第二話


 私が生きていくために必要なこと。

 それは、この黒髪を凌駕する程の力であることを私は実感していた。

 そのために書庫に入り浸り、ひたすらに知識を詰め込んでいた。


「もうわけわかんなーい」

「おい、ここで寝るな!おい!お嬢!」


 私は本を読みすぎて、毎日毎日頭がオーバーヒートしてしまっていた。

 その結果、書庫で毎回意識を飛ばしていた。

 部屋まで運んでくれたサキとキリには本当に頭が上がらない。

 こんな私のことをみんな怖がると思っていたのけれど、そんなことはなかった。

 それはある朝食のことだった。

 私の家では何があっても食事は全員で行うことが決まりとなっていた。

 メリーが作ったコーナー家恐怖の家訓である。

 例外は認められない。

 その席には貴族にしては珍しく、私を含めた家族、そしてその従者、その他大勢の使用人全てが同じ席に着くのだ。

 といっても、全部で20人もいないのだけど。

 その席でフィン兄様が私に突っかかってきた。


「おい!お前!」

「クレアです」

「ク、クレア!いつもいつも書庫にこもって何やってんだよ!気持ち悪い」

「そうですね」


 フィン兄様が私に突っかかってくるのはいつものことだった。

 しかし、その日のフィン兄様はいつもと少し違っていた。

 私のことを侮辱したのである。

 これは初めてのことだった。

 一瞬でその場の空気が凍りついたのがわかった。

 バカなフィン兄様はそのことに気づかず、まだ私の方を向いて威張っていた。

 すると、突然右のほうでガタンと大きく机が揺れた。

 驚いて、そちらを見ると立ち上がっているキース兄様とその周りでオタオタする従者の姿があった。


「フィン、言って良いことと悪いことがあるぞ。クレアに謝れ」

「いや、私は、別に」

「クレア、怒ってもいいんだよ?怒らないクレアも大好きだけど」

「あ、はい」

「フィン!早く!あ・や・ま・れ!」


 キース兄様の雰囲気に皆が圧倒されているようだった。

 ここ一ヶ月、一緒に過ごしていたけれど、こんなキース兄様を見るのは初めてだった。

 フィン兄様も驚いたようで、ピシッと背筋を伸ばしてキース兄様に謝っていた。

 私は正直、少し引いてしまったいた。

 この家族なんか変じゃないだろうか。

 記憶を失って、この中で最もイレギュラーな私が言うのもなんだけど、変だ。

 どう考えても、変なのだ。

 だけど、それと同時にとても家族想いであることもわかった。

 真剣に怒れるのも嫉妬するのも、家族への想いがあってこそだ。


「こんな家庭に生まれたかったなぁ」

「お嬢?」


 キリが不思議そうに私に尋ねる。

 なんでもないと手を振りながら、何かがおかしいことに気づいた。

 どうして、今私はまるで他人のような発言をしたのだろうか。

 私はこの家庭の一員であるのに。

 記憶喪失のせいだろうか。

 それでも、家族を忘れるなんてことが本当にあるだろうか。

 いや、多分、きっとあるのだ。

 全ては記憶喪失が原因だ。

 そうでも思わないと…

 私はパンをつまむと、すぐに部屋に戻った。


「どうしたのにゃ、クレア」


 サキの言葉を無視して、私はベットにダイブした。

 今日はなんだか頭がパンクしそうだった。


「なんでもない。おやすみなさい」

「そ、そうかにゃ。おやすみにゃ」


 私はそのまま眠りについた。

 その夜、私は不思議な夢を見た。

 その夢の中で私はいつも一人だった。

 冷蔵庫に入った夜ご飯を温め、一人でいただきますと言い、食べ終わると一人で皿洗いをしていた。

 それが日常だった。

 夢の中の食卓はどこか寂しく、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。

 朝、眼を覚ますと自分が涙を流していることに気づいた。

 窓の外を見ると、まだ真っ暗だった。

 どうやら、朝日が登る前らしい。

 昨日、早く眠ってしまったせいだろう。

 そう思い、体をおこそうとしたのだが、おこせなかった。

 もう一回、試すがやはりダメだった。

 どうやら、何かに押さえつけられているらしい。

