第六話

 

 縁談なんて受けなければよかった。

 時すでに遅し、とはこのことを言うのだろう。

 私はルール家の応接間で一人項垂れていた。

 遡ること、三日前。

 私は勢いで了承してしまった縁談のことで、カイン父様に呼び出されていた。


「クレア、適当に座って」

「はい。どうしたのですか、父様?」

「昨日の縁談のことなのだが…」

「はい」

「明日出発するぞ」

「は?明日?」


 縁談の話が来たのは昨日である。

 大切なことなのでもう一度言う。

 昨日なのである。

 どうやら、急いでるわけではなく、スケジュール的な問題らしい。

 しかし、だ。

 まさか、こんなに早く会うことになるとは。

 心の準備が出来ていない。

 私は一人部屋の中でため息をついていた。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。


「何も考えずに行動するからにゃ」


 ペンダントからそんな声が聞こえた。

 そんな時だった。

 突然バタンと大きな音がして、部屋の扉が吹っ飛んだ。

 顔を上げるとそこには息をきらしたメリーの姿があった。

 いつもの落ち着きはどこにいったのか。

 メリーは酷く慌てているようだった。


「どうし…」


 どうしたの、と聞く前に私の体は宙に浮いていた。

 メリーに担がれていたのである。


「へ?あ、いやぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 そして、気づいたら廊下を猛ダッシュしていた。

 やっと降ろされたと思ったらそこはステラ母様の部屋だった。

 そして、目の前には完璧に着飾ったステラ母様の姿。

 汗が背中をつたう。

 嫌な予感がして周りを見渡すが、私の逃げ場所はとうになかった。

 ちらりと前を向くと、ステラ母様と目が合った。


「クレアには今から礼儀作法を覚えていただきます」


 そして、地獄のレッスンが始まったのである。


「そうじゃない!もう一回いきますよ!」

「はい!!」


 カイン父様と結婚する前は国内で五本の指に入るような名家の御令嬢だった母様。

 流石というべきなのか、礼儀には人一倍厳しかった。

 そんな母様の気迫に押され、キリとサキは部屋の隅で縮こまっていた。

 途中でカイン父様が様子を見に来たのだが、そっと扉を閉めて帰っていった。

 そして、五時間が経過した頃、レッスンは終了した。


「まぁ、これくらい出来ればなんとかなるでしょう。クレア、もう遅いから寝なさいね〜」


 ステラ母様はにこやかにそう言って、手を振った。

 母様には疲れというものがないのだろうか。

 歩くこともできなかった私はサキの背に乗って、母様の部屋を後にした。


「キリ、今何時?」

「午後11時だな」

「明日の出発は?」

「午前8時だな」

「もう寝ていい?」

「ダメだ、お風呂に入れ。お前、汗臭いぞ」

「そっか…」


 そして、私は意識を失った。

 次に目を開けた時には、私はベットの上にいた。

 寝巻きを着ていることから察するに、どうやらお風呂には入ったようだ。

 しかし、私にはその記憶がない。

 そこまで考えて気がついた。

 私が気を失った後、誰かが服を脱がして、お風呂に入れて、寝巻きを着せたのだ。

 上半身を起こすと、隣には普通の猫のサイズになっているサキがいた。

 つんつんと突っつくと、ニャーと声を上げて目を覚ました。

 そして、私を見た瞬間、一目散に逃げようとした。

 咄嗟にサキを掴んでいた手に力を入れる。


「サキ、ちょっと聞きたいことがあるのだけど…」

「な、何を聞きたいのにゃ」

「昨日、誰が私を風呂に入れたの?」

「メ、メリーなのにゃ!にゃ!」


 明らかにサキの目は泳いでいた。

 そして、ちらちらとキリの部屋のほうを見ていた。

 私はサキを離すとベットから出て、隣にある侍従用の部屋に向かった。


「キリ!逃げるのにゃ!キリ!」


 サキの叫び声を無視して、扉を開けるといびきをかきながら寝ているキリの姿があった。


「キリ!起きなさい!」


 あくびをしながら、めんどくさそうに起きあがるキリを見て、この人は本当に私の侍従なのかと疑いたくなった。

 そんなことより、だ。


「昨日、私を風呂に入れたのは誰?」

「俺…」

「私の裸を見たの!?」


 そう絶叫しながら、手を振り上げるが、キリは簡単にそれを受け止めた。


「勘違いするなよ。俺の式神がいれたんだよ!」

「式神…」

「式神って何にゃ?」


 サキが不思議そうに尋ねる。

 式神、どこかで聞いたことがある。

 確か、紙から作られる使い魔の一種であるはずだ。

 でも、サキも知らないようなことを私がなぜ知っているのだろうか。


「お嬢は知ってるのか…?」


 キリの顔が険しくなる。

 やはりこれはあまり知られていない術のようだ。

 私は慌てて首を横に振った。


「う、ううん!知らないよ!式神って何?」

「口で説明するのは難しいな…」


 キリは手を広げて一枚の紙を見せた。

 そして、ぶつぶつと唱えると、それはあっという間に一人の女性へと変化した。


「キリ様、お呼びでしょうか?」

「昨日はこのハナコに入浴を頼んだ。な、ハナコ?」

「はい、昨日私はクレアお嬢様の入浴をさせていただきました」

「戻れ」


 そして、ハナコは一枚の紙切れに戻った。

 それと同時に私の部屋の扉がコンコンとノックされた。

 私は急いでキリの部屋を飛び出した。

 女が男の部屋に行くことはあまり好ましくないからだ。

 しかも、私はこれから婚約する身。

 あまりよく思われないだろう。

 ベットの中に潜り込み、今起きたようなフリをする。


「メリーでございます。失礼いたします」

「おはようございます、メリー」

「あら、起きてらっしゃったのですか?」


 メリーには何もバレていないようだ。

 メリーは私を起こした後、侍従の部屋に行き、いつものようにキリを怒っていた。

 その間に私はちゃちゃっと顔を洗っていた。

 鏡を見ると、たまに顔が二重に見えることがある。

 クレアとは違う大人びた顔。

 どこか懐かしさを感じさせる顔。


「クレアお嬢様、今日はどのような服がよろしいですか?」

「今、行くわ!」


 メリーがクローゼットの前で私を呼んでいる。

 私は急いでそこへ向かった。

 そんな私の頭の中には、さっきの悩みなんてどこかに行ってしまっていた。


「「行ってらっしゃいませ」」


 今回残るのはメリーとフィン兄様、そしてその侍従であるロトスの三名。

 そして、ルール家に向かうのはステラ母様、カイン父様、私とその侍従たちだ。

 総勢六名という大所帯である。

 一日で着くとはいうものの、不安が拭えない。

 私は初めて領地の外に出るのである。

 未知の世界はいつだって怖くて、そして同時にワクワクするものだ。


「はしゃぎすぎないようににゃ」

「わかってます!」


 サキに小言を言われながら、スキップをしてしまうくらいには浮かれていた。

 玄関の門の前に近づくと、一台の馬車と紐につながれた馬ががいるのが見えた。

 どうやら、馬車と馬二匹で移動するようだ。

 私に気づいたアレンが誘導してくれた。

 これ、本来キリの役目のはずなのだけれど。

 そう思いながら馬車に乗り込んでみると、中は意外と綺麗だった。

 私に続いてステラ母様とカイン父様も乗る。

 どうやら、侍従たちは護衛と御者を交代で回すようだ。

 ガタンと音がして、馬車が動き始める。

 外を眺めながら、私はまだ見ぬ場所に心を躍らせていた。

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とあるクレアの冒険譚 コトリノトリ @gunjyo

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