第一話


 目を開けると、最初に見えたのは白い壁だった。

 体を起こして、周りを見回すと、自分がお姫様が眠るようなベットの上にいることに気づいた。

 おかしい、と直観的に思ったけれど何がおかしいのかがわからない。

 さて、困ったと私は足を動かそうとした瞬間、足に電気のような激痛が走る。

 どうやら、足を怪我しているらしい。

 しかも、かなり重症のようだ。

 しょうがないと私は今見えている景色から、今の状況を考察することにした。

 先ほども言った通り、私はお姫様のような天蓋のついたベットにいる。

 これはきっと私の親が大変なお金持ちかもしくは私を溺愛しているかのどちらかだろうと思われる。

 どちらにしても、嫌な予感しかない。

 めんどくさいなと思いつつ、私は首を限界まで右に回した。

 見えたのは、大きな黒猫だった。


「おはよう」

「お、おはようございます?」


 待て、待て、待て。

 今、猫が喋った気がするのだけれど。

 気のせいかな、と思って耳を叩いてみるがその声は私を無視して続く。


「おい、クレア!無視するにゃ!」

「いや、貴方は誰!何で猫が喋ってるの!」

「もしかして、クレア、俺のこと忘れたのかにゃ?」

「忘れるも何も、猫が喋るのをみるのは初めてよ!」

「そうかにゃ……」


 猫は段々と私に近づいてくる。

 足が動かない私は、何もできずにそれを見つめることしかできなかった。

 怖い、と思っても何もすることができない。

 私は思わず目を瞑った。

 おでこに感じた衝撃で、猫の肉球が触れていることがわかる。

 気持ちいいと思うと同時に頭の頭痛が酷くなっていく。

 そして、猫が押す力を強くした時、私は猫の手を振り払った。


「痛い!」

「ごめんにゃ。でも、これでわかったにゃ」

「クレア、お前は記憶喪失にゃ」

「記憶喪失?」

「そうにゃ」


 記憶喪失とはどういうことだろうか?

 私は私なのに。

 でも、確かに自分の名前、境遇、その他諸々の自分にまつわることに関して、何も思い出せないことに気づいた。

 唯一、覚えていることは誰かの眩しいほどの笑顔。


「私は誰なの?」

「俺様が教えてやるにゃ」

「その前にあなたは?」

「俺様はサキ。クレアの使い魔にゃ」


 私が知らない私。

 そして、頭の中に残るあの笑顔。

 私はこれからどうなるのだろうか?