 私がゴソゴソしていると、隣で何かが動いた。


「クレア、おはよう」


 そこにはにっこり微笑むキース兄様の姿があった。

 数秒間の思考停止後、私は絶叫した。


「このへんたーーい!!!!」


 一瞬でもこの人のことをいい人だと思った私をぶん殴りたかった。

 家族想いとかそんなの関係ない。

 ただの変態である、それもド級の。

 私は廊下にキース兄様を正座させていた。

 それでも、キース兄様はニコニコしていた。

 その周りには、オロオロしてる従者と怯えているサキ、そして眠そうなキリがいた。

 誰も私を止めなかった。

 そりゃそうである。

 妹といえども、私は女性なのだ。

 男性がなんの許可もなく、ベットに入っていいわけがない。


「許して、クレア…」

「嫌です!キース兄様!!」

「ですよね…」


 私はそれから夜が明けるまで、キース兄様に説教をしていた。

 後から聞くところによると、どうやら私は一週間も眠っていたらしい。

 そんな私をキース兄様はつきっきりで看病していたのである。

 悪いことをしてしまったけれど、正直キース兄様が悪いのだ。

 あんなややこしい態度をとるから。

 でも、それもキース兄様の優しさなのかもしれないかもしれない、多分。

 フィン兄様といい、キース兄様といい、どうやら私の家族には変な人が多いらしい。

 しかし、こんなのはまだかわいいものである。

 私の家族には、まだステラ母様という強敵が残っているのだから。

 見ての通り、私はキース兄様に溺愛されている。

 そりゃ、もう、ウザいくらいに。

 当の本人は私に嫌われているなんて一ミリも思っていないようだけど。

 しかし、そんなキース兄様に負けず劣らず、というか勝っているのがステラ母様なのである。

 私は一般的な貴族とは異なるものに、よく興味を示すことが多い。

 洗濯や掃除、博打など庶民の生活や、魔法の仕組みや物理法則などの学問である。

 学問はさして問題ない。

 しかし、庶民の生活は問題大アリなのである。

 この世界では、貴族は政治、勉強、遊び以外は特にやらない、というかやらせてくれない。

 貴族がそういう行動をしていると、庶民は積極的にその行動を代わるのである。

 というわけで、使用人達は私が洗濯をすることも料理をすることも決して許してくれなかった。

 私はそのことに非常に憤慨した。

 政治をするには庶民のことを知らないといけないじゃないか、と。

 そして、事件は起こったのである。

 私がいつものように料理をしたいと厨房でごねていると、そこをたまたまステラ母様が通ったのである。


「どうしたの、クレア?そんなに騒いで」

「ステラ母様!私、料理がしたいの!でも、」

「でも?」

「料理長が絶対ダメって言うの」

「まぁ!料理長、どうしてダメなの?」


 ステラ母様は私の後ろにいた料理長に視線を向けると、にっこり微笑んだ。

 気がつくと、周りには人が集まってきていた。


「奥様!高貴なお方が厨房に入ってはいけません!ここは汚いものも、危ないものもたくさんあります。入ってはなりません」


 その瞬間、私の頭上で頬がぶたれる音がした。

 上を見上げると、料理長の頬が赤く腫れているのが見えた。


「そんなどうでもいい理由で、私の可愛いクレアの頼みを断るとは!あなたは何を考えているのですか!」


 ステラ母様はもの凄い剣幕で、料理長に向かって怒っていた。

 私のために怒ってくれている姿を見て、私は感激していた、ここまでは。

 次の言葉を聞いて、私は唖然とした。


「可愛い可愛いクレアが上目遣いをしながら、頼んでいるというのに!こんな可愛いクレアを何度も見ているだなんて!腹ただしい!!」


 どうやら、純粋に料理長が羨ましかったらしい。

 私の感情を返して欲しいと切実にそう願った。

 キース兄様といい、ステラ母様といい、我が家には変な人しかいないようだ。

 でも、どうやら私はこんな変な家族のことが好きになってしまったらしい。

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