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Answer01」への応援コメント

  • おぉ……!非常に勉強になります。ありがとうございます。

  • メールなんかの「ですがですが」文も大概ですよな……

  • 【問7】についての解説で、(例4)を手直しして(例6)まで持っていく過程の示し方が鮮やかで素晴らしい! と思いました。
    ぼくはブログで物語(小説ではありません)を連載しているのですが、会話文が(例6)の水準まで行かず(例5)で止まってしまうことが多々あり、考えさせられました…

    ところで、【問3】に関して、じつはぼくは少し違った考え「も」持っておりまして、1文1文が比較的短く、しかもその1文1文の区切り方や、1文1文への「意味の込め方」──「凝縮された文」というのでしょうか──が巧みである作家の文体は、しばしば「簡潔な文体」などという褒め言葉で顧みられるということを、ほんの少しのぼくの文学体験から想い起こしました、というのは実は前フリで、『純文学』、どうもぼくはこんな小説のくくり方は甚だしく適当でないと思うと言いますか、そういう思いが去来するということも事実ではありますけれども、とりあえず『純文学』としておきましょうか──大江健三郎の『同時代ゲーム』という小説をご存知でしょうか、いまぼくはこの小説を読み進めているんですが、【問3】の「原則」に照らし合わせると、明らかにこのノーベル賞作家の『同時代ゲーム』のあまりにも1文1文が長すぎる文体は「失格」でしょうし、また谷崎潤一郎の『春琴抄』──未読のかたは是非お読み下さい──の文体、あの日本近現代文学に燦然と輝く傑作の文体に至っては、そもそも文の継ぎ目が曖昧、と言うより【存在しない】かのようで、とにかく現物を見て頂くのが手っ取り早いのは明白だとしても、どうしても『同時代ゲーム』や『春琴抄』のような小説をメインに読む人間としては、1文1文短く~というようなある意味では「マニュアル臭」が強く出てしまう文体ではなく、『同時代ゲーム』や『春琴抄』のような文体でないと満足できなくなる──まあ、「おまえの言いたいことを早く言え!」ということになるでしょうけども、要するに、ぼくのこの1文は極端すぎるにしても、「長ったらしかったり句読点が不親切で人によっては読みにくいかもしれない文章が、人によっては快感になったりする」ということもあると、こういうことです。

    作者からの返信

     レスありがとうございます。
     なんか文章掲載時にはなかったシステムが搭載されてたよ……

     まずここで挙げてることは、無難な方法であって、最適解ではない、というのがおります。
     一般的には短文が好まれるでしょうが、ケースバイケースで長文のほうがいい場合もあるでしょう。そこまでは否定することはできません。

     更に言えば、同じ場面を二通りの書き方をしてアンケートを取るABテストして、短い文章が好まれると結果が出たとしても、作家が長い文章を選んだとしたら、他人がどうこう言う問題じゃなくなります。
     技術論とかではなくて、作者のプライドの問題なので、他人がどうこう言えることではありません。
     それこそ執筆が生活の糧になってる作家の家族や、編集者といった、その文章や作家に責任を持ってない赤の他人は、「頑張ってください」と見守る以外の行動は不可能です。

     こんな考え方が根底にあるから、改善案部分はアバウトにしか書けないわけで。

  • ヒュン! ガキィン! の下りですが、前後に何がどうしたのかを書いてあるので私的には臨場感が増してアリだと思います(・_・;)
    耳元まで来たヒュンをガキィンと落としたという意味では? ライトノベルでは、何かが飛んできた。俺はそれを剣で叩き落とした、では、迫力に欠けるかと。