 そんなことは誰も教えてくれない。

 それを決めるのは私だ。

 そう決心して、私はサキに根掘り葉掘り私について尋ねた。


「どうして、私の足は動かないの?」

「それはにゃ、クレアが崖から落ちたからにゃ」

「崖から……。それをサキが助けてくれたの?」

「そうにゃ、その時に使い魔契約もしたのにゃ」

「そうなんだ。サキ、ありがとうね」

「ふ、ふん!使い魔として当然のことをしたまでなのにゃ!」


 照れるサキの頭を撫でると、しだいに瞼が重くなっていく。

 そして、そのまま私は眠りに落ちた。

 そんな私をサキは不安そうに見つめていた。





 次に私が目を覚ました時には、そこにサキの姿はなかった。

 代わりにそこには大勢の外国人がいた。

 その人たちは、私のことを知っているようで次々に私の名前を呼んでくる。

 私はその人たちを知らない。

 しかし、彼らはきっと私を知っているのだ。

 それはとても残酷なことであると私は知っている。

 だけど、どうしようもないのだ。

 どうしようもないのだけれど。

 その瞬間、いつの間にかぶら下がっていた猫のネックレスからポンっという音がして、サキが出てきた。


「お久しぶりだにゃ」


 サキは私の家族だと思われる彼らを連れて、部屋を出た。

 私はホッと息を吐いた。

 本当にないんだっていう嫌な実感が私の体を蝕む。

 どうしようもない、どうにもならない、なんていう言い訳はあまり効いてくれなかった。

 自分の黒い髪を触る。

 元は緑色だったというその髪は私が記憶を失うと同時に黒く染まったという。

 不吉だというその現象を思い出し、私は思わず体を震わした。

 未だに動かない足に力をこめれば、電気のような痛みが走る。

 もし、足が動かせたら、この場から逃げることができるのに。

 そんなことを考えてみる。

 まぁ、いく場所なんてないのだけれど。

 自分の正体なんて何一つわからないまま、生きる理由も見つけられないまま、時間は過ぎていくのだろうか。

 そんなの生きる必要はあるのだろうか。

 口から乾いた笑いが漏れる。


「私は誰?」


 その答えは私の中にはない。


「クレアは僕の可愛い妹だよ」


 私の問いに答えたのは、緑色の髪をした美しい少年だった。

 妹、ということはこの人は私の兄なのだろう。

 兄すら覚えてないなんて……


「覚えてないのはしょうがない。だから、僕ともう一回思い出を作ろう!これまでより、何倍も何十倍も楽しい思い出を!」

「え?」


 その言葉で私は俯いていた顔を上げた。


「僕はキース。クレアの一番上の兄です。よろしくね!」


 差し出された手を私は咄嗟に掴んだ。

 今はまだ、空っぽの私だけど、この人がいるなら大丈夫だ、なんて根拠もないことを思った。


「はいはい、私たちのことも忘れないでね!私はクレアのお母さんのステラよ、よろしくね!」


 そう言うと、キース兄様を押しのけて、緑色の髪をした美しい女性が手を差し伸べた。

 私がその手を取ると、キース兄様は少しふてくされたので、私は思わず笑ってしまった。

 すると、何故か私に視線があつまった。


「クレアが初めて笑ったのにゃ!」


 サキが嬉しそうにそう鳴いた。

 そういえば、起きてから一度も笑ってなかったのかもしれない。

 私が笑ったというだけで、喜んでくれる私の家族を私は大事にしたいと思った。


「よし、クレアも目覚めたことだし、今日は盛大にパーティーをするわよ!」


 ステラ母様の声をきっかけに私の部屋にはサキと私だけになった。

  しんと静まり返った部屋で私はサキに言った。


「サキ、私はあんなにいい人たちのことを忘れてしまったんだね」

「気にすることはないにゃ。だって、クレアはまだ5歳だしにゃ」


 そう、私はまだ5歳。

 いずれは忘れる記憶だったとしても、私はその記憶に恋い焦がれる。

 だけど、きっとそれはもう二度と手に入らない。

 心の中のモヤモヤとした思いをそっと閉まって、私は頬をパンと叩いた。


「悔やんでてもしょうがないよね!サキ、私を食堂まで運べる?」

「お安い御用にゃ!まかせろにゃ!」


 サキはひょいと私を背に乗せると、廊下を駆け出した。





 食堂には沢山の料理が並べられていた。

 唐揚げにポテトフライ、カレーに豚汁、後見たことない料理がいくつか。

 すると、私のお腹がグルグルグルっと大きな音を立てて鳴った。

 ドッと周りで笑いが起こって、私は恥ずかしさのあまり俯いた。

 どうやら、私はずっと緊張していたせいで空腹であることを忘れていたらしい。

