあがることさえ困難になるとは思いもしなかった。


 今、追い打ちをかけられるものなら間違いなく自分の体はただの肉の塊となるだろうと、葉宜は確信した。


 葉宜の予想を裏切ったのは、拳の重みというより、速さだった。堕人の動きを視認することが出来たのなら、ただ刀を動かさずとも胴体を真っ二つにすることは訳無い。


 外見は典型的なパワータイプ。ヴェフパークの動体視力に勝るほどの、そしてアナライズシステムをも凌駕するほどの身軽さを兼ね備えているとはとても想像し難い。


 そしてもう一つ。

「くっ……。…なん…で、喋ってるんだ」

 掠れ声を出すのがやっとだった。だがその激痛を半ば忘れるほどの衝撃に、口に出さずにはいられなかった。


 両脚は動く。左腕も、だが右腕は全く機能していなかった。刀は既に手中には無く、堕人との間の地面に突き刺さっていた。


「ちくしょ…。やっぱりさっきのが効いてる…」

 新冨の加減のない体当たりをもろに受け、かと思えば勝手に空中に投げ飛ばされた。毎度のことではあるが、戦闘行動中に仕掛けられたのは初めてだった。


 〈あ?よく聞こえねぇな。ちょっとそっち行くから待ってろ〉

 聞き違いでは無かった。また、適当に奇声を発しているとも思えない。間違いなく普段からよく耳にする人間の言葉だ。

 堕人は蹴りの入った左側頭部を軽く手でさすりながら、ゆっくりと葉宜の元へ歩み寄ろうとする。


「なんで喋ってるんだ…。人間の真似ごとのつもりか…?」

 

 〈俺が言葉を話すのが、そんなに可笑しいか。見下げられたもんだな〉

 

 片言などでは無く流暢な言葉遣い。葉宜は堕人を目の前にして、初めて人間と対峙しているかのような感覚に見舞われた。まるで、人間だった頃の記憶を保持したまま化物と化したかのような––––––

「…まさかお前…、インテンションって奴か…⁉︎」


 〈さっきから何言ってんのかさっぱりだが––––––〉

 堕人は突き刺さった葉宜の刀の柄を握り、

 〈おめェはここで終わりだ〉

 軽く引き抜き、投擲の体勢をして見せた。鋒を葉宜の心臓に重ね合わせる。



「––––––おい…、ばけもの––––––」

 

 弱々しく呟いたのは、葉宜の口ではない。


 〈……あ…?〉

 男児が尻餅をついたままの女児を庇いながら立ち上がり、巨体の堕人を睨みつけていた。


「……馬鹿…‼︎」

 葉宜は苦悶の表情を浮かべた。二人に意識を向けられては最期、この武器を持たず満足に動くこともできない状況では––––––。


 〈いーい根性だ、––––––餓鬼〉

 

「やめろ‼︎」

 力の限り声を上げた。だがそれを合図にするかのように堕人は地面を蹴り、大きな口を開かせた。





◆◇◆◇◆◇◆





 二発の銃声が静寂に包まれた森林地帯にこだまする。それと同時に、今にも二人の子どもを襲おうとしていた堕人の体の動きがぴたりと止まった。


「––––––!」


 開口させ、よだれを地面に垂らし、手足を震わせ、目を大きく開き、膝を地面につき––––––

 完全に固まった二人の子どもにその巨体が降りかかる。

「…やっ…」


 一人の女性がその間に立ち、ゆっくり倒れる堕人の心臓部に刀を貫いた。自分の体の左側になぎ払うようにして、堕人を何もない地面に倒した。

 未だに体をピクッと反応させる堕人の目をじっと睨みつけている。何か言葉を絞りだそうとしているようだが、脳天に二発の鉛玉、そして心臓部を刀に貫かれた状態では、いくら堕人といえど体を動かすことはおろか、声一つあげることはできはしない。––––––通常ならば。


「––––––新冨…さん」

 ほんの数分前、葉宜のみぞおちに膝蹴りを食らわせた張本人がそこに立っていた。

 見たことのない速度だった。目にも留まらぬとはまさにあのことを言うのだろうと、葉宜は今になって感じた。


「あの人、たまによく分からんとこがあるからな」

 そう言いながら、士峰はその両手に二つの拳銃を握ったまま木陰から姿を現した。ちょうど葉宜の目線の高さにある拳銃からは、白い煙が立ち昇っている。


「立てるか」

 その問いに対し葉宜は苦笑いを浮かべる。動く左手を背中あたりに動かし、指をさす。

 葉宜が何を言いたいのか、士峰はそのジェスチャーで理解できた。心底面倒くさそうな顔を見せ、頭を乱雑に搔きむしる。

「––––––ちっ…まじかよ。面倒クセェ」

 ちょっと待ってろ、と士峰は乱雑な口調を残して新冨の元へと駆け寄っていった。




「言葉を発することができるとは––––––驚きだな」

 新冨は倒れ伏した堕人を見下げ、そう言い放った。

 吸い込まれそうになる冷たい眼光。堕人と相対したからといって、その醸し出す雰囲気は先程までとはさほど変わりない。


 彼女は、そういう人間だった。

 いかなる状況においても、冷静さを乱さない。例えそれが仲間を失った時でさえも。

 感情が無い、機械のような人間だと彼女を知る人々は一様に口ずさむ。

 

 勿論、喜怒哀楽は時々垣間見える。窮地に立たされた仲間を救い、本人から頭を下げられた時は命が救われたことを我が事のように喜び、道を誤りかけた上司に対しては叱咤も珍しくは無い。毎晩自室のバルコニーで夜空を見上げる様子は哀愁を漂わせ、お気に入りのサウンドトラックで疲れ切った体を癒す時は笑みがこぼれ落ちる。


 感情が無いわけでは無い。そのことを士峰は分かっていた。

 同じ班員としてこれだけ人間らしい姿を見かければ分かりきったこと。


 だが、士峰にはまた別の考えがあった。

 それは、彼女は感情を意図的に隠しているのでは無いかということ––––––


 〈その割には、あまり驚いていないように見えるが〉

 体こそ動かすことはできないものの、はっきりとした口調で、堕人は確かに新冨の言葉に反応して見せた。


 〈冷え切った態度だな…〉

 まるで挑発をするかのように、堕人は荒い呼吸を続けながら笑って見せた。

 当然新冨の癇に障ったのか、鋭利な刀を堕人の首元へ近づける。

 それにも構わず、堕人は新冨のコートに纏われた体を頭のてっぺんから爪先まで舐め回すようにして見つめる。


 〈ほぉう…。よく見れば顔は俺の好みだ…、体の肉つきも––––––まぁ悪くない。〉

 堕人のその言葉にさすがに気を悪くしたのか、新冨は片目を細め、糞を見るような目つきに変わる。

 大きなため息をつき、刀を逆手に持ち替え両手で握る。

「もういい死ね」

 そう、ぶっきらぼうに言い放った。


 そして両手を高く上げた後、間髪入れずに堕人の頭目掛けて振りかざす。

 だが脳天を貫くはずの刀は、再び発せられた堕人の言葉によって直前でぴたりと静止した。


 〈焫昇島(ぜっしょうとう)〉


 新冨はその目を大きく見開いたまま、硬直。

 対して堕人はその顔に笑みを浮かべ、


 〈ぶわっはっはっは‼︎––––––…ククク…。––––––いかんなぁお嬢!そんな言葉一つで動揺して動きを止められては!〉

 そう大声で宣った。

 堕人の口内からは唾が吹き飛び、新冨の顔やコートに付着する。

 だが、気分を害した様子を態度に出すことは無く、それよりも、信じがたい事実を耳にし、驚愕を隠せない様子を見せる。


 士峰はたった今堕人の口から発せられた言葉を疑った。

 地面に伏し、致命的状況にあるのは堕人。優位にあるのは新冨。だが実際には、たった今その優劣はひっくり返ったように、士峰の目には見えた気がした。

 

 だが士峰のその考えを見透かし、さらに己の一瞬の気の迷いを薙ぎはらうかのように、


 〈…そんなことでは、お父上も悲しまれることだろう––––––…〉


 新冨は堕人の脳天に、深く深く刀を突き立てた。

 

 歯を食いしばり、眉間にしわを寄せ、刀を握る両手は小刻みに震えている。

 呼吸が荒い。

 心臓の鼓動が異常を来しているのが自分でもわかった。今にもこの左胸から飛び出してきそうな、そんな感覚に苛まれつつも、新冨は鍔が堕人の皮膚に接触するほど差し込んだ刀を、今度はゆっくりと引き抜いた。






 ◆◇◆◇◆◇◆







 森が静寂に包まれる。

 

 新冨は未だ微動だにしなくなった堕人の亡骸をじっと見つめている。––––––見つめているというより、呆然と、焦点の合っていない両目を足元へ下ろしている。

 返り血––––––緑色の体液をその身に浴びているが、気にも止めていない様子。


 士峰は端末を耳に当て、誰かと話をしているようだった。樹木にもたれかかっている葉宜と、新冨のすぐ横で体を震わせている二人の子どもを交互に見遣る。


「士峰」

 唐突に、新冨が呟く。足元の肉片を眺めたまま。

 士峰は端末を手にしたまま、新冨を見る。


「二人を」

 魂の抜け切ったような声質。

 

「…はい––––––」

 士峰は笑顔を取り繕い、二人の子どもの元へ近づいていく。だがさらに怯えた様子をして見せた二人には、普段から荒々しい士峰も流石に戸惑うしかなかった。

 

「自分のために––––––…。私のために––––––…。多くの人々を危険に巻き込んだというの」

 それを他所に、未だ呆然と立ち尽くす新冨。普段から不気味なほどに冷静な彼女だが、この時は冷静を通り越し、何かこの世には存在し得ないものを見つめているかのように、士峰には見えた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る