 ようやく安心できたことを実感して、私は席に着いた。

 そして、早速一番美味しそうなカレーを食べ始めた。


「何これ!美味しい!」

「そう言ってもらえると作り甲斐がありますね」

「え、あなたは?」


 そう言うと、メイド服姿をした女性が綺麗にお辞儀をした。


「申し遅れました、私、コーナー家に仕えさせていただいているメイド長のメリーと申します」

「メリーさんですね。よろしくお願いします」

「メリーとお呼びください」

「は、はい、メリー?」

「何でしょうか?」


 メリーはどうやらとても優秀のようだった。

 洗濯に掃除、料理などの身の回りの世話を全て一人でしているみたいだった。

 特に凄いのは、メリーが自分で作ったという書庫で、国中で一番の蔵書数を誇っているらしい。

 何から何までこなすメリーに私は密かに憧れを抱いた。

 こんな人になってみたいって。

 ところで、私の家には父様と母様、兄が二人に、サキ、メリー、それに従者がそれぞれに一人ずつ付いているので、計11人が寝泊まりしているそうだ。

 そして、気になるのは従者である。

 一人ずつ付いているということは、私にも付いているはずなのだけれど……

 すると、遠くの方からメリーと誰かの話し声が聞こえてきた。


「キリ!早くクレアお嬢様にご挨拶を!」

「めんどくさいな」

「その口、千切ってやろうか!」

「はいはい、お許しを〜」

「こら!」


 その声の主は私より少し年上の、まだ少年と呼ばれるような男の子だった。

 少年はふらりと近づいてくると、私に向かって深々と礼をした。

 少年の纏う空気はどこか尖っていて、私は咄嗟に自分の体を抱きしめた。


「そんな、怖がらないでいいよ。俺はキリ。クレアお嬢専属の従者です。よろしく」

「よろしくお願いします、キリさん」

「うん、キリでいいよ。じゃあ」


 そう言うと、ひらりと手を振ってキリは何処かに行ってしまった。

 後から追いかけてきたメリーが深くため息をつく。


「クレアお嬢様、申し訳ありません。キリは礼儀がなってないのです」

「いいよ、メリー。あっちの方が話しやすいから」


 メリーはそうですかと呟くと、そっと下がった。

 その手が強く握られていることに私は気づいていた。

 キリ、御愁傷様と心の中で祈って、私は食事を再開させた。

 遠くの方でキリの悲鳴が聞こえた気がしたが、自業自得である。

 私が一人で黙々と食べていると、キース兄様やステラ母様が何度も話しかけてくれた。

 昔の話から、今の話、国の成り立ちや学校について。

 話すこと全てが私をワクワクさせた。

 すると、いきなりガシャンと大きな音を立てて、皿が置かれた。

 音のする方を見ると、そこには私の2番目の兄であるフィン兄様がいた。


「フィン、どうした?」

「何でもねーよ!ていうか、みんなクレア、クレアって……あいつ、黒髪じゃん!」

「何?ただの嫉妬?フィン、みっともないぞ」

「ちげぇよ!何言ってやがる!」

「僕にはそうとしか見えないけどね」


 フィン兄様とキース兄様の言い合いに自分が心の底から歓迎されていないことを私は改めて実感した。

 黒色は不吉の象徴。

 普通、この世界では黒色を持つことはない。

 もし黒色を持って生まれたとしたら、異常なまでの力が備わっている。

 異常なまでの力は戦いを呼び、戦いは死を招く。

 だから、古来から黒色を持つものは虐げられてきた。

 今ではちゃんと法が整備されて、殺されることはないけれど、昔は殺されることもあったらしい。

 そして、私はその中でもイレギュラーな存在。

 何かの拍子に髪が突然、黒くなる例は今のところ私だけのようだった。

 何が起こるかわからない。

 そんな恐怖をみんな私に対して、持っているのだ。


「サキ……」

「何かにゃ?」

「部屋まで連れていって」

「了解だにゃ!」


 私はそっとサキを呼び出し、部屋まで戻った。

 涙が止まらなかった。

 自分は周りの人に恐れられているという事実は私の心を深く深く傷つけた。


「泣いてたって、どうしようもないだろ」


 突然聞こえた声に顔を上げた。

 そこにはキリの姿があった。

 何か言いたそうなサキを手で制すと、キリはパチンと指を鳴らした。


「俺も黒色を持ってるんだ」


 青色だった眼は黒に、赤色だった髪は黒に変わった。

 キリは悲しそうに微笑んだ。


「俺の持つ力は”俊敏”と”魔力”。俺もお前の仲間だよ」

「え?」


 突然、明かされたその事実に私は戸惑いを隠せなかった。

 キリも私と一緒だなんて……


「このことを他の人は知ってるの?」

「あぁ、旦那様だけな」

「そう……」

「これからよろしくな!クレアお嬢!」


 そう言い残すと、キリは私の目の前から姿を消した。

 キリのおかげで、一つわかったことがある。

 それは旦那様、つまり私の父は黒色を持つものを差別していないということ。

 その事実だけでも、私の心は大分落ち着いた。

 いつの間にか、涙も止まっていた。

 それにキリという大事な仲間も見つけたことだし。


「よし、頑張るぞ!」

「クレア」

「どうしたの、サキ?」

「クレア、いや何でもないにゃ。おやすみなさいにゃ」

「おやすみなさい」


 そして、私は眠りについたのだった。





 朝起きると、一瞬ベットの天蓋に戸惑う。

 そして、私は昨日のことを思い出した。


「そうだ、私は……」

「おはようにゃ」

「おはよう、サキ」


 いつの間にか実体化していたサキを撫でながら、私は昨日の出来事について想いをはせていた。

 記憶喪失、覚えていない家族、突然黒くなった髪、そしてキリの秘密。

 色々ありすぎて、頭がパンクしそうになる。

 とりあえず、今の私にできることは強くなることしかない。

 そう決心して、私はサキに尋ねた。


「ねぇ、サキ、強くなるにはどうしたらいい?」

「うーん、にゃ!」


 サキが振り向いた方を見ると、そこにはキリの姿があった。

 毎度毎度、音もなく現れるのはどうしてなのだろうか。


「クレア、強くなるには、まず知ることだ」

「知ること?」

「そう。サキ、クレアを書庫まで連れていって」

「了解だにゃ!」


 すると、サキは私を背中の上に乗せた。

 そして、何の前触れもなく急発進した。


「いやーーーーー」

「しっかりつかまるにゃ!」

「むりーーーーー」


 まるで、ジェットコースターに突然乗せられたみたいな恐怖に私は思わず気を失った。

 今度乗せるときはちゃんと予告してほしい。

 さて、書庫とは先ほども言った通りスーパーメイドであるメリーが作り上げた国内一の蔵書数を誇るものである。

 円形状の建物に沿うように本が積まれており、その頂上は遥か遠くで見えないほどである。

 噂では、雲も抜けているのでは?といわれているほどだ。

 ただ、この書庫には大きな問題が一つだけある。


「何で、階段がないのよ!」


 そうなのだ。

 階段がない、つまりその本を取る手段がないのだ。

 私はあのしっかりしたメリーの思わぬ失敗に肩を落とした。

 しかし、キリもサキもだからなんだという顔をしてこちらを見てくる。


「そんなの、魔法で飛べばいいだろ?」

「そうにゃ。我輩が連れてくのにゃ!」


 魔法。

 初めて聞く言葉に私は動揺した。

 いや、違う。

 私は言葉は知っているのに、その現象を起こるはずのないものと認識していることに動揺しているのだ。

 キリとサキは魔法を普通のものと認識している。

 私はこの動揺が悟られないように、咄嗟に魔法を忘れてしまったフリをした。


「魔法って何?」

「え?もしかして、忘れたのか?」

「にゃにゃにゃ!?」


 私の問いに二人は戸惑いを隠せないようだった。


「うん、記憶喪失の影響かも」

「そうなのかにゃー」

「そうか、まぁ実物を見せれば理解できるだろ」


 そう言うと、キリは左手を前に出した。

 そして、目を瞑って何かを唱え始めた。

 詠唱が終わった途端、左手の上には拳ほどの明るい炎が踊っていた。

 まるで、手品のようなその技に私は口が塞がらなかった。

 物理法則を完全に無視した魔法という芸当が普通とされている世界。

 それが私がこれから暮らしていく世界。


「魔法も含め、この書庫にはあらゆる知識が詰まってる。思う存分、読めばいいんじゃないか?」

「本は我輩が持ってくるのにゃ!まかせるのにゃ!」

「ありがとう」


 その笑顔の下で私は不安に包まれていた。

 知れば知るほど、私という存在に疑問が生じてくる。

 少し頭に集中して、記憶を遡っていく。

 その瞬間、チリっと頭に痛みが走る。


 -まだ、思い出してはいけない-


 頭に直接響いた声に私は思わず声を出して、驚いてしまった。


「どうした、クレアお嬢?」

「な、何でもない」

「そう、か」


 上手く繕えただろうか。

 私は私を知らない。

 キリの言った通りだ。

 まずは知ることから始めよう。

 私はよしと気合を入れて、サキに本を頼んだ。


「サキ、とりあえずこの世界についての本を持ってきて!」

「了解にゃ!」